第五show【感謝も知らぬ不幸におぼつかない幸せを】





真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~

 第五show 【 感謝も知らぬ不幸におぼつかない幸せを 】




   一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。


過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。 中村天風








































































   第五show 【 感謝も知らぬ不幸におぼつかない幸せを 】










































  紗矢禾那は、現在十一歳の女の子である。


  「ママー!!!見て見て!この服可愛い~!!欲しい!!」


  「あら、本当ね。じゃあ、今度買いに行くわよ」


  「今度じゃなくて、今すぐ欲しい!他の誰かが先に買っちゃったらどうするの!?私が真似したと思われちゃうじゃない!!」


  「なら、明日は?今からじゃもうお店は閉まってるでしょ。明日一番で良いでしょ?」


  「絶対だからね!」


  禾那は何かのロゴが入ったTシャツと、ダボダボしているジャージを穿いていた。


  手にはティーン雑誌と思われる、キラキラした表紙が目立つ冊子の何ページ目かを開き、母親に突き出していた。


  そこには、同年代の読者モデルの女の子が何人もいて、レースの付いたスカートや、黒のシックなパーカー、ブーツを履きこなしている。


  禾那もモデルを目指しており、小学生だというのにダイエットまでしているらしい。


  髪の毛も矯正をしたりパーマをあてたり、休みの日には色も染めている。


  父親は止めた方が良いと言っているのだが、母親は禾那のモデルには乗り気で、洋服や髪型だけでなく、美容にもお金をかけている。


  そのお金はどこから出ているかと言われると、スーツを着ているハゲたお方なのだが。


  おでこを出しているのも、モデルの子はおでこを隠している子がいないからだ。


  学校にも、一番早く流行を取り入れていき、みんなに注目されるのを待っているし、家にいるときはパックをしたり爪の手入れに専念している。


  その為か、勉強の方はてんで駄目だ。


  「これも可愛いー!!!あ、そーなんだ。・・・・・・このトリートメント良いんだー。え?体重それしかないの!?もっと痩せなきゃ」


  こんな独り言も日常茶飯事だ。


  次の日の朝、禾那は身体のラインが出るピッチリとしたシャツと短パン、ニーハイを穿いて学校に向かった。


  肩まで伸びている髪の毛は片方に集め、ひとつに縛っている。


  周りの同級生たちもお洒落なのだが、ほとんどが禾那の真似をしているか、雑誌の服を丸丸同じようにコーディネートしている。


  「おはよー」


  高めの声を出して元気に挨拶をすると、友達も「おはよ」と返してくれる。


  だが、今日は禾那の服装や髪形に関しては何も無く、なんだろうと思って近づいていくと、中心には一冊の雑誌があった。


  「どうかしたの?」


  「禾那見てよ!隣のクラスの夢実ちゃんが読モになったんだって!!!すごいよねー!休みの日に出かけてたら、スカウトされたんだってー。細いし、目つきは悪いけどね。てかさ、やっぱプロが写真撮ると、違うもんだよね」


