2章
あなたは西で私は東で
「奥様は東、旦那様は西棟にてお暮らしいただきます。中央棟のみ共同使用とはなりますが、お互いが顔を合わせずともお使いいただけるよう、こちらで時間を調整いたしますのでご懸念は不要です」
執事のバルツが流れるような説明とともに広い屋敷の中を紹介していくのを、思わず制止します。
「ちょっと待って。バルツ」
「なんでしょう、奥様」
バルツはヒューイッド家に長く仕える執事で、結婚式前の訓練の時にすでに顔合わせ済みです。
ですから特に緊張することもなく、こうして屋敷を案内してもらっているわけですが。
「東の方が、日当たりも窓からの景色もいいわよね。なら東棟はジルベルト様にお使いいただくなくちゃ。なんといってもこのお屋敷の主人は、ジルベルト様なのだし」
ジルベルト様からヒューイッド家は広いお屋敷だとは聞いていましたが、予想をはるかに超えていました。
なんでも先々代のご当主が大の馬好きで、何頭もの馬をのびのびと飼うため敷地がどんどん広がっていったとかで。
当然それにともない、屋敷も拡充していったのだそうです。
なんとも豪気なお話です。
そしてその広いお屋敷の東側の棟を、丸ごと私が使っていいとの許可をいただいたのです。
この広い十を超える部屋数のある棟を丸ごと、です。
日当たりも見晴らしも最高なこの棟を丸ごとなんて喜ぶべきなのでしょうが、にしても広すぎです。
けれどバルツは、穏やかな笑みとともに首を振るのです。
「いえ。旦那様は日当たりの良し悪しは気にしないからぜひこちらの棟を奥様に、と」
「でも……いくらなんでも贅沢すぎだわ。使用人の数だって、もっと少なくて平気よ。身支度だって掃除だって私一人でできるのだし……」
けれどもバルツはまたも「旦那様のご意向ですから」と首を縦には振らず。
「あ、それと部屋の壁紙なんだけど、あれは……?」
「お気に召しませんでしたか? ならばすぐに別のものを取り寄せますが……」
バルツの顔がわずかに曇り、慌てて首を振る。
「いえ。壁紙も家具もどれも私好みで、とても素敵よ。ただ、あの壁紙はどうみてもタッカード家の私の自室と同じだし、家具も皆私好みにぴったりすぎて……」
驚いたことに、私の居室の壁紙は実家とまったく同じものでした。子どもの頃からずっとお気に入りの、よく見慣れた壁紙。
家具も、私の好みを知り尽くしているかのようなものばかり。
「あぁ、ならようございました。今日に間に合わせるために、大急ぎで取り揃えた甲斐がございました」
バルツが安堵したようににっこり微笑みました。
「でもどうして私の部屋に使われていた壁紙を知っているの? 私の好みだって……」
一度も話したことのない壁紙のことも、私の好みもジルベルト様が知っているはずがないのです。
困惑しながら、そうバルツに尋ねれば。
「旦那様がタッカード家に直接お聞きになったのです。奥様のお好みや、家具のタイプやお色など、それはもう事細かく」
「ジルベルト様が? わざわざ……?」
ジルベルト様と出会ってまだたったの半年足らず。
いくら契約結婚を了承した際に私の望みをすべて叶えるというのが条件だったからとはいえ、まだお互いのことなど何も知らず、この結婚が果たしてうまくいくのかさえ分からないというのに。
「お忙しい身なのに、ジルベルト様自らそんなことまで……。なんだか申し訳ないわ」
「でも、なかなか楽しそうに選んでいらっしゃいましたよ? 少しでも奥様が気持ちよく、この屋敷で過ごせるようにとそれは熱心に」
その時の主人の様子を思い出してか、バルツの表情がふいに柔らかくなりました。
「恐怖症をおして、安住の地である実家を離れ嫁いでくれるのだから、とおっしゃって。それに、知らない者ばかりに囲まれて不安に違いないから、せめても好きなものに囲まれれば気持ちも和らぐのではないか、と」
「ジルベルト様がそんなことを……」
ジルベルト様が、有能と言われる理由が分かった気がします。
と同時に、見た目の硬質さとは裏腹に内面はとてもあたたかい人柄なのかもしれない、と。
そして、とても律儀で真面目な一度交わした約束は必ず守る方だということも。
「ああ、それから動物たちはすでに飼育小屋におりますので、後ほどお会いになってくださいませ。皆すこぶる元気に走り回っておりますよ」
初顔合わせの時に約束した通り、私がタッカード家で飼っていた馬や犬をはじめとした動物たちもすでに到着済みです。
私の望みを忘れることなく、きちんと約束を果たしてくれたことが嬉しく胸がじんわりとします。
屋敷に到着してすぐちらりと拝見しただけですが、立派な飼育小屋と、柵で囲まれた青々とした芝に覆われた放牧地が用意してありました。
本当に、これ以上ないほど快適な飼育環境です。
「これじゃまるで、本当に愛されてお嫁にきたみたい……」
そんなつぶやきが、思わずこぼれます。
あまりの高待遇ぶりに、そんな勘違いまでしてしまいそう。
ジルベルト・ヒューイッド、我が国の若き氷の宰相。
その、妻。
でもその実は、ただの利害が一致しただけの契約妻なのです。
なのにこんなにもまるで愛されて結婚したような、豪華なお屋敷を用意され歓待されて。
「そんな人の妻が私につとまるか、少し不安になってきたわ。別の意味で……」
思わずそんなつぶやきをもらす私なのでした。
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