そして夫婦(契約)になる
「ミュリル様……、どうかあと一歩。いえ、半歩で結構ですから、ジルベルト様に近づいてくださいませ!」
「ジルベルト様も、もうちょっとお顔の筋肉の力を抜いて! 死地へ赴くわけではないのですから!」
「時間がないのです、お二方とも! ここさえ乗り切ればなんとかごまかせますから、もうちょっと耐えてくださいましっ」
ヒューイッド家の使用人たちの檄が飛びます。
私とジルベルト様の挙式まで、残された日数はわずか。
私たちの結婚が愛で結ばれたものだと国内外に知らしめるために、なんとしても挙式は必要です。
国内外に知らしめるほど、皆様に大々的に知っていただけなければなんの意味もないのですから。
けれど。
私たちにとって、挙式はあまりにもハードルが高過ぎました。
挙式というものがこんなにも密着度が高く、困難を伴うものだったとは。
そのために目下こうして、つつがなく挙式をとり行うための訓練中なのですが――。
「私……自信がありません。お顔を見なければ少しは近くで話せるようになりましたけど、まだ正面切って向き合うのは怖くて震えが……」
ついそんな弱音を吐いた私に、ジルベルト様もため息で返します。
「私もです。腕を組むなんて到底無理です。あ、いいえ。ミュリル様が嫌だとかいうわけではなく……。って、分かっておいでですよね。……挙式がこんなにハードだとは思いもしませんでした」
「ええ……本当に」
二人でがっくりと肩を落とし、ため息を吐き出します。
この部屋にいるのは、ヒューイッド家に仕える信用のおける年配の使用人たちばかり。
もちろん互いの恐怖症に問題のない者だけを集めておりますので怖くはありません。
お互いの存在を除いては――。
ジルベルト様との結婚が決まってからの日々は、それはもう目が回るほどの忙しさでした。
一日も早く結婚という既成事実を作るために、それはそれは急ピッチで用意が進められたのですが。
問題は私たちにありました。
「ようやくお二人横に並んで立てるまでにはなりましたけど、いまだに向かい合わせで立つこともエスコートの真似事もできないとは……。果たして挙式までに間に合うかどうか」
私たちの遅々とした歩みに、皆も意気消沈気味です。
これが契約上の偽の結婚であることを、決して周囲に悟られてはなりません。
となれば挙式ではそれらしく振る舞うことは必須なのです。
なのに、私とジルベルト様は隣り合わせに立つのがやっとという有様で。
「こうなったら、旦那様は当日お怪我をされたということにして腕を包帯で吊っていただきましょう。そうすれば、物理的に腕組みはできませんから」
「でも、エスコートはどうすれば?」
確かにエスコートもなしにすたすたひとりで祭壇に歩いていく新婦というのは、この国ではあまり一般的ではありませんね。
「ミュリル様は腕の通っていない袖口をつかんで入場すれば、遠目には手をつないでいるようにも見えますよ」
「ああ、なるほど! それはいい考えだ! そうしよう」
そ……そうです、かね?
困惑する私の隣で、ジルベルト様がほっとしたように表情を緩めます。
「ですが、指輪交換は? 宣誓の口づけは、ミュリル様が成人となられる十八才のお誕生日を迎える日まで控えているという体でなんとか誤魔化せるとしても、さすがに指輪の交換は……」
「そ……それは確かに、必要ですよね」
結婚指輪の交換、それは挙式における宣誓の口づけと並ぶクライマックスシーンと言えるでしょう。
まさかそれすらなしでは、さすがにこれが本当に愛で結ばれた結婚なのかと疑う者が出てきても不思議はありません……。
ジルベルト様は私と向い合わせにはなれますから、まだ良いのです。
問題は、私です。
どうしても男性と近距離で向かい合うと、子どもの頃に見下された恐怖を思い出して無理なのです。
「……ならばベールを目の前が見えないくらいに分厚くするのは、どうでしょう? ジルベルト様の姿が見えなければ、真っ白な壁と向き合っているようなものですし」
「か……壁?」
確かに、姿が見えなければ恐怖心を感じずに済むかもしれませんが、新婦の顔が一切見えないほどの分厚いベールというのも少々物議を醸しそうな気もします。
「平気ですよ。きっと皆さん、新婦の恥じらいと思って納得してくださいます!」
そ……そうでしょうか。まぁそれ以外に、方法はないかもしれませんが。
「それと指輪は、互いの薬指の先にでもちょっぴり引っ掛ければ上出来ということにしましょう! 手元なんて列席の皆さんには見えませんし」
「は……はぁ。それでいけます……かね。でももし、ジルベルト様に発疹が出たら? 白い肌に赤い発疹は、遠目でも目立つのでは……?」
「お化粧すればわかりません」
「お化粧……。ジルベルト様が……」
隣のジルベルト様ががっくりと肩を落としたのがわかりました。
そしてこんなやりとりをうんざりするほど幾度も重ね、あの奇妙な挙式をなんとか終え、夫婦となった私たちは。
いよいよ、ヒューイッド家の広いお屋敷で夫婦としての生活をスタートすることになったのです――。
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