  「思ったー。修正も入ってんでしょ?どうせ」


  「じゃない?だってあの子、こんなに目も大きく無かったし。どちらかというと、貧相」


  ハハハハハ、と笑いながら話しているクラスメイトの言葉など、もはや禾那には入っていなかった。


  自分よりも先にスカウトされ、モデルになった夢実という女の子は、目標としていた雑誌に堂々と載っているのだから。


  イライラしていると、先生が入ってきたため、仕方なく席に座る。


  授業中も鏡を見て前髪のチェックをし、足を組んで痩せる運動をしている。


  家に帰る途中、まだイライラしている禾那の前に、一匹の野良犬が現れた。


  可愛らしい仔犬で、耳が垂れており、大きな目が愛らしさを漂わせているが、今の禾那にとってはその可愛い鳴き声さえも気に食わない。


  一旦は無視して通り過ぎようとした禾那だが、自分の足下に擦り寄ってくる仔犬。


  「何なのよ!」


  軽く足を移動させただけだが、仔犬にとっては思いがけない衝撃で、小さな身体はフルフルと震えていた。


  「あっち行ってよ!服に臭いがついちゃうじゃない!」


  クンクンと鳴いている仔犬を横目に、禾那は足を進めようとしたが、後ろから聞こえてくる小さな声に、後ろ髪をひかれる。


  「うるさい!」


  決して仔犬が悪いわけではないのだが、今の禾那には全てが苛立つ要因となってしまっている。


  足下にあった小さな石を仔犬に向かって投げつけると、仔犬には当たらなかったものの、禾那はハッと唾を飲んだ。


  そのまま走って家まで帰って行った。








  その様子を遠巻きから眺めていた人物が一人。


  よたよた歩いている仔犬に近づいていくと、片手でひょいっと抱きあげた。


  その人物に対してビクビクしているのか、それとも先程起こった出来事に対してなのかは分からないが、仔犬は身体を震わせる。


  口元は弧を描いていて、腰あたりまで伸びている髪の毛は紫色のグラデーションがかかっている。


  顔をあげて大きな目を向けてくる仔犬のお腹を、指先で器用に撫でる。


  次第に尻尾を振りはじめた仔犬を抱えたまま、悠々と歩きだす。


  「いた!」


  その声に振り返ると、小さな女の子が近寄ってきて、呼吸を整えることもなく、仔犬を見て目を輝かせた。


  「ノン!どこに行ってたの?探してたんだよ?」


  「・・・君の家の犬?」


  「そう!ずっと探してたの!」


  「そう。じゃ、迷子にならないように、しっかり見ててあげるんだよ」


  「うん!」


  仔犬を連れてさっさと走って行ってしまった女の子を見送ったあと、背後に誰かの気配を感じた。


  後ろを見ずとも分かるその気配に、眉を下げる。


  「何だい?ジャックから何か言われたの?」


  一つ、大きなため息をすると、ゆっくりと振り返る。


  そこにいたのは、何処からかそれとも誰からか逃げてきたのか、若干息を荒げたままの一人の青年。


  この紫色の髪の毛だけでも相当珍しく目立つのだが、今現れた人物は、年齢としては若いにも関わらず、白い髪の毛をしている。


  辺りをキョロキョロしながら、もう一人の方へと寄る。


  「アヌース、最近登場が多いよね」


  「え?そこ問題か?」


  「当たり前だよ。で?どうしたの?」


  「どうしたって、俺が一人でいる時は、アイーダから逃げてきた以外に理由があると思うか」


  「ないだろうね。分かってたけど。なんとなく、最近はケントよりも出番が多いから、準主役でも狙ってるのかと思って」


  「じゅ、準主役?何だそれ」


  顔は笑っているが、心の中に留めておかなければいけない言葉を、次々に口にしていく。


  「で、なんだっけ」


  急に話題を元に戻した紫色の髪の毛を靡かせる、ジョーカー。


  唐突すぎる切り替えに、アヌースは「は?」と口を大きく開けてジョーカーに対して眉間にシワを寄せる。


  「ジャックから何か言われた?それとも、本当に単にアイーダから逃げてきただけ?」


  「どっちも。アイーダから逃げてジャックの部屋に籠ってたら、『暇ならジョーカーの様子でも見てこい』って言われた。でもさ、正直、ジョーカーって何してんのかなーって思ってたから、丁度いいなと思った」


  「アイーダの愛を受け止めれやればいいんじゃないの?」


  「マジ勘弁」


  近くの河原に腰をおろし、アヌースは寝転がる。


  その隣に足を伸ばして座るジョーカーが、徐々に赤く染まっていく空を眺めて笑う。


  「人生は退屈で、世界は窮屈だ」


  「へ?」


  「ジャックがたまに言うんだよ。聞いたことない?」


  「?ああ、あるかも。あんまり俺は考えたこともないけどさ」


  じゃ―カ―が腕を軽く上げて指先を鳴らすと、どこからともなくひまわりの花が咲いた。


  「まあ、考えない方がいいことなんだろうね。考えないで済むってことは、それだけ中身があるってことだし、不満を持って生きて無いってことだろうからね」


  「じゃあ、ジャックは不満を持ってるってことか?」


  「どうだろうね。ジャックの場合、客観的なことも言うからね」


  それから、どのくらい時間が経ったころだろうか。


  二人は河原から離れて、今現在不満を持っているだろう、自分にも親にも文句を言いたいだろう女の子の家の前まで行く。


  “紗矢”と書かれた表札に目を向けたあと、ジョーカーはニヤリと笑う。


  「アヌース、ピエロに興味ある?」


  「無い」


  面倒臭い仕事を押し付けようかという魂胆も虚しく、アヌースは全く興味無いというように、ジョーカーの言葉を欠伸で返す。


  「ああ、そう」と冷ややかに言うと、ジョーカーは素早く禾那の部屋の屋根の上まで飛んだ。


  おおー、と見上げながら小声で驚愕を示したアヌースも、軽く足を動かしてピョンっと飛んでしまった。


  コソコソと、見つかれば絶対に泥棒か不審者で捕まってしまうだろうが、二人はそんなこと気にもせず、禾那の部屋の様子を窺う。


  机にランドセルを放り投げ、ベッドに腰をかけながら鏡を見ているかと思えば、急に苛立ったように鏡を布団に投げつける。


  「禾那―、ご飯よ―」


  下から母親の声が聞こえてくると、禾那は返事をしないで階段を下りていく。


  「早く座って。明日はあの服買いに行くんでしょ」


  ムスッとしたまま椅子に近づき、座るのかと思うと、食事の並んだテーブルを勢いよく叩き、母親を睨んだ。


  「私がスカウトされないのは、ママが悪いのよ!!!隣のクラスの子は、家族と出かけてスカウトされて、そのままモデルになったんだよ!?なんで私はなれないの?なんでスカウトされないの??!」


