第3Show【愛されない不幸に刹那の幸せを】





真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~

第3Show 【 愛されない不幸に刹那の幸せを 】


 人生は苦痛であり恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが今では人間は人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ ドストエフスキー








































































      第3Show 【 愛されない不幸に刹那の幸せを 】










































  「普通、子供の親権は母親であるお前が得るべきだろう」


  「普通普通って、うるさいわね。とにかく、私はあの子いらないの!もう再婚も決まってるのに、子供がいたら足手まといじゃない!あなたにあげるっていってるの!」


  「お前なァ、物じゃないんだぞ!」


  「わかってるわよ!なら、どうしてあなたは拓巳を拒むのよ?そんなに私を咎めるなら、あなたが連れて行ったほうが、拓巳も幸せになれるんじゃないの?!」


  「いや・・・俺は・・・・・・」


  「ほーら!あなただって、拓巳なんていらないんでしょ?あの子、施設にでも預ける?」


  「両親がいるのに、施設に入れるのか?」


  「じゃあどうするのよ?どっちもいらないって言ってるのに」


  とある離婚調停所にて、離婚届を手に持った男女が話をしていた。


  離婚の理由は、互いに愛情が冷めていったことと同時に、互いが他に好きな人が出来たから、ということだった。


  永遠を誓った銀色のリングはすでに指から外されており、捨てられたか、質屋に売られたか・・・。


  慰謝料や家具などの分配も決めたが、一つだけ問題が残っていた。


  それは親にとっては大切なはずの“親権問題”だ。


  両親共働きをしているため、母親が断然有利であった親権だが、この母親は親権などいらないと拒否をし、父親に押しつけようとしていた。


  すでに再婚の予定を立てているこの母親、再婚相手が子供が嫌いな人だからという理由で、自分の子供を手放そうとしているのだ。


  父親も同様。今の彼女が、どうしても連れ子など可愛がれないし、愛情を注ぐなど以ての外だと言い張るようだ。


  奪い合う親権なら未だしも、どちらも拒否となると、言葉が出て来ない。


  なんとか引き取ってもらえないかと、立ち合い人や裁判所の人が、母親にも父親にもお願いをしてみるが、なかなか首を縦に振らなかった。


  そこで、親戚の人に引き取ってもらう事となった。


  「拓巳くん、おばちゃんちでこれからは生活しようね」


  「・・・・・・うん」


  両親に謂わば“捨てられた”少年は、猪原拓巳、十歳の小学生だ。


  目はぱっちりとした一重で、髪は真っ黒で短く、前髪も眉毛にかからないほどだ。


  親戚のおばに連れられて行く途中、拓巳はちらっと後ろにいるはずの両親の方を見てみるが、母親はすでに携帯で話しながら立ち去るところだった。


  一方、父親は拓巳を少しみたあと、仕事へと戻って行った。


  車に乗ると、親戚のおじもいて、拓巳と同じくらいの年齢の男の子と女の子が一人ずつ座っていた。


  「拓巳くん、くん、大地と朋美よ。仲良くしてね。大地は拓巳と同じ年で、朋美は今八歳。きっと良い家族になれるわ」


  「ああ。これからは、おじさんとおばさんが、“お父さん”と“お母さん”になるんだ。何でも言ってくれていいんだぞ」


  「・・・はい。よろしくお願いします」


  ランドセルを背負ったまま、拓巳は肩身の狭い思いをしながら、助手席に座るおばと、運転席に座るおじ、それに隣で笑っている義兄弟を一瞥した。


  家に着いて、今まで鼻を掠めていた自分の家とは明らかに違うその匂いに、これからは慣れ親しまなければと、拓巳はため息を吐いた。


  夕飯まではまだ時間があったため、大地と朋美と一緒に遊ぶことになった。


  新しいゲームもあって、やり方がわからなかったけど、何度かやっていくうちに覚えてきて、なんとか形にはなってきた。


  気に入ったキャラクターがいたけど、それは大地にとられてしまい、拓巳は変な生き物になった。


  夕飯になり、それぞれのお皿に並んだメニューは全く同じなのに、朋美がずるいと騒いだ。


  「拓巳くんの唐揚げのほうが大きい!」


  と言い張って聞かない朋美に、拓巳は唐揚げを一個、朋美の皿に置いた。


  「ごめんね。朋美ったら、ちゃんと拓巳くんに御礼いいなさい」


  それは、拓巳にとって関心のないことだった。自分の皿から、大きいだろうが小さいだろうが、唐揚げが一個無くなったところで、何も変わらないのだ。


  今日、自分はそれ以上のものを一気に沢山失くしたのだから。


  親戚の家は、もとの拓巳の家からずっと遠かったため、学校も転校しなければならず、次の日はその手続きをしに行った。


  前の学校の友達とももう会えないが、新しい友達を作ろう。


  拓巳は前向きに考え、新しい学校に通う事にした。


  「猪原拓巳です。よろしくお願いします」


  新しい学校では、拓巳に声をかけてきてくれるクラスメイトが沢山いたが、拓巳は自分から近づいていくことが出来なかった。


  そんな態度を取っていると、徐々に声をかけてくれる人も少なくなり、拓巳はしだいに一人で行動するようになっていった。


  大地とは時々は話すものの、大地は元から仲の良い別の友達と行動することが多かった。


  朋美も同じ学校だが、学年が違うためか、滅多に会わない。


  家に向かって歩いていても、昔のように楽しい歌も頭に流れて来ず、道端に落ちてある石ころを蹴飛ばしながら帰る。


  少しだけ遠回りをして、大地や朋美よりも先には帰らないようにする。


  先に帰っても、心から明るく迎えてはくれないからだ。


  「・・・ただいま」


  「拓巳くん、おかえりなさい。おやつあるわよ」


  「ありがとうございます」


