誰が為の翼

九重ショコラ

誰が為の翼

「ここら辺で、確か“鴉天狗”の目撃情報が……」

──とある妖怪の討伐依頼を請け負った僕は、陰陽師として、目撃情報が入った山奥に来ていた。探している妖怪は鴉天狗という奴らである。この妖怪、今までは見かけることもそう無い程、人前に姿を現さない奴らだったのだが…どういう訳か、彼らは最近人里に降りて来て悪さをするようになった。そしてその行為は残虐そのもので、討伐依頼が出るのも納得の容赦の無さだったのだ。…と、

「?」

「な、何でここに人が…!?」

──数歩先の血溜まりの中に、人が倒れているのが見えた。それだけでも驚くのだが…この地域は鴉天狗の目撃情報が多い為、立ち入りは禁止されている筈だった。物好きな奴が入って来たのだろうか…とりあえず駆け寄り安否を確認する。

「──っおい、聞こえるか?!」

肩を叩いて声を掛けながら、周囲の状況を確認する。辺りに黒い羽根が散っていて、倒れている彼には、背中に一筋大きな傷跡。…この特徴的な傷は鴉天狗に襲われた人に多い。そして鴉天狗は共通して黒い羽根を持っている──ちょうど今、辺りに散っているような。つまり、恐らくこの人は…

「鴉天狗に、襲われた…。」

…やはり目撃情報は本当だったらしい。周辺を見回してみたが、彼を襲ったであろう鴉天狗は既に姿を消していた。目標を取り逃したことに思わず舌打ちする。…と、

「っっ……、」

「!」

倒れていた人が目を覚ます。

「おい、大丈夫か?!」

声を掛けると、僕の存在に気づいた彼がこちらを見た。すると、

「──!!」

何かに驚いた彼は──急に山の奥へと走り出す。

「え……?!」

予想外な行動に戸惑いはしたが、まだ血も止まっていない怪我人を放っておく訳にはいかない。急いで彼の後を追いかけた。…恐らく彼は、僕を妖怪と勘違いしているのだろう。血が止まっていない事からも、被害に遭ったばかりだという事が分かる。だから目覚めてすぐ誰かに出会ったことで、妖怪に襲われたトラウマが蘇ってしまったのかもしれない。

「──っ落ち着け、僕は人間だ!!!」

怪我をしているにも関わらず脱兎の速さで逃げる彼に、大声で呼びかける…と、

「っ、人間……?」

…やっと止まって貰えた。

「うん。」

「僕は來、陰陽師だ。」

「!」

「陰陽師……、」

「そ。」

「ここに鴉天狗って妖怪を祓いに来たんだけど…お前のその傷、多分鴉天狗に襲われたんだよな?」

「……、うん。」

「手当のついでに、お前さえ良ければ話を聞きたい。付いてきて貰えるか?」

「……、」

「…分かった、ありがとう。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「いっ…て…」

「ちょっと、じっとしてろって。走り回って傷口開かせたお前が悪いんだからな?」

「…っ、分かったよ…って痛い痛い!!」

「あ、ちょ、だっっから…動くなってば〜!!」

月影亭(げつえいてい)──僕の住居に戻り手当を施しているのだが、傷口に薬を塗っているだけなのにコイツが大袈裟に騒ぐ。しかも結構暴れるので、一時は結界か何かで柱に括りつけようとさえ思った。しかし「陰陽律令」では妖怪以外に術を使うことは御法度なので、流石にやめた。というかコイツ…そんなに手当されるのに慣れていないのだろうか。

「…はい、包帯巻いて終わり!」

「長かった…拷問かよ…」

「じゃなくて?」

「……、アリガトウゴザイマス。」

「おい何で棒読みなんだよ」

…まあそんなことはさておき、

「お前、名前は?」

「……ハル。」

「分かった。…ハル、」

「あの山が立ち入り禁止って知ってて、なんで入ったんだ?」

「怒らないから話せよ」と訊いてみるも、

「──立ち入り…禁止…?」

…まさかの語尾に「?」の付いた返答が。

「え、おま…知らなかったのか?!」

「…ごめん。」

「ま、マジかよ…」

この村全体どころか、隣町の子供でさえ知っている立ち入り禁止の令を、コイツが知らないとは…そんなに遠くから来た人なのだろうか?

「…はァ、分かった。」

「なら、他に何か覚えていることは?」

「……、」

少しの沈黙の後、

「…無い。」

「そ、そうか…」

これは…難航しそうな調査だ。小さく溜息を吐いた。

「とりあえず、僕はお前を襲った鴉天狗について調べる。」

「お前も何か分かったら教えろよ?」

「……、うん。」

「あっ、あと!」

調査資料を取りに行こうと立ち上がってから、一番伝えなければいけないことを思い出す。

「…酷い怪我だし、お前放っておくとまた怪我悪化させそうだから、」

「この事件が解決するまで…此処、月影亭で保護観察期間な。」

「…は?そんな急に…」

「まあ今決めたからな」

「ちょっ、おい、」

「くれぐれも激しい運動はお控えくださ〜い」

まだ何か言いたげなハルに背を向け、ヒラヒラと手を振りそう伝える。そして今度こそ、資料を取りに行く為に歩き出した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…バタンと戸が閉まり、静かになった部屋で呟く。

「『陰陽師』…か。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


──月影亭の図書室、

「ふぅ〜…一旦コレくらいかな。」

鴉天狗という妖怪についての情報整理が一通り終わり、体をほぐそうと椅子の上で伸びをした。決して少なくはなかった資料達から情報を引っ張り出し、それをさらにまとめて一冊のファイルにしたのだ。…机の上のソレを手に取り、開いて眺めてみる。ファイルの1ページ目には、鴉天狗関連の文献殆どに書いてあった言葉を記した。

「──『鴉天狗の翼は、大切な人を護るためにある』…。」

有名な言い伝えのようなモノだ。僕も調べる前から知ってはいた。…この言葉は、鴉天狗という妖怪の、仲間意識の高さを表している。大切な人──転じて仲間の為ならば、自らの危険を厭わない。そんな彼らの性質を表現した言い伝えだ。…このように、彼らは仲間意識が高いので、

「──“集団を乱すモノ”を、徹底的に排除しようとする傾向がある…。」

故に、あの山は立ち入り禁止だった。鴉天狗は主に山奥に生息している。迂闊に彼らの縄張りに入り込めば、命の保障は無いのだ。…ページを捲り、被害があった現場の写真を観察する。どの写真も、人が倒れていた地面には真っ赤な血だけが広がっており、鴉天狗の逆鱗に触れた者の末路を思い知らされた。…ハルが生きているのは、奇跡かもしれない。

「『仲間意識が強く、集団を乱すモノを排除する傾向がある』…、か。」

…つまり、

「襲われたハルは、何らかの形で鴉天狗の集団を乱したってことか…?」

出会ってまだ数時間の僕が、一体彼の何を知っているのだと言われればそれまでなのだが。

「なんか…アイツがそんなことするようには思えないんだよなぁ…。」

感じたそんな違和感だが、カタチに出来る証拠もまだ無い。とりあえずファイルを閉じ、ハルの様子を見に行くため図書室を後にした。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…そんな風に、ハルと過ごしながら情報を探っていた数日後のこと。

「……、」

(…そろそろ、見知った内容ばかりになってきたな。)

いつも通り、鴉天狗関連の事件やその妖怪の資料を眺めていると、

「…なぁ來、」

「?」

「どうした?」

少し離れた所にいたハルが話し掛けて来る。

「…なんでそんなに、その妖怪のことを?」

「なんでって…僕がコイツの討伐依頼を請け負ってるから、かな?」

「!」

「…と、討伐?」

「うん?そう、だけど…。」

─そんなに怯えた反応が返ってくるとは思わなかった。…コイツは、争いや揉め事が苦手なのだろうか。

「お前と出会う前から、そもそも僕は『鴉天狗』関連の事件を調べてたんだ。」

「…知ってるか?最近アイツらが、人里に降りてきては人間を襲ってるの。」

「……、知ってる。」

(…“立ち入り禁止の令”は知らなかったのに、これについては知ってるのか…。)

