第5話罪深い神様




黒市場

罪深い神様



 人間、志を立てるのに遅すぎるということはない。 ボールドウィン








































  第五商 【 罪深い神様 】
























  「あーあ・・・。つまんねーな」


  冴え無い男が一人、街中を放浪していた。


  何か目的があるわけでもなく、ただただ地面を蹴って歩くだけ。


  ジョシア、三十八はこの歳で独り身であり、権力も地位も名誉もお金も何も持っていない男だ。


  しかしここまでなんとか失業せずに来れたのは、信頼があったからだ。


  ジョシアは小さな工場で時計の製造や修理を行っているが、賃金はさいきんめっきり減ってきたし、臨時収入もない。


  男一人で生きて行くには足りるお金だが、どうも何に使ったらよいのかもわからない。


  欲もあまり無いためか、下の者からは慕われても、上の者からは煙たがられる。


  そんなこともあって、ジョシアは未だに下っぱの仕事をしているのだが、それでも不満はなかった。


  「懐中時計か・・・・・・」


  ふと目を惹くものがあり足を止めると、そこにはガラス越しに光懐中時計があった。


  「前に家にあったが、そういや、壊れてそのままだな」


  古い棚の奥にしまった自分の懐中時計のことを思い出しながらまた歩き出すと、誰かに声をかけられた。


  「やっぱり、ジョシアじゃないか」


  「あ、これは・・・・・・」


  ジョシアが働く工場の会長だった。


  どういったことをしているのか、はっきり言ってよく分からないし、興味もないのだが。


  ハゲかけているその頭を照らしながら歩いてきた男の隣には、お世辞にも綺麗とは言えない女性が立っていた。


  きっと、ハゲの女房だろうと、ジョシアは瞬時に判断した。


  「お世話になっております」


  「こいつは優秀なんだよ!!!ハハハハ!!!まあ、機械の扱いは一流だが、女の方は滅法弱いんだがな!」


  「ハハ・・・」


  何を言ってるんだこのハゲは、と思いつつも、ジョシアは適当にあしらう。


  ハゲ相手に疲れたジョシアは、酒でも飲もうかと酒屋に向かった。


  「ビールを頼む」


  「はーい」


  テーブルに案内され、メニューも見ずにビールを頼むと、ジョシアは窓越しに外を眺める。


  こんな昼間から酒を飲んでいることを知られても対して困りはしないが、なにぶん、常に嫁がいない男と言われているため、多少は気にしているようだ。


  ジョッキに入ったビールがテーブルの上に置かれると、ジョシアは半分まで一気に飲んだ。


  それから、何杯目かのジョッキを手にしたとき、若い女性が二人、ジョシアの後ろの席に座った。


  特に気にすることもなくビールを飲み続けていたジョシアだったが、何気なく聞こえてきた会話に興味がわく。


  「ねえねえ、聞いた?オルターがイオを見かけたんだって!」


  「イオ?イオって、あの?」


  「そうそう!!でね、まあ、イオです、って言われたわけじゃあないんだけど、赤い目をしてたし、多分そうだって。で、一応、言ってみたんだって」


  「何を?オルターって、なんかそういうのに縋るようなことある?」


  「それがさ、オルターの親って、本当の親じゃないんだって。お母さんが他の男との間に作った子供らしいよ。んで、本当の父親に会いたいーって、イオにお願いしようかと思ったんだってさ」


