快適だけど、お飾りの妻も案外忙しい

 


「ふんふふーん……ふふふーんっ」


 ご機嫌に鼻歌など歌いながら、今日もせっせと愛馬セリアンのお世話に励んでおります。


 この屋敷に今いるのは、愛馬セリアンと犬のオーレリー、それとウサギのモンタンです。ジルベルト様が用意してくださった立派な飼育小屋の中で、皆元気に過ごしております。

 

 ジルベルト様の温情に、感謝しかありません。


「奥様、そちらが終わりましたらちょっとお時間をいただけますでしょうか。旦那様からお手紙が届いております」

「わかったわ」


 ブラッシングの手を止め、バルツからいつものようにジルベルト様からのお手紙を受け取ります。


「分かりました。今日の午後に、お母様とお姉様がいらっしゃるのね。ではお二方のお好きなメレンゲパイと、いつもの銘柄のお茶の用意をお願いね」

「かしこまりました。にしても、お二方ともつい先日いらしたばかりですのに……。相当奥様のことを気に入られたのでしょうな」


 バルツは、ため息混じりにつぶやきながら愛馬の背を撫でています。


「だとしたら良いのだけれど。なんといっても旦那様の大事なご家族なのだし、良い関係を築けた方が何かといいもの。……良かったら、セリアンのブラッシングしていく? バルツ」


 先ほどからうらやましそうに見つめていたブラシを、バルツの目の前に差し出せば。

 その瞬間、目がきらっと輝きました。


「よろしいのですかっ? では、早速……」


 嬉々として愛馬セリアンのブラッシングを始めたバルツに、思わず笑いがこぼれます。


 セリアンは少々神経質で気性が荒いせいかそう容易には人に心を許さないのですが、バルツは大の馬好きですからね。不思議とセリアンはバルツが気に入ったようで、特にブラッシングされるとご機嫌になるのです。


 バルツにとっても良い息抜きになっているみたいですし、ブラッシングくらいいつでもどうぞです。





 このお屋敷にきて、早いものでもう一月が過ぎました。

 見ての通り、生活はいたって快適安泰です。


 ヒューイッド家お抱えのコックは腕利きで日に三度の食事はもちろん、スイーツも極上。側付きのメイドも使用人の皆さんも皆いい人ばかり。文句のつけようもありません。


 もちろんジルベルト様とは一度も直に顔を合わせてはおりませんが、こうして業務連絡という名の手紙のやりとりは密にしております。


 来客の予定があるから応対を頼むとか、ジルベルト様がお仕事で屋敷を空けられる連絡とか、本当に事務的なものですけど。


 もちろん私はこれでも、この国の宰相様の妻となった身です。

 いくら公の場での社交はしなくてもよいとは言われていても、お客様の対応くらいはきっちりとさせていただきます。


「いやぁ、それにしても今日もセリアンの毛艶はつやつやですなぁ。本当に素晴らしい馬です。子どもの頃は、騎馬警備隊に憧れたものです」

「ふふっ。セリアンとすっかり仲良しね」


 セリアンが、バルツに嬉しそうに顔をすり寄せています。気が合うんですね、きっと。


「そう言えば、今度新しく着任した王立劇場の支配人夫婦が奥様にぜひ一度ご挨拶をと連絡がきておりましたが、そちらは旦那様よりお断りのお返事をしておきましたから」

「そう。ありがとう。助かるわ」


 ということは、その支配人夫婦はまだそこそこお若い方なのですね。

 私が恐怖を感じるくらいの年代の。


「にしても案外お客様が多いのにびっくりしたわ。宰相様とお近づきになりたい方が、それだけ多くいらっしゃるってことね」


 そうなのです。

 結婚してからというもの、来客が次から次へとやってくるのです。


 大抵は結婚のお祝いにと何かの贈り物を手にやってきて、ジルベルト様によろしくと言い残して去っていくだけなのですが。


 けれど、私は老人と子ども以外の男性とは対面できませんからね。


 いくらご夫婦とはいえ、恐怖症の対象となるような年代の方はすべてバルツやジルベルト様が事前に訪問をお断りしてくださっているのです。


 おかげで今のところ、特に何の問題もなく社交もできております。


 先日もジルベルト様のお母様とお姉様が初訪問なさって、それはそれはにぎやかなひと時を過ごしたのですが。


「ジルベルト様が女性恐怖症になった理由も、分かる気がするわ。お二方とも悪い方ではありませんけど、圧が凄いのよね。ましてあの勢いで熱烈に愛情を注がれたら、ひるんでしまうのも仕方ないかも」

「ええ。愛情深い方々ではあるのですが、親子の相性が悪いといいますか、なんといいますか……」


 ジルベルト様のお義母様とお義姉様が、直接の恐怖症の原因となったわけではないそうだけれど、ダメ押しくらいにはなっていそうです。

 愛が深すぎるのも、難しいものです。


「にしても、奥様があれほどあのお二人をうまくあしらわれるとは本当に驚きました。今ではすっかりミュリル様のことを気に入られて。お見事な社交術です」


 別にあれは社交というより、どちらかといえば野生動物を手懐けるのに近いんですけどね。

 こんなこと、口が裂けても御本人の前では言えませんが。

 野生動物の扱いには慣れておりますので、どんとこいです。


 けれど、せっかくのご家族なのですからいつの日かジルベルト様と一緒に家族の団らんを楽しめる日が来るといいな、なんて思ったりもします。


 もっともそれが簡単にいかないことくらい、同じく恐怖症を長く抱えてきている者同士だからこそよく理解もできるのですが――。



 なにはともあれ、想像していたよりははるかに多忙な日々ではありますが、この上なく快適で穏やかな日々を送っております。


 まさか結婚が、こんなに安らぎを与えてくれるものだとは思いもしませんでした。


 もっとも互いに一度も顔を合わせることも会話することも、食事をともにすることもない、完全別居のただの同居生活なのですが。



 こんな穏やかな暮らしなら、ずっと続いて欲しいなどと思いはじめていた私なのでした。




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