  ちらっとリビングを見ると、テレビの前を陣取っておやつと思われるクッキーを頬張っている、大地と朋美。


  ランドセルを、大地の勉強机の横の方にポンと置くと、ダルそうにリビングに向かう。


  「拓巳、こっちこいよ!クッキー食べようぜ!」


  「うん。ありがと」


  大地と朋美が微妙な距離で座っていたため、どこにいこうかと思っていると、大地が朋美との間にさらに距離を置き、ポンポンと叩く。


  「こっちこっち」


  クッキーの入った缶を抱えて食べていた二人は、缶ごと拓巳に差し出してきた。


  「うまいだろ?」


  「うん。おいしい」


  思い切り我儘を言えないこと、思い切り甘えられないこと、思い切り駄々をこねられないこと。小さくても、色んなことで一歩後ろにいなければいけなかった。


  今頃自分の母親と父親は何をしているのだろうかと、時計を見てもわかるわけがなかった。


  決して、今の状況が最低だと言うわけではないが、最高ではない。








  ある日、学校へと行こうとしていた拓巳だったが、身体がだるいことに気付いた。


  頭もグラグラして、食欲もなかったが、いつも通りの笑顔を見せて学校へと向かって歩いていた。


  しかし、授業が始まってすぐのころ、拓巳の担任の先生が、拓巳に声をかけてきた。


  「拓巳くん、顔色悪いけど、大丈夫?体調悪いんじゃないの?」


  「・・・」


  黙って、ただ首を横に振っていた拓巳。それでも、担任の先生は拓巳の額に手を置き、自分の体温と比べた。


  「熱あるわね。保健室行こう。ね?お熱測って、高かったらお家の人に迎えに来てもらおう。ね、そうしよう?」


  「大丈夫!僕、熱なんてないから!」


  「だめよ。朝から具合悪そうだったもの」


  半ば強引に保健室へと連れられて行き、そのまま体温計を口の中に入れられた。


  音が鳴るまで待つのが暇だったが、ピピピ、と電子音が鳴った瞬間、先生が拓巳のところに来て、熱の確認をする。


  ため息を吐いて眉間にシワを寄せると、拓巳の頭を撫でた。


  「拓巳くん、やっぱり熱あるわね。ベッドに寝てて?今日は、もうお家に帰ろう」


  何度も何度も否定したが、先生は職員室に行って、拓巳の、ではなく大地と朋美の家へと電話をかけてしまったようだ。


  数十分したとき、おばさんが心配そうな表情でやってきた。


  「拓巳くん、大丈夫?ごめんね、気付かなくて」


  「おばさん、ごめんなさい」


  「いいのよ。さ、家に帰ってゆっくり休もうね」


  「じゃあね、拓巳くん。お大事に」


  朝、学校に来てから一度も開けてないランドセルを再び背負い、拓巳は先生に挨拶をして家へと帰って行った。


  パジャマに着替えて、拓巳にと買ってもらったベッドに寝そべると、おばさんが風邪薬を持ってきた。


  「午後になっても熱が下がらなかったら、病院行こうね。ゼリーとかなら食べられるかな?食欲は?」


  「ないです」


  「そっか。じゃあ、お腹空いたら言って?おかゆでも、ステーキでも、何でも作るからね!」


  にっこりと、そう言ってくれたおばさんが有り難くもあったが、拓巳にとっては切ないような、悪いような想いであった。


  昔、まだ拓巳が小さかったころ、一度だけ高熱を出した事があった。


  そのとき、数分ごとに父親が額に置いてある濡れタオルを交換してくれていたことがあった。


  母親はもともと、一度寝てしまうとなかなか起きない人だったので、そこに関してはなんとも思ってなかった。


  ハンバーグが食べたいと言えば、一緒に作っていたし、母親が具合悪い時には泣きそうになりながらも父親に連絡をしたところ、母親は笑って頭を撫でてくれた。


  まだ思い出に浸る様な年齢ではないにも関わらず、拓巳はうとうととしながら、ちょっと前のことを想い返していた。


  ふと身体が汗ばむのを感じて目を開けると、時計の針は十二時過ぎを指していた。


  寝ていたのか、と自分の状況を理解した拓巳は、首だけを動かして部屋を見渡す。


  そのとき、部屋のドアがゆっくりと開き、そこから体温計とおかゆ、額に当てているタオルを冷やす為の水を持ったおばさんが入ってきた。


  「あら、拓巳くん、起きたのね。お熱測ろうか」


  「あ、はい」


  近くまで来て、おかゆを机に置き、片手に持った体温計を拓巳に手渡すと、それを受け取る。


  上半身をなんとか起こして、額にあったタオルをおばさんに渡すと、体温計を脇の下に差し込み、しばらく待つ。


  少ししてピピピピ、と音がして体温計を取り出し、熱を確認する。


  「見せて」


  おばさんに体温計を渡すと、おばさんは顔を顰めた。


  「三十八度五分・・・。やっぱり風邪かしらね。おかゆ食べたら、病院に行きましょ」


  「・・・はい」


  用意してもらったおかゆは、程よい塩加減で、拓巳が好きな卵も入っていたため、食欲が自然とわいてきた。


  時間をかけて食べ終わると、病院に行く為に上着を羽織る。


  おばさんの車に乗って病院まで行くと、やはり風邪だった。


  病院の先生の顔が誰かに似てるな、と思いながらも、誰に似ているのかまでは分からないまま診察が終わってしまった。


  家に帰ってまた横になると、おばさんが薬と水を持ってきた。


  「はい、これ飲んでね。それと、今日は大地は別の部屋で寝かせるわね。あの子、五月蠅いでしょ。ゆっくり休んでね。明日もお休みしますって、先生には連絡しておいたから、ちゃんと風邪治そうね」


  「はい」


  拓巳は寝てしまったため、それからどのくらいの時間が経ったのかは定かではないが、大地と朋美の声が聞こえてきた。


  四時過ぎたのだろうと分かった拓巳は、声は聞こえてくるが、自分がその中に入れないもどかしさを感じながら寝ていた。


  夕飯は沢山の具が入ったおじやで、これもこれで美味しかった。


  「拓巳―、大丈夫かー?」


  「うん。大丈夫だよ」


  「今日さー、校長が俺のクラスに来て一緒に給食食べたんだけどさ、何話していいのか分かんなくて、逆にみんな静まり返ってんの!でさ、校長は『このクラスは静かですね』なんて言ってやんの!ハハハ!校長がいるからだってーの!」