「…今、それくらいアイツらは凶暴化してるから…見かけたら祓った方がいいんだよ。」

「………、」

「…例え、その見かけた鴉天狗が、」

「人を殺さないヤツでも…か?」

「……、」

…視線こそ合わないが、どこか不安そうだ。やはり争い事は苦手なのだろう。

「…ごめん。でも、多分そうなる。」

「陰陽師は、人に仇なす妖怪を祓うのが仕事だから。」

「……、そっか。」

ハルがぽつりとそう呟き、そしてそれきりで立ち去ろうとする──

「──あっ…ハル!!」

「?」

「え、えっと……」

(…保護対象の彼が、陰陽師(ぼく)を嫌いになったらマズイな……)

(何か…警戒を解く方法は…)

「う〜ん…えっ…と…、」

「──ちょ、ちょっと外に行かないか?」

「?」

「…なんで急に?」

「あ〜、え〜っと…」

…不味い、余計に警戒された気がする。

「ぼ、僕も座りっぱなしでキツかったし、そういやハルの分の食料も買い足さないといけないし、あと…、」

僕が必死で理由を考えていると、

「………、」

「…荷物持ちくらいしか、出来ないけど。」

「!」

「…う、うん!一緒に行こう!」

「?」

「…なんでそんなに喜んでるんだ?」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…久しぶりに行った市場は、そこそこな数の人が集まり賑わっていた。鴉天狗事件の不安はあれど、やはり商売は人を活気づける。

「何を買っていこうか…ハルは何か食べたいものある?」

「別に、特に何も。」

「あ、そ、そう…。」

(ま、まだ警戒されてんのかな…)

バッサリ切り返され、僕が上手く言葉を紡げずにいると、

「……、」

「…來はいつも何食べてんの?」

「!」

気を遣ったのか、ハルが会話を振ってくれる。

「えっと、アレとか…アレとか…」

ここから見える範囲で、いつも食べているものを指差した。大抵は肉や魚ばかりで、気が向いたら野菜も食べる程度なのだが、

「…なんか、心配になる食生活してるな。」

「えっ?」

「いや、栄養が偏ってるなって。」

「…言われてみれば、確かに。」

「……」

…何だか、喋れば喋るほど墓穴を掘っている気がする。もう帰った方がいいのでは…そう思い踵を返そうとすると、

「……來?」

「!」

──袖を引かれた。

「ど、どうした?」

「何ずっと考え込んでんだよ…行こうぜ?」

「買い物しに来たんだろ?」

「!」

「あ、うん…!」

それだけ伝えると、ハルがパッと袖を離した。…何が驚きかって、僕を警戒していると思っていた彼が、簡単に間合いに入ってきたことだ。普通、害を与えてくる可能性のある人間に…そこまで距離を詰めはしない。

(あれ、もしかして僕…そんなに警戒されてないのか?)


「──おや、來くん!連れが居るなんて珍しいね。」

…肉を買っているいつもの店で、店主に話しかけられた。

「こんにちは。こっちは僕が一時的に預かってる奴で…名前はハルって言います。」

そう口にしてから、チラッと隣のハルの様子を伺う。

「おお、そうかい!初めましてハルくん。」

「え、えっと…初めまして。」

と…何故か途端に、ハルの言葉がぎこちなくなった。…不味い、僕また余計なことしたか?

「どうした?緊張してるのかい?」

「っ…ら、來…」

縋るように名を呼ばれ…少し吃驚する。

「…ハル?大丈夫か?」

「えっと、その…」

「…すみません、これとこれだけ貰えますか?」

「ははっ、はいよ!」

「ありがとうございます。…行こうかハル。」

「う…うん。」

店主に軽く挨拶をし、その場を離れた。


「えっと…どうした?体調でも悪いのか?」

…一旦座り、ハルに先程のことについて訊ねる。

「いやそうじゃなくて…その、」

「ん?」

「俺、実は…」

「──人と話すの、苦手なんだ。」

「!なるほど…。」

「だから、さっき話しかけられた時に焦っちゃって。アレは上手く話せなかっただけだよ。」

「そ、そうか…余計なことしてごめん。」

「いや、來が悪い訳じゃないよ。慣れてない俺の責任だ。」

「………、」

ハルとの距離感をずっと掴みかねていたが…何だか少し安心した気がする。

「…どうした?」

「いや、何か、」

「…ちょっと親近感が湧いたよ。ハルも人間なんだね。」

「!」

「…なんだそれ。」

…ふいっと目を逸らされた。

「ううん、こっちの話。」

何だか距離が縮まった気がするのは…僕だけじゃなかったらいいな。


……そこからは、

僕が肉や魚を籠に入れると、その分隣のハルが野菜を足してくるという、少し愉快な買い物をした。…籠の中の葱や人参、大根などを見て思わず苦笑いを零す。食生活など考えたことも無かったが…これからハルと同じ食事を摂る限り、少しは考慮すべきだろう。

「…ふぅ、久しぶりに歩いたな。」

「日光が眩しい…」

「あははっ、ずっと資料ばっか見てるからだぞ?」

「そうだな〜…」

「…ハルの意外な一面も知れたし、悪くないお出掛けだった。」

「か、からかうなよ…。」

「あっはは!」

「…お前を心配しての外出だったけど、僕もいい気分転換になったよ。」

「…?」

「俺の心配?」

「………あっ。」

…気が緩んで、思わずずっと憂慮していたことを零してしまった。

「なんの事だ?」

「え、えっと…いや、隠す必要も無いか。」

少し息を吸ってから、答える。

「…その、ハルに警戒されてたらどうしようって。」

「…警戒?なんで?」

彼が訝しげにこちらを見る。

「な、なんでって…ハルが争い事を苦手そうだったから、」

「『見かけ次第祓う』なんて物騒なこと言った僕を、野蛮な奴だと思うかと…」

「……いや、別に俺は、」

「?」

「…なんでもない。」

彼の青い瞳が、ふっと僕から逸れた。

「…とにかく、心配する必要ねぇから。」

「え、」

「てか、何をずっと考え込んでんのかと思ったら、そんなことか…。」

「そ、そんなことって…!」

「──別にお前がそんなヤツだとか、思ってないっての。」

「!」

「『陰陽師』は人命最優先なんだろ? ただの慈悲で…少しでも人間に仇なす可能性のある妖怪を、逃がす事なんて出来ない。」

「…“野蛮”っていうより、來は真面目だな。」

「ハル……」

「……、」

言ってから、ハルがきまり悪そうに再び目を逸らす。照れ隠しだろうか、少し頬が緩んだ。

「…っそろそろ帰ろうぜ。晩御飯なら俺が作ってやるよ。」

「……え゙、ハルって料理出来んの?!」

「まあ、一応?」

「え、もう僕要らないんじゃ…」

「何言ってんだよお前ん家だろ…。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


──数日後。

「來、野菜が足りない。」

「ん?…あぁ、今度出掛ける時に買ってくるよ。」

前一緒に買い出しへ行ったのもあり、ハルとの距離はだいぶ縮まっていた。断りなく食料の備蓄を漁る彼にも、もう違和感を感じなくなってきたくらいだ。…どうやら彼、料理が得意らしい。最近は調査などで出払う事が多い僕の代わりに、よくご飯を作ってくれるようになった。

