第6話加護無き神様
黒市場
加護無き神様
愛の光なき人生は無意味である。
bシラー
第六商 【 加護無き神様 】
「今日も、空が綺麗ねえ」
「そうですね」
「明日は天気が崩れるみたいね」
「ええ、そうみたいですね」
そんな他愛無い会話をする、毎日だった。
「ギルドさん、お譲さんがいるんでしたっけ?」
「ええ。まだ十になったばかりで、可愛いのよ」
看護師の女性と楽しそうに話しながらも、腕に打たれた点滴は無機質に体内に入り込み、彼女の体調を管理している。
「また会いに来てくれるんでしょう?ギルドさん、とても嬉しそうにしてますものね」
「ええ。とっても嬉しいの。けど、私はあの子が大人になるまで生きていられるのかしらね・・・・・・」
ギルドという女性は、まだ四十二であったが、ガンを宣告されてからというものずっと入院をしていた。
子供産むのはどちらかというと遅い方で、子供はまだ十になったばかりらしい。
夫と自分の両親が面倒を見てくれているとはいえ、毎日でも会いたい我が子を思い出す度、胸が苦しくなる。
ガンは治ると言われて治療を始めたのは良いが、なかなか退院出来ない。
その頃、医者たちは話合っていた。
「ギルドさん、もう長くはないだろうな」
「ああ。軽いものだと思っていたんだけどな・・・・・・。この国の医療技術じゃあ、もう治せないところまで来てるようだ」
「どうする?本人には話しておくべきか?」
「いや、まだ言わない方がいいんじゃ・・・・・・」
「家族には?」
「尚更言えないだろう」
そう、ギルドは治ると信じている彼女のガンは、すでに転移が進んでおり、今の技術では治せないものだった。
家族も治ると信じてギルドと離れて暮らしているというのに、何とも言えない。
「お母さん!」
「あら!よく来たわね!」
愛娘との再会に笑顔になるギルド。
夫や両親も来てくれて、そんな時間を大切にしようと、ギルドも心からその日を楽しんで過ごした。
そしてまた、何も変わらない朝が来る。
「ねえ、お母さんの病気、本当に治るの?」
「え?」
急に、娘から聞かれて、ギルドは即答出来ずにいた。
「だって、すぐ治るよって言われてから、もう二年経つんだよ?そんなの全然すぐじゃないもん!先生たち、嘘ついてるんだよ!!」
「何言ってるの。時間をかけて治してるのよ。もう少しだから、良い子で待っててね?」
「んー・・・。分かった」
聞きわけが良くなったのは、自分がこうして病気になってしまったからだろうかと、娘が唇を尖らせているのを見て思った。
我慢させてるんだろうな、と、ギルドは娘と約束をする。
「いい?お母さんの病気が治ったら、一緒にドレス見に行きましょう。それを着て、美味しい食事をしましょう。ね?どう?」
娘も年頃だが、なかなか欲しいものも欲しいと言えない環境なので、好きな洋服を買ってあげられなかった。
ギルドの言葉に目を輝かせた娘は、コクコクと大きく首を上下に動かした。
「あ」
「なに?」
帰ろうとした娘たちだったが、急に娘がギルドの傍に寄ってきて、こっそりと言う。
「噂でね、聞いたんだけど・・・・・・」
「ねえ?」
「どうかしましたか?」
「イオって人のこと、聞いたことある?」
「え・・・・・・」
看護師の反応から、どうやら聞いたことがあるようだと感じたギルドは、ちょっとした興味から聞いてみる。
「願い事を叶えてくれる、とても親切な人だって聞いたの。本当?」
困っているような、挙動不審になる看護師を不思議に思いながらも、ギルドはにこっと笑いかける。
しかし、看護師は誤魔化す様に笑い返してきた。
「何言ってるんです?誰ですか、それ?私、初めて聞きましたよ?」
「・・・あら、そう?そうよね、噂だものね」
フフフ、と笑いながら部屋を出て行った看護師だが、明らかに何かを知っている様子だった。
