氷の宰相様の求婚
「ええとつまり、私の話で宰相という職を続けていくやる気が出たと……そういうことでしょうか?」
なにがどうしてジルベルト様のやる気に火をつけたのか、さっぱりわかりません。
が、ジルベルト様は至極真剣な眼差しでうなずかれたのでした。
「私はこの人生を賭して、この国の宰相という重責を全うしたいのです。それが私の望みなのです。けれどこの先も恐怖症をひとり抱え生きていくにはあまりにも苦しく、重責に耐えられそうにありません。でももしあなたがそばにいてくだされば、乗り越えて行ける気がするのです」
その苦しみは、痛いほどに理解できます。
誰にもこの秘密を打ち明けられず、弱みをみせることもはばかられ、平静を装い生きることはあまりに辛すぎますから。
だからこそ私も、愛する家族の元を離れ人との接触を避けて生きていこうと決めたのですし。
「でも私にお手伝いできることがあるようには、とても思えません……。まあ結婚という既成事実さえあれば、ある程度の女性避けにはなるでしょうが。それでジルベルト様の恐怖症を治して差し上げられるわけではありませんし」
とりあえずはアリシア王女からの求婚は回避できるとしても、ジルベルト様のお仕事上の苦しみや恐怖を私がどうにかできるわけではないのです。
やはり、私でなければならない理由はどこにも見当たりません。しかも動物付きなんて、ジルベルト様にとって平穏なお屋敷での暮らしの妨げにしかならない気がします。
「いえ、妻帯者という肩書のためだけではないのです。同じ苦しみを共有でき、私にはない前向きさとしなやかな強さをもったあなたがそばにいてくれるだけでいいのです。宰相としての人生を、今後も歩んでいくために必要な強さを学べる気がするのです」
「私はそんな強くもたくましくも……」
自分はそんな褒めていただけるような人間ではありません。
人並みに妻の役目も果たせない私に、ジルベルト様の力になれるようなことなんて。
「で、でも私は妻としての社交すら満足にできませんし、お荷物になるに違いありませんし……」
じりじり。
ぐいぐい。
私はひとりで生きていくことが、あの子たちにとっても私にとっても一番最適だと思っただけなのです。
もちろんそのための努力は惜しまなかったつもりですが、それは生き抜いていくために必要だったからに過ぎません。
それに人並みの社交もできず、妻としての務めも何ひとつ果たせないのです。その上動物たちまで一緒に嫁入りするなど、到底ジルベルト様にとって利があるとは思えません。
けれどジルベルト様は、一歩も引いてはくださらず。
「身内との最低限の付き合いを除いて、社交は不要です。もちろん屋敷は完全別居、屋敷内で私と顔を合わせる必要はありません。まぁ多少の家政はお願いするかもしれませんが、基本的にあなたの好きなようにお過ごしくださって結構です。……それに」
ジルベルト様は私をじっと見つめ、きっぱりと言い切りました。
「それに、あなたがお荷物になるなどありえません。むしろあなたの存在が、私の重荷を軽くしてくださるといっていいでしょう。ですからどうか、私に力を貸してください。私にはあなたが必要だと感じるのです」
じりじり。
ぐいぐい。
「いや、でも……」
「あなたはきっと、私にとって心強いお守りのような存在なのだと思います。そばにいてくださるだけで、充分です」
「お……お守りっ? そ、そばに……?」
ふいに顔が熱くなります。
あなたはお守りだとかそばにいてなんて言われて、平静を保てというほうが無理ではありませんか。
けれど、困惑と同時にこみ上げるこの思いはなんでしょう。じわじわと胸の中にあたたかなものが灯る、この感じは。
困ったことになったと、動揺しながら周囲を見渡せば。
話を持ちかけた張本人であるはずの陛下は、完全に蚊帳の外です。なのにその顔は、明らかにことの成り行きを興味津々に楽しんでおられる様子で。
王妃様は口元を扇で隠していらっしゃいますが、目が期待にキラキラと輝いています。
そして、お父様はといえば。
……説明の必要もありませんね。
そしてジルベルト様は、私を美しい目で真っ直ぐに見つめたまま視線を外そうとはせず。
その目の中になにか熱いものが揺らめいている気がして、一層顔に熱がこもります。
その目は真っ直ぐで、揺るぎなく。
それとは反対に、私の心はぐらぐらと揺れるのです。
そんな私にダメ押しをするかのように、ジルベルト様は私をしっかりと見すえたまま、数メートル離れた場所でひざまずき、こう告げたのでした。
「ミュリル・タッカード様。どうか私と結婚してください。私があなたの盾になります。あなたとあなたの大切な動物たちとの安寧で安全な生活を私がお守りします。……愛の代わりに、信頼であなたに応えるとお約束いたします。ですからどうか、私に力をお貸しいただけませんか?」
きっとこの先の人生で、誰かにこれほど求めてもらえることはないでしょう。
こんな私を認めてくれ、守りたい、盾になりたいなどと言っていただけるなんて。
私は嬉しかったのかもしれません。
誰かのお荷物になるどころか、これほど誰かに必要としていただける日がくるなんて思いもしませんでしたから。
「……わかりました。私でお力になれるのでしたら……不束者ではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします」
気づけばそんな言葉が、口からこぼれていました。
ジルベルト様もおっしゃった通り、私たちの間には愛などはなく。
あるのは、互いへの共感と生まれたばかりの信頼と、利害の一致のみ。
けれど確かにこの時、私とジルベルト様の縁は結ばれたのでした――。
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