やりとりは業務連絡という名のお手紙で
「ああ、それと大事なことを忘れておりました。これを旦那様より預かっております」
手渡されたのは、一通の手紙。
特に宛名も書いていない味も素っ気もないようなシンプルな封筒を、しげしげと見つめます。
「これは?」
「そちらは旦那様から奥様宛てに書かれた、まぁ……業務連絡書のようなものでしょうか」
「……業務連絡書?」
なかなかに固い響きですね。
でもまぁ、言わんとすることはわかります。
「ええと、つまりこれに予定や連絡事項が書かれているから、それに沿って生活すればいい、ということね?」
「さようにございます。旦那様はこれまでの人生において仕事しかしてまいりませんでしたから、こういったことはなんといいますか……不慣れ、でございまして」
不慣れ、というよりはすべてがお仕事モードということなのでしょう。
一生懸命家具や壁紙を選んでくださっている様子と、この手の中にある飾り気のない手紙から受ける印象がなんともちぐはぐで、思わず笑いがこみ上げます。
「そう。ふふっ。わかったわ」
中には、この屋敷で暮らすに当たっての決まり事や妻となった私に対するお願い事、注意点などが事細かく的確に指示されていました。
「……なるほど。よく分かりました。では私は家政と、時折ある来客の対応をすればいいのね」
「来客と申しましても、この屋敷に訪れるのはジルベルト様のごく近しいご親族くらいですので、若い男性がもし参りました際は私が対応させていただきますので、ご安心ください」
「ありがとう。助かるわ」
そのくらいであれば、なんてことはありません。
これほどまでに至れり尽くせりの環境を整えていただいたからには、精一杯宰相の妻としての役目を果たさせていただきます。
そうでもしないと、ジルベルト様に申し訳ありませんからね。
決意を新たにする私に、バルツが口を開きました。
「奥様、私どもはもうとうに諦めていたのです。旦那様はきっとこのまま生涯おひとりきりで、仕事に追われるだけの安らぎとは無縁の人生を歩まれるのだろうと」
バルツの顔に、主人を心から思う表情がにじんでいます。
「旦那様のお仕事の重要性は、もちろん理解しております。ですが人生の喜びも平穏も知らぬまま、たったひとりで歳を重ねていかれるだけというのはいくらなんでも寂しいのではないかと、心配していたのですよ」
きっとジルベルト様は、いい主人なのでしょう。
でなければ、こんなふうに使用人に愛され心配されるわけがありませんから。
「その旦那様が奥様を迎えられると聞いた時には、それはもう使用人一同喜んだのです。しかもミュリル様にお会いしてみて、ああ、この方ならばきっと大丈夫だと思ったのですよ」
「でも……契約結婚よ? 私がジルベルト様にして差し上げられることなんて……」
けれど、バルツは優しい表情を浮かべて私を見つめ、こう言ったのです。
「いいえ。ミュリル様と出会われてからの旦那様は、とても明るくなりました。きっと苦しみを分かち合うお相手ができて、心が軽くなったのだと思います。お迎えする準備などもそれは楽しそうに」
「……そうなの?」
それはつまり、私がこのお屋敷にくるのを心待ちにしてくださっていたということでしょうか?
ただの利害が一致しただけの、愛のない契約結婚なのに。
でも確かに同じ苦しみを共有できる方と出会えたことは、私にとっても喜ばしいことだったのかもしれません。
誰にも吐き出せない思いというものが、やはりありますからね。そんな弱気な気持ちや苦しみを分かち合える同士を得たような、そんな心強い気持ちです。
「旦那様はしっかりなさっているように見えて、実は繊細な方なのです。それに、お立場上弱みを見せたり弱音を吐いたりもなさいません。けれど……」
バルツは私をしっかりと見つめ、懇願するように続けます。
「奥様がこの屋敷においでくださったことで、きっと旦那様は救われる気がするのです。ですからどうか、奥様は安心してお暮らしくださいませ。私どもも奥様がここにきて良かったと思ってくださるよう、心してお仕えさせていただきますので」
なんだかちょっと泣きそうです。
本当はやっぱり、住み慣れた屋敷と家族の元を離れるのは寂しくも、心細くもありましたから。
こんなにあたたかく迎え入れてくださったジルベルト様と、お屋敷の皆さんには感謝しかありません。
となれば、私にできることはただひとつ。
「バルツ……、ありがとう。私、ジルベルト様のお役に立てるよう頑張るわね。こう見えて私、けっこう力もあるし器用な方だし、精神的にもタフなのよ?」
思わずにじんだ涙をごまかすためにそうおどけてみせれば。
「はい。ミュリル様――、いいえ、奥様。何卒、我が主人をよろしくお願いいたします。願わくば、末永く……」
バルツの安堵したような嬉しさと願いがにじんだ言葉に、自信がないながらもこのあふれんばかりの配慮と優しさに応えたい一心で、しっかりとうなずいたのでした。
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