「いや、もう立派な家政夫だよお前……」

「あはは、雇ってくれてもいいよ?」

得意気に菜箸をクルクルと回すハルに、「気が向いたらな」と返しておいた。…と、ふと思い出したことを口にする。

「…あ、そういや今日お客さんが来るんだ。それで…」

「?」

「…なら鍋の量増やすか?」

「あ、それもお願いしたいんだけど、そうじゃなくて…」

「…えっと、」

「?」

「何だよ?ハッキリしねぇな…」

ハルが眉間に皺を寄せる。ダメだ、流石にちゃんと伝えないと…あっちにこっちに泳いでいた目を呼び戻し、ハルを見つめ直す。

「えっと…、」

「……お前が今使ってる部屋、今日だけ半分ソイツに使わせてあげられないかなって。」

聞いたハルが目を見開き、…そして何が可笑しいのか、急に笑い出す。

「…ハハッ、なるほど。何をそんなに渋ってんのかと思ったら…俺に気を遣ってくれた訳か。」

「何笑ってんだよ!っだって、前にお前が人と話すのが苦手って言ってたから…しょ、初対面の人間と一晩も同じ部屋は嫌かと…」

「そもそも俺は住まわせて貰ってる身分だし、家主に文句言う権利はねぇよ。」

「一晩襖で部屋仕切って寝るだけだろ?別にそれくらい平気だって。」

「あ、ありがとう…部屋が足らないから助かったよ。」

「中央の都の方で働いてるヤツなんだけど、日帰りは難しいから泊まってもらおうと思ってたんだ。…あっ、でも!」

「気遣いとか本当に要らない相手だから安心して!」

「ふーん…(どんな奴なんだ?)」

…と、

「──おーーーい!!!!來〜〜!!!!」

「「!」」

「はーい!今出るから〜!」

「え、声デカ…嘘だろアレが来客?」

「てか呼び鈴使えよ。なんで叫ぶんだよ。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「やっほ〜來!」

「久しぶり、焔。」

赤毛の青年──焔に挨拶を返し、後ろのハルに軽く紹介をする。

「コレが焔、中央の陰陽師。」

「こ、コレって…」

言いつつ、焔がハルに「はじめまして」と挨拶をする。ペコッとお辞儀をしたハルも、「はじめまして、ハルです。」と丁寧に自己紹介をした。

「おぉ〜、礼儀正しい子だね。」

「お前も見習ったら?」

「敬語くらい使えるっての!」

「じゃあ今僕に使ってみろよ。」

「え〜、敬う相手に使わなきゃ意味無いじゃん。」

「おいどういう意味だよ!」

久しぶりに会ったにも関わらず…売り言葉に買い言葉で言い合いがヒートアップしていく。

「そのまんまの意味だって。俺だってお偉い様には尊敬に謙譲を重ねてるよ。」

「それを同い年に使えとまでは言わないけど、せめてその僕への憎まれ口くらい何とかしろよ!」

「分かってないなぁ、これもコミュニケーションの一環だよ。」

…と、

「──ね〜、ハル?」

─焔のその言葉で、ハッと我に返った。

「あっ…ごめんハル!放ったらかしで喋ってた…」

「ハハッ、いいよ。久しぶりに会うんだろ?」

笑ってくれてはいるが…きっと困っていただろう。彼が人と話すのが苦手だと聞いた時から、気に掛けるようにしていたのに…。

「來こういうとこあるんだよ、すぐ周り見えなくなるんだから〜」

「だ・れ・の・せ・い・だ・と〜〜!!」

焔をどついてやろうと手を伸ばした、

……その時だった。

「──きゃぁぁあぁぁあッッ!!!」

「「「!!」」」

「っ悲鳴…!外からか!?」

聞こえてきた叫び声にハルが身構える。すると素早く札を取り出した焔が言った。

「行こう來、もしかするとコレは…」

「ああ、」

「──鴉天狗が出たのかもしれない。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…月影亭が小さな村の一角にある故、村から聞こえた叫びを容易に拾えたのが幸いだった。

「っ、やっぱり…最近人里に降りて来ないと思ったら。」

外に出ると…案の定数体の鴉天狗が、村人に襲い掛かろうとしていた。

(……、見たところまだ大きな被害は出ていないな。)

「─行くぞ焔、村人を傷つけるなよ。」

「んなの分かってるって!」


焔が、近くの人を襲おうとしていた鴉天狗を─助走を付けて蹴り飛ばす。

「──烈火(れっか)!」

彼が札に呪力の炎を灯し、鴉天狗に向かって飛ばすと─相手の腕に刺さった札が勢いよく燃え盛る。

「がぁああっっ──!!」

腕を抑えギョロリとこちらを向く鴉天狗を、焔が片手で「相手してあげるよ」と挑発した。…と、

「…ハル、大丈夫か?」

─名を呼ばれハッと我に返る。

「いや、俺は…、」

…上手く、言葉が出てこない。どうしてもあの時のことを思い出してしまう。

「…ごめん、怖いこと思い出させたな。」

「ハルはあっちの方に避難しててくれ。アイツらの相手は僕達がする。あと、」

「──危なくなったらすぐ呼べよ。」

「……、うん。」

何とか頷いた俺に、來が微笑む。そして彼も札を構え─唱えた。

「──雷震(らいしん)!」

すると、とある少女に襲い掛かろうとしていた鴉天狗に──大きな雷が落ちる。

「…っ今の、だあれ?」

翼で防いだらしい女の鴉天狗が、苛立ちを隠さず声を低くした。…と、相手が攻撃を防いだ隙に、來が少女へ駆け寄る。

「怪我は無いか?…よし、ならあっちへ走れ。」

無事少女を逃がした來に、鴉天狗は舌打ちを一つ漏らし言った。

「ちょっと…私を除け者にする気?」

そして鴉天狗が──掌上に黒い呪弾を構える。

「ああ、ごめんごめん…死に急ぎたいなら、勿論お前の相手もしてあげるよ。」

そう言いもう一枚札を取り出した來が─こちらに目配せをした。「今のうちに逃げろ」か、「少女を頼む」か…どちらの意図かは分からないが、俺に出来ることは限られている。…息を吸って、少女に向かって叫んだ。

「──っ、こっちだ!」

「!」

…気付いた少女が此方に駆け寄ってくれたので、共に月影亭まで逃げた。


「…ここまで来れば、きっと大丈夫だな。」

中に入っても良かったが、もし室内に攻め込まれた時に助けを呼べない。ので、月影亭の玄関前で立ち止まった。

「…お兄ちゃん、大丈夫?」

と、少女に声を掛けられる。

「え?…ああ、大丈夫。」

「お前こそ…怪我、してないか?」

「うん!」

「…そうか、良かった。」

それだけ返して、先程まで居た場所を振り返る。まだ來と焔は交戦中だ。俺も戦いたいのに…そうは出来ない理由があった。

(焔、來…)

──と、

…その時だった。

「──ん?お前は戦わないのか?」

「!」

聞き慣れた声がして…まさかと思い振り向くと、

「っっ…!?!」

それは──あの時俺を襲った鴉天狗だった。

「ハハッ、そんなに驚くこと無いじゃないか。俺たち…初めましてじゃないだろ?」

「っお前……!!(嘘だろ、此処までツケられてたのか…?)」

咄嗟に少女を背に隠す。

「おっと、そう睨むなよ。…痛いのはほんの一瞬だ。」

「そうだな…、まずはそこの女から──」

暗い紫色の呪弾が、鴉天狗の掌上で大きくなっていく。

「!!…っっ、」

俺が少女を庇おうと覆いかぶさった─その時、

「──閃光(せんこう)!」

パァンと弾ける音がして──呪弾を細い稲妻が貫き破裂させた。

「……っ怪我は。」

鴉天狗から庇うようにして、駆けつけた來が俺の前に立つ。

「っ、來…!!」

「…俺も、この子も無事だよ。」

「良かった、何よりだ。」

…と、鴉天狗が口を開く。

「─あぁ…お前が…。」

「『お前が』…何?」

「………」

來が問い掛けるも、何も答えない鴉天狗は…

「──っあ、おい!!」

…飛び去り、そのまま姿を消した。

「…チッ、逃げられた…。」

構えていた札で、來が苦々しげに宙を切り下ろす。…と、

「…あ、ありがとうお兄ちゃん。守ってくれて。」

少女が俺を見上げ、お礼を言った。

「え?あ、うん…無事で良かった。」

「えへへ、お兄ちゃんのおかげだよ!」

そう言って少女は微笑み、村の方へ戻っていく。後ろ姿を見送っていると、來にも「彼女を守ってくれてありがとう」とお礼を言われた。…少し胸が傷んだ。……と、

「おーい來〜!!なんか急に鴉天狗達が去ってったんだけど…」

…焔がこちらに駆け寄ってきて、來に状況を伝えた。

「えっ…本当か?」

「うん。一体何が目的だったんだろうね…。」

目を伏せ考え込む焔に、來が声を掛ける。

「…まぁとりあえず、お前も無事そうで良かった。」

「あははっ、何の冗談?俺を誰だと思ってんの。」

そう言う焔には、來同様確かに傷一つ付いていなかった。…感心して見ていると、

「─さて、そんな流石の俺でもお腹は空く!ご飯にしようよ二人共!」

…急に焔がそう言い出した。

「…えっ?」

思わぬ切り替えの早さに、頭へこてんと星が落ちる。

「お前…お邪魔してる立場なのに図々しいな…」

來がそう返す。

「え〜、優しい來くんなら俺の分も用意してくれてるでしょ?」

「それはそうだけど…用意したのは僕じゃなくてハルだよ。」

「えっ、ハルが?!」

「え、あ、はい。」

「おお〜!ちなみに今日のご飯は?」

「な、鍋ですけど…。」

「やった〜!早く帰ろう♪」

「だからお前ん家じゃないって…」

もう鍋のことしか見えていない焔に苦笑いし、三人で屋内へ戻った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「いや〜、お鍋美味しかったね!」