娘の話だと、そのイオという男は、何でも欲しいものをくれるし、病気だって治して欲しいといえば治してくれると思う、という。
その代わり、何かを代価として払う必要があるようだ。
その時、ギルドには多少の貯蓄があったため、全財産を渡してでもこの病気を早く治し、家族と暮らしたいと思っていた。
病院の敷地内を散歩しているときでも、他の入院患者に話を聞いたり、看護師や先生から話を聞く日々を始めた。
こういうところにおいて、噂好き、話好きな人と言うのは必ず一人はいるもので・・・・・・。
「あー、知ってる知ってる」
「本当?詳しく、聞きたいんだけど」
それは、十代の若い女性だった。
彼女は特に重い病気をしているわけではなく、彼氏が無免許運転したバイクに一緒に乗っていて、足を骨折したのだという。
まさか娘もそんな男と付き合ってはいないだろうな、と心配もしたが、きっと大丈夫だろう。
「ってかおばさんさー、もしかしてイオのところ行く心算なわけ?」
「いえね、ちょっとだけ話を聞いておこうかなと思ってね」
「ふーん」とコーラを飲みながらギルドを見ていた女性だが、ギルドにそっとお金を渡されると、ニヤリと笑う。
「おばさん、わかってんじゃん」
「教えて、お願い。私、病気を治したいの」
「しょうがないなー。まあ、私も他の人から聞いた話だからさ。本人に会ったわけじゃないし。それは理解しておいてよね」
「ええ。わかったわ」
ギルドは身を乗り出し、女性の話に耳を傾ける。
「イオってのは、この国のどっかに住んでる男。ま、普通の人がいかないような場所にいるってわけ。で、あれが欲しい、これが欲しい、あーしてこーしてって頼むと、これが不思議。魔法みたいに叶ってるってわけ。種も仕掛けもない、イオの力。けどね、噂を聞いたことがあるなら知ってると思うけど、イオが願いを叶えるときっていうのは、自分から何かを失うことだから。けどね、なぜかお金とか命は取らないらしいよ。なんでかっていうと、それは分からない。もともとそういうのには興味ないのか、それとも別の理由があるのか・・・・・・。まあ、おばさんも病気をどうしても治したいって言うなら止めないけどさ、どっちかっていうと、会わない方が良い人種だよ、その男はさ」
「そう・・・・・・」
「あたしの友達でイオに会いに行こうとした奴がいるけどさ、なかなか会えないってよ。それに、万が一会えたとしても、追い返されるのがオチだよ。ああ、そうそう。イオの奴の特徴だけど、目が赤いんだってさ。これも噂でしかないんだけどね」
「じゃーねー」と言って、女性はひょこひょこと去っていってしまった。
「・・・・・・」
ギルドは、考え込んでいた。
確かに、女性の言うとおり、会わない方が良いような気もしてきたのだが、逆にもっと、会いたいという気持ちも高まってきた。
何かを犠牲にして少しでも命が伸びるなら、それでも良いのでは、と思ってしまったようだ。
その日ギルドは、夜病院を抜け出した。
そして、イオを探した。
「いないわね・・・・・・」
やはりそんな簡単に見つかるような存在ではないのだと、だからこそみんなの噂の中で大きく取り上げられているのだろう。
ギルドはさっさと諦めて帰ろうと振り返ったとき、ボスン、と誰かにぶつかってしまった。
「ごめんなさい」
「・・・・・・」
目の前にあったのは茶色の布だが、きっと男の人の胸板だろうと分かった。
顔を見ようとゆっくり首を動かしてみると、そこには有り得ないような奇跡があった。
「あなた!」
「・・・・・・」
フードを目深に被っているが、瞳が赤いのは明らかだった。
嬉しさと恐怖と喜びと不安と、様々な感情がギルドの中でぐるぐると渦巻いている間に、男は何も言わずにギルドの横を通りぬけた。
それを必死に止めようと布を掴むと、男はギルドを軽く見る。
「あなた、イオ、さん、かしら?」