  「へー、そうなんだ。初耳」


  「でしょ?」


  「で?どうなったの?会えたの?」


  「さー?まあ、全部叶えるわけじゃあないみたいだし?イオ自体、噂が流れてるだけだから、オルターが見たって話も、本当かどうかわからないしねー」


  ケーキを口に入れながら噂話をする彼女たち。


  初めて聞いたわけではなかった。


  この国の、この街のどこかに存在している、神とも呼ぶ者も悪魔と呼ぶ者もいる、謎の生命体。


  噂によれば、その男は全身を何かの布で覆っており、顔もよくは見えないらしいのだが、赤い目だけははっきりと見えるようだ。


  男のいる場所は、屍が横たわり食糧は腐り人間は寄りつかないと聞く。


  そんな男のもとへ何故導かれ、または引き寄せられるのかと言えば、きっと、男には不思議な力があるからだ。


  魔術師とも違い、医療とも違い、男は何かと交換にその願いを叶えた。


  しかし、願いを叶えてもらった者はみな、不幸な末路を辿っているとも聞く。


  「・・・馬鹿馬鹿しい」


  この時のジョシアには、興味のない話だった。








  しばらくして肌寒くなってきた季節。


  ジョシアの働く工場に、一人の女性がやってきた。


  「これから、よろしくおねがいします」


  それは、今までの人生の中で一番と言っても良いくらい、美しい女性だった。


  「こいつが一番腕が良いし、教えるのも上手いだろうから、分からないことがあったらこいつに教わると良い」


  「はい、わかりました」


  なぜかジョシアが女性の指導係になり、一緒にいる機会が増えてきた。


  次第に女性に惹かれたジョシアだが、ある日、女性とある男が一緒にいるところを見かけた。


  誰だろうと確認する必要もないくらい、その男はジョシアもよく知っている男だった。


  ジョシアよりも数年後に入ってきて、歳はジョシアと同じかちょっと上くらいだろうその男は、最近出来た新たな分工場の長になった男だった。


  仕事においても、同僚からの信頼においても、ジョシアの方が上なのだろうが、世の中というのは難しいものだ。


  口が上手い者が上に立つことも多々あるのだ。


  二人が手を繋いで歩いているところを見て、きっと付き合っているのだろうと、あまり関心のないジョシアにも分かった。


  その日、ジョシアはやけ酒を飲んだ。


  「はあ・・・・・・。ったく。どいつもこいつも」


  何を恨んでも仕方ないのだが、やはり地位のある男の方が良いのだろう。


  「酒、酒っと・・・なんだ、切れちまったか」


  家の至るところに置いてあった酒を探し回っても、一本も見つからなかったため、ジョシアは少しの金を持って出かけた。


  酒を買って家に帰ろうとしたとき、空から白いものが降ってきた。


  「こんな時期に雪か?早いな」


  もっと暖かい服を着てくればよかったと思いながらも、急いで帰ろうと寒さで下を向いて早足で歩いていると、気付かぬうちに道を一本間違えてしまったようだ。


  「まじかよ」


  来た道を戻ろうとしたジョシアだが、ふと、何かの好奇心にかられ、道を進むことにした。


  「なんだってんだ、ここは」


  腐った臭いが充満する道に転がる何かの物体を跨ぎ、道なき道を歩き、時には呼吸をしていないだろう人間の横を通る。


  やっぱりあの時引き返すべきだったかと、ジョシアは後悔する。


  「寒ィ・・・」


  どこか寒さを凌げるところは無いかと探していると、丁度良い民家を見つけた。


  ギィ・・・とドアを開けると、奥の部屋のほうから温かさと灯りが見えたため、ジョシアはゆっくりとその部屋に向かう。


  「すいません・・・・・・。ちょっと、身体が冷えちまって・・・・・・」


  「・・・・・・」


  そこには、灯の灯った暖炉があり、その前には古びた椅子に座っている一人の姿があった。


  「あの、いいっすか?」


  「・・・・・・」


  返事が帰ってこないその姿に、ジョシアは近寄る。


  壊れそうな椅子がちらほら置いてあったため、その中の一つを暖炉の前に置いた。


  「ふう・・・・・・。あったけえー」


  酒を床に置いて、芯まで冷えた身体を温める為に両手を暖炉の前に差し出しながら、横にいる人を見やる。


  「!!!?」


  全身を茶色の布で覆っているその人は、男だった。


  それだけなら良かったのだが、その男は明らかに赤い目をしており、フードの隙間から見える髪の毛は紫色をしていた。


  まさか、と思いごくり、と唾を飲む。


  ―やばい。やばいな。噂のイオって奴か?