  「この前、オーディション受けるって、写真送ったじゃない。それはどうしたの?」


  「落ちたわよ!私のママとパパが、ママとパパじゃなければ良かった!!」


  ダンダン、と大きな足音を立てて階段を駆け上がっていく禾那。


  お風呂にも入らずにベッドにもぐりこむと、しばらくは足をバタバタさせていたが、次第に落ち着いてきた。


  そして、瞼を閉じれば眠気は自然と襲ってくる。








  暗い暗い海の底に落ちていくような感覚。


  禾那は自分でも分からないような気持になり、襲ってくる浮遊感や吐き気にも耐えていた。


  しばらくして目を開けると、そこには自分の両親がいた。


  しかし、その両親の傍にいるのは、自分でもいとこや親戚の子でもなく、全く知らない子供だった。


  誰だろうと思っていると、次第に声が聞こえてきた。


  「瞳、すごいじゃない!一等賞取れたのね!」


  「うん!」


  「ママもパパも、瞳のこと一杯応援したからな」


  「へへへ。おじいちゃんとおばあちゃんも、来てくれたんだよね?」


  「そうよ。瞳のこと大好きだからね」


  自分ではない、自分以外の子供を、まるで自分の子のように褒めている両親に、禾那は声をかけた。


  「ママ?」


  「あら、どこの子かしら?迷子?」


  「ママ、何言ってるの?」


  「どこから来たの?送るから、教えて?」


  違う、違う、と否定をしようと口を開くが、なぜが声が出なくなってしまった。


  きっと、これは夢なんだと言い聞かせると、禾那は落ち着いて口を開こうとするが、足下に違和感を覚える。


  ゆっくり顔を下に向けてみると、足が地面にべったりくっついてしまっていて、ビクともしない。


  顔を戻せば、両親と瞳と呼ばれた子供は一緒に遠ざかって行き、禾那だけがその闇の中に取り残されてしまった。


  「良かったじゃないか。君の両親は、あの子の両親になったんだ。君の両親は別の人になったんだぞ。なぜ喜ばない。自らが望んだことだろう」


  どこからともなく現れたのは、見たことも無い男だった。


  全身真っ黒で、暗闇に浮かぶ目は赤く、手には白い綿飴を持っている。


  口に含むと髪の毛の色は徐々に変わっていき、気持ち悪い様な、はたまた芸術のように美しいのか。


  口元をニヤリと動かすと、今度は突き刺さるような目を向ける。


  「産まれる環境は選べない。だが、生きていく環境は選べる。誰かのせいにするのも実に簡単だ。だが、誰かのせいにしている奴は、結局何も成長出来ずに死ぬだけだ」


  「・・・・・・!?」


  くるっと、禾那に背を向けると、男はクツクツ喉を鳴らして去っていってしまった。


  どうにも動かない足に苦戦していると、とてつもない明かりが禾那の目をくらました。








  目を開けると、いつもの天井が見えた。


  時計を見るとまだ時間は午前三時で、学校に行くには時間が余っている。


  また目を閉じて二度寝をしようかと思っていても、頭が覚めてしまっているのか、再び眠りにつくことは出来なかった。


  一方、一晩中禾那の家の屋根にいた二人。


  明るくなってくるにつれて、屋根にいるのがバレてしまい、どこかの誰かに通報でもされたら、と心配していたアヌース。


  それとは逆に、至って冷静に座っているジョーカー。


  「ジョーカー、隠れなくていいのか?ヤバいんじゃ?」


  「平気だよ。今は見えないはずだから」


  「見えない?何で」


  「いつも見えてる状態だったら、もう何回も捕まっちゃってるよ」


