愛の代わりにあるものは

 

 


「私には、自然にあふれた場所で暮らしたい理由がもうひとつあるのです」

「その理由を、お教えいただいても?」


 ジルベルト様の穏やかな表情に背中を押されるように、こくりとうなずき続けます。


「両親と弟の他にも、守りたい大切な家族がいるのです。その子たちに、今よりもっと自然に溢れたのびのびと暮らせる広い場所を与えてやりたいのです。今の屋敷の敷地では手狭ですし、これ以上窮屈な思いをさせたくないのです」

「その子たち……とは?」


 脳裏に、かわいいあの子たちの姿が浮かびます。

 今も私の帰りを待っているであろう、あの純粋な目をしたかわいい子たちの姿が。


「私がこれまで助けたり引き取ってきた、馬と犬といった動物たちです。たかが動物とお思いかもしれませんが、私にとっては命と同じくらいに大切で、幸せにしてあげたい存在なのです。あの子たちなしに、私のこれまでとこれからの人生は語れないほどに」

「……馬や犬、ですか」


 ジルベルト様は少し驚いた様子でした。


「男性恐怖症になって人生をあきらめかけた私を、あの子たちはこれまでずっと支え励ましてきてくれました。あの子たちのおかげで私は生きる気力を取り戻したのです。もしあの子たちがいなかったら、私は今頃……」


 決して大袈裟などではありません。

 あの子たちがどんな時もそばで寄り添い、心をなぐさめ支えてきてくれたからこそ、今の私があるのです。


「ですから、たとえ不便でもあの子たちがのびのびと幸せに暮らせる自然豊かな場所に移り住みたいのです。あの子たちがいてくれたら別に寂しくもありませんし、ボディガードにもなってくれますし」


 家族の元を離れ、人に頼らず、たったひとりで生きることはきっと苦しくもあるでしょう。


 けれどもう愛する家族に心配をかけて、頼り切りで生きるのも辛いのです。恐怖症を克服できない私の弱さのために、誰にも犠牲になってほしくはありません。

 

 そのための、新しい人生のスタートなのです。


 そしてこれまで私を支えてきてくれたあの子たちに、恩返しをしたいのです。きっとあの子たちと一緒なら、どんなことも笑顔で乗り越えられそうな気がしますから――。



 もしかしたら、他の方には理解してはいただけないかもしれません。わざと人との関わりを避け孤独を求めるような、こんな生き方は。


 でも同じ苦しみの中でこれまで生きてこられたジルベルト様ならば、もしかしたら理解してくださるかもしれない。人の輪の中で秘密を抱え、恐怖を必死に隠しながら生きるこの苦しみを共有できるであろう、ジルベルト様ならば。


 そして、結婚を望まない私の思いも理解してくださるかもしれない。


「ですから、私はジルベルト様と結婚することはできません。私自身の人生のためにも、あの子たちのためにも。どうかご理解くださいませ」


 こうして祈るような気持ちで私はすべてを打ち明け、お断りしたのでした。




 しばしの沈黙が落ち。

 そっと視線を、ジルベルト様の方へと向ければ。


 なぜか先ほどまで打ち沈んでいたように見えたジルベルト様の目が明るく輝いたように見え、私は驚きました。


「……ジルベルト様?」


 あまりに嬉々とした様子に、ついそう呼びかければ。


「では、その子たちとともにあなたが描くような環境下で暮らせるとしたら、私との結婚を考え直していただけますか?」


 返ってきた反応は、予想だにしないものでした。


「……は?」


 今なんと?


 予想だにしない提案に、私は呆気にとられました。

 そしてそれは私だけではなく、この場にいる皆も同じ気持ちだったようで。


「いや待て、ジルベルト。お前今の話聞いてたか?」


 陛下が身を乗り出すように、ジルベルト様に問いかけ。


「あらまぁ……」


 王妃様はそうつぶやいたきり、言葉を失っておいでです。


 かくいう私ももちろん、お口ぽかん状態です。

 皆が同じ顔をして、ぽかんと口を開いたままジルベルト様を見やります。


 けれどなぜかジルベルト様は、目を生き生きと輝かせておいでで。


「馬と犬と……あとは何でしたか? 私の屋敷は、敷地も建物も無駄に広いんです。私はほとんど屋敷におりませんし、敷地を含めて好きに使っていただいてかまいません。動物たちをゆったりと飼うにも、十分な広さがありますし」

「え? いえ、あの……。私は縁談をお断り……」


 なぜか急にぐいぐいと話を詰めてきたジルベルト様に、思わず顔をひきつらせそう言えば。


「わかっています。けれどその上で、もう一度だけ考え直してみてはいただけませんか?」

「……!」


 ええと、ちょっと意味がわかりません。


 ジルベルト様の焦る気持ちは分かります。王女からの求婚を一刻も早くお断りして、お仕事につつがなく打ち込みたいでしょうし。

 けれど、わざわざ私でなければいけない理由はないはずです。


 けれど、ジルベルト様は。


「あなたの話を聞いて目が覚めました。私は、あなたのお力を借りたいのです」


 きっぱりとそう言いきったのでした。


「私の力……とは?」


 なにか私がジルベルト様にご協力できるようなことを、これまでお話したでしょうか。

 そんなこと、何ひとつ話の中には出てこなかった気がするのですが。


「恥ずかしながら私は、王女だけでなくすべての女性を自分の人生を邪魔する害悪のように感じておりました。恐怖しか与えない存在だと。そしてそれに疲れ果て、宰相としてこれから責を負い続けていくことをあきらめかけていたのです」


 そう言うと、ジルベルト様はこちらを真っ直ぐに見つめ。


「けれどあなたのお考えを聞いているうちに、私も女性たちへの恐怖に背を向けることなく自分の望む人生を真摯に生きたいと強く思ったのです。そしてそのためには、あなたの力が必要なのです」



 ジルベルト様は、きっぱりとそう告げたのでした。




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