  「ハハハ、話ずらいよね」


  楽しそうに今日のことを話してくれた大地だが、おばさんが入ってきて大地を追い出した。


  「静かにしてなさい!治るものも治らなくなっちゃうでしょ」


  「ちぇー」


  リビングに戻った大地は、きっと朋美とおやつ争奪戦をしていることだろう。


  その日の夜、おばさんが頻繁に拓巳の様子を身に来てくれたお陰か、拓巳は次の日には平熱に戻っていた。


  だが、念の為、連絡通り休むことにした。


  おばさんが拓巳につきっきりで、大地にも朋美にもあまり構ってあげなかったからか、大地は頬を膨らませて拗ねていた。


  朋美も、おばさんに抱っこしてもらおうとしたが、なかなかしてもらえなかったようだ。


  突如、二人が拓巳への接し方を変えてきた。








  学校に行けるようになった拓巳は、教室に入ると小さめの声だが挨拶をした。


  いつもなら、誰かしらが拓巳に気付いてくれて、それからみんなが挨拶を返してくれるのだが、誰も挨拶をしてくれない。


  それどころか、拓巳のことを確認すると、目を逸らして何もなかったようにお喋りを続けていた。


  「?」


  なんだろうと思った拓巳だが、そんなに気にせずに授業を受けていた。


  休み時間になり、拓巳はなんとなく大地のところへ行ってみた。


  「大地くん、あのさ」


  「聞いてくれよ。昨日さ、テレビ見てたら妹の奴が・・・」


  聞こえていないわけではないだろうし、きっと聞こえているにも関わらず、大地は拓巳の言葉を聞こうとしなかった。


  それどころか、拓巳のことを見えていないように言葉を紡いだ。


  もしかしたら、何か大地の気に障ることをしたのかもしれないと思い、拓巳は仕方なく自分の席へと戻って行った。


  次の授業の準備でもしようかと、机の中から教科書とノートを取り出し、時間を確認したうえでトイレに行くことにした。


  教室に戻ると丁度チャイムが鳴り、拓巳は準備の整っているはずの席に着いた。


  「あれ?」


  だが、戻ってみると、自分の机の上には教科書もなければノートも無かった。


  キョロキョロと辺りを見てみるが、クスクスと小さな笑い声が聞こえてくるだけで、どこにも拓巳の私物は見つからなかった。


  先生が教室に入ってきて、ふと「あら」と声をあげる。


  「誰のかしら?」


  教壇の横にあるゴミ箱に手を突っ込むと、見覚えのあるものが出てきた。


  先生が教科書らしきものとノートと思われるものを確認すると、そこにはマッキ―で書かれた“猪原拓巳”の文字が見えた。


  「拓巳くんのじゃない。どうしてこんなところに?」


  バッと勢いよく自分の席から立ち上がると、拓巳は一目差に先生の許へ行って、教科書とノートを手に持った。


  下を向いたまま席へと戻る拓巳に、先生が何かに気付く。


  「誰?こんなことしたのは」


  その一言に、教室中がザワザワとざわめきだした。


  拓巳としては、犯人捜しなどは今はどうでも良くて、何故そんなことをされたのかという理由が知りたかった。


  「先生―。拓巳が間違えて自分で捨てたんじゃないんですかー?」


  「何言ってるの、大地くん」


  ドキリとした。まさか、この学校に来てから何かと声をかけてくれた、家でも仲良くしてくれていた大地から、そんな言葉を聞くことになるとは、思っていなかったからだ。


  何も言えずに席に座ると、先生も誰も何も言わないことに苛立ったのか、追及を始めた。


  今の教室はまるで、広い取り調べ室だ。


  「誰がやったのか正直に言うまで、授業は始めません」


  残念がる人がほぼゼロに等しく、授業をしないことを喜ぶ声の方が多い。


  五分も経たないうちに、その空気に耐えられなくなったのは拓巳自身で、呼吸を整えてから先生に向かって言葉を発した。


  「先生、僕は大丈夫なので、授業を始めてください」


  「何言ってるの、拓巳くん。くん。これはね、良くないことなのよ?」


  もういい加減にしてほしいと、拓巳はなおも先生に懇願してみると、観念したのか、先生はため息を吐いて黒板に板書を始めた。


  「えー」「やるのー」などといった声が聞こえてきたが、そんなこと、拓巳にはどうでもよかった。


  教科書とノートを開くと、そこには無数の拓巳への罵倒が記されていた。


  ―「甘えん坊な拓巳くん」


  ―「親に捨てられたくせに」


  ―「馬鹿アホ死ね」


  今まで平凡に生きてきて、これといった特技もなければ得意なこともない拓巳は、人並みには並ぼうとそれなりに努力してきた。


  そのお陰か、いじめなどにも遭ったことはなく、色んな友達と仲良くすることが出来ていた。


  しかし、どこから歯車は狂ってしまったのだろうか。


  一日の授業をなんとか乗り切った拓巳は、帰り際に大地に声をかけてみた。


  「大地くん、あのさ」


  「あーあ、今日は朋美迎えにいかね―と」


  「ねぇ、大地くん・・・・・・」


  やはり、先程同様に大地は拓巳の言葉などまるで無視し、教室を出てから朋美のいる下の階へ行く為、階段を駆け下りていった。


  その帰り道、一人で帰路を辿っていた拓巳だが、帰りたくとも帰れない空気になっていた。


  それでも、今の拓巳には帰る場所は一つしかなく、そこが例え生きづらい場所だとしても、耐え得るしか生きていく術はないのだ。


  拓巳が家に着くと、リビングからはいつものような明るい声が聞こえてきた。


  「ただい・・・」


  帰宅の挨拶をしようとリビングのドアを開けようとしたとき、大地と朋美、それにおばさんの会話が聞こえてきてしまった。


  「でさ、拓巳の奴、俺のせいだって言い張るんだぜ」


  「拓巳くんひどい!」


  「そんなこと言うんじゃないの。大地が拓巳くんに声かけてあげないでどうするの。同じ家に住んでるんだし、優しくしてあげなさい」


  「でも、家族じゃないもん」


  「そうだけど・・・・・・」


  開けようとした手はゆっくりと身体の横に戻った。


  最初にこの家に来た時にも、確か、今と同じような光景を目にしたことがある。


  おばさんとおじさんが夜中話をしていて、その内容は、拓巳まで預かってしまって家計が成り立つ成り立たないだのといった内容だった。


  拓巳にはよく分からないが、自分が迷惑をかけていることだけは雰囲気で分かった。


  ランドセルを背負ったまま、拓巳は無意識に、ついさっき入ってきたばかりの玄関のドアを再び握り、今度は外へ出た。


  空は徐々に暗くなりはじめ、こんな時間にランドセルを背負ったままの拓巳を、通り過ぎる大人がちらっと見やる。


  トボトボと歩いていると、団地を抜けた場所に河原があることを知った。


  河原に行って落ちている石ころを拾い、力無く川に向かって投げてみる。


  ポチャン、と静かに水に呑まれていった石を眺めていると、突然、後ろから男の人に声をかけられた。


  「君、こんなところで何をしているの?」


  「あ、ごめんなさい」


  意味も無く謝ってしまったのは、男が警察官の制服を身につけているからだろうか。


  街で見かける様な威圧的な感じではなく、ニコリと笑うその表情に、拓巳は安堵すら覚えた。


  警察官の男は拓巳の横に腰を下ろすと、被っていた帽子を取って「ふう」と小さく息を吐いた。


  その様子をじーっと見ていた拓巳の視線に気づき、男は拓巳の方を見てまたニコリと笑い、長い髪を風に靡かせた。


  警察官とは思えないほど、鮮やかな紫色のグラデーションのかかった髪の毛を一本に束ね、良く見てみると、顔と首にはなにやら痣の様なものがついていた。


  「君は、猪原拓巳くんですよね?」


  「え?はい。そうですけど・・・えっと、おまわりさんは?」


  「僕のことはいいとして、どうしてこんなところにいるんです?家に帰らないと、おばさんが心配するんじゃないんですか?」


  ―おばさん


  その単語を耳にした時、ふと違和感を覚えた。


  「おまわりさん、なんで僕がおばさんのところにいるって知ってるの?」


  「おまわりさんは、正義のヒーローですよ。何でも知ってます。拓巳くんが両親のどちらにも引き取られなかったことも、今の環境が息苦しいことも。おまわりさんが、拓巳くんを助けてあげますよ」