「良かったな、後でハルにも伝えといてあげて。」

「…あ、そういやアレってあの子が作ったのか。」

ハルが作ってくれた鍋を皆で食べたあと、僕と焔は図書室にいた。…そもそも今回、わざわざ中央にある“本部”から焔が来たのには理由がある。それは、僕が保護したハルの状態や、鴉天狗事件の捜査進捗を彼が確認する為なのだ。

…本棚からいくつかファイルを取り出し、焔の座っている机まで持っていく。

「はい、事件の資料はコレで全部。」

「はァ〜…友達ん家に来てまで仕事の時間があるのは憂鬱だけど、まあパパッと確認するよ。」

焔が眼鏡を取り出して掛けた。

「『來の家に行く』っていう休暇のフリしてこういう仕事押し付けてくるから、本部は面倒なんだよな〜」

「分かったから早く見ろ。」

「ちょっと、來まで俺に冷たくしないでよ!」

「ただでさえ本部の部下も冷たいのに…(泣)」

…等々悪態を付きながら、焔が資料を開いた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…真面目な來が纏めた資料は、毎度とても読みやすい。本部でも通用する優秀さ…流石彼だ。資料には、ハルを山内で発見した時の状況、そしてその時の彼の状態が詳しく書かれており、その後の会話内容や、また彼を襲ったと見られる鴉天狗の生態について等、膨大な量のデータが綺麗に纏められていた。…やっぱり、コイツは賢い。

…と、

(?)

(──何か妙だな。)

データに目を通していて…“ある事”に気がついた。しかし、頭の良い彼がそんな事を見落とすとは…いや、

(…逆に、コイツだからかもしれない。)

先程の会話を思い出す。


ーーーーー


「あっ…ごめんハル!放ったらかしで喋ってた…」

「來こういうとこあるんだよ、すぐ周り見えなくなるんだから〜」


ーーー


(來、たまにそういうトコあるからな…)

俺が思うに、聡明な彼に唯一短所があるとすればコレだ。彼は感情が絡むと、時々視野が狭くなる。…まあだとしても、

「焔?もう終わった?」

…まだ断定には至らないこの“気づき”を、今コイツに伝えるのは得策じゃない。

「……ありがとう、來。」

ファイルを閉じる。

「──問題無いよ。」

「良かった」と言って微笑んだ來が、俺からファイルを受け取った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「おーすごい!ハルは毎日ここで寝てるの?」

「そう、ですけど…。」

俺の部屋に着くと、途端に目を輝かせた焔があちらこちらを見渡していた。その様子を見ていて、先程夕飯を食べていた時の会話を思い出す。どうやら彼、中央の本部で寮暮らしなのだそうだ。そんな彼だからか、俺に与えられている部屋の広さに驚きとてもはしゃいでいた。

…実は先程、「まだ仕事がある」と言う來にこの人を預けられたので、俺の部屋まで案内して今に至るのだが…

「…あっ!そういや來、襖で区切って二部屋にして使えって言ってたな…」

「はい、もう区切っても良いですか?」

「え、寂しいじゃん!」

「もうちょい喋ろうよ〜!」

「え、えぇ……」

…どうしたものか、この人凄い話しかけてくる。部屋を区切って寝るくらいなら、人見知りの俺でも大丈夫な筈だったのだが…ここまでアクティブに絡んでくるとは思わなかった。

「ん〜じゃあ、ハルって料理得意なの?」

「喋ろう」と言ったからには話題を提供するべきだと思ったのか、彼が話を振ってくる。

「…まあ、それなりには。」

「そっか…家族とかにもよく作ってあげたの?」

「……、」

“家族”──思い出したくも無い。

「…まあ。」

「……、そうなんだ。」

「…というか、貴方はいつ寝るんですか?」

「そのうち寝るよ?」

「じゃあ今寝ましょう。」

「う〜ん……分かったよぅ。」

やっと寝かしつけられるか…と胸を撫で下ろす。

「……あ、てかさぁハル、」

渋々布団に入った彼が、顔だけ出してこちらを見た。

「どうしました?」

「最後に一個だけいい?」

「ど、どうぞ……」

「ありがとう。……じゃあさ、ハル、」


「──なんで人間のフリなんてしてんの?」


「………っっ!?」


嘘だろ、 なんで──


──咄嗟に翼を顕現させ、彼から距離を取ろうとするが…

「おっ…と、逃げないでよ。」

「っっ…お前…!!」

…腕を掴まれ、ソレを阻止される。

「急に翼を出したってことは…もしかして、人の姿のままだと呪力が使いづらいの?」

「っっ…、氷晶弾(ひょうしょうだん)!!」

氷の呪力を固めた結晶を打ち込もうとして、焔の胸元に手を伸ばすが、

「──焔爛(えんらん)。」

……俺が顕現させた結晶を、彼が呪力の炎を灯した札で斬り裂いた。

「チッ…よりによって“火”か…!!」

先程の撃ち合いで彼が俺の腕を放したので、その隙に今度こそ翼で距離を取る。

「…まだ完全に回復してないんでしょ。『上位妖怪』の君でも、流石に今の状態じゃ俺には勝てないよ。」

焔が俺に向かって札を構えた。

「……っじゃあ、大人しく祓われろっての?」

「はァ……、」


「──違う。」


「……え?」

予想外の一言に、思わず声が漏れた。

「君が急に術なんて撃ってきたから、流石に俺も術で受けたけど、」

「…俺は君とやり合うつもりは無いよ。」

目の前の焔が、札を下ろす。

「は…?じゃあ、なんでそんな…」

「まあ落ち着いて。」

「──今度こそ、ちゃんと話そうよ。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「……んで、教えろよ。なんで俺が人間じゃないと思ったんだ?」

…まだ完治もしていない俺の相手は、腐っても中央──“本部”とやらで働く陰陽師だ。そしてその相手からは特に敵意も感じない。なので俺も不毛な争いは止め、翼を消し元のように座った。

「おぉ…なんか、もう素だね。さっきまでの敬語モードは?」

「話を逸らすな、氷漬けにされたいか?」

「ヒュウ〜、こっわ…」

わざとらしく身震いする焔に、舌打ちを漏らす。

「アッハハ!」

「…ん〜じゃあ、とりあえず俺が分かった所まで話すよ。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「まず俺が気づいたのは、來の報告書を見たからなんだけど。」