「・・・・・・」
肯定も否定もしてこない男だが、絶対にイオだという確信がなぜかあったギルドは、その場に両膝をついた。
「お願いします!!娘が十六になるまでだけでいいの!!!この命を・・・引き延ばしてほしいの!!!もう、あなたしか頼れないの!!!」
いきなり土下座をしてお願いをしてきたギルドを、驚いた表情もせずに見下ろしていたイオ。
しばらく頭を地面につけていたギルドだが、何も言ってこないイオを不思議に思い、顔を少しずつ上げて行く。
イオの背中には、きっと地球に近づいてきたであろう、月が大きく浮かんでいた。
逆光になっているためイオの表情はよく分からないが、目だけがそこにいることを示していた。
「あの・・・どうか・・・どうか・・・」
「何故ですか?」
「え?」
「何故、命を乞うのですか」
降ってきた言葉は、思っていたよりもずっと冷静で優しくて、想像していたよりもずっと低くて幼かった。
「私、今ガンで、入院しているの。でもね、娘はまだ十で、せめて、この国で大人と認められる十六になるまでは生きていたいの。もう、私は長くないわ。自分で分かるの。看護師さんや先生が隠していても、自分の身体よ?自分が一番良く分かってるわ」
「・・・何故、娘さんのために生きたいのですか?例えあなたが死んでも、娘さんは大人になります。それを見届けたいという理屈はなんです」
「理屈も理由もないでしょう?親って、そういうものよ」
ほんの少し、イオの表情が曇ったようにもみえたが、きっと気のせいだろう。
ゆっくりと立ち上がると、ギルドはイオを見てにこりと笑う。
「母親っていうのはね、お腹を痛めて子を産むのよ。それは、並大抵の痛みじゃないの。けど、その痛みを超えた時、とっても愛おしいものを手にするの。それまでの痛みなんて吹っ飛んでいくわ。子を自分の腕で抱いた時は、この子をずっと守っていくんだって、愛して行くんだって、そう思うの。誓うの。大きくなってどんなに喧嘩をしても、傷つく言葉を言われても、最後まで味方でいてあげたいって思うものよ。それが、母親」
ほがらかに微笑むギルドの言葉に、イオはゆっくりと瞼を上下に動かす。
「子供って、あっと言う間に大きくなっちゃうでしょう?その一日一日を、見守っていたいの。無事に大人になれば、ひとまずは安心、ってところかしら」
きっと娘のことを思っているのだろうギルドは、まるで諭すようにイオに話しかける。
しかし、イオの表情は特に柔らかくなることもなく、淡々としている。
ギルドの顔を見ながら、捨て台詞を吐く。
「去れ」
「え」
踵を返し、自分から遠ざかって行こうとするイオの背中を眺めていたギルドだったが、身体が勝手にイオを追う。
「ま、待って!!!」
自分よりも背が高く、その分足が長いイオは歩くのも早いため、どんどんギルドの先を行ってしまう。
小走りで追って行き、なんとかイオの前まで出ると、両手を出してイオを止めた。
「待って!!!お願い!」
「・・・・・・」
はあはあ、と息があがっているギルドは、深呼吸をして落ち着こうと深く息をする。
「私はね、この病気になってから、いつ死んでも良いように生きてきたわ」
また話し始めたギルドを見て、小さくため息を吐いたイオ。
「けどね、死ぬと覚悟してから時間が経ってしまって、死ぬのがだんだん怖くなってきたの。娘たちが頻繁に会いに来てくれると、生きたいって、もっと生きたいって、思うの。あの子が大きくなったらどうなるのかしらとか、悩み事なんかも出来るのかしらとか、反抗期が来て口きいてくれなくなるのかしらとか。長く生きられないなら、せめて、せめて、あの子が一人前になるまでは・・・・・・。それだけでいいの。あと数年だけでいいの」