  「・・・無理だよ。おまわりさんだって、出来っこないもん」


  「それは心外です。テレビの何とかレンジャーとか、何とか戦士とかは信じるのに、おまわりさんのことは信じれくれないんですか?」


  唇を尖らせて、何かを言おうとしている拓巳だが、なかなか言葉が出て来ない。


  拓巳が下を向いて足をパタパタと動かしているうちに、何やら周りの様子が一変したような気がした。


  河原にいたはずの拓巳と警察官は、見知らぬ土地の真ん中にいた。


  目の前にあるのは小さなテント一つで、人っ子一人見えない、通らない、気配さえないこの場所に、拓巳は首を傾げた。


  「おまわりさん、ここ、何処?」


  ゆっくりと立ち上がった拓巳の横には、いつの間に立ちあがったのであろう、警察官の男が立っていた。


  警察官の制服の裾を掴むと、男は拓巳を見てまた優しく笑う。


  「大丈夫です。君は一時でも幸せを見る権利があるんです。サーカスは好きですか?」


  「サーカス?見たこと無い」


  「なら見てみるといいですね。きっと、君の心の中にある棘は少しでも丸みを帯び、サーカスを見終わった頃には君は周りの同級生より、いや、大人よりも立派な人間になれることでしょう」


  「?」


  なぜサーカスを見ただけでそんなことになるのか、拓巳は男の言っていることの前半は理解出来ず、後半は理解しかねた。


  それでも、見たことの無いサーカスには興味があり、男に着いていくことにした。


  「あ、でも、僕お金もってない」


  「君はタダです。安心して下さい」


  「おまわりさんも見るの?」


  「僕はここまでです。あとは、中に入るだけですから。じゃあ、また」


  拓巳をテントの入り口まで連れて行くと、男は手を振りながら、拓巳がテントの中に入るのを待っていた。


  一人で中に入って適当な場所に腰を下ろすと、ランドセルをおろして隣に置く。


  自分以外に観客はおらず、拓巳は益々不安な気持ちになる。








  「ジョーカー、なんだその格好は」


  「嫌だなー、分かってる癖に。巷で有名なおまわりさんだよ。大人にはバレテも、子供には効果覿面でしょ?」


  「警官に変装するなら、髪型ももっとかっちりしていけ。そんな髪の毛の警官が世の中にいるわけないだろ。それに、有名なのは巷でだけじゃないと思うがな」


  「そうなのー?」と適当に返事をするジョーカーは、眼鏡をかけてせっせと勘定をしているジャックを見て笑う。


  なかなかその制服が気に入っているのか、ジョーカーは自分の姿を鏡で何度も見ている。


  帽子を被ってポーズを決めたり、敬礼をしてみたり、ナルシストかと言いたくなるくらいに、ジョーカーは鏡を見つめていた。


  だが突然、思い出したようにジャックに話しかける。


  「そういえば、あの子の家、今頃多少なりとも心配してるんじゃないの?なんか適当に連絡しておく?警察沙汰になったら面倒じゃない?」


  「ああ、お前に任せる」


  「ええ?俺は今から大事なピエロの仕事があるんだよ?」


  「別に直接会って話さなくていい。電話でいいだろう」


  「電話じゃぁ怪しまれちゃうよ」


  「怪しまれないようにやるのがお前の役割で得意分野のはずだ」


  「褒められたのかな?ありがとう。わかったよ。じゃ、すぐに片づけてくる」


  今いる部屋には電話はないのか、それともこのテントの中に自体ないのか、ジョーカーは制服姿のまま何処かへと行ってしまった。


  それと入れ違いに部屋に入ってきたのは、ブスッと頬を膨らませて、いかにも不満気なエリアとアイーダだった。


  特に二人が喧嘩をしたとか、そういうわけではなさそうだ。


  「ちょっとジャック。もう私、耐えられないわ。あの子とは組めない。あの子とずっと一緒にやるくらいなら、いっそのこと、ケントのライオンと組むわ」


  「ジャック~~~!!!アヌースが全ッ然私のこと見てくれないーーー!!!!なんで???胸強調する服着ても、生脚出しても、髪の毛さらーってやっても、ひとっつも見てくれないの!私って魅力零?そんなわけないわよね。そうよ。でね、さっきアヌースにキスでもしてやろうと思って、昼寝してたから『よし、襲おう!』って思ったわけよ。なのに、気配に勘付かれて、結局何も出来なかったのよ―!!!あーん!!」


  「そうか」


  興味無さそうに、というより、全く興味の無い内容に、ジャックは適当に相槌を打った。


  拓巳を待たせているため、さっさとサーカスを見せたいと思っているのだが、先日から、何かとジャックに文句や、どうでもいい訴えをしてくる連中が多い。


  アイーダは最近ではほぼ毎日といっていいほど、頻繁にジャックのもとに現れる。


  話の内容は、誰にでも予想出来るだろうが、アヌースのことであった。


  目を合わせてくれないだの、抱きつかせてくれないだの、一緒にお風呂に入ってくれないだのと、正直、本当にどうでもいいことだった。


  なぜ自分が避けられているのか、嫌われているのか原因が分かっていないアイーダは、「なんでなんで」と聞いてくるだけ。


  先日はアヌースから、「アイーダを半径三キロに近づけさせないためにはどうしたらいい」かと聞かれた。


  答えは「知らん」であった。


  悩みなどなさそうなケントからも話をされたことがあった。


  「ライオンは百獣の王なんて言われてるが、結構身体は小さいよな。しかも可愛い顔をしてる。なのに、なんで獣なんて言われなくちゃいけない?な?ジャックだって、可愛いと思うだろ?」