「…さっき見せて貰ったソレに、君を見つけた時の現場の様子が書いてあった。“黒い羽根が辺りに散ってた”って。」

「…でもさ、おかしいんだ。」

「?」


ーーーーー


どの写真も、人が倒れていた地面には真っ赤な血だけが広がっており……


ーーー


「來の報告書にも纏めてあった通り、鴉天狗が人を襲った現場にはいつも──被害者の出血痕が残ってるだけ。」

「!」

一瞬俺が息を止めてしまったのを、焔がちらりと確認する。…この反応で確信したか、彼が続けた。

「…『上位妖怪』と呼ばれる鴉天狗は、術の実力は言うまでもなく…頭もいい。」

「確かに鴉天狗は黒い羽根を持ってる。けど現場に痕跡を残さない為に、羽根が散ってしまう翼は攻撃に使わない傾向…っていうか、習性があるんだ。」

「『鴉天狗の翼は、大切な人を護る為にある』って言葉があるように、鴉天狗にとって“翼”は守りのモノなんだろうね。」

「でも君が襲われた事例だけは──現場に“黒い羽根が散っていた”。」

「…これは一連の鴉天狗事件の特徴に矛盾する。だからおかしいの。」

「…確かに、その通りだな。」

一旦言葉を区切った焔に、俺が言う。

「でも…俺の傷跡は、確かに鴉天狗に襲われたモノだったんだろ?來がそう言ってた。」

「うん、その通り。それは否定しないよ。」

「──“襲ったヤツ”が鴉天狗ってのは、ね。」

「…!」

「問題は、“襲われたヤツ”の方。」

焔が続ける。

「『人里』に降りてきた鴉天狗が悪さをするっていう一連の流れからも、今までの被害者は全員“人間”なんだ。だから現場には血痕しか無かった。…でも、」

「──“襲われたヤツ”が鴉天狗だとしたら。」

「その鴉天狗が守りに使った翼から、黒い羽根が散って現場に落ちたことになる。」

「…そしてこれは、君が襲われた状況とも辻褄が合う。」

…ここまで聞いていて、思い浮かんだ反論を口にしてみる。

「…それが、ただの鴉の羽ってコトは?」

…しかし、

「ふふっ、残念。仮にそうだとして、証拠はコレだけじゃないんだ。」

「まだあんのかよ…」

あっさり跳ね除けられる。…言わなきゃ良かった。

「ははっ、まあね。…これも來の報告書に書いてあったことなんだけど、」


ーーーーー


「あの山が立ち入り禁止って知ってて、なんで入ったんだ?」

「立ち入り…禁止…?」

「おま…知らなかったのか?!」


ーーー


「君、あの山の立ち入り禁止の令を知らなかったんでしょ?」

「…うん。」

「それも変だった。」

「その山の周辺で、少しでも入山の可能性がある集落全てには、陰陽師がその令を知らせて回った筈だった。なのに…なんで君は知らないんだろうって。」


ーーーーー


鴉天狗は主に山奥に生息している。迂闊に彼らの縄張りに入り込めば、命の保障は無いのだ。


ーーー


「そして…來が報告書に纏めた通り、“鴉天狗”は主に山奥に生息している。」

「──君がその山奥に住んでいるとしたら。」

「山の外の人里で、自分の住む山が立ち入り禁止になってるなんて知る術は無い。」

「さらにそれなら、今回の事件現場が『人里』で無かった説明も付く。」

そこで一度言葉を切った彼が、俺を見据えた。

「ハル、君は…」

「──『鴉天狗』、でしょ?」

「………、」

彼の真紅の瞳に射抜かれる。…さて、もう誤魔化しは無駄かと…息を吐いた。

「…いい“眼”だな。流石は來の友達だ。」

「そう?俺もこの紅色の目は気に入ってるよ。」

「はァ…そういう“目”の話じゃない。」

「あっはは!」

観察眼という点で褒めたのだが、小ボケをかまされ調子が崩れた。…再び溜息を吐く。

「…そう、お前の言う通り。」

「俺は鴉天狗で……仲間だったヤツらに襲われた。」

「理由は、お前ならもう分かるだろ?」

問いかけると、うーんと虚空を見上げた焔が呟く。

「…仲間割れ、かな。」

「ご名答。」

そう返すと、彼は得意気に笑った。…そして言う。

「…君さえ良ければ、詳しく聞かせてよ。」

「いいよ、今更もう隠す理由もないしな。」

「…でも出来れば、最初に話すのは來が良かったよ。」

「えっ、俺の何が不満なの!?」

「そういうところ。凍らすよ?」

「すぐ凍らすじゃん!」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「……はぁ…。」

溜息を1つ吐いてから、目の前のハルは自らの過去について話し出した。…辛そうに目を伏せて。

「…知っての通り、鴉天狗は仲間意識が強い。普通なら同朋の俺が討たれるなんてことは有り得ない。」

「…でも俺は、自分からアイツらの同朋で居ることをやめた。」

「だから、鴉天狗の性質…お前らで言う、『集団を乱すモノを徹底的に排除しようとする』だっけ?」

「それによって俺は『集団を乱すモノ』として、アイツらに排除される対象となった。」

…ここまでは読み通りだ。むしろ鴉天狗の仲間討ちなんて、理由はそれ以外無いだろう。でも…

「…でもそれなら、君が仲間を見限った理由は何?」

「俺が今日見ただけでも…君は、仲間を裏切るような奴には到底見えない。」

「……、」

少し言い淀んだ後、彼が答えた。

「……アイツらが、人里に降りて人間を襲うようになったから。」

「!」

「…なるほど。」

最近立て続けに起きていた、鴉天狗関連の事件とも繋がる。

「食料が足りない訳でも無い、人を殺さなきゃいけない理由も無い。…なのに、」

「アイツらは…快楽目的で人を襲うことを繰り返した。」

…そう言えば、來の報告書にも書いてあった通りだった。“人が倒れていた”と分かるということは…今まで襲われた人々は、現場から持ち去られていないということ。もし食料が足りないという理由で、鴉天狗が人を襲うなら。…襲った人間は、食料にする為に持ち去る筈だ。しかし…ただ襲うことが目的だったのなら、被害者がその場へ置き去りにされるのも納得がいく。

「なるほどね…それで嫌気が差した君は、そのまま集団を抜けたってこと?」

「…いや。」

「それだけじゃ、まだ抜けようなんて考えもなかった。」

「何せ俺だって“鴉天狗”だ、仲間意識が強いのは同じさ。」

「…だから、両親にだけはちゃんと言葉で伝えたんだ。『必要じゃないのに人を襲うのはおかしい』って。」

「…そしたら?」

「『──弱いモノが強いモノに狩られる事の、何がおかしい?』」

「!」

「…ってさ。」

呆れたようにハルが笑う。

「……とんだ暴論だ。」

「ははっ、人間は優しいな。…だからこそ、こんなことがあって良い訳ない。」

「──不必要に蹂躙されていい命なんか、この世には存在しないんだよ。」

ハルが拳を固く握った。

「…それで、此処に居たら駄目になると思った俺は、集落から抜け出したんだ。」

「でも勿論──『“集団を乱すモノ”は徹底的に排除される』。」

「あの中で俺一人だけが、そんな人間を庇うような思想を持ってた訳だ。両親も俺を、“集団を乱すモノ”だと見なしたんだろうな。」

「それで、両親が集落の長に密告したか知らないけど……俺はあっという間に、集団全員から追われる身となった。」

「………、」

…ああ、だからか。


ーーーーー


「…家族とかにもよく作ってあげたの?」

「……、」

「…まあ。」


ーーー


…先程家族について聞いた時の反応が、生傷に触れられた様だったのは。

「さて…俺の話はこれくらいだ。満足か?」

「うん、教えてくれてありがとう。」

一通り話し終えたハルが、「ふぅ」と息を吐いた。そして暫く目を閉じてから…何かを決心したように、再び目を開ける。

「──俺、來にも話してくるよ。」

「…え?」

「仕事人間のアイツなら、まだ起きてる筈だ。俺の傷もそろそろ治ってきたし、もし此処を追い出されたとしても問題ない。」

「ちょ、」

「もしかするとその前に……祓われるかもしれないけどな。」

自嘲しつつ、立ち上がろうとする──

(……駄目だ。)

──ハルの腕を掴んだ。

「!」

「…ハル、ちょっと待って。」

「何だよ、満足したんじゃねぇの?」

「それはそうだけど、一旦落ち着いてよ。」

「は?いや、別に俺は…」

「ううん、話しに行くのはもうちょっと待ってってコト。」

…どんどんハルの疑問の色が濃くなっていく。

「な、なんでだよ?」

「う〜ん…」

「アイツは──來は、真面目過ぎるとこあるから。“本部”でも通用するくらい、実力のある奴だし…」

「…つまり?」

「つまり…」

「──俺がアイツに“アドバイス”するまで、話すのは待ってくれないかな?」

「……は?」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


日付も回ったくらいの深夜、僕の部屋の戸が開く音がした。眺めていた資料から顔を上げ、そちらの方を振り返ると…

「…焔?まだ起きてたのか?」

「ちょっとね。」

「そう。用件は?」

「來を労いに来た!」

「…はァ、嘘。」

「うん嘘。」

「何がしたいんだよお前…」

「ごめんごめん、挨拶代わりさ。」

僕が苛立ちを隠さず言うと、焔が両手で「抑えて抑えて」としてくる。

「…ところで來、」

「何だよ…」

問うと…焔の声が低くなった。

「──『陰陽師』の仕事って、なんだと思う?」

「……は?」

唐突のよく分からない質問に、一瞬思考が止まる。「急に何を」と言おうとして──真っ直ぐ僕を射抜く真紅の瞳に気圧された。…どうやら、真面目な答え以外は御所望でないらしい。

