二つの月が重なる時

 


 扉が閉まったあと、私はすぐに行動を開始しました。



 といっても、まずは、腹ごしらえから。

 スープの汁気に固いパンをひたし、口に運びます。当然のことながらおいしいわけはありませんが、この際文句は言えません。


 腹が減ってはなんとやら、と言いますしね。


「次はナイフね」


 スカートのひだの間に隠しておいた錆びたナイフを取り出すと、錆びた刃をスプーンでこそぎ落とすように、ざっと取っていきます。


 そしてほんの少しだけ切れ味を取り戻したそれで、まだしばられたままの足首の縄を切り離し、身体の自由を取り戻すことができました。


「あとは刃先をここに差し入れて、てこの原理で樽の金属片を剥がして……っと。うん。これなら何か武器が作れそうね。あとは、注意をそらすための仕掛けも欲しいし、ロープも長さが足りないわね……」


 必死に頭をフル回転させながら、ここから脱出するための策略を立てはじめます。



 今や私の中には、ここへ連れてこられた時の恐怖など微塵も残っていませんでした。

 あるのは、強い願いだけ。


 生きて絶対に帰る。

 ジルベルト様のいる、あのお屋敷へ戻る。

 そして、月に願ったあの思いを、この胸にあたたかく灯りはじめた思いを伝えたい。


 その思いを胸に灯らせながら、月明かりの下、ひたすらに武器と仕掛け作りに励むのでした。




「よし……、これだけの長さがあれば、このロープで窓の外に出られるはず! 窓までは、樽とか木箱を積み上げて階段代わりにして登ればいいし。あとは、それをどのタイミングで実行するかだけど……」


 なんとか脱出の目処はつきました。


 けれど、ここで大きな問題がひとつ。

 

「……この格好で外に出ていいものかしら。命には替えられないとはいっても、こんな……」


 酒蔵の中にあったのは、短めのロープが一本きり。とても窓から垂らして地上に届くほどには足りず。となると長さを足すのに使えるものといったら、着ていた衣服しかなく。


 仕方なくスカート部分を大幅に切り裂いて、ロープと結び合わせて充分な長さを確保できたのは良かったのですが。


 できあがってみれば、上半身はともかく下半身はほとんど下着姿に近い姿になってしまっていたのは誤算でした。


「でもまぁ、仕方ないわよね。素肌が見えているわけじゃないし、緊急事態だし」


 身動きしやすいというメリットもあると考えれば、そう悪くはない……はず。あの小さな小窓をすり抜けるにも布をたっぷり使った洋服は邪魔なだけですし。




 そう自分に言い聞かせて気持ちを切り替えると、次の作業へと取り掛かります。



 男たちが話していた通りなら、きっとこの後あの男たちを雇った主犯格の男がここにやってくるはず。もし王女の顔を知っている者なら、私の姿を見れば王女でないことがすぐさまバレてしまいます。

 もし別人だとわかれば、命を奪われかねません。


 なんとかしてその男がくる前に、ここからなんとしても逃げなければ。



 そっと足音を忍ばせて扉近くへと歩み寄り、耳をすませば。


「……いびき?」


 うっかりそう声に出してしまい、慌てて口元を押さえます。


 酒を飲んで酔っ払ってしまったのか、男たちはいびきをかきながら寝てしまったようです。


 これ幸いと、私はさっそくバリケード作りを開始しました。


 幸い酒蔵のの中には、たくさんの空の酒樽や木箱が残されていました。これを使って、できるだけ物音を立てないように扉の前にいくつもの酒樽をバリケードのように積み上げていきます。


 ひとつひとつの重さはそうはないけれど、これだけ数があるとさすがに骨が折れますがここが踏ん張りどきです。


 なんとか背を超えるくらいまでの高さまで積み上げ終わり、一息つき。



 次は、バリケードを突破された後の仕掛け作りに取り掛かります。 


 まずはちょうど慌てて扉を突破して踏み込むであろう足元に、釘が天に向かってむきだしになった木の板や先の尖った金属や木のくずなどをばらまいていきます。


 これを踏んだら、一瞬足を止めるには充分すぎるほど痛いはず。



 その先には、おあつらえむきに天井に取り付けてあったフックから、なかなか重量感のある金具や木片がちょうど男たちの顔面に激突する仕掛けを用意しておくのも忘れません。


 これで、いくらか時間稼ぎはできるはず。


 これらの仕掛けで男たちがひるんでいる隙に、私は小窓へとよじ登りロープを使って窓の外へ脱出するという手はずです。



 準備はこれで完了です。


 けれどさすがに疲れを感じて、ほんの少しぺたりと床に座り込めば。

 床に映る月明かりに、張り詰めた気持ちがほんの少しゆるみます。



 どうにか無事に外に出て、ジルベルト様に会いたい。

 皆のいるあのお屋敷へと帰りたい。


 契約結婚だったはずのこの偽りの結婚が、まさかこんなに大切なつながりになるなんて思いもしませんでした。


 それもこれも皆、ジルベルト様が与えてくれたもの。

 あの時ジルベルト様が契約結婚を申し込んでくださらなかったら、私は一生誰かに恋する気持ちも知らないまま一生を終えていたに違いありません。



 青緑色の目の色を思い浮かべ、そっと胸に手をあて。


 月に祈ります。

 どうか無事にジルベルト様のもとへとたどり着けますように、と――。



 月はそんな私を励ますように、煌々とそしてやわらかく照らしてくれていました。







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