  答えは「知らん」であった。


  マトンからもあった。内容は何であったか、良くは覚えていないが、確か「歳を取ってお腹周りがたるんできたらどうしたらいい」だった気がする。


  答えは「たるませておけ」と言ったような、言わなかったような。


  大人しいと思っていたルージュにも、話をされた。


  ジャックが一人で仕事をしていたときのこと、ノックをしたにも関わらず返事も聞かずに部屋に入ってきて、いきなりこう言った。


  「一度殴ってもいい?」


  「は?」


  自分が殴られるのかと思ったジャックだったが、よくよく話を聞いてみると、相手はジャックではなく、パートナーのエリアだった。


  二人の仲が良くない事はずーっと前から知ってはいたが、空中ブランコを完璧にこなせるのは二人しかいなく、他の奴らは一度もやったことがないため、パートナーを組ませ続けた。


  「まあ、空中ブランコは一人でやっても何の迫力もありませんので、今まで多少の我慢をしてきました。しかし、ああ、面倒臭い。説明するのが面倒です。団長ならなんとなく察してくれていると思うので、省きます」


  「省くな」


  「そんなこんな、カクカクシカジカで、私たちは不仲です。悪縁です。最悪です。絶交です。パートナーを代えてください」


  「絶交は却下だ。例えば、誰に代える?ここにはまともな奴は一人だっていないぞ」


  「わかってます。ここには、我儘な女とライオン馬鹿の男、犬ラブな男とブラコン全開女と挙動不審女、その他しかいません」


  「・・・アヌースかマトンな。キ―ラでもいいだろう。覚えは早いと思うが」


  「あんなにあたふたされては困ります。私まで失敗しそうです」


  「マトンと組んでみるか?」


  「・・・会話は成立するとは思えませんが」


  「じゃあアヌースにするか」


  「きっと・・・」


  「ちょっとーーーーーー!!!!今、何か不吉なことを言おうとしてなかった!?私からアヌースを奪おうなんて、百年、いえ、一億年早いってのよ!!!!アヌースと私の間を切り裂こうなんて、あんた、今までそんなこと考えていたわけ!?大人しい顔して恐ろしい子ね!!!良いわ!今から、アヌースをかけて勝負よ!!!!!!」