「お、陰陽師の仕事、かぁ…」

視線を左上に彷徨わせ、思い巡らす。

「えっと…妖怪を祓う、コト?」

そして、真面目に考えたモノを答えると…

「──ぷっ…あっはは!」

「!」

「そう答えると思ったよ!」

「は、はぁ…?」

僕の思索の結果をまさか笑われるとは思っていなかったので、ムッとして聞き返す。

「…合ってんだろ。」

「ううん、違うよ。」

「じゃあ正解は何?」

クスクス笑う焔に続きを急かすと、…彼は少し間を置いてから、

「──俺ら『陰陽師』の仕事は、“妖怪から人間を守ること”。」

……と、答えた。

「…いや、えっ…?」

本質的にはそうかもしれないが、その“守る”手段として「妖怪を祓う」という行為がある訳だ。…つまり、僕の回答も間違いではないと思うのだが。

「それ、僕のと結局何が違うわけ?」

流石に納得いかず訊ねてみるも、

「う〜ん…そのうち分かるんじゃない?」

「えっ、はぁ…?!」

…訊くだけ訊いておいて、何も説明を寄越さない焔を睨む。

「じゃ、お仕事ガンバって!」

「あっ、ちょ……!!」

しかしそんな視線など気にも留めない焔は、適当に労いの言葉を述べて部屋を出ていった。

「な、何だよ急に…。」

何だか一気に集中力が削がれてしまった、こんな状態で再び仕事へ戻る気にもなれない。…溜息と共にファイルを閉じた。

「何が『お仕事ガンバって』だ、邪魔しに来た張本人がよく言うよ…。」

等々の不平不満を垂れながら、僕も寝る準備をしようと渋々部屋を後にした。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


あの晩、焔が來に“アドバイス”とやらをしに行ったので、翌朝には來にちゃんと話そうと思っていた──矢先の出来事だった。

「起きてくれ…頼む、」

「……っ起きろ焔!!」

「!」

「なっ…どうしたのハル?随分と熱烈なモーニングコールだね…」

「っ焔…聞いてくれ。」

「? なん…」

「──來が、どこにも居ないんだ。」

「……っえ?」


無理やり起こした焔と共に、月影亭を隈無く探したのだが、

「…嘘でしょ、ほんとにいないなんて…。」

「っクソ、なんで…。」

無言で行方を眩ますような奴じゃない。そんなの俺が一番知っている。…だとしたら。自分で何処かへ行ったのでは無いのなら──

「──連れ去られた……?」

「!」

「…今のところ、一番有り得るね。」

だとしたら、犯人は──


…よく考えてみれば、一つおかしい点があった。鴉天狗は、『集団を乱すモノ』を徹底的に排除する…そう、“徹底的”に。その筈なのに──何故俺は生きているんだろう。賢いアイツらが、“集団を乱すモノ”を殺し損ねるとはとても思えない。つまり…俺にトドメを刺さなかったのは意図的で、アイツらの計算の内かもしれないということ。…瀕死の俺が、誰かしらに発見され引き取られたとする。そしてアイツらは、俺が人間を殺さない性格だと知っている。もし奴らが、その引き取ってくれた誰か──來のもとで、俺が匿われていることまで予測していたとしたら。『徹底的』という言葉が、物理的に殺すことだけでなく…精神的にも“殺す”ことを意味するとしたら。

──奴らが俺を匿った來を攫って殺し、俺に「お前のせいで人間が死んだ、お前が殺した」とでも言えば。…人間を殺すことに誰よりも嫌悪感を覚えていた俺を、“精神的”に殺せる──「集団を乱すモノを『排除』出来る」と考えたとしても、おかしくはない。…俺も來のいない焦りでこじつけ気味になっている自覚はあるが、焔にも実力があると評価されている來が、妖怪以外の一般人に攫われるとはどうしても思えなかった。…だとしても、

(……どうして此処が分かったんだろう。)

(そして、家の中には焔もいるのに…何故來が俺を匿った陰陽師だと気づいたんだろう。)

…と、

「……!!」

──“あの時”のことを思い出した。


ーーーーー


「─あぁ…お前が…。」

「『お前が』…何?」


ーーー


──鴉天狗が此処に降りてきた時、アイツは來を見た途端急に去っていった。もしかすると…端から人を襲いに来た訳では無かったのかもしれない。アレは…アイツらが、俺や“俺を匿った人”、そしてその場所を探すための奇襲で、だとすると、

來は……俺のせいで──。


ーーーーー


「“鴉天狗”は、主に山奥に生息している。」


ーーー


もし犯人が本当にアイツらなら…來が攫われたのは、山奥かもしれない。

「…焔、」

「?」

「俺──行ってくる。」

「え?ちょ、まっ…どこに!?」

──翼を顕現させ、開いていた月影亭の窓から飛び立った。


「ハルっっ!!…いや、諦めよう。」

「流石に俺じゃ追いつけないしな…。」

窓から身を乗り出したものの、既に遥か彼方の黒い翼を見て溜息を吐いた。…頬杖を付き、小さくなっていくその姿を見守る。

「…生きて帰って来てね、二人とも。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「……っ、ん…??」

「お目覚めか……ハルを匿った陰陽師。」

「!」

聞き馴染みのない声でそう呼ばれ、眠気を帯びていた頭が一気に冴える。

「お前達は……」

…状況が把握出来ず、辺りを見回す。此処は…山奥の小屋だろうか?昨日布団で寝た筈の僕の身体は、今椅子の上に座らされている。そして目の前の数名は、人の形をしているものの背中から黒い翼が生えており、…その姿には覚えがあった。ここ最近、資料でずっと見ていた──