  「・・・・・・だよな」


  招待すべき客人かどうかを見極めるべく、ジョーカーは一人の人間を数日間見ていることがある。


  そうなると、自然とストーカーと似て非なる行動となってしまう。


  警察などに連絡されないよう、最新の注意を払ってはいるが、最悪の事態を避けるためにも、ジョーカーは普段、姿が見えないようにしているらしい。


  「俺はそろそろ帰ろうかな。この前、ジャックの演技見てたら、なんかな」


  「練習しなくちゃって?ま、ジャックは別格だから、そんなに気にすることもないと思うけどね。頑張ってよ」


  「ん。じゃあな」


  すうっとアヌースは消えてしまい、ジョーカーは独り事を口にする。


  「それにしても、相変わらず趣味の悪いことをするんだね、バク」


  まるで誰かに話しかけるかのように言われた言葉は、単に風に乗って消えたのではなく、ククク、と喉を鳴らす声によって返答された。


  ジョーカーの後ろには、いつの間にか男が一人立っていた。


  黒いパーカーを着て、頭にフードを被ってしまっているため、顔ははっきり見えないが、ちらりと覗く目は赤い。


  手には可愛らしくリンゴ飴を持ち、ガリッと乱暴に噛み砕く。


  「悪趣味はお互い様だ。俺は俺が生きてく術の一つとして、やってることだからな。お前等だって、同じようなもんだ」


  「否定はしないよ」


  「ジャックは?まだ団長やってるのか?」


  「やってるよ。それに、天才は健在みたいだしね」


  他愛無い話しをしていると、玄関から禾那が出てきた。


  服装も髪型も一応違っているため、きっと朝早く起きて、お風呂に入ってきちんと清潔にしたのだろう。


  「行くね。また遊びに来てよ」


  「そのうちな」


  その後、その男がどうなったのかは分からない。


  ジョーカーは禾那の後を追って行くが、禾那はなぜか学校とは別の方向に歩き始めてしまった。


  誰かの家に寄っていくのかと思ったが、小さな公園のベンチに座った。


  授業が始まる時間になってもピクリとも動かず、明らかに学校をさぼったのだろうことが分かった時、ジョーカーは禾那に近づいていった。


  「学校は?」


  ビクリ、と肩を揺らして、ゆっくりとジョーカーの方を見る禾那。


  「誰?」


  「学校関係者ではないし、教育関係者でもないよ」


  髪型や服装からして怪しい人物となっているジョーカーだが、物腰柔らかい口調で禾那の興味を引こうとする。


  背負っていたランドセルを膝の上に乗せ、小さい声で話しを始めた。


  モデルになりたいこと、なれないこと、友達が先に雑誌に載ったこと、悔しいこと、両親は本気で応援してくれていないことなど。


  禾那が話している間、なにも言わずに聞いていたジョーカーだが、一瞬、頬が緩む。


  それに気付いていない禾那は、それからもしばらく話しを続けていて、やっと怒りや悲しみから落ち着きを取り戻したのは、お昼頃になってしまった。


  「他人っていうのは、無責任だよね。結局、自分以外はどうなったっていいと思ってるんだよ。心から本気で喜んだり、悲しんだりしてくれる人は、滅多にいないだろうね」


  「別に、私の気持ち分かってほしいとかは思って無い!絶対にわかんないもん!!」


  「で、理解はしてほしくないのに、全部親のせいにする?」


  「だって・・・!洋服代だってケチるし、オーディションの日だって寝坊したこともあるし、最初モデルになりたいって言った時は、信じてくれなかった!!!今だって、ままごと続けてるくらいにしか思って無いよ」


