第3話腰ぬけと指さされても





ノックスハーモニー

腰ぬけと指さされても



 君の知らない世界にだって描ける








































 第三償【腰ぬけと指さされても】




























 「マリーナです。よろしくおねがいします」


 自由を追い求めて、羽根を造った僕等。


 だけど、そんな翼じゃ、ダメだった。


 風に吹かれるし、雨に流されるし、太陽に融かされてしまう。


 彼方で今日もまた、未来は僕等を待ってるけど、手招きもしないまま、胡坐をかいて頬杖ついて、大欠伸してるなんて。


 泣き虫だって笑われるけど、泣かない奴よりは心があるだろ?なんて、その頃にはもう、周りには誰もいないのに。


 「新人のアイルちゃんです。よろしくおねがいします」


 「アイルです、お願いします」


 「アイルちゃん?可愛いねぇ」


 「じゃあ早速だけど、こっち来て撮ってみようか」


 綺麗なストロングヘアーは自慢だ。


 誰にも負けない美貌も持っていると自負しているし、性格だって悪いわけじゃないと思う。


 だが、いつだって表紙に選ばれるのは、自分よりも後から入ってきた、若くて何も考えてなさそうな女。


 「・・・・・・」


 マリーナは、自分の髪の毛をかきあげながら、アイルの撮影をじっと見ていた。


 「マリーナちゃんはもう仕事終わりでしょ?帰っていいよ?」


 「折角だから、見て行こうと思って」


 「そう」


 声をかけてきた若い男だって、マリーナからすぐにアイルの元へと向かって、笑顔で何やらお喋りをしている。


 マリーナが最初に現場に来たときは、誰もが同じように接してくれた。


 しかし、徐々に対応が変わって行った。


 それに気付いていながらも、マリーナは文句を言わなかった。


 オーディションやスカウトで、次々に新しい子が入ってきて、マリーナの居場所はどんどんなくなっていく。


 確かに、スタイルも良いし可愛いし美人、お洒落なのだが、マリーナからしてみれば、大したことはない。


 アイルの撮影が終わり、マリーナは帰る準備をしていると、後ろからこんな会話が聞こえてきた。


 「アイルちゃん、テレビ出てみない?」


 「テレビですかぁ?」


 「丁度オファーきててさ。アイルちゃん可愛いし、良いキャラしてるから人気者になれると思うよ」


 「えー、ドキドキします。でも、出てみたいですねー」


 一度だって、マリーナには訪れることのなかった話だ。


 それをいとも簡単に手にした女。


 どうしてなのか、マリーナには分からない。


 自分なりに一生懸命やってきた心算だし、文句も言わずに仕事に来て、いただいた仕事は全力で応えた。


 それなのに、いつだって表紙を飾るのも、テレビの話が来るのも、マリーナではなく、別の女たち。


 マリーナと同じ時期に入ってきたモデルたちは、次々に活躍の場を広げ、今やドラマに出演していたり、CM,もしくはMCなんかもこなしている。


 給料制だった人は、歩合制にしてもらっているらしいが、マリーナは相変わらず給料制。


 肌のCMに出ているモデルの女より、マリーナの肌の方が白く透明で毛穴もなく綺麗なはずなのに、胸だってあるし、足だってすらっとしていて綺麗なはずだ。


 いや、確実に綺麗だ。


 以前、マネージャーにどうして自分にはそういう仕事の依頼がないのか聞いてみたが、苦笑いされながら流されただけで、明確な答えは聞けなかった。


 「ふう・・・」


 いつものバーで飲んだあと、夜道をフラフラ歩いていた。


 幾ら雑誌に載っているとはいえ、目立つ場所には載せてもらえなかったため、マリーナを見ても、綺麗な女性がいるな、くらいだ。


 足元をふらつかせながら歩いていると、目の前にうっすらと灯りが点いている占いの館があった。


 ぼう、と浮かんでいるその姿は、幽霊でも見ているかのようにおぼろげで、マリーナは何度か目を擦って所在を確認すると、確かにそこにあることが分かる。


 「・・・DETHETS BRUTS?」


 首を傾げて、正しい読み方は分からなったため、適当に発音してみる。


 お高い占いだったらどうしようとも思ったが、所持金2万円あるから、その範囲で占ってもらおうと思った。


 ノックをしようと戸を叩こうとしたとき、徐にドアが開いた。