「・・・・・・俺には理解出来ない。死ぬのがなぜ怖いのか。人はみないつか死ぬものだ。それを拒むことも断ることも出来はしない。摂理として受け止めなければいけない。運命だの定めだの、そういう言葉を使うのは好きではないが、死から逃れることは出来ない。潔く散るのもまた人生だろう。生にしがみ付くのは人間だけだ。・・・・・・どれだけ議論をしても、分かち合えない。さっさと立ち去れ」
冷たく言い放たれた言葉たちは、ギルドの心臓を貫いた。
まるでナイフで身体のあちこちを切り刻まれたような、まるで氷のはった湖に沈められてしまったかのような。
それでもギルドは、諦められなかった。
「じゃあ、気が向いたら、お願い。私の寿命を少しだけ、少しだけ、伸ばしてください」
「・・・・・・」
「神様だって、気まぐれなものよ?貴方は人間。もっと気まぐれなはずだもの。私も運命っていう言葉はあまり好きではないわ。もう決まってしまっているかのような言い方だもの。けど、変えられるでしょう?道は幾つも用意されているはず。私は、細くてどこに向かっているか分からないような、そんな頼り無い道にも縋るわ」
「・・・・・・。神と比較されるのは心外だ」
先ほどとは違い、否定的な言葉は言わずに去って行ったイオの背中をまた眺め、ギルドはほんの少しの希望を見た。
そして、病院に帰る。
「で?」
「・・・・・・」
「親の心子知らずって言うしな。まあ、お前には難しい会話内容だったのかもな」
「英明。なぜ此処にいる」
「鍵が開いてたから。・・・いやいや、悪かった。俺が悪かった。だからその目で睨むな。マジで殺されそうだ」
以前にもイオのところに来たことのある英明という男。
白衣を着ていていかにも医者っぽいのだが、不衛生にも煙草を咥え、髪の毛もちょっとボサボサで眠そうにしている。
だが、イオは不快そうな顔をしておらず、英明が座っている椅子の隣の椅子に腰かける。
暖炉から感じる暖かさは、眠気さえ覚える。
「この前翔の奴が、仔犬を拾って来たんだ。あいつの性格からして、猫より犬っぽいだろ?ああ、それはどうでもいいとして。でよ、その犬が最近順調にでかくなってきてよ。ジャンプすると翔の腰あたりまで来るんだ。もっとでかくなるらしいから、きっと胸あたりまで来ちまうんだろうなー」
「・・・・・・それがどうかしたのか」
「話が逸れた。で、犬だとしてもよ、子供を育ててるみたいな感覚になるらしくて、翔の奴、『ビクトリアン、お前もいつか、俺より先に死んじまうんだな。そんときは、でっかい墓を作ってやるからな』って言いだしたんだ。あ、ビクトリアンっていうのは犬の名前な。それを思い出しただけだ」
「・・・・・・」
何を言いたいんだこいつは、という目つきをしていたのか、それを察した英明は煙草の吸殻を暖炉に放り投げる。
「つまり、血潮かけて育ててきた“子”って存在は、特別ってことだ」
「・・・・・・理解出来ない」
「親ってのは、子供の為なら何でもするぜ」
英明は懐に入っている煙草を一本取り出し、火をつけようとライターかマッチを探すが、ポケットにも部屋にも見当たらなかったため、暖炉の火をもらう。
ぷはー、と口から煙を出すが、イオは決して嫌な顔はしなかった。
「まあ、世の中の親がみんな子に愛を注いでるかって言うと、そうでもねぇだろうがな」
ライターは無かったのになぜか携帯灰皿を持っている英明は、落ちそうな灰をその中にぽんぽん、と落とした。
それから数分、二人して何も話さない沈黙の時間が続いた。
首を横に動かすと、ぽきぽき、と音を出しながら、英明は天井を見上げる。
「この世に神なんていない」
ぽつりと言った英明の言葉に、イオは一瞬だけ身体を動かす。
「お前が俺に向かって初めて言った言葉だ。覚えてるか?」
「・・・・・・いや」
「そうか。まあ、お前に何があったのかは知らねえけど、昔っから人と壁作ってきたみてぇだし、正直、そういう奴らばっかりだよ。俺の周りにはよ。俺も含めて」