  人並みに寒いだの暖かいだのという感覚があったのかと、とても失礼なことを思っていたジョシア。


  横目でちらちらと見ていると、イオが目だけをジョシアに向けた。


  「!!!」


  ドクン、ドクン、と鼓動が強く波打つのが分かる。


  殺気を感じているわけでもないが、遠くからスナイパーにでも狙われているような、人間ではない何かに背後を取られている気分だ。


  実際にいるのは、自分の真横だというのに・・・・・・。


  ガタン、と椅子から立ち上がると、イオはまた外へと行こうとしたため、ジョシアは反射的に声を出す。


  「ああ!!あの!!」


  「・・・・・・」


  またしても冷たい視線を浴びるが、拒むような言葉を発しないイオに、続ける。


  「俺を、金も地位も名誉もある男に出来るか?」


  「・・・・・・」


  何も反応のないイオに、ジョシアは不安を覚える。


  このまま出て行ってしまうと思っていたジョシアだが、その予想とは裏腹に、イオは向けていた背中をドアの方に直す。


  ビュウッ、と急に外からの風を感じ、身ぶるいをするジョシアとは対照的に、イオは平然と立っている。


  「何故だ」


  「え?」


  「何故金諸々を身につけたいのか、と聞いたんです。そもそも、街の方なら私の噂も御存じでしょう」


  思ったよりも丁寧なイオの口調に安心したのか、ジョシアはこれまでのつまらない薄っぺらな人生のことを語る。


  聞いているのかいないのかはよく分からなかったが、とにかくイオは黙っていた。


  一通りのことを話終えると、イオはため息を漏らす。


  「はぁ・・・・・・。率直な感想としては、実にくだらない理由ですね」


  「それでも、俺は・・・・・・。俺が男としての力が無いから、彼女は違う男のところに行ったんじゃないかとか、思ってしまって・・・・・・」


  「言わせてもらえるなら、そんな女性は止めておくべきですね。金銭や肩書きだけで男を決める様な女性、碌なことにはなりません」


  「いや、でもよ・・・。俺くらいの歳になると、そろそろ身を固めないと、とか考えるわけで。それに、彼女が初めてなんだよ・・・・・。こんな気持ちになったの・・・・・・」


  イオからの意外な親切な助言があるにも関わらず、ジョシアは未練があるのか、女性のことばかり口々にする。


  次第にイオの眉間にシワが寄ってきていることにも気付かずに・・・・・・。


  急に暖炉の灯が消え、部屋の中の気温が低くなると、ジョシアは一旦暖炉に目をやる。


  そしてまたイオに顔を戻したとき、ぼうっとしか見えない暗闇の中浮かび上がる二つの赤い灯に気付く。


  それがイオの瞳だと気付くのに、そう時間はかからなかった。


  「女々しい野郎だな」


  「!?」


  先程までと喋り方が変わったイオに驚いたのも勿論だが、声のトーンも若干低くなったのは気のせいだろうか。


  「女如きで一々精神を乱されるな。そんなことで別の男を選んだんなら、元からそいつを狙っていたか、金であちこち動くような女なんだ。もう一度よく考えてから来るんだな」


  「あ、ちょっと!」


  寒い外へと消えてしまったイオを追いかけようとしたジョシアだが、外に出るとすでにイオの姿は無かった。


  しょうがないと、床に置いておいた酒を手にし、ジョシアもその場所から去って行った。








  翌日からまたいつも通りの生活を始めたジョシア。


  女性は婚約をし、それと同時に仕事を辞めてしまった。


  それから少しして、また新しい女性が入ってきて、やはりジョシアの下で働く事となった。


  綺麗というよりは可愛らしく小柄な女性だった。


  あまり男性と関わることがないからか、女性はちょっとしたことで顔を赤らめた。


  例えば、ちょっとジョシアとの距離が近くなったときであったり、後ろから肩を叩いて挨拶をしたときであったり・・・・・・。


  そんな一つ一つのことが、ジョシアの心をまた熱くさせた。


  ある日、ジョシアは女性と食事に行った。


  いつもの仕事着とは違い、パーティードレスのような綺麗な服を着てきた女性に、思わず目を奪われる。


  ちょっと恥ずかしそうにしているところもまた、可愛らしい。


  ジョシアも初めて行くようなお洒落な店を予約して、テーブルには綺麗な花が飾ってあり、料理も申し分なかった。


  ここで、指輪を渡す予定だ。


  ポケットに入れていた指輪を取り出そうと手を入れたとき、女性が恥ずかしそうに口を開いた。


  「あの・・・・・・。御報告があるんです」


  「ん?何かな?」


  はにかみながらも、ジョシアを見てくる女性は、さらに顔を赤くした。


  「実は私―・・・・・・」








  ジョシアは、向かっていた。


  苛立ったような様子もなく、かといって落胆している様子でもなく、ただ、なんというのか、“無”で。


  以前は間違えた道を進んで行ったらあの男に会えたが、今回はどうだろうか。


  絶対に会えるという保障のないまま、とりあえず歩いていた。


  女性に何を言われたかと言うと、今でも思い出したくない内容だ。


 