 「あ」


 ぎい、と開いたドアの奥からは、一瞬ひんやりとする空気が流れてきたが、そのうち生温かいものへと変わる。


 こつ、とヒールを鳴らせながら中に入ると、そこはふわっとほのかに香る良い匂いがした。


 バタン、と静かに閉まったドアに驚いて後ろを振り向くと、そこには1人の男がにこやかに微笑みながら立っていた。


 青い髪に金の目、グレーのシャツに黒のサスペンダーをつけ、スラックス、そして茶色の皮靴。


 男はマリーナを奥へ案内すると、椅子に座らせる。


 「私はシェドレと申します。本日はどのようなお悩みで?」


 間接照明が幾つか置いてあり、テーブルには蝋燭が一本。


 そこには大きな水晶玉と、タロットカードにも似たカードが重ねて置いてある。


 す、とお茶を差し出され、マリーナは御礼を言って一口含む。


 「美味しい」


 「お口にあって良かったです」


 「・・・私はマリーナといいます。モデルをやっています、一応」


 「一応、ですか」


 笑みを崩さぬまま、シェドレはカードに手を伸ばしてシャッフルし始める。


 「実は」








 自分になかなか仕事がこないことや、新しい子ばかりが有名になっていること、どうしてそうなってしまったのかわからないことなど、シェドレに話をした。


 シェドレは特別相槌を打つこともなく、カードをシャッフルしている音が小さく響く。


 「私、モデルを続けたいんです。小さい頃からの夢でしたし、オーディションだって何度も何度も落ちて、そんなときにようやく受かって、これで両親にも喜んでもらると思っていたんです」


 「そんなにお綺麗なのに、もったいないですね」


 「ありがとうございます。何か失敗をしてしまったのか、失礼なことでもしてしまったのか、単に実力がないだけなのか、聞いても何も教えてくれなくて、困っているんです」


 「そうですか」


 「いつか結婚だってしたいと思っているんです。でも、以前お付き合いしていた男性に、なぜか急にふられてしまって。理由を聞いても、『お前が一番良くしってるだろ』って言われただけで」


 「それは災難ですねぇ」


 「見返してやりたいとか、そういうことではないんです。ただ、この仕事をずっと続けていていいのか、それとも、残念ですけど、この仕事は辞めた方がいいのか、迷っているんです」


 「かしこまりました。貴方の悩み、この私が占ってさしあげましょう」


 シャッフルしていた手を止めると、シェドレはカードを重ねたまま、自分とマリーナの中間あたりに置いた。


 その山を2つに適当に分けたところで、また1つに戻す。


 それを何度か繰り返した後、重なっているカードの上に、大きくてちょっと重たそうな水晶を乗せる。


 シェドレは水晶に片手を置くと、しばらくじっとしていた。


 時間だけがただただ過ぎて行き、マリーナも、一体何をしているんだろうと思った頃、ようやくシェドレが動きだした。


 水晶から手がどかれたと思うと、なぜかその手には一枚だけカードが握られていた。


 まるでマジックのようだと思っていると、シェドレはそのカードを見て黙ってしまったため、マリーナは声をかける。


 「あの、何か出ましたか?」


 「・・・ええ」


 「何て?」


 「・・・・・・貴方、1人暮らしですか?」


 「ええ、そうですけど」


 カードに何が描かれているのか分からないし、分かったところで意味など知らないが、シェドレは表情を曇らせることもなく、そう聞いてきた。


 少しの間は気になったが、実家は少し離れた場所にあると教えると、こう続ける。


 「では、一度実家に帰ると良いでしょう」


 「実家に、ですか」


 「ええ。仕事をしばらくお休みして、実家でのんびり過ごすんです。そうすれば、貴方は人が変わったように人気者になるでしょう」


 「ほ、本当ですか」


 「これは占いです。現実になるかは分かりません。予知夢ではありませんので」


 「そ、そうですよね」


 そうとは言われても、マリーナは一度休むのも良いと思っていた。


 なぜなら、どうせ毎日仕事があるわけではないし、あったとしても嫌な思いをするだけだからだ。


 「ありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をして御礼をすると、財布を出して幾らかと聞いてみる。