  「信頼は、一度失ったら、なかなか取り戻せないからね」


  小学生に言う言葉だろうかと思いながらも、ジョーカーは笑みを浮かべて話す。


  最近の子供は夢をしっかり持っているというか、少々時代が甘いというか、良いにしろ悪いにしろ、時代は進んでいる。


  昼過ぎにはチラチラと雨が降り始めてきて、二人はしばらく雨を見つめていた。


  「何もあてにならないと思うなら、自分でなんとかするしかないね」


  そういうと、ジョーカーはどこからか傘を取り出し、禾那にさしだすと、自らは雨が次々に落ちてくる中へと進んで行く。


  振り返りニコリと笑うと、こう言い放つ。


  「他人のせいにするしか脳がないなら、君はもう夢をすてるべきだね」


  笑顔から放たれたとてつもない弾丸は、一瞬で禾那を硬直させ、力も抜けてしまった禾那は傘を落とした。


  そのまま何事も無かったかのように、「頑張って」と言って去っていくジョーカー。


  何が頑張ってだ、と心の中で毒づき、しまいには叫んでやろうかとも考えた禾那だが、叫ぶ前に、ジョーカーの姿は見えなくなってしまった。


  お腹がぐうぐう鳴っていても、禾那はお金も持っていないため、何も買えなかった。


  例え買えたとしても、ランドセルを背負った少女が、昼間からコンビニに寄っていれば、不審な目で見られるし、正義感の強い人が見たら、すぐに警察に連絡するだろう。


  口を尖らせてじっとし、夕方の帰宅時間になるまでひたすら待った。


  同世代の子らが帰宅するのを見て、自分も、さも学校に行って来たかのように家に帰る。


  だが、人生そう甘くはない。


  学校に無断で欠席すれば親へ確認の連絡がいき、その連絡を聞けば親も事実を知ってしまうのだ。


  「ただいまー」


  何事も無い様に口を開き、そそくさと二階に上がってしまおうと足早に向かって行くが、母親に止められてしまう。


  「禾那、ちょっと来なさい」


  「後にしてよ」


  「いいから来なさい」


  怒鳴りはしないが、怒りを含んだ言い方だと明らかに分かる母親の口調に、禾那はため息をつきながら返事をした。


  リビングに入ると、母親が椅子に座っていて、禾那同様にため息を吐いていた。


  禾那には背を向けているため表情は分からないが、笑ってはいないだろう。


  仕方なく母親の座っている前に座ると、またため息を吐かれた。


  「禾那、今日学校に行かなかったでしょ。何処に行ってたの」


  「別に」


  「別にじゃないでしょ!警察に連絡するところだったのよ!?学校にも迷惑かけて、近所の人達にも心配かけて!!!」


  ムスッとしていると、母親は頭ごなしに叫ぶ。


  最初は右から左に適当に聞き流していたが、話しは徐々に禾那のモデルの夢のことになり、さすがに反応してしまう。


  「モデルモデル言ってるけど、勉強もしないで何馬鹿なこと言ってるの!?いつまで続けるつもり?うちの家系からモデルなんか出るわけないじゃない!いい加減、夢を見るのは止めて、勉強に集中して頂戴。高校も大学も良いとこ行って、家庭を築いて普通に暮らして欲しいのよ」


  その母親の言葉に、禾那は思わずテーブルを叩きながら椅子から立ち上がる。


  「何よ!!!」


  目を大きく見開き、驚いた表情で禾那を見上げる母親を、禾那は睨みつける。


  「やっぱり信じてくれてなかった!ママなんか大嫌い!」


  そう言って、母親の声にも耳を向けずに二階に駆け上がると、部屋に鍵を閉めて布団にもぐりこみ、目をギュッと瞑る。


  数時間経った頃、父親が帰ってきたようで、二階にきて禾那の部屋をノックする音が聞こえたが、無視した。


  何か言っているのも分かったが、今は顔も見たくない。


  禾那は、悲しい想いや悔しい想い、色々な感情と葛藤しながら、眠りについた。








  コンコン・・・・・・


  「ん?」


  布団から顔を出すと、閉めていなかったカーテンから真っ暗な空が見える。


  時計に目をやると、すでに深夜一時を指していた。


  コンコン・・・・・・


  部屋のドアからでもなく、窓からでもなく、どこからか音がする。


  とりあえず窓を開けて確認してみることにした禾那は、電気をつけているくらいに明るい月明かりを頼りに窓に手をかけた。


  ガラッ、と開けると同時に、外からの冷たい風が部屋の中に侵入してくる。


  声の主を適当に探してはみたものの、見つからない。


  「誰?こんな時間に・・・。イタズラ?」


  そう思い、窓をしめようとした禾那だが、窓をしめる手に違和感を感じ、ゆっくりと視線をあげる。


  「こんばんは」


  「キャアアァァァァァァァァッ!!!!」


  と、叫ぼうとした禾那だが、叫ぶ前に口を手で覆われた為、大声を出すことは叶わなかった。


  目の前に現れた、以前会った紫の長髪の男が、にっこり笑って禾那の前にいるのだ。


  「んーんー!!!」


  手を離せばすぐにでも叫び出しそうな禾那の口を塞いだまま、ジョーカーは笑みを絶やすこと無く話を続ける。


  「紗矢禾那様ですね。貴方の不幸を消し去るべく、今宵、幸せの旅に御招待したいと思います」


  プハッ、と手を離すと、禾那はジョーカーを見て眉間にシワを寄せる。


  「何それ?今時の誘拐方法?私をそんなことで誘拐できると思わないで。そもそも、うちにはあんたに払うお金なんかないんだからね」


  その言葉に目をパチクリさせたジョーカーは、次に眉をハの字にして笑いだした。


  しばらく笑い、手を口元にあててゴホン、と咳をすると、禾那に視線を戻す。


  「失礼いたしました。これは誘拐ではありません。ただただ、今禾那様の心は荒んでおり、大変不幸に見舞われているご様子。そこで、提案として、サーカスを見ていただけないか、と思いまして」