  『実は私、結婚してるんです。今まで恥ずかしくてなかなか言えなかったんですけど、ジョシアさんは良い人ですし、職場の人にも言うの初めてで・・・。最近、妊娠してることがわかって、仕事も辞めなくちゃかなーって思ってたんです。ジョシアさんになら相談出来るかなーと思ったんですけど、ご迷惑でしたか?』




  新婚だそうで、それで純真無垢な女性に見えたのだろう。


  相手に悪気がないことが分かっているからこそ、ジョシアはあの後相談にも親身になって答えたし、当然のように代金も支払った。


  胡散臭い占い師にでも良いから占ってもらおうかとも思ったジョシアだが、そういうことにお金を使うのは馬鹿げていると、真っ直ぐに家に帰った。


  女性は最後までジョシアの気持ちに気付くことも勘付く事も無く去って行った。


  既婚の女性を奪い取ろうという考えもなければ、きっと自分の元には来てはくれないだろうと、女性の表情からわかる。


  今の相手といるのが、幸せそうだった。


  あても無く歩いていたが、男に会う事は出来ず、ジョシアは一息つこうと、穴だらけのテントがはってある何屋かに入る。


  そこで、しばらく眠ってしまった。








  「ん」


  気付くと、土砂降りだった。


  「どうりで寒いはずだ」


  諦めたようにため息を吐き、しばらくの間頬杖をついてぼーっとしていたジョシアだったが、ふと、誰かが歩いている音が聞こえた。


  小さくパシャ、パシャ、と耳に届く音は、子供のような無邪気な歩き方ではなく、老人のような少し引きずる歩き方でもない。


  もしかして、いや、まさか、でも万が一の可能性として・・・・・・。とジョシアはそうっと外を覗いてみた。


  「!」


  そこには、探していた男がいた。


  「イオ!!!」


  思いっきり叫んだ。何年ぶりだろうと思うくらいに、腹から声を出した。


  ピタリと足を止めたイオは、ジョシアの方を見ることはしなかったが、首を少しだけ後ろへと動かした。


  声で誰かが判断できたのか、自分の名を呼ばれても反応を示さないイオ。


  ジョシアは雨の中イオに向かって歩き出した。


  「俺だ。この前、会った・・・・・・」


  「・・・・・・」


  またしても何も返してこないイオに、ジョシアは話を進めて行く。


  「やっぱり、その、男としての肩書きってもんが欲しいんだ。お前は女一人になにを馬鹿なこと、なんて言うんだろうけどな。それでも、それが欲しいんだ」


  すでに全身ぶしょびしょになってしまったジョシアだが、そんなこと気にせずに言いたいことを言ったジョシア。


  同じく、目の前でずぶ濡れになっているイオの応えを待っていると、ゆっくりとジョシアの方に身体を向けた。


  イオは、濡れていなかった。


  正確に言えば、イオが常に身に纏っている布は濡れているのだが、イオ自身は全くといってよいほどに濡れていなかった。


  水滴が時折、フードの先の方からぽたぽたと滴り落ちる。


  しばらくジョシアを眺めていたイオは、ジョシアのことをようやく思い出したのか、「ああ」とだけ返事をした。


  「けど、何かと交換しなきゃいけねえって話だもんな。今の俺にあるのは、少しの貯金と家くらいだし・・・・・・」


  「交換する代替品を決めるのは貴様ではない。俺だ」


  「え?」


  「人生には波がある。人それぞれに個性がある。それら一つ一つを比べていたらキリがない。それでも人は比較する。まったく愚かな行為と言わざるを得ない。同じ過ちを繰り返しながらも同じ行為を繰り返す。しかし尚も何かを求め何かを欲し何かを有したがる。人との繋がりを求めるのは浅はか、人との比較をし優越感を得るのは愚行、人を愛し人に愛されたいと思うのは本能でもあり、最も醜いこと。他人は所詮他人、分かち合うことは出来ない。他人に全てを委ね、全てを託し、全てを信頼するのは止めておくことだな」