  どこからともなく現れたアイーダに、ジャックも思わず目を見開いた。


  「・・・こういうことになるので、止めておきます。結局、組めるのは一人しかいないってことのようなので、失礼します」


  「ああ」


  「ちょっと!逃げんじゃないわよ!!!」


  「アイーダうるさい。さっさと出て行け」


  ・・・・・・なんてこともあった。


  今もジャックの近くであーだのこーだのと言っている二人を他所に、ジャックは拓巳に見せるサーカスの準備でもしていろとだけ伝えた。








  そのころ、ジャックに言われて拓巳の家に連絡をしようとしていたジョーカー。


  はじめは、適当にどこからか電話でもかければよいかと思っていたが、その後、警察の方にかけ直しては面倒なことになると判断し、直接会いにいくことにした。


  思ったよりも大きく、立派な家には、玄関に出迎えの灯りが灯されていた。


  チャイムを押すと、中から声が聞こえてきた。


  すぐに開いたドアからは、少しシワのある顔の女性と、同じようにシワをつけた顔男性が現れた。


  「あ!警察!?よかった・・・今、連絡しようかと思っていたんですよ」


  話している内容からして、きっと拓巳が帰ってきていないことに気付いていて、警察にも届けをだそうとしていたことがわかった。


  ジョーカーは長い髪を帽子で隠しているためか、二人はジョーカーを本当の警官だと思っていることだろう。


  「うちの子、いいえ、正確にはうちの子じゃないんですけど、帰ってきてなくて・・・。あちこち探してみたんですけど、見つからないし」


  「猪原拓巳くんですね。我々の情報では、何かの事件に巻き込まれたと考えています。こちらでも捜索を続けますので、どうか、お待ち下さい」


  あくまで紳士的に、誠意を見せるジョーカー。


  「お願いします」


  振り返って暗闇に消えて行くとき、ジョーカ―がふと顔だけ動かして見ると、確かに、二人はとても心配そうにしていた。


  それなのに、あの子はなぜあんなにも不幸そうな顔をしていたのだろうか。


  ジョーカーたちには分からない、何かがあったのだろう。そう思うしかなかった。


  警察の服装から一変、オーバーオールへと着替えた。


  その格好でサーカスのテントまで行くと、すでにケントのライオンの輪くぐりが始まっていた。


  長いグラデーションの髪の毛を乱しながらジャックの許に行くと、ジャックは平然と欠伸をしていた。


  「ジャック、なんで俺のピエロも無しに、サーカス始めちゃってるの?」


  目を細めてジョーカーをちらりと見るが、ジャックは眠たいのか、大きいクッションを枕代わりにして横になる。


  「前座の無いサーカスなんて有り得ないよ!俺はなんのために今までピエロをやってきたと思ってるの?」


  「趣味だろ」


  「良く分かったね」


  泣き崩れたり怒ったりしたあと、ケロッと表情を変えたジョーカーは、それでも不服そうにジャックを眺める。


  「最後のトリで残しておいてやるから、メイクするならしておけ」


  「うん。勿論」


  ルンルンとスキップしながら、いつもジョーカーが使っている個室に入り、自らの顔にメイクを施しはじめた。


  すでにサーカスが始まっているテント内では、拓巳は目を輝かせていた。


  「わー!すごいなー!!!」


  動物園でしか見たことの無いライオンや、近所にいる犬よりも利口で芸達者な犬、テント内を広く使った一輪車とジャグリング、そして今、空中ブランコと綱渡りが始まるところであった。