「・・・・・・」
いつから知りあいなのかと聞かれても、よく覚えてはいない。
いつからこうしてたまに会うのかと聞かれても、それもよく分からない。
しかし、他人とは理解し合えないと思いつつも、こうしてちょくちょく会っている時間がもどかしく感じないのは、似ているところがあるからだろう。
だからといって、互いに干渉することもなく、過去のことを聞くこともしない。
聞いたからと言って過去を消せるわけではないし、未来がどう変わるわけでもないし、知らない方が良いこともある。
「この前、変わった奴が来たんだ。そいつも翔と同じくらいの歳でな。やっぱり生きて行くのが面倒だの人と付き合うのが面倒だの、お前らと似てたよ。けどな、そいつはふとしたとき、未来に前向きになるんだ。生きて行くのに、神なんて必要ねえんだよ。俺達は選ばれて生まれてきたわけじゃあねえんだ。馬鹿な奴は、自分が選ばれた人間だのなんだのとほざいてるが、それは違う。産まれた命も消えて行った命も、全部が同じ価値がある。神に縋って生きるのも、個人の自由だ。神に頼らず生きて行くのも、またそれも自由。ってな」
「・・・・・・」
ふー、と何回目かの煙を出した後、短くなった吸いがらを携帯灰皿に入れる。
消えかけの月を少しの間眺めたあと、英明は椅子から立ち上がり、イオの頭をぐしゃ、と撫でまわした。
眉間にシワを寄せたように見えたイオだが、諦めたように小さくため息を吐いた。
「じゃ、俺は戻る。何かあったらこっちに来い。面倒見てやるから」
「・・・・・・行かない」
「分かってるよ。もしもだ、もしも」
英明が行ってしまったあと、イオは独りの空間に佇んでいた。
―月を見て歌いましょう 星を見て踊りましょう
いつでもあなたを見守る光
失ったものを思い出すより 今あるものを愛しましょう
風より運ばれし命の為に
月を見て繋ぎましょう 星を見て契りましょう
いつでもあなたを包んでいますと
忘れたものを取りに行くなら 今あるものを守りましょう
土より産まれし息吹の為に
そして眠るあなたは 小さな小さな鼓動
ひとつは唄を灯し ひとつは夢を零し ひとつは愛を残し
またひとつは朝を戻す―
規律や世論を身に纏うばかりに、見失ってきたもの。
誰が誰の為に唄った唄なのか、分からないのに受け継がれていく。
ギルドの容体は、急変していた。
急に病院から連絡がきたため、娘たちはみな毎日朝から晩までギルドの見舞いに来ていた。
「ここ一週間が峠でしょう」
「そんな・・・!!!」
その日、娘はギルドの病室で寝ることにした。
しかし、夜中に意識を少しだけ戻したギルドは、娘の頭をそっと撫でたあと、その身体でどこかへと向かって行った。
それが何処かなど、言う必要もないだろうが。
フラフラとした足取りのまま歩き続けていたが、途中で体力が無くなってきて、廃屋の壁に凭れかかるようにして倒れた。
このままもう娘とも会えずに死んでしまうのかと思っていたギルドだが、聞き覚えのある声が耳を掠めた。
「またか」
「・・・・・・あ、あなたは」
以前、自分の命を伸ばしてほしいと願った。
神だと崇める者、悪魔だと罵る者、ソレを説明することは到底困難で、ソレだと理解出来るのは、人とはかけ離れた赤い瞳と紫色の髪の毛を持っているから。
しかし、彼は本当に神なのか。それとも本当の悪魔なのか。誰も知らない。
それでも彼を求めてしまうのは、人間が弱いからなのか。
「おね、がい・・・!!!」
ギルドの顔色や様子、医師でもないイオにもギルドの容体が分かるのは、それらのお陰だ。
「も、私は、死ぬわ・・・。お願い・・・何でもするわ。娘のためなら何でもする!何でもあげる!!!だから・・・」
ギルドが全部言い終わる前に、イオは立ったままギルドを見下ろして言う。
「・・・親というのが良く理解出来ない。だが、少し興味がある」