  「サーカス?こんな時間に?てか、こんな街にサーカス団なんてあったの?だいたい、私お金持ってないし」


  「いえいえ、料金はいただきません。御心配なく。また、サーカスはそれほど時間を取りませんので、禾那様の生活にも支障はきたさないかと・・・・・・」


  ニコニコと笑うジョーカーは、初めて会ったのであれば、絶対に着いていかないほどに怪しげ。


  だが、一度会って少しだけ話している禾那はそこまで怪しまず、お金もいらない、楽しくなれる、こんな夜中に出歩ける、などの欲にあっさり負けた。


  何かあったときのため、防犯ブザーを持っていってもいいかと尋ねれば、「勿論」と言われた。


  「では」


  そう言って、ジョーカーは禾那に手を差し伸べる。


  窓から落ちる、と思った瞬間目を閉じたが、地面に落ちる感覚も、だからといって空を飛んでいる感覚も無い。


  目を開ければ、そこは何もない草原。


  そして、一人ポツンと立っている禾那から数十メートル離れた場所には、小さなテントが風で靡いていた。


  怖いもの知らずの禾那は、そのテントに向かって歩き出した。


  テントの前に着き、中の様子を窺おうと耳を当ててみたが、中からは何の音も聞こえてこないばかりか、気配さえ感じない。


  「寒い。え?ここ?入口は?」


  「入口までご案内いたします」


  「!!!」


  背後から聞こえてきた声に、禾那は声も出なかった。


  しかし、その声には聞き覚えがあった、というよりもさっきまで聞いていた声の為、すぐさま振り返った。


  「ちょっと、何処行っていたの。ここなの?なんか小さいんだけど。本当にここでサーカスなんてやってんの?」


  棘棘しく罵った言葉なのだが、ジョーカーは相変わらずニコニコ笑い、何も無かった場所に入口を出現させた。


  そこからテント内に入ると、殺風景な舞台と観客席が見える。


  「ここに座ってお待ちください」


  「ねえ、飲み物ないの?」


  「何をお飲みになりますか?」


  「んー、ジャスミンティー」


  「今、ご用意いたします」


  まだ薄暗い舞台を眺めていると、すぐにジョーカーとは別の女の人がカップとおやつを持ってきた。


  緩く一つ縛りにしている黒髪は綺麗で、思わず見とれてしまう。


  「ど、どうぞ。ごゆっくり」


  「ありがとうございます」


  そそくさと立ち去って行った女性を後に、禾那はサーカスが始まるのを待っていた。


  そのころ、舞台裏では・・・・・・。


  「キ―ラ、準備」


  「マトンくん、わ、わかりました。す、すぐに」


  「で?何あの子?なんか生意気なんじゃない?なんで来てすぐに飲み物を欲しがるのよ。普通、出てくるまで待つものじゃない?」


  「仕方ないわ、エリア。普通なんて通用しない世の中なのよ。・・・だから、アヌース!!!私たち姉弟が愛し合ったって、良い世の中なのよ!!!」


  「それはない」


  身体のバランスを取る練習をしているマトンの隣で、一方通行の愛を謳うアイーダ。


  着替える為に別室に向かうキ―ラに、アイーダにしつこいほど愛を囁かれ続け、うつになるのではないかという顔色のアヌース。


  そこに、禾那の様子を見て舌打ちをするエリア。


  ほかのメンバーもいるのだが、会話に参加しようとする前に、部屋に団長と言う名の悪魔がやってきた。


  いつもはそこまで悪魔でもないが、サーカスの出来栄えについての批判となると、悪魔よりも冷酷に淡々と話をする。


  「今回はいつも通り、ケントから行ってもらう。それとジョーカー、帰りは・・・」


  「分かってるよ、ジャック」


  なぜかホームズのような格好をしているジョーカーは、出番が一番最後のためか、それとも産まれ持った性格なのか、優雅に紅茶を飲んでいる。


  ケントはライオンにハグをして、連れていく。


  「ああ、ジャック」


  「何だ」


  「最近、食欲旺盛なんだ。こいつも、俺も」


  「・・・・・・ああ」


  意味ありげなケントの言葉を軽く聞き流したジャックは、順番を告げるとすぐに自室へと戻って行ってしまった。


  ダージリンを飲んでいたルージュは静かに立ち上がり、身体を捻って出番を待つ。


  「ルージュ、今回も、足手まといにならないでよね」


  「・・・それはこっちの台詞」


  険悪なムードはいつも。


  なぜこの二人がタッグを組むことになったのか、まったくもって理解不能だが、組ませたのがあのジャックなので、誰も何も言えないし聞けない。