  首が痛くなるほど見上げた先には、女の人が二人と、左右に動かせば男女が一人ずつ。


  身軽に飛んだり、棒一本で綱を渡る姿は、拓巳から見ればまさにマジック。


  人間がこんなにも高く軽やかに飛べるのだろうか。命綱なしで歩く行為は、とても怖くて恐ろしいはずだ。


  しかし、やっている本人達は楽しそうだ。


  どのくらい時間が経ったかは分からないが、サーカスが終わりピエロが出てきた。


  おどけているようにも悲しそうにもみえるピエロが、なぜだか自分とかぶって見えた拓巳は、席から立ち上がって叫んだ。


  「僕も、やってみたい!」


  サーカスをやってみたいと叫んだ拓巳の声は、ジョーカーだけではなく、裏にいるケントたちやジャックにも聞こえた。


  「って言ってるよ」


  「あー!!アヌースったら、私よりもあの子の声を優先して聞いたの!?キーッ!!」


  腰に巻きつく自分の姉を無視し、アヌースが勘定を始めていたジャックに言うと、眼鏡をかけたままのジャックはジョーカーを呼んだ。


  「さっさと帰して来い」


  「でも、やりたいって言ってる。少しくらいなら、いいんじゃない?」


  「どうせ誰にも言えないし、記憶を消すことだって出来るんだ。やったって仕方ないだろ」


  「子供の好奇心を殺すことほど、残酷なことはないって思うよ」


  一歩も引かないジョーカーに、ジャックは眼鏡を少しずらして、その隙間から睨みつけた。


  二人の空気に、此処にいてはいけないと判断したアヌースだったが、まったく、これっぽっちも空気の読めない姉、アイーダによって、避難することは叶わなかった。


  睨みあいを続けていた二人だが、ジャックが折れた。


  「・・・早く終わらせろよ」


  「おっけー」


  ニパッと笑顔に戻ったジョーカーは、拓巳のもとへと行った。


  ランドセルを持ったまま舞台の中心に連れてくると、触れやすいようにと、最初はバウラの犬、もといエリザベスの玉乗りに挑戦させた。


  「そうそう、その調子」


  「すごい犬だね!」


  「エリザベスな」


  「この犬、頭いいんだなー」


  「エリザベスな」


  「ねえねえどうすれば、この犬みたいにボールに乗れるようになるの?」


  「エリ・・・まあいいか」


  なんやかんや言いながら、バウラは拓巳にエリザベスへの指導方法や、餌をあげるタイミングなどを教えた。


  次に、とても低い位置、高さ三十センチほどの場所にロープを張って、両脇にキ―ラとマトンがついての綱渡りを行った。


  二人がいたおかげで、一メートルだけの綱を渡ることができた。


  「上手です。バランスもちゃんととれてますよ」


  「・・・まあまあ」


  褒めて伸ばすタイプのキ―ラと、無口ながらに褒めたと思われるマトン。


  綱渡りの後は、アイーダとアヌースが一輪車を教えることになった。


  べったりアヌースにくっついていて、拓巳に教える気など無いように見えるアイーダに、戸惑っていたのは拓巳だけではない。


  くっつかれているアヌースは、アイーダの頭をガシッと片手で掴み、思い切り引きはがした。


  そして、アイーダには見せたこともないような笑みを見せる。


  「一輪車は乗ったことあるか?」


  「ない」


  顔を横にブンブンする拓巳に、自分の一輪車を差し出した。


  手を差し伸べ、自分の肩に手を置かせて一輪車に跨らせると、片手を握りながら、ゆっくりと前に進んで行く。


  途中、何度も何度も転んだ拓巳だが、ほんの数メートル、アヌースの手を借りなくても乗れるまでになった。


  「いいか、転ぶのは恥ずかしくない。転んでなんぼだ。何度でも転べ」


  一輪車から拓巳をおろすと、アヌースは優しく言った。


  「さて、そろそろ家に帰ろうか」


  「あれ。おまわりさん」


  オーバーオール、ピエロの格好、そしてまた警官へと服装をチェンジしたジョーカーは、拓巳に向けて手を差し伸べた。


  「・・・うん。そうだね」


  寂しそうにジョーカーの手を握る拓巳に、ケントたちは声をかけた。


  「また来ることはお勧めしないが、興味があるならやってみるといい」


  「そうですね。頑張ってくださいね」


  「・・・・・・うん!じゃあね!またね!」


  手を大きくブンブン振って、ジョーカーに連れられて自分のいるべき場所まで帰っていく拓巳の後姿に、アイーダは子供っぽく歯を見せてイ―ッとやる。


  「アイーダ、何威嚇してるのよ」


  「ふん!アヌースったら、私にも見せない天使の微笑みをあの子に・・・!!!!!」


  「て、天使の微笑み?」