  結局、願いを叶えてくれるのかどうなのかわからないまま、イオはまた踵を返して去っていってしまった。


  いつの間にか止んでいた空を見上げ、ジョシアは元来た道を戻った。




  イオはその足でひっそりと佇んでいる小屋に入ると、フードを脱いで椅子に腰かけた。


  「・・・・・・」


  濡れたままの髪の毛や身体や服をタオルなどで拭くこともせず、暖炉があるのに火をつけることもせず、ただ、座っていた。


  首を後ろに逸らして天井を仰ぐ。


  この季節になると、さすがに一日中外にいるのはキツイ。


  夏場も蒸し蒸しして身体中が汗だくになるのではないかというときがあるが、そういうときも、こうしてたまにどこかに避難する。


  そして冬場になると今度は寒さに襲われる。


  どこかの国の言葉で表すと、“春夏秋冬”というものになるのだろうが、春や秋といった丁度良い気温はあまりやってこない。


  暑いのならば着ている洋服を変えるとか、寒いのならば厚手のものを着るとかすればよいのだが。


  いつからか、神様だのと崇められたのは。


  いつからか、悪魔だと蔑まれたのは。


  人間とは本当に都合のよい生き物で、自分にとって利益となれば仲間とするが、それが無益となれば疎外する。


  狂う時代の結末には、必ず人間の本性が現れる。


  軽蔑してきた大人へと成長し、自らもまた同じ愚行をするのであれば、子供という過程を通ることに意味はあるのだろうか。


  挑戦者は言う。


  「挑み続けることに意味がある」と。


  敗北者は言う。


  「この敗北から学ぶことがある」と。


  研究者は言う。


  「我々が未来を造るのだ」と。


  権力者は言う。


  「明るい時代を産み出す」と。


  小さいころに絵空事で描いた夢物語は、いつしか欲に塗れ輝きを失う。


  時代に爪痕と残しながらも、後世へと遺したいものとは、一体何なのだろうか。


  尊ぶべきものの分別もつかずに、それらを傷付け、踏みつけ、愚弄し、見下し、非難し、嘲り、罵り、憎み、壊す。


  美しき表舞台だけでは語れない、時代の裏舞台で生きる命を紡ぐ。


  誰のためでもなく、己のためでもなく、ただ、退屈な今日をやり過ごす為に。




  ようやく暖炉に火を灯すと、イオは揺らめく焔を見つめる。


  時間が過ぎて行くと同時に、徐々にだが乾いていく服。


  耳に残るのは、小さいころに聴いた、誰かが唄っていた詩。


  旋律はよく思い出せないが、とても優しい音色で、温かい温もりがあって、懐かしい声なのは覚えている。


  「ふう・・・・・・」


  身体が温まってくると、イオは暖炉の火を消してまた外へと出かける。








  あれからどれくらいの月日が流れたことだろうか。


  ジョシアは何事もない日々を過ごしていた。


  「ジョシアさん、ここって、どうすればいいんですか?」


  「ああ、ここはな」


  「ジョシアさん!!!これ、なんか変になったんすけどー!!!」


  「ああ、わかったわかった」


  「ジョシア!この書類にサインしておいてくれよ!」


  「待てよ、俺は異動する気はないって・・・・・・」


  「ジョージ―!!!ヘルプミ―!!!」


  「・・・・・・ジョシアだ」


  こんな感じで、毎日毎日、部下にも上司にも慕われる忙しい日々を送っていた。


  女性がジョシアの下で働くことも多々あったが、以前のことがあってか、あまり関わらないようにしていた。


  部下もどんどん成長していき、頼もしい限りだ。


  ジョシアの部下は考え方もジョシアに似てきたのか、折角の上層部への異動も個人運営も断っていた。


  皆、ジョシアの下で働くことを願っていたのだ。


  「それにしても、ジョシアさんは本当にみんなに慕われていますね」


  「そうか?ったく。俺の真似なんかしないで、どいつもこいつも上に行けってのに」


  口では面倒臭そうに言いながらも、ジョシアは嬉しそうに、気恥かしそうに頭をかいている。


  「ジョシアさんも、良いところに誘われたなら、行けばいいじゃないですか。給料だってここより良いところ沢山あるのに」


  「ん・・・まあな。けど、ここの社長に拾われた身だからな。恩返ししないといけないんだ」


  若いころ無職だったジョシアは、酒屋で暴れていたところを今の社長に押さえられ、償いとして働けと言われていた。


  結果として、ジョシアは腕の良い職人に育ったわけだが。


  同僚たちともご飯を食べに行って、いつものように簡単にシャワーを浴び、ベッドに横になる。


  あとは、またいつものように自然と意識がなくなるまで目を瞑り、いつもと同じ朝を迎えるだけのはずだった。






  ―歯車を壊したのは、誰?