「…『鴉天狗』か。」

「ハハッ、ご名答。」

…陰陽律令に則って、相手が妖怪だと分かったのなら術を使っても問題ない。そう考え札を取り出そうとするが、

「!」

…腕が後ろで固定されていて、動かなかった。

「チッ…止縛法か。」


ーーーーー


しかも結構暴れるので、一時は結界か何かで柱に括りつけようとさえ思った。


ーーー


…僕が一度、手当の際に暴れたハルに使おうとして止めた術だ。

「…どうして僕を知っている。」

「お前が匿ったハル──あいつの所為だよ。」

「…ハル?」

「お前達は…襲った人間の名前まで知ってるのか?」

「……、『人間』?」

「それはもしや…ハルの事か?」

「…??」

…妙な言い回しをする。

「それ以外に誰が…」

「──やっぱり、お前は何も知らなかったんだなぁ。」

「…は?」

「アイツは─ハルは“人間”じゃない。」

「──俺らと同じ『鴉天狗』だ。」

「!!」

「…っ、何を急に……、」

唐突にそんなことを言われて、容易に飲み込める訳がない。だって僕は…僕が見てきたハルは、


ーーーーー


「…はい、包帯巻いて終わり!」

「長かった…拷問かよ…」

「じゃなくて?」

「……、アリガトウゴザイマス。」

「おい何で棒読みなんだよ。」


ーーー

ーーーーー


「…ちょっと親近感が湧いたよ。ハルも人間なんだね。」

「!」

「…なんだそれ。」

「ううん、こっちの話。」


ーーー

ーーーーー


「いや、もう立派な家政夫だよお前……」

「あはは、雇ってくれてもいいよ?」

「気が向いたらな。」


ーーー


…とても、

「……、そんなの、信じられる訳ないだろ。」

目の前の奴らと…同類だなんて思えない。

「信じるも何も、それが事実だからなぁ?」

「……っっ、んなの、何を根拠に…!」

──と、その時、

《 ガシャァァンッ 》

「!!」

大きな音を立てて近くの窓ガラスが割れ、…そこから人影がひとつ飛び込んできた。

「…思ったより、早かったな。」

「…っ、ハ、ハル…!?」

そしてその人影──ハルは、庇うように僕の前に立つ。

「……來から離れろ。」


「残念だ。来るのがもう少し後だったら、お前のせいで人が死んでいたところだったのにな。」

「っ……離れろと言っている!!!」

…全く聞く耳を持たない目の前の奴らが癪に障り、思わず声を荒らげる。

「まあ落ち着けよ……かつての同朋にそんな口を聞かないでくれ。」

「……っっ、何のことだ。」

「認めないか…まあいい。」

──と、

「…お前の目の前で、この陰陽師を殺すのが目的だからな。」

「……!!」

鴉天狗がこちらに向かって手を翳すと……底無しに深い紫色の呪弾が、ソイツの掌で大きくなっていく。

「っっくっそ……!!」

…翼を消している、今の人の姿では、


ーーーーー


「…人の姿のままだと呪力が使いづらいの?」


ーーー


…あの時焔が言っていたように、呪力が思うように使えない。縛られている來を呪弾から守り切る程の術が打てないのだ。…だが、今翼を出してしまえば、

「……っおい解け!!こんなの卑怯だろ!!」

「…………っっ……、」

……今度こそ、正体をバラすことになる。

「ハハッ、よく鳴く犬だ。」

「…ハル、そこでよく見ていろ。」

「──お前のせいで人が死ぬ。」

そう言い放ち、ソイツが呪弾を來に向かって放った───


──その時だった。

バサッという音と共に…僕を呪弾から庇うようにして、目の前に黒い翼が現れた。

「……!!!」

翼の持ち主を、目で追うと、

「……っ、ハル……!?」

「……、お前…、」

思わず言葉を失う僕に、彼は一瞬だけ苦しげな視線を投げた。…そして、また“敵”に向き直る。

「…相変わらず卑怯なヤツらだな。」

「コイツに手出したら、俺が庇うって読んでたんだろ。」

「そこまで分かっていても尚そうするとは…余程その陰陽師に情が移ったんだな。」

「だったら何だよ、見殺しになんてすると思うか?」

「ハハッ…愚かな裏切り者だ。」

「さて、これで信じて貰えただろう?…陰陽師。」

「……っっ、」

…出来ることなら反論したかったが、目の前の翼は間違いなくハルのモノだ。

「…ごめん、來。ホントはこうなる前に…ちゃんと話すつもりだった。」

「っハル、ちが…」

…違う?

何も違わないじゃないか。

だって、ハルは──

「……っっ、…こんなのって…………、」

僕は、何と返せば良いのだろう。…辛そうなハルに、何も声を掛けられずにいると、

「…なぁ、陰陽師。」

「!」

「目の前にいる、お前が今まで介抱してきた存在は……お前の敵である『妖怪』だぞ?」

「──祓わないのか?『陰陽師』として。」

「…………っっ……!?」

どうしろって言うんだ。

──コイツを、祓う?

……僕が?

「……、」

「……そんな目で見んなよ、俺にそれを決める権利は無い。」

ハルが自虐のように微笑んだ。

「…そもそも、死んでもいいって覚悟で人里に降りたんだ。」

「どうせ殺されるんだとしたら…俺はお前がいい。」

こちらに向き直ったハルが、抵抗の意思が無いことを示すように──広げていた翼を下ろす。いっそ抵抗してくれたら良かったのに、なんて…我儘だろうか。

「…ハハッ、いい顔だ!…あぁそういや、拘束は祓うのに邪魔か。」

「まあどうせ結末は読めたし…解いてやるよ。」

背後からパキッという解呪の音がして、腕が自由になった。震える両手を、握り締める。

「……っ、」

律令なら…妖怪だと分かった相手に術を使うのは何の問題も無い。むしろ、妖怪相手に陰陽師が何もせず、見逃した方が罪に問われる筈だ。

(……嘘だろ、…祓うのか?)

未だに震える手を、無理やり札に掛けた……その時だった。


──ふと、思い出した。


ーーーーー


「俺ら『陰陽師』の仕事は、」


「「“妖怪から人間を守ること”──。」」


ーーー


「……!!」

ああ、そうか。やっと分かった……アイツが急にあんなことを言った意味が。

一歩、

二歩と、

ハルに歩み寄る。

そして目の前に立った時、覚悟を決めたようにハルが目を閉じた。そんな彼の前で……口を開く。

「…僕の、『陰陽師』の仕事は、“妖怪から人間を守ること”。」

ハルの服の袖を掴んだ。

「──“妖怪を殺すこと”じゃない。」

「……!!」

ハルが目を見開く。ずっと狭まっていた視界が、やっと開けた気がした。彼を安心させるように微笑む。

「──はァ……チッ。」

…と、鴉天狗の舌打ちが聞こえた。

「……誰だか知らないが、お前に要らない入れ知恵をしたみたいだな。」

ああそうか…コイツらが予測していたのは、僕の存在とその心の内まで。“変数”─焔の『入れ知恵』は、彼らにとって正に──

「──どう?…“計算外”だった?」

「!」

…図星か。鴉天狗の表情が引き攣る。

「あぁ……とても。」

明らかに苛立った鴉天狗が、僕をキツく睨んだ。

「……はァ、本ッッ当につまらない。」

と…鴉天狗が、掌に呪弾を作り出す。

「こうなったら──俺らがお前達を殺すしか無いようだ。」

「……っっ!!」

ハルが身構え前に出ようとしたので、…そっと肩に手を置きなだめた。

「っ來、」

「あははっ! 大丈夫だよハル。」

「…僕は強いから。」

札を取り出し正面に構えると──自身の呪力に呼応したソレから、無数の雷が走り周囲を照らす。

「──人に仇なす妖怪共、無事で帰れると思うなよ。」



…言うなり、來は落ちていた木材を拾い上げる。先程俺が壊した窓枠の一部と見えるが…アレをどうするのだろう。

──と、

「…雷切(らいきり)。」

彼がそう唱えると、

「……!!」

棒切れでしか無かったソレは──稲妻を纏った神剣へと姿を変えた。

「…数で勝っている相手に、剣一本で挑む気か?」

「あと十本程出しても構わないけど、お前達相手ならこれで十分だよ。」

「……舐められたモノだな。」

長の合図を筆頭に、鴉天狗達が一斉に來へ飛びかかる。先程來から「手を出すな」と無言の圧を食らった気がしたので、何もしないつもりでいたが…やはり助けるべきかと思い一歩踏み入れた─その時だった。