 しかし、シェドレは首を横に振る。


 「いいえ、お代はいりません」


 「え?でも・・・」


 「貴方が有名になることを、願っております」


 なんて献身的な占い師なんだろうと、マリーナはすぐにマネージャーに連絡を取ると、しばらく休暇をもらいたいと告げた。


 その頃、マリーナが帰った後の占い館の中では、シェドレが水晶に触れて優しく撫でていた。


 「真実とは、本人が知ることばかりではありません。他人の真実もまた、本人を創る真実と成り得ます」


 テーブルの上にまだ並べてあったカードをトントンとまとめると、綺麗な布に包む。


 水晶にも布をかけると、シェドレはその部屋に隠してあるドアを開け、さらに奥の部屋へと消えて行った。


 一方マリーナは、翌日には実家に帰る準備を済ませ、鈍行の電車で田舎の方にある実家を目指すことにした。


 いきなり帰ってきて吃驚するだろうかと、それとも喜んでくれるかと、胸を弾ませたり悩ませたりしながら乗っていた。








 「着いた・・・」


 小さな駅に着くと、マリーナはガラガラと荷物を片手に歩いていた。


 途中、知り合いのおばさんやおじさんに会って笑顔で挨拶をするが、一度はこちらを見て挨拶を返してくれたが、マリーナが通り過ぎると、なにやら後ろでコソコソと言っていた。


 何を言われているのかは知らないが、小さな村だから、何か変な噂でも流れてしまっているのかと、マリーナは歩調を速める。


 「お母さん、お父さん、ただいま」


 「あら、おかえりなさい。どうしたの?」


 「ちょっと休暇もらったの。最近全然帰ってきてなかったし」


 「そう。ゆっくりしてってね」


 急に帰ってきて少し驚いていたようだが、母親はマリーナを家の中に招き入れた。


 久しぶりに母親の手作りが食べられるのかと思うと、嬉しくも思う。


 「お父さんは?」


 「仕事よ。来年定年なの」


 「あ、そうか。もうそんな歳か」


 「あなたこそ、仕事は大丈夫なの?」


 「大丈夫。有給も沢山あったし」


 畳のイグサの臭いが懐かしい。


 ごろんと転がっていると、母親がおやつにと箱で売っている安いカップケーキと沢山入っている安い一口のチョコレートを出してきた。


 「モデルやってるのに、こういうの出す?」


 「食べたくないなら食べなくていいのよ」


 「食べるけど」


 太ってはいけない、痩せてなければ、とそういう思いから、出来るだけ間食は控えていたし、甘い物は特に制限していた。


 ご飯なども我慢していたが、貧血になってしまうことが多々あったため、食事制限は少なくしておいて、運動で体型を保つ方法を取っていた。


 「久しぶりにこんなカロリー取った」


 「ちゃんと食べなきゃダメじゃない。身体が資本なんだから」


 「わかってるよ」


 それから夜になって、父親が帰ってきた。


 「お父さん、久しぶり」


 「何をしに帰ってきたんだ」


 「いいじゃない。ちょっと遊びにきたの」


 「うちの敷居を跨ぐな」


 「お父さん、そんな言い方しなくてもいいじゃない。折角帰ってきてくれたんだから」


 帰ってくるなり不機嫌になってしまった父親を、母親が宥めながらテーブルに料理を並べて行く。


 夕飯は何かを思っていると、白菜と豚肉がメインの鍋だった。


 そこに豆腐やネギ、白滝なども入れて、〆用のご飯も用意してある。


 「わ、美味しそう」


 「ほら、お父さんも座って」


 ムスッとしたままの父親で空気は悪くなったが、鍋をこうして3人で囲むのも悪くはないと思った。


 身体を温めてくれる鍋をお腹いっぱい食べたあとは、ご飯を入れて卵と混ぜて、おじやのようにする。


 綺麗に平らげると、母親が片づけを始めたため、マリーナも同じように片づけを手伝う。


 父親が先に風呂に入ると言ったため、母親は風呂の準備に向かい、マリーナは皿や箸などを洗っていた。


 母親が隣に戻ってくると、マリーナは口を開く。


 「やっぱり、帰って来ない方が良かったかな」


 「そんなわけないじゃない」


 「でも、色々噂になってるんでしょ?お母さんだって、何か言われてるんじゃ」


 「私はいいのよ。あなたが元気でやってるなら、何だって、何処だって。お父さんは自分の背中を見て着いてきてくれると思ってたからショックなんでしょうけど、それでも、あなたが決めた道なんだから、自信持ちなさい」


