重なって、気づいた気持ち

 


 庭の木々がさわさわと葉擦れの音を立て、私と殿下、そしてのんびりと草を食むセリアンとモンタンの間を心地よい風が吹き抜けます。

 オーレリーもはしゃぎ疲れたのか、足元でぐっすりと寝息を立てています。


 さっきまでアリシア様がいた賑やかなお庭は、今ではすっかり穏やかに静まり返っていました。



 

 『もし馬に乗れるようになったら、セリアンとあなたに会いにくるわ。きっと驚かせてあげるんだから。それまでお元気でね! 私たちはもう皆お友だちよ! ミュリル、セリアン、モンタン、オーレリー! 皆ありがとう。またね』


 そう言って、アリシア様は元気に笑顔で去っていかれました。

 もうその顔にはきた時のような思い詰めた悲壮感はなく、顔は晴れやかで穏やかな決意すらのぞいていて。


 小さな嵐のようなひとときに、少し安堵するような少し寂しいような気持ちを感じていました。


 アリシア様はご自分のことを弱くて情けないと嘆いていたしたけれど、でも。 


「アリシア様はちっとも弱くなんてないわ。しなやかで強くて優しい方だもの。きっとそのうち他の馬とも仲良くなれるはず。そうよね? セリアンもそう思うでしょ?」


 そうセリアンに問いかけると、うなずくように頭を上下に振って応えます。


 アリシア様はどうにかして馬に触れられるようになりたいと、王族として恥ずかしくなくきちんと務めが果たせるようになりたいとそうおっしゃって、必死に心の中の恐怖と向き合ってセリアンと触れ合っていました。

 その姿に、私は――。 


「私も……頑張れるかしら。いつか男の人を怖がらずに、普通の人と同じように接することができるように……。そうすればいつかきっともう少し妻として……」 


 必死に馬への恐怖と戦うアリシア様を見ていて脳裏に浮かんだのは、ジルベルト様の姿でした。


 その健気な姿に、真摯な姿に私は。



 なぜ私は、アリシア王女殿下の馬恐怖症を治して差し上げたいと思ったのか。

 王族の責務が果たせないと涙を流す殿下に、どうして心を軽くしてあげたいと思ったのか。


 ――それは、ジルベルト様の姿に殿下の姿が重なって見えたからだと気がついたのです。


 国のために、誰かのために自分に与えられた責務を果たしたい。そのためにひたむきに真摯に、心も体も犠牲にしかねないほどに向き合うその誠実さが、重なって見えたのです。



 ジルベルト様に初めて会ったあの日。

 ジルベルト様は言ってくださいました。


 私は、前向きでしなやかな強さを持っていると。そして、あの方にとってそばにいるだけでいい、お守りのような存在だと。

 

 けれど、それは違います。


 私はとても弱い人間なのです。

 男性恐怖症という弱みを人に知られたくなくて、隠すために必死で、そのために愛する家族からも人の輪からも離れてひとりになろうとするくらい、とても弱いのです。


 弱いからこそ、必死に前を向こうと自分に言い聞かせているだけなのです。


 それは、もともとの性格のせいなのかもしれません。

 だって誘拐されたあの時だって、助けてほしい、と叫ぶことができなかったのです。恐怖症になった後もそうです。


 助けてとほしいと弱音を吐くことができず、セリアンやオーレリーたちの前でしか泣くこともできず。

 


 

 けれどあの日。


 ジルベルト様がそばにいるだけでいいのだと、そう言ってくれた時私は嬉しかったのです。

 まるで、この弱い私をありのまま受け止めてくださったようで。


 それは、お互いに恐怖症という弱さを抱えているという前提があったからなのかもしれません。同じ苦しみと弱さを持っていると分かっていたから、素直に受け止めることができたのかもしれません。


 けれどあの言葉は確かに、家族に迷惑をかけることなくひとりで強く生きていかなければ、という私の固く凝り固まった心を軽くして、すくい上げてくれました。


 きっとあの言葉が嬉しかったから、心を打たれたから契約結婚を承諾したのです。利害が一致した、などという無機質な気持ちからではなく。


「そうだったのね……。だから私はジルベルト様と……」


 小さなつぶやきが口からこぼれ落ちました。



 そして私は、気づきました。

 心の中でいつの間にか大きく育っていた、あたたかな気持ちに。


 恐怖のあまり動物にしか心開けず、かといって家族の重荷にはなりたくないと頼ることもできず、自らひとり孤独になろうとしていた私の寂しさや不安や苦しみを。

 ジルベルト様が寄り添い合ってくれたおかげで、今こうして笑って心穏やかにいられるのだということを。


 こんなに弱く、怯えて縮こまっていた情けない私を、いてくれるだけでいいと言ってくれた。存在を認めて受け入れてくれた。

 

 そしてそんなふうにすくい上げてくれたジルベルト様を、私が支えて守ってさしあげたい――。


 いつの間にか、私の中にはそんな願いが育っていたのでした。


「ジルベルト様に私にできることって何かしら……。少しでいいから、この気持ちを返せたらいいのに……」


 茜色に染まりはじめた屋敷を見つめながら、私はジルベルト様の隣にこれからも妻として立ち続けるためにできることはなんなのかを考えはじめていたのでした。



 この気持ちをなんと呼ぶのかは、まだ分からないまま。




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