  が、マイペースなこの男がぽつりと呟く。


  「なんであの二人が組んでるんだろうねー」


  一人紅茶を飲んでいるジョーカーが、椅子に座って足を組みながら優雅に口を開いた。








  「まだー?超暇なんだけど」


  待っている間に、飲み物もおやつも食べ終えてしまった禾那は、サーカスがなかなか始まらないことに痺れを切らしていた。


  席から立ち上がろうとしたとき、パッと舞台が明るくなる。


  そこに現れたのは、青い髪と目をした男で、傍らにはライオンを引き連れている。


  そのライオンが火の輪をくぐって行ったかと思うと、次には犬を引き連れた金髪の男の子がやってきた。


  犬が必死に玉乗りをすると、なぜか男の方が誇らしげにしている。


  綱渡り、ジャグリング、最後に空中ブランコを見た。


  だが、禾那の関心はサーカスというよりも、スタイルの良い女性へと目がいっていた。


  「何食べてるんだろ?てか、何キロ?細いなー、いいなー。大人の女って感じ!胸も大きかったな―。メリハリのある身体いいなー」


  などと言っていることは、誰にも聞こえていない。


  てっきり、サーカスについての感想を述べているのかと思っている団員たちは、禾那の様子を見て御機嫌だ。


  最後、おきまりのピエロ姿のジョーカーがやってきた。


  「ハハハハハハ、何あれ。さっきの人じゃん」


  ジョーカーの立っている両脇には、いつの間に出てきたのか、葉のない樹が一本ずつ。


  両手を広げた瞬間、花咲かじいさんのように次々と桜が咲き始めた。


  その桜は、突如テント内に吹き荒れた強風によって散っていき、花弁は禾那のもとにまで届いた。


  花弁が膝の上に乗ると、すう、と消えてしまう。


  また視線をジョーカーに戻すと、いつの間にか樹も桜も消えていて、ジョーカーが一人で悲しそうに踊っていた。


  なんだろうと思って見入っていると、また次には楽しそうに踊り、次には下手くそに踊っていた。


  曲が流れていないのに、まるで音楽が聴こえているかのような感覚だ。


  動きが一旦止まると、いきなりジョーカーがマッチを取り出した。


  マッチを自分の洋服につけると、ジョーカーは慌てふためくこともなく、炎に包まれながら踊り続けていた。


  「ちょっと、あれ大丈夫なの!?」


  火傷では済まないだろう炎の威力に、禾那の方がハラハラドキドキしてしまう。


  当の本人はというと、まだ余裕で踊っていて、クルクルターンをしたり、ジャンプをしたり身体での表現は立派なものだ。


  だが、やはり気が気ではない。


  少し経った頃、ジョーカーは苦しそうに身体を丸め出し、続いて呻き声とも思える声を出し始めた。


  心臓がドクドクと波打ち、禾那はいてもたってもいられず、席から立ち上がってジョーカーのもとに行こうとした。


  しかし、ジョーカーが禾那に顔を向けてニコリと笑った為、足を止めた。


  ジョーカーを纏っていた炎は一瞬で消え、その炎はやがて氷へと姿を変える。


  その氷は徐々に舞台全体を凍らせ、ついには禾那の足下、身体全体を包むほどにまで広がっていく。


  「やばい!冷たッ!」


  冷えていく身体は自分のものではないようで、言う事を聞かず、禾那は身の危険を感じた。


  意識も遠くなり、頭がぼーっとし、声も出ずに身体も動かせずにいるが、誰も助けには来てくれない。


  やはり、お金を払わずにこんな良い想いが出来るはずない、ここで死ぬのだろうかと、禾那の心は絶望に襲われた。


  ゆっくりと目を閉じると、そのまま何もかも暗闇に包まれた。








  次に禾那が目を覚ましたのは、自分の部屋だった。


  なぜかパジャマになっており、なぜかきちんと布団で眠っている。


  昨日の夜の出来事は夢だったのかと、記憶を脳から取り出して見るが、夢だった気はしない。


  少しだけ残っている、身体全体に感じたあの冷たさも、あの怪しい男に会ったことも、目も感覚も脳も覚えている。


  「ママ!パパ!」


  ダダダッ、と勢いよく階段を駆け下りていく。


  時計はすでに六時を指すところであったため、両親共に起きていた。


  「禾那、何か言うこと無いの」


  「それより、聞いてよ、あのね・・・・・・」


  声が出ない。


  唇は話したいことでいっぱいんなのだが、声がでないために、すべてが無駄になっている。


  声が出ないのであれば書いて伝えれば良いと、禾那は部屋の隅にあるメモ用紙を持ってきて、ペンを走らせようとする。