 「うん、ありがとう」


 父親が風呂からあがるとすぐに寝てしまったため、マリーナはその後風呂に入り、母親と少しお茶を飲みながら話しをして、それから寝入った。


 翌日、マリーナが起きると、父親はとっくに仕事に言っており、母親もパートに出てしまっていたため、1人で用意されていたご飯を食べる。


 特に何をすることがないと思って、マリーナは散歩をすることにした。


 「あ、おはようございます」


 「あら、おはよう」


 近所の人に会う度挨拶をすれば、みな挨拶は返してくれるのだが、不純物でも見るかのような目を向けてくる。


 会う人会う人にそんな目を向けられるものだから、マリーナは居心地が悪くなり、家に帰ろうとした。


 その時、名前を呼ばれたため、振り返る。


 「お、久しぶりじゃん。上京したんじゃなかったっけ?」


 「健・・・。久しぶり」


 その男は、小学・中学・高校とずっと同じだった幼馴染の健だった。


 昔から男らしかった健は、いつも優しかったし、同級生の女の子たちからもとても人気があった。


 正直言って、その辺のモデルなんかよりもずっとイケメンだと思う。


 健と近くの神社で休むと、昔の話になる。


 「今何してんの?」


 「一応、モデルやってる」


 「まじ?すげぇじゃん。俺なんか、親父の車工場を継いだだけだよ」


 「そうなんだ。結婚は?」


 「まだ。仕事してると出逢いが無くてさ。それに、この辺本当に田舎だから、合コンとかも出来ねえし」


 「正直さ、お前だと思わなかったよ。あまりに変わってたから」


 「そう、かな?」


 「うん、そうだよ」


 褒められているのかと、マリーナは頬を緩ませる。


 健に恋心を抱いていたことは確かだ。


 でもあの頃は自分に自信がなかったし、何より相手にされないと思っていた。


 でも、今の自分なら見てくれるだろうか。


 マリーナはそんな気持ちを持って、健の方をじっと見る。


 するとこちらを見た健と目が合ってしまい、恥ずかしくなって目を逸らす。


 「そろそろ俺戻らねえと。休憩時間終わっちまうから」


 「あ、うん」


 大きな背中を向けて歩いて行ってしまう健に、マリーナは声をかける。


 「健」


 「ん?」


 「あのさ、もし、もしだよ」


 「うん?」


 「もし、健のこと好きだって言ったら、受け入れてくれる?」


 「・・・・・・」


 沈黙が、怖かった。


 昔は言えなかった言葉を、こうして言えたことへの嬉しさはあるが、それを受け入れてもらえるかは別の問題。


 健は驚いたような顔をするが、目線をマリーナから逸らしたかと思うと、小さく肩を震わせる。


 「?」


 どうしたのかと思って声をかけようとすると、健は思い切り笑いだした。


 「健・・・?」


 「ハハハハ!!あー、悪い・・・くく」


 まだ笑いがおさまらないのか、健はそれからしばらくお腹を抱えて笑っていた。


 その理由など全く分からないマリーナに、健はなんとか笑いを我慢しながら話しをする。


 「お前、それ本気で言ってる?」


 「も、もちろん!!ずっと、健のこと好きだったんだから!!」


 「なにそれ、まじ?」


 コクン、と首を縦に振れば、健はさらに可笑しそうに後頭部をかいていた。


 そしてマリーナに顔を向けたかと思うと、まるで鋭く尖ったナイフのような言葉を紡いだ。


 「だってお前、男じゃん」


 「は?」


 呆然とするマリーナに対し、健は淡々と言う。


 「お前男じゃん。昔から。男の姿で俳優になるって言ってこの村出て行ったけど、そっかぁ、確かにその気はあったよな。みんな言ってたんだぜ?お前絶対ゲイだって」


 「・・・・・・」


 「だから村を出て行ったときは、正直ホッとしたよ。ま、上京したところで上手くは行かねえと思ってたけど、見つけたんだよ。お前が出てる作品を」


 ドクン、ドクンと、ゆっくり心臓が波打っている気がする。


 「まさか整形してたとは思わなかったよ。顔も身体も。それも、極上の女にしてたなんてよ。でも、プロフィールのところに地元が書いてあったし、誕生日とかも同じだったから、すぐに分かったよ。すぐに噂広まっちまったけどな」


 消したい過去、思い出したくない記憶。


 もう忘れていたと思っていたけど、奥底に眠っていただけで、覚えていた。


 「あんなに不細工な男だったお前がそこまで美人になるなんて、すげぇ技術だよな。でも、俳優も上手くいかなくて、まさかAV女優として働いてるなんて、驚いたよ。お前の親父もおふくろも、よく恥ずかしがらずにここにいられるよな」


