弱さを受け入れた先に
「そうです。柵の間から人参の先を差し出すように、えっと……もう少し近づけて」
「こ……こう? ほら人参よ。セリアン。お願いだから、手を食べないでね?」
柵の間から見事なへっぴり腰で人参を差し出すアリシア様に、匂いを嗅ぎつけたセリアンが今か今かとそわそわしています。
「……セリアンは殿下にもっと近づいてほしいみたいです。噛んだりしないから怖がらずに、もっと人参を近づけてって」
そう言うと、殿下は不安そうな表情でしばしセリアンと手の中の人参を見比べたあと。
「さぁ、セリアン? あなたの好きな人参よ。お食べ? 仲良くしてくれたら嬉しいわ」
そっと柵に近づき、殿下がぶるぶる震えながらも優しく人参を差し出せば。
ぱくっ。
セリアンの口に、殿下の手の中の人参が吸い込まれていきました。
「……た、食べたわ。人参……セリアンが私の手から! ミュリル! 私食べさせられたわ!」
満面の笑みで歓喜の声を上げる殿下の肩を、むしゃむしゃと咀嚼していたセリアンがつつきます。
「えっ!? な、なぁに? セリアン」
これは、あれですね。おかわりの催促ですね。
「セリアンったら……。おかわりが欲しいって言ってます」
思わず二人顔を見合わせて、吹き出せば。
どうやらセリアンは殿下のことが気に入ったようです。
セリアンは、モンタンと仲が良いですからね。モンタン似の殿下のことも、お気に召したのでしょう。
「馬がかわいいなんて思えたの、初めて。もちろん近づくのはまだ怖いけど、でもかわいいって思えるわ。目だってとてもきれいだし」
殿下もほんの少しだけ、馬への恐怖心が薄れはじめたようです。
「ねぇ、馬も人も同じかしら? 仲良くなりたいって思ったら、出会いはちょっとあれでも仲良くなれたりするかしら?」
突然の問いかけに、意図が分からず「ええ、まぁそうだと思いますけど……」と曖昧に答えれば。
「な……なら! わ、私とあなたも仲良くなれるってことよね?」
「へ?」
思わず変な声が出ました。
えーと、今なんて?
きょとんとする私に、殿下は頬を赤く染め少し苛立ったように声を上げました。
「だから! 私はあなたとお友だちになりたいって言ってるのよ! あなたのこと、ミュリルって呼んでも良い? ……その、お友だちは名前で呼び合うものでしょう? だから……」
「えっ? お友だち、ですか?」
「嫌なの? だってこんなふうに弱音を吐ける人、他にはいないんだもの。そういう人を友だちって呼ぶのでしょう? 私……あなたとお友だちになりたいわ。だめ……かしら?」
威勢の良かった声が、次第に自信なさげに小さくなっていきます。
顔を赤らめ、困ったように眉尻を下げたその表情に、思わず悶絶しました。
……アリシア王女殿下がかわいすぎて、もうどうしたらいいのかわかりません。
「もちろん! ……私でよければ、喜んで。アリシア王女殿下」
「アリシアよ。……今だけ、ここにいる間はそう呼んで。二人しかいないんだから不敬なんて言わないでよね」
そう言ってぷいっとそっぽを向いた殿下の耳は、真っ赤に染まっていました。
「……はい! で、では、アリシア様。セリアンともども、よろしくお願いします」
少し照れくさそうに、でも嬉しそうに笑うアリシア王女殿下は少し幼くも見え。
そのあまりのかわらしさについ悶絶してしまう私を、セリアンとモンタンが少し呆れたようにでもどこかやれやれといった顔で見つめています。
そしてオーレリーはいつものように、天真爛漫な明るさを振りまきながら走り回っていたのでした。
◇◇◇◇
「今日はありがとう。ミュリル。突然押しかけて失礼なことをたくさん言ったのに、こんなに良くしてくれて嬉しかったわ」
日の傾きはじめた庭に、木が長い影を伸ばしはじめた頃。
アリシア様は私にそっと手を差し出しました。
「まさかここにきて馬と触れ合うことになるなんて思いもしなかったけど……。でも私、少しだけ変われそうな気がするわ」
すっかり緊張も恐れも消えたにこやかな表情で、アリシア様はにっこりと微笑みます。
「私は何もしていません。セリアンとアリシア様の心が通じ合ったから、何かが変わったんですわ。良かったですね、アリシア様」
「ふふっ。本当にあなたってお人好しね」
アリシア様の小さな手を握りしっかりと握手をした私たちを、セリアンが自分はここにいるよとばかりにいななき存在をアピールします。
「セリアン、あなたも本当にありがとう。きっとまた会いましょうね。その時はあなたの大好きな人参をたくさん持ってきてあげるからね!」
まるで最初の出会いが嘘のように、アリシア様はセリアンに向かって嬉しそうに微笑むと。
「国に帰ったら、もう一度試してみるわ。いえ、一度と言わず何度でも。人も馬も、気持ちが通じ合うのは簡単じゃないし、根気がいるものだものね」
アリシア様のセリアンを見つめる目はどこまでも優しく、初対面した時とは大違いで。
「なんでも思い込むのは止めにするわ。自分にはできないと思い込んで自信を失くすのも、馬は怖いものだなんて勝手に決めつけるのも」
きっと殿下は、自分が不甲斐なかったのでしょう。
兄弟姉妹たちや民たちも普通にできていることが、王族なのにできない。当然の責務なのに、これでは王族の務めを果たせないと。それが恥ずかしく、情けなく、恐怖で足がすくんでしまう自分の弱さを認めたくなくて。
でもそれを、セリアンとの出会いで払拭できたようです。
「あなたのおかげよ。ミュリル」
「私の?」
私はただ、セリアンとアリシア様を引き合わせただけです。
何もしていないと首を振れば。
「あなたは失礼な態度の私を嫌ったり、馬が怖いという弱さを笑わないでいてくれたわ。……自分の弱さをさらけ出すのは、怖いことだわ。……でもそれをミュリルが受け止めて、救ってくれたの。ありがとう、私にチャンスをくれて」
アリシア様はそう言うと、私にぎゅっと抱きついたのでした。
嬉しそうに少し目を潤ませた、アリシア様のその顔を見た時。
分かった気がしました。
どうして初めて会ったばかりのアリシア様に、私が力を貸してあげたいと思ったのか。
それは――。
ジルベルト様とアリシア様の抱えていた弱さと孤独が、痛いほどによく似ていたからなのでした。
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