  誰一人として、その言葉を理解するのにタイムラグがあった。


  皆が解散しようとしたとき、ただならぬ気配を感じ、一斉に硬直した。


  「じゃ、ジャック」


  「団長・・・お疲れ様です」


  気配の正体は、殺気さえも掻き消すほどのジャックの存在感そのものだ。


  「お前等、終わったのか」


  「う、うん。終わったよ。もう解散するところ・・・・・・」


  他の団員が恐怖のあまりに声を出せずにいるので、この中で一番ジャックといるのが長い、ケントが答えた。


  眼鏡をかけていないところからすると、勘定は終わったのだろう。


  なぜこんなに不機嫌かと聞かれれば、誰もがすぐに答えられるほど簡単なことなのだが、あまりの張りつめた空気に答えられずにいた。


  「人間とあまり慣れ合うなと言ったはずだ」


  「そうだね、ごめん。でも・・・」


  「言い訳はいい。俺達は、あいつらの寿命で存在出来てるんだ。それを忘れるな」


  「うん。わかってる」


  来た方向へと戻って行き、バタン、とドアの閉まる音が聞こえてくると、みなが一斉に安堵の表情を浮かべた。


  一方―


  「おまわりさん、僕、今の家嫌いだよ」


  「どうして?」


  「だって、僕の本当のお母さんじゃないし、お父さんでも無い」


  握りしめた小さな手は、まだ守られる存在であることを示していた。


  家の近くまで来ると、ジョーカーは握っていた拓巳の手をゆっくり解いた。


  「自分から嫌いになっちゃいけない。好きになればいい。みんな笑ってるけど、みんな辛いことも嫌いなこともあるんだよ?」 


  「そうなの?」


  「うん。だから、泣いちゃいけないよ?いつも笑って生きてれば、きっと幸せがくるから」


  「・・・本当?」


  「おまわりさんは嘘はつかないよ?」


  「・・・・・・うん!わかった!」


  「約束だよ」


  ジョーカーが小指を差し出すと、拓巳も嬉しそうに小指を出し、絡めた。


  そして拓巳の背中を優しく押すと、拓巳は名残惜しそうにしながらも、家へと向かって歩き出した。


  チャイムを鳴らすと、中からはおばさんとおじさんが飛びだしてきた。


  「心配したのよ!?大丈夫!?怪我してない?」


  「ごめんなさい」


  緊張の糸が切れたのか、おばさんはボロボロと涙を流して拓巳を抱きしめ、おじさんも拓巳の頭を撫でた。


  奥からは大地と朋美が来た。


  「・・・ごめんな」


  「いいよ、もう」


  家の中に入るとき、まだいるかな、と思ってちらりと後ろを見てみたが、そこにはすでに“おまわりさん”の姿はなかった。


  正直に、自分の身に起こったことを話そうかとも思った拓巳だったが、なかなか口が動かず、記憶も曖昧になる。


  とにかくおばさんたちには怒られ、警察にも学校にも謝った。








  「ジャック怖かったよな」


  「殺されると思った」


  「俺達も悪かったけどさ」


  「あれは仕方ないじゃない。それに、ジョーカーにOK出したでしょ」


  あれから数日間、ジャックは部屋から出て来なかった。


  引きこもりになっただの、疲れて寝ているだけだの、実は言い過ぎたと思って反省してるだの、色々と言われていた。


  「あれ?結局、この間は幾ら貰えたんだ?」


  などと話をしていると、勢いよくジャックが部屋から出てきた。


  「基本料金5年プラス、10年で計15年だ。それにしても・・・・・・バウラ!!!」


  「え?俺?」


  エリザベスの毛並を整えていたバウラは、唐突に呼ばれた名にキョトンとする。


  「エリザベスの食費がこんなにかかるわけねーだろ!もう一回計算しなおせ!それからケント!お前もだ!エリアにルージュ!なんで空中ブランコで費用がこんなに膨大なんだ??大体、修理なんてしてねぇだろうが!偽造すんじゃねぇ!!!キ―ラにマトンもだ!なんで綱渡り担当のお前等が、変装用の装飾費用なんてかかってんだ!ふざけてんのか!!!アイーダにアヌース・・・お前らはこういう時だけ共謀して割増料金たかるんじゃねぇ!!!全員ピエロにするぞ!!」


  「「「「「「「「それだけは勘弁」」」」」」」」


  「え?なんで?」


  ピエロという役柄だけは嫌なようで、それぞれ、ジャックから受け取った紙を持って部屋に戻っていった。


  ピエロが大好きなジョーカーは一人、ジャックの横でポカンとしていた。


  「ああ、すっきりした」


  首をコキコキ鳴らし、ジャックは部屋に戻って行った。







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