私にも譲れないものはあるのです
「……え?」
「……ほぉ」
「……まぁ」
「ミュリルッ?」
一瞬場の空気が凍りつき、しんと静まりました。
そりゃあこれは王命みたいなものですし、普通はこんな都合の良い縁談を断ったりしないとは思います。
でも土台無理なお話ですし、私の人生ですし。
今言った言葉には、嘘偽りはありません。私の正直な思いです。
「ミュ、ミュリル。しかしこれは陛下直々の縁談で、国のためでもあるんだぞ?」
お父様の顔色が、ジルベルト様に負けないくらいに蒼白になっています。
「承知しております。けれど、夫となる方と隣に並んで立つこともできないのに、安請け合いするわけにはまいりません。それにもう、私は自分の人生を決めていますから」
お父様がこのお話に乗り気なのはよく分かっています。
それが、私の身の安全や平穏を願ってのことだということも。
けれど私は。
「自分の生き方、か。ではそなたはこの先、どうやって生きていくつもりなのだ?」
陛下の視線がきらりと鋭さを増した気がします。
けれど、それにひるむわけにはいきません。
「私は、幸せに生きることをあきらめてはおりません。恐怖症を抱えてはいても、私なりの幸せな人生を歩みたいのです。……運命を呪いながら、めそめそと泣いて生きるのは嫌なのです」
私はくっと顔を上げ、ジルベルト様に視線を向けました。
男性恐怖症になってからずっと、時にめげそうになりながらも必死に前を向いて生きてきました。
それはもちろん簡単なことではなく、あきらめてきたものもたくさんあり。
だからこそ、今さら譲れないものもあるのです。
こんな運命に負けたくありません。
幸せをあきらめたくもありません。
きっと私だけに歩める人生の喜びが、どこかにあるはずです。
そうでなければ、悔しすぎます。
だから、私は。
「ですから私はこの先の人生を、人里離れた場所でひとり自活して生きていこうと決めております。多少は不便なこともあるでしょうが、町から離れて暮せば男性との接触を避けて暮らすこともできますから」
「人里離れた場所で、たったひとりでか……?」
陛下の目は大きく見開かれ、ジルベルト様もこちらを驚きと困惑の表情で見つめています。
私はそれにこくり、とうなずき。
「そのために必要な能力は、ひと通り身につけたつもりです。農作業だって力仕事だって何でもひとりでこなすだけの力も能力も身につけましたし、自分ひとりの食い扶持くらい確保できる自信だってあります」
その時、「ほぉ……」とつぶやいた陛下の目がきらりと楽しげに輝いたようにもみえました。
貴族らしからぬおかしな娘だと、失笑されたのかもしれません。
けれどどう思われても、私は痛くも痒くもないのです。自分の人生のためならば、そんなのどうってことありませんから。
「そんな新しい幸せな人生がようやくはじまると、思っていたところなのです……。ですから、ご心配やご配慮はありがたく存じますが、私は世間体や形ばかりの平穏のために偽りの結婚をするつもりはございません」
偽りの結婚で表面だけの平穏を手に入れるより、自分の力で自由にのびのびと生きていきたい。
その方がずっと私らしいですし、何よりこれまで私をそばで支え助けてくれてきた#あの子たち__・__#のためにもなるのですから。
そう告げた次の瞬間、小さなつぶやきが聞こえたのでした。
「自分なりの……幸せな人生をあきらめない、か」と。
その声に、ふと視線をやれば。
ジルベルト様の青緑色の目が、まっすぐにこちらに注がれていました。
「……だそうだ、ジルベルト。どうする?」
沈黙を破ったのは、陛下でした。
そしてジルベルト様は何かを考え込むようにしばらく黙り込み、そして。
「……ミュリル嬢。あなたのお気持ちをよく考えもせず、突然にこんな一方的な話を持ちかけたこと、心から謝罪いたします。失礼を、心からお詫びいたします」
その声には真摯な謝罪の気持ちがにじんでいるように感じられて、私ははっと我に返りました。少しむきになってしまっていた気もして、恥ずかしくもなり。
「いえ、あの……ジルベルト様がさぞ大変な苦労を重ねてこられたのだろうと尊敬はしておりますし、共感もあるのです。けれど私は……」
ジルベルト様がどんなに苦労の上でこれまで宰相という重責を背負ってきたのか、少しは理解できるつもりです。
お仕事柄、まったく女性と対することなく過ごしてこられたわけはないのですから。
どんなにか大変な思いをなさってきたのか、想像に難くありません。
それでも、やはり。
「けれど私はたとえ形だけとはいえ宰相の妻が務まるような人間ではありませんし、これ以上周囲のお荷物でいたくないのです。それに……」
「それに?」
私にはもう一つ、どうしても自然豊かな広々とした場所で生きていきたい理由があるのです。
けれど、果たしてこんなお話まで打ち明けるべきなのかどうか一瞬迷います。
他人から見れば、王命といってもおかしくない縁談を断る理由としては理解していただけない気もするのです。
でもジルベルト様ならば、わかってくださるかもしれない。
なせかふと、そんな気がしたのです。
「……それに? 他にもそうした人生を思い描く理由が、おありなのですか?」
その言葉に、私は。
私は縁談をお断りする失礼の代わりにせめて、ジルベルト様にすべてを打ち明けよう。
そう、覚悟を決めたのでした。
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