 アルバムに載っている昔の自分。


 短い髪の毛に男の子の格好、身体つきも胸はなく柔らかさなどない。


 自分が女性だと思っていたわけではない。


 ただ、純粋に男が好きなだけだった。


 心から好きになって、惹かれていたのが男だっただけの話で、やましい気持ちなどこれっぽっちもなかった。


 同窓会だって今まで一度も出たことがない。


 こんな変わってしまった自分を、みんな笑い者にするに決まっている。


 ゲイが女になったぞ、と。


 「どんだけ綺麗な女になろうと、昔のお前を知ってる俺が、お前を抱けると思うか?無理だろ?吐き気がするよ」


 健は、こんな男じゃなかったはずだ。


 いつだってヒーローのようにやってきて、悪い奴等を倒してくれて、優しくて、強くて、僕の憧れの人だった。


 こんな、人を馬鹿にしたような笑い方をする男じゃない。


 こんな、人を傷つけるようなことを簡単に口にする男じゃない。


 こんな、人を否定する男じゃない。


 「・・・・・・」


 「どうした?ショックでも受けたのか?ま、恨むなら自分と、お前みたいな子供を産んだ親を恨むんだな」


 未だ笑っている健は、マリーナに背を向けて歩き出した。


 ふと、マリーナは近くに落ちていた手頃な石を拾い上げると、ゆっくりと健に近づいて行き、ただ、振り下ろした。


 夕方、家に帰って台所に立っていると、母親が帰ってきた。


 「ただいま。ねえ、今日健くんに会わなかった?」


 「・・・健がどうかしたの?」


 「帰ってこないんですって。お昼休みに散歩してくるって出かけて、それっきり。心配よね」


 「・・・どこかで、寝てるんじゃない?」


 「まあ、若い男の子だものね。そのうち帰ってくるとは思うんだけど」


 「ねえ、お母さん」


 「どうしたの?」


 「なんで、僕をこんな顔に産んだの?」


 「え?何が?」


 ゆっくりと振り返ったマリーナの手には、包丁が握られていた。


 母親は思わず後ずさるが、それほど広くもない台所で逃げられる場所などそうそうない。


 「な、何を考えてるの!?止めなさい!!」


 「こんなに綺麗になっても、身体を曝け出すような仕事しか来ないのは、どうして?」


 「落ち着いて!!下ろしなさい!!」


 「私は誰よりも美しいの。この顔に、幾らかけたと思ってるの?この身体に、幾ら費やしたと思ってるの?男としても身体を売って、女として成功しようと思ったのに、女になっても身体を売ることしか出来ないなんて、もう、こうするしかないの・・・」


 じりじりと詰め寄ってくる我が子に、母親は勢いよく後ろを向いて走りだした。


 しかし、それよりも先に動きだしていたマリーナは、いとも簡単に母親を捕まえることに成功し、その刃を振り下ろした。


 血まみれになった母親をずるずると引きずって布団に運ぶと、丁寧に寝かせて顔には白いハンカチを乗せた。


 そのうち父親が帰ってくると、同じように対処した。


 「遺伝子が悪いの。こんな私になったのは。顔も身体も全て、あなたたちのせいなの」


 それからすぐ、山中で健の遺体が発見される頃には、マリーナは田舎を出ていた。


 マリーナの両親の遺体も発見されると、すぐに逮捕となった。


 美しい顔を持った女性は、全国テレビに流されることになり、所属していた形上モデル事務所の社長は、マリーナは退職していたと述べた。


 他に放送する内容もないのか、テレビでは連日のように『9等身美人が犯した殺人』などと取りあげて盛り上がっていた。


 マリーナのモデルとして撮影していたものや、女優として働いていたことも公になるが、それよりも論点となっていたのは、元は男だったということだ。


 昔の写真と現在の写真を並べられ、コメンテーターたちは揃いも揃って「神の所業だ」とどうでもいいコメントを残した。








 「自分自身を愛することが出来ずにいた男。そんな息子が姿形、中身まで変わっても尚愛し続けた親。哀れなのはどちらですかね」


 ニュースが流れているテレビのチャンネルを何回か変えるが、同じ内容しかやっていないため、消した。


 そしてテーブルの上に一枚、こちらを向いているカードを眺める。


 「別人になってもなお、自分を誇りに思えるものなのでしょうかねぇ・・・」



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