「え?」
「貴様の願い、叶えてやる。だが、等価とするものは俺が決める。それが貴様にとって後に地獄となろうがそれでも構わないというのならな」
なぜか今回に限ってあっさりと引き受けたイオの言葉に、多少の疑問を持とうとしたギルドだが、それよりも嬉しさがこみあげてきた。
「ありがとう、ございます!!!このご恩は・・!!!」
「わかったらさっさと去れ」
またもや冷たく言い放たれてしまったが、ギルドは涙を流しながら、イオの背中に向かって何度も何度も頭を下げた。
地獄が来るか天国が来るか、答えなど決まっているのに。
気付くと病室で寝ていたギルドだが、周りにいた家族がみな一斉に喜んだ。
「お母さん!起きた?」
「大丈夫か?」
「あのね、もう大丈夫だって!!!よくわかんないんだけど、ガンが消えてるんだって!!もう、家に帰って普通に生活できるって!!!」
急に転移していたガンも全て消えてしまったという不可思議な出来事で、しばらく通院はするようにとのことを言われたが。
それでもいきなりの回復と退院に、みなが声を挙げて喜んだ。
退院してからというもの、ギルドは今まで娘にしてやれなかったことを精一杯やろうとした。
何も起こらないまま、数年が経とうとしていた。
「もうすぐ十六ね。いよいよ大人の仲間入りよ」
「うん!ねえ、十六の誕生日に、欲しいものがあるの」
「なあに?」
自分の娘とは思えないほどに立派に育った娘が、いよいよ今年十六になる。
その嬉しさでギルドは胸がいっぱいだった。
「へへへ。あのね、鏡が欲しいなーって」
「鏡?」
「うん!ほら、化粧とかで使う、ちょっと大きめのやつ・・・。今使ってるの、割れてるし、今みんな大きめの使ってるから・・・」
もっと大それたものを頼まれるのかと思っていたギルドだが、控えめな娘のわがままが可愛くて、思わず笑ってしまう。
「なによー」
「ううん、なんでもないわ。いいわよ。買ってあげる」
「本当!?ありがとう!!!楽しみ!!!」
最近の子はどういうのが好きなのかと、ギルドは1人で街に出かけ、色々と店を見て回る事にした。
すでに、イオのことなんて忘れていた。
娘の喜ぶところが見たくて、ギルドは沢山ある可愛らしい鏡の中から、一番良いと思うものを候補として買っておいた。
以前娘と買い物をしていたときに、欲しそうにしていたものと似ていた。
それを持って家に帰り、綺麗に包装されたそれを棚の奥の方に隠すようにしまい、娘が帰ってくるのを待っていた。
しかしなぜか、その日、娘はなかなか帰ってこなかった。
夜になっても何も連絡が無く心配をしていると、いきなり電話が鳴った。
「はい」
それは、娘が事故にあったという連絡だった。
急いで病院に向かい、娘が搬送された部屋まで案内されると、すでに危うい状態だと言われた。
複数の管が娘の身体を通っていて、機械には数字が表示されている。
「娘さんは、道に飛びだした子猫を助けようとして・・・」
事故に遭った理由なんて、耳には入って来なかった。
確かに、娘は動物が好きだったし、動物だろうとなんだろうと、命あるものは大切にしなさいと教えてきた。
けどこんなときには、こう思うのだ。
「猫を助けるなんて・・・」
夫も来て、祖母や祖父も来て、娘のことを見守っていた。
娘の誕生日などとうに過ぎてしまった。
何日も何日も病院に来る生活を続けていたギルドだったが、いつまで経っても回復の兆しが見えない娘を見ていられなかった。
ある日、病院を出て、ゆっくり心が休まる場所を探した。
「どうしてこんなことに・・・・・・」
カフェにいても、お洒落な洋服店を見ていても、のどかな公園を歩いていても、頭から離れることはない。
当然といえば当然なのだが、自分が変わってあげたいと思う。
「・・・・・・!まさか」
その時、ふと感じた。
―あの男の仕業では?