  だが、それさえもまともにできない。


  「何よ、どうしたの。いい加減にしなさい」


  「違うの!」


  「何が違うの。本当に怒るわよ」


  どうすればよいのか分からず、禾那が四苦八苦していると、学校に行かなくてはいけない時間になってしまった。


  そのまま朝食もとらずに学校に行って、友達に話そうとした禾那だったが、学校でも同じだった。


  話すことも書くことも、出来なかった。


  「今日の禾那、変だよ。どうしたの?」


  誰にも理解してもらえず、禾那は孤独な時間を過ごすこととなった。


  「なんで?なんで?」








  「ご苦労だったな」


  サーカスを終え、みなが休んでいる部屋のドアが開き、団長が顔を出す。


  「だが」


  この否定形の言葉が出てきたということは、きっとサーカスに対する何か助言という名の批判であろうと、誰もが思った。


  「ケント、何だあの炎は。もっと大きく出来ないのか。それにバウラ。エリザベスが玉乗りしてるときにニヤニヤするのは止めろ。マトン、キ―ラ、お前等はもっと笑顔で出来ないのか。エリアにルージュ、演技中にすれ違いざま、互いの顔を見て喧嘩を売るのは止めろと言ったはずだ。アイーダはいちいちアヌースに反応するな。見てるこっちが恥ずかしい。アヌースもあからさまに避けるな。気持ちは分かるが、演技中だけでもアイーダの顔を見ろ。それからジョーカー!」


  「なんだい」


  「もっとマジックの範囲を広げろ。それと、メイクが適当になってきてる」


  言い終わると、一呼吸置いて、ジャックはポケットから眼鏡を取り出した。


  それを見て、皆が「ああ、勘定に入るのか」と理解し、しばらくはジャックの部屋に近づかないようにしようと思った。


  ジャックが部屋から出ていくと、アイーダは反省もせずにアヌースに飛び付く。


  部屋に戻って行ったジャックの後、ケントが一人、部屋を出ていく。


  コンコン、とノックをしてドアノブに手をかけて中に入ると、眉間にシワを寄せて眼鏡をかけた、さきほど罵声を浴びせていった男がいた。


  「なんだ。用が無いなら出ていけ」


  「まあまあ」


  青い髪の毛は、今の部屋の雰囲気とは似つかわないほど爽やかで、長身の背は椅子に座ってもやはり高い。


  目だけをケントに向けたジャックだが、またすぐに何かの紙に目を向ける。


  「話題になったんだけどさ、なんでエリアとルージュが相棒になったのかなって」


  「・・・・・・それだけか」


  「まあ、それ以外のことも本当はあるんだけど、今はそれだけでいいや」


  頭では何かの計算を素早くしているジャックだが、口と耳だけはケントに向けているようで、ため息をついてから答える。


  「真逆だから、上手くいくときもある」


  「あれが上手くいってるように見える?俺には見えないけどねー」


  「一回、ルージュとキ―ラを交換しようとしたことがある」


  「そうなの?意外だな」


  「だが、止めた。気の強いエリアに対して、キ―ラは従いすぎる。一方のルージュは、エリアに対して何でも言う。だからこそ、空中ブランコは進化してる」


  「・・・・・・確かに」


  「答えたぞ。さっさと出ていけ」


  眼鏡の奥からギラリと光る瞳に、ケントは困ったように笑い、渋々承諾した。


  部屋から出ていってもとの部屋に戻ると、ジャックからの今回の寿命を待った。


  ウトウトとし始め、もう少しで眠りにつけるというとき、ドアがバーン、と勢いよく開き、一斉に起き上がった。


  「今回は十一年だ。振り分けはまだだが、今回も特別扱いはしない、いいな」


  コクン、と眠気と有無を言わさないジャックのオーラに、誰一人として異論はしなかった。








  「禾那、その服何?なんか、ださくない?」


  「これ、最新のファッションだから。流行に乗れないなんて、みんなのほうがださいわよ」


  「最近、禾那って厭味しか言わないよね」


  学校ですでに孤立してしまっている禾那だが、モデルの夢は諦めていないようだ。


  それは両親に対する復讐でもあり、自分のことを認めようとしない大人、同級生、スカウトマンへの復讐でもあるのだ。


  「誰かの真似をするのは手遅れよ。私が流行を作ってやるわ」


  その復讐心が幸となるか不幸となるかは、まだ誰にも分からないが。




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