  「ジョシアさん、すごいじゃないっすか!!」


  「やっとここの工場のトップの椅子に座ることにしたんですね!」


  「よかった!またジョシアさんと一緒に仕事できるんですね!」


  「やっぱジョシアがいないとな!」


  ―あちこちから、雑音が聞こえる。


  ―五月蠅い連中だ。


  「?どうかしたんですか?嬉しくないんですか?」


  「お前等・・・」


  「え?なんですか?」




  「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。さっさと仕事に戻れ」


  冷たく言い放たれたジョシアの言葉に、一同誰もが疑った。


  「ジョシアさん、なんか今日変すよ?」


  「そうそう。いつもみたいにしてくださいよ」


  「緊張してんすか?ジョシアさんも人間だったんすねー」


  おちょくるようにジョシアに触れようとした部下の手を強く掴むと、ジョシアは思い切り床に叩きつけた。


  「いって・・・!!!」


  「黙って仕事をすればいいんだ。お前等の仕事の成果で俺の給料は決まるんだ。しっかり働いてもらわないと困るんだ」


  「黙ってって・・・。今まで楽しくやってきたじゃないっすか」


  「ちょっと、なんか、ジョシアさんじゃないみたい」


  「いいから、早く仕事に戻れ」


  賃金はあがった。地位も手に入れた。上からの声を素直に聞くようにした。下からの声などかき消してしまうほど。


  「すみません、俺、辞めさせてもらいます」


  一人・・・・・・


  「あの、私もちょっと・・・・・・」


  また一人と・・・・・・


  「もう、今のジョシアさんの下でなんて、やってられないっすよ!!!」


  いなくなっていった。


  ―どうしてだ?俺はこの工場を守っていくために、言っているのに。


  ―なぜ、誰も理解しないんだ?


  ―理解出来ない奴らなんて、いらない。








  何が人間を変えてしまうのだろう。


  それはきっと、誰しもが持っている、心の病気。


  自分を変えたいと、思ってしまうその弱い心のせい。


  そして、その心に抗えず、嘘で自分を作ること。


  「人間とは、誰もが己に満足しているわけではない。劣等感を感じるからこそ、変えようと努力してしまう」


  「君は多少変わるべきだよね」


  「貴様はその意味不明な不気味な格好を止めるべきだな」


  「失礼極まりないねー。これはね、ピエロの格好だよ?知らないの?ピ・エ・ロ!!」


  イオのような紫色の長い髪の毛を後ろで一つに束ねている男と思われる男は、頬と首筋にも何やら痣かなにかがついている。


  手先を器用に動かして手品をしてみせるも、イオは興味無さそうだ。


  「あーあー、その顔。ジャックにも見せてあげたい」


  「そろそろ帰らないと、そのジャックに怒れるんじゃないのか」


  「そうだね。帰ろうかな。ジャックにだけじゃなく、みんなに怒られちゃうから」


  にっこりという効果音がぴったりの笑みを見せると、その男はピエロの不気味な格好のまま立ち去ろうとした。


  「あ」


  何かを思い出したのか、ジャックはくるりとイオの方に向き直る。


  「そういえば、あの男から“信頼”を取ったのはなんで?それしか持って無かったから?」


  「さっさと帰れ。それを知ったところで、もうあの男には戻らないものだ」


  「まあね。そうだね。じゃあ、帰るよ」


  なんとも楽しそうにルンルンと帰って行ったジャック。


  見送ることもなく、イオは目を瞑る。






  月が大きく見える、そんな夜だった。


  自分の頬に触れる温かいもの。


  うっすらと目を開けると、そこには自分を愛おしそうに見つめる“誰か”。


  そして、あの唄を歌う。




  ―月を見て歌いましょう 星を見て踊りましょう


   いつでもあなたを見守る光


   失ったものを思い出すより 今あるものを愛しましょう


   風より運ばれし命の為に




   月を見て繋ぎましょう 星を見て契りましょう


   いつでもあなたを包んでいますと


   忘れたものを取りに行くなら 今あるものを守りましょう


   土より産まれし息吹の為に―




  それは、無意識に感じる愛情であったり、意図的に産み出された産物であったり。


  時に人は神の想像を遥かに越え、時に人は意思を奪われ、時に人は自分が思った以上の力を発揮する。


  希望もあれば、絶望もある。








  「それでも人はー・・・」





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