そうに違いないと、ギルドは怒りと憎しみと恨みを抱いたまま、男を探した。
なかなか見つからないまま数日が過ぎ、ギルドは諦めようとした。
病院に戻ると、信じられない光景があった。
「嘘・・・でしょう?」
「残念ですが・・・・・・娘さんは」
飛び出した。そして、探した。
すると今度は、男はすぐに見つかった。
「あなた・・・!!!」
「・・・・・・」
誰だ、と言いたそうな顔をしていた男は、赤い目をしていた。
「あなた、何したのよ!!!私の娘に、何かしたのね!?絶対に許さないから!!!絶対!!!絶対に!!!」
「・・・・・・」
感情に身を任せて男を怒鳴るギルドだが、男はさして気にせずに、手に持っていた木の実か何かを口にした。
そんな男の態度に、更に怒りを覚えたギルドは、男の目の前まで向かう。
「惚けないでよ!!!私の命を伸ばす代わりに、娘が事故に遭う様にしたんでしょう!!?あなたの仕業なんでしょう!!?」
「・・・・・・」
表情も変えずにギルドを見ている男に、さらに続ける。
「娘が事故に遭う変わりに、私は長生きしたの!?私は、娘が無事に十六を迎えるところを見届けられれば、それで良かったのよ!?なのに・・・!!!こんなのって!!!」
涙を流しながら訴えてみるが、男はやはり興味無さそうだ。
我を忘れて男の頬を叩こうとあげた腕は、あっさりと絡め取られてしまった。
そして、男はギルドを腕の力だけで撥ね退ける。
「・・・・・・勘違いをするな」
「何が勘違いよ!!!」
男は、ようやく口を開く。そして、ギルドを地獄に突き落とす。
「貴様の娘はもともと長生きする命じゃなかった。しかし、貴様は自分の命を伸ばして欲しいと言った。なんでもする、と言ってな」
「けど、事故に遭う事とこれとは・・・」
「事故に遭ったことが等価ではない。娘の寿命を貴様に分けただけだ。結果として、貴様は娘が十六になるはずの歳まで生きられる。しかし、もともと定められた寿命が短かった娘の寿命は更に短くなり、死んだ。だが、十六の誕生日までは生きられた。貴様も娘が十六になるまで生きられた。何も問題はないはずだ。貴様の願いは叶えた。後はどうなろうと知った事ではない。俺に乞いた、貴様の罰だ」
「そんな・・・残酷な・・・」
「人間というのは、つくづく甘いな」
娘を失ったギルドの心は、次第に暗い闇の中に吸い込まれていきそうだった。
目の前にいる男は、まるで人の心を持っているとは考えにくいほど、とても冷酷で冷静で淡々としている。
確かに、自分がこの男に頼んだのだ。何かと交換することも確認したはずだ。
それでも、この男に縋るほかに方法がなかったのも確かだ。
しかし、娘はまだ十六になったばかりだった。これからまだ、明るい未来が来るはずだった。
「貴様は忘れている」
男は、続ける。
「貴様には多少の命を分けただけだ。もうじき、娘と同じところに逝けるだろう」
「・・・!!!悪魔!!!」
何事もないように去っていく男の背中に、今言える精一杯の罵倒を浴びせた。
男はギルドの方を見ようともせず、こう言った。
「・・・神と崇められるより、よっぽどマシだ」
その場で崩れて行くギルドは、急に心臓発作を起こし、病院に運ばれた。
その後、ギルドがどうなったのかは、分からない。
この世界は、いつの時代か、どこかの場所に、存在した。
誰も知らない人知れぬ場所に、男はいた。
人は男を、“イオ”と呼んだ。本名は、誰も知らない。
神と崇める者、悪魔と罵る者、その誰もが男に乞う。
しかし、訪れた未来が必ずしも“幸”であるなど、有り得ない。
純粋な子供の夢も、罪深き若者の願いも、殻を破ろうとした少女の誓いも、未来を夢見た少年の祈りも、平凡な生活を愛した男の声も、娘を愛した故に禁忌を犯した親の嘆きも、全部、男は地に這わせた。
神はかつて、土くれから男と女を創った。
しかし、蛇に唆されて禁断の果実を口にしてしまった。
人はやがて、同じ過ちを犯した。
それは唆されたからなのか。それとも、自己の欲を満たす為なのか。
産まれながらにして罪を背負い、生きながらにして罰を受ける。
死とは、平等に与えられた神からの贈り物だ。
そんな言葉さえ嫌うのは、神を嫌いながらも、神扱いされている男。
「生も死も、俺はいらない」
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