「──迅雷(じんらい)!」

唱えると同時に──來が神剣を地に突き刺した。

……すると、

「──っっ!?!」

とてつもない轟音と雷撃が剣に落ち、眩さに思わず腕で目を覆う。…辺りを包んだ真っ白な光が収まったあと、目を開けると…

「!」

「……ぐっ、うぅ……あ゙……」

──あれ程居た鴉天狗が、漏れなく地面に伏していた。…信じられない光景に目を見開く。

「…ハルの前だし、流石にこれくらいで見逃してやるよ。」

神剣の武装を解いた來が、棒切れに戻った木材を放る。

「その代わりに…二つ、条件だ。」

「っ゙…何、だ。」

苦しげに呻く鴉天狗にも、冷酷な視線を緩めず彼は続ける。

「一つ、二度と人里に降りてくるな。」

「…そしてもう一つ、」

「ぐっ、!」

──彼が長の胸ぐらをきつく掴み上げた。

「二度と、ハルに危害を加えるな…!!」

「!」

先程まで冷淡だった來が、急に声を荒らげる。…そんな彼から聞こえたのは、俺の名だった。

「…ッハハ、先に、群れ、を…乱したのは、ソイツ…、っ!! 」

「!」

未だに減らず口を叩く鴉天狗に──來が脳天へ札を突きつける。

「…もし之らを破ったなら、お前の首と胴は泣き別れだ。」

「ぐっ…貴様…」

「…『貴様』だと?どうやらまだ己の立場を俯瞰出来ないようだな。なら…」

…彼の札が粒子となり、短剣を形作ろうとしているのを見て──

「──っ來!」

「!」

思わず──彼の腕を掴んだ。

「…っ、もういい。お前は…そんな奴じゃない。」

これ以上は、“不必要な蹂躙”だ。來は…彼らとは違う。そんな奴じゃない。

「……っ、」

…來が、掴んでいた胸ぐらを投げ捨てた。

「っ、がっ…!」

床に叩きつけられた鴉天狗が呻く。

「……沈黙は、承諾と受け取って良いな。」

彼が、一言も喋らずにいる鴉天狗にそう吐き捨てた。…そして、こちらに向き直って言う。

「──帰ろう、ハル。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「はァ…本当にごめん。」

「焔にも『すぐ周りが見えなくなる』って言われてたのに…」

共に山道を下っていた時、來がそう口にした。先程までの威厳は何処へ霧散したのか、今は俺の隣でしょぼくれている。

「ははっ、別にいいよ。」

「…誰かの為に本気で怒れるのは、お前が良い奴な証拠だ。」

「あはは…ありがとう。」

「でも僕、この性格のせいで失敗したこともあるんだよ…。」

「?」

「例えば?」

訊ねると少し躊躇した後、來が話し始めた。

「ええっと…僕が本部で働いてた頃の話なんだけど。」

「…お前、本部に勤めてたことがあったのか?」

「うん…実は。」

「んでその時、子供を連れ去る非道な妖怪の討伐に当たってて。」

「何とか山奥まで追い詰めた時…その妖怪、何て言ったと思う?」

「…『醜い大人に育つ前に、私がまとめて頂いてあげるの。』、だってよ。」

「…随分と自分勝手な奴だな。」

「だろ?だから僕頭に来ちゃって、」

「──その山ごと吹き飛ばしたワケ。」

「うんうん…、ん???」

「え、今なんて…」

「あ、勿論そうなる前に子供たちは全員保護したから、被害者はゼロだったんだけどね?」

「いやそこじゃなくて…え?…山一つ吹き飛ばしただって??」

「うん…その、やりすぎたとは思ってる。」

「……あ、はは…お前ってほんと…」

流石に笑うしかなかった。…道理で焔がああ言っていた訳だ。


ーーーーー


「──“本部”でも通用するくらい、実力のある奴だし。」


ーーー


…と、

その言葉を思い浮かべていて、ふと気づいたことがあった。

「もしかして來が地方勤めなのは…その本部からの命令か?」

「え?そうだけど…よく分かったな。」

「その事件のあと、本部から急に地方への異動を命じられたよ。」

「そ、そうか…。」

……コイツが地方へ飛ばされた理由が、何となく分かった気がする。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「…なるほど、そんな感じで無事帰ってきたんだ。」

ハルと共に月影亭へ戻ると、何故か勝手にお菓子を漁り寛いでいた焔に出迎えられた。ので軽く手刀を入れ「お前ん家じゃねぇんだよ!」とツッコんでから、彼に事の顛末を話した次第だ。

「エェー?!ハルが鴉天狗ゥー?!」

「はァ…どうせあんな“アドバイス”僕にしたってことは、全部知ってたんだろ?白々しい奴だな…」

「本当、俺の事を一番初めに見抜いた奴が良く言うよ…」

「あっはは!」

笑い飛ばした焔に溜息を吐いたハルが、…そういえばと口を開く。

「というか、來があんなに強いとは…思ってもみなかったな。」

「でしょ?」

「ホントに、なんで本部で働かないのか不思議なくらいだよ〜」

「そんなのは僕を地方へ飛ばした本部に言え。」

「確かに!何で本部は來を地方へ遣ったんだろう?」

「不思議だよね〜ハル?」

「…そっ、そうだな…。」

何故かハルが、そっと僕から目を逸らす。その様子を見てケラケラ笑っていた焔が…ハッと何か思い出したように時計を見た。

「やっば!!俺今日やんなくちゃいけない仕事あったんだ…」

「へぇ。そろそろ帰ったら?」

「つ、冷たいなぁ來…」

苦笑いを浮かべ席を立とうとする焔に、

「…あ、そういや焔、」

…ハルが声を掛けた。

「?」

「どうしたの?」

「…“アドバイス”、ありがとう。…役に立ったよ。」

「おお〜!そりゃ良かった、どういたしまして!」

「まあ二人とも無事に帰ってきたってことは、そうだと思ってたよ。」

自分の策が上手くいったことに満足そうな焔は、サラッとお菓子を一掴みする。そして「またお前達の資料まとめる時に来るよ!」とだけ言い残し、嵐のように去っていった…。

…思わずハルと目を見合わせる。

「ほんと、色んな意味でスゴい奴だな…。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…そんなこんなで色々あった次の日、僕の部屋にハルが入ってきた。

「……來、話があるんだけど。」

やけに神妙な面持ちの彼に…何となく内容を察した。

「…どうした?」

「俺…」

「──此処を出ていくよ。」

「……」

「…その後、どうするつもり?」

「あの山に…帰る。」

「……、」

「お前が、俺に危害を加えないようにって…アイツらに約束させてくれただろ?」

「…これ以上此処に残って、お前に迷惑を掛ける訳にもいかない。」

「…そっか。」

きっとそう言うと思ってはいたが…僕の返答は、彼の“本当の意思”次第だ。

「ハル、一つだけ聞かせて。」

「…本当にそうしたいの?」

「……、」

「─うん。」

震える彼の手と、

合わない視線。

それから…今までの思い出。

…色んなことを思い浮かべ、返事を決めた。

「うん…分かった。」

「……、」

「──ハルは嘘が下手だね。」

「!」

…彼の頭に、ぽんと手を乗せた。

「っ、來…、」

知ってるよ。

言えない本心がある時、お前には目を逸らす癖がある。

知ってるよ。

お前が、自分を犠牲にしてでも誰かの幸せを願える、優しい“ヒト”だって。

…全部、ちゃんと分かってる。

「…そういや、昨日は色々あったからマトモにご飯食べてないな。」

「…え?」

「『え?』って……前『気が向いたら家政夫として雇う』って言ったの、覚えてない?」


ーーーーー


「いや、もう立派な家政夫だよお前……」

「あはは、雇ってくれてもいいよ?」


「…気が向いたらな。」


ーーー


「あれだけ働いたんだ、僕もうお腹ペコペコだよ。」

彼の両肩をバシッと叩いた。

「…さ、早くご飯作って!」

「…っで、でも、」

「何だよ、家主に文句は言えないんだろ?」


ーーーーー


「──俺は住まわせて貰ってる身分だし、家主に文句言う権利はねぇよ。」


ーーー


「……あっ…。」

「分かったら、早くお前の部屋に纏めてあった荷物解いてこい。」

「えっ、そこまでバレて…?!」

「当たり前だろ家主舐めんな!」

…と、きょとんとしたハルが、急にくすりと笑う。

「?何だよ。」

「いや…お前は優しいな。」

「え?」

「昨日も、俺が仲間意識の強い鴉天狗だって知ってたから、」

「…わざとアイツらにトドメを刺さなかったんだろ?」

「……、」

「…さあ、どうだろうね。」

勿論そのつもりもあったし、そういうことにしても良かったが…敢えて何も言わないでおいた。

「──そんなことより!」

「!わ、ちょ、押すなって!」

「ほら早くご飯作って!せっかく雇うって言ってるのに、僕の気が変わるぞ!」

「わ、分かった分かった!」

「……その、來、」

ハルが、身体をこちらへ向け直す。

「ん?」

「…拾ってくれたのが、お前で良かった。」

「──ありがとう。」

「……!!」

思わず目を見開いた。

「……こちらこそ、あの時は助けてくれてありがとう。」

「僕も──出会ったのが優しいお前で良かった。」



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



「ゔぅ〜…何たる退屈さ…」

本部まで戻ってきた俺は、昨日に引き続き書類仕事を片付けていた。「焔さんが二日間遊んだツケですよ」と部下に言われたが、俺は來の家にちゃんと仕事をしに行っていたのだ…半分くらいは。

「はァ…コレに加えて溜めてた分の仕事もかぁ…」

せっかく友達の家まで行っても、やっぱり仕事に追われこんな風に帰ってくるとは。全く…我ながら嫌なことを先に終わらせないのは、本当に悪い癖だ。

…とはいえ、

「…今回は“面白いコト”聞けたし、プラマイゼロってとこかな?」

來とハルから聞いた事の顛末はどれも面白かったが……ひとつ、飛び抜けて興味深いモノがあった。


ーーーーー


バサッという音と共に…僕を呪弾から庇うようにして、目の前に黒い翼が現れた。


ーーー


……そう、ハルが來を庇った時の事だ。

──自らの“翼”を使って。


「…『鴉天狗の翼は、大切な人を護るためにある』…ってね。」






      ──誰が為の翼──



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰が為の翼 九重ショコラ @Chocola_HeartEcho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