第29話 依頼の達成

 治療やら警察の事情聴取や諸々の手続き等を済ませる為に、学校を休んだ。結構ザックリいったと思っていた左腕も、出血こそ多かったものの幸いにもそこまで深い傷ではなかったらしい。

 ただ、暫くはなるべく腕を使わずに安静にしていなさいとのことだ。


 警察からはバチくそに怒られた。無茶をするな、逃げなさい、大声で助けを呼びなさいなどなど兎に角怒られた。

 俺は両親からは育児放棄の様な扱いを受けていたし、学校でも真面目に生活していたから怒られるなんてかなり貴重な経験だったな。なんというか、思いの外心にきた。怒られると何でか泣きそうになる。


 怒られた内容自体は最もだと思うが、実際あの局面に立った時にその行動が取れるかは別だと思う。そもそも大声をあげる、なんて不思議と考えもつかなかった。外で大声をあげるなんて発想が先ずでてこない。


 それと大村についてだが、警察に連行されて暫くして目を覚ましたそうだ。勢い余って殺したりしてなくてほっとしている。

 

 警察によると、大村は傷害罪で逮捕されたそうだ。ナイフを振り回したからといって、そこに明確な殺意があったかは別のようで、それが認められれば殺人未遂での立件になるだろうと言っていた。


 大村は内心でも口でも殺すとは言っていたが、最初以外刺すという殺す気満々の攻撃手段はなかった。その辺も嘘なく正確に伝えたし、殺人未遂にはならないんじゃないかと思う。

 俺もテメーが死ねなんて言っていたしな。言うくらいで殺意にはならんだろう。


 これから取調べが続いていけば、大村が何故凛のストーカーになったのか明らかにされていくんだろうか。それを俺達が知ることはあるのだろうか。帰りのタクシーでそんな事を考えた。


 ●


 午後になり、家で休んでいるとインターホンが鳴った。もうこれが鳴るとどうせ凛だろうなとしか思えない。


「はい」


『貴方の凛ちゃんが来ましたよー』


「うちは間に合ってます」


『いや訪問販売じゃな――』


 終了ボタンを押して切る。どうせ凛だろうなと思いつつ出た結果が凛。クイズで正解したみたいに、当たったと喜ぶべきなんだろうが……喜べるようなもんじゃない。何せ今尚インターホンがなり続けている。


「はい」


『先輩あーけーてー』


 舌打ち一つしてオープンボタンを押した。どうせ明けるまで呼び出しボタンを連打するんだから、最初から開ければいいと思いつつも、凛の思い通りになっているようで悔しいから一度は抵抗している。


 二、三分して再度インターホンが鳴ったので玄関を開けた。そこに立っていたのは私服姿の凛だ。大きめのTシャツの上にレースのカーディガンを合わせ、ショートパンツを履いた初夏らしい装いをしているな。


「先輩こんにちはー」


「おう。入るなら入れ」


「珍しく素直じゃん」


「ここまで来たらどうせ勝手に入るんだから招き入れた方が気分良いだろ。見た感じ学校は休んだのか?」


「昨日の今日じゃさすがに行かないっしょ。私も警察で事情聴取? 取調べ? あったしさ。ホントしんどかった」


 お邪魔しますと言う凛をリビングへ通して、お茶を猫マグカップに入れて持っていく。テーブルに置いてやると「ありがとー」とひと言礼を言ってから口をつけた。外は暑かったのか、若干顔が赤くなっている。

 凛はふうと一度息を吐いてから折り目正しく座り直した。


「えっと言いたい事とか聞きたいこととか色々あり過ぎて何から手をつけていいのかわからないんですけど、先ずは助けてくれてありがとうございました」


「おう、気にすんな」


「いや普通気にするって……。それと確認なんだけど、大村さんがストーカーだったって事で良いんだよね……? 昨日は写真来てないし、状況的にも……ね」


「まぁそうなるな」


 いずれ警察からも連絡が来るかもしれないし、隠してもしょうがないだろう。知り合いが実はストーカーだった、というのは嬉しくない事実だろうが、解決したって事をちゃんと理解する為にも必要だったと納得しよう。


「そっかぁ……。じゃあやっぱりそれについてもありがとうございました。先輩のお陰でストーカー事件も無事に解決できました。大村さんがストーカーだったってのは結構ショックですけど、それ以上に解決したって事実の方が嬉しいですね」


「だな。これでちゃんと寝れるだろ?」


「そうですねぇ。何かもう何から言葉にしていいかわからなくて、わーって頭がいっぱいいっぱいですね……」


 凛がまた泣きそうな顔をしている。事件が解決したことによる安心感や解放感もあるだろうし、事実を知ったショックも大きいだろう。

 今は俯いて鼻を啜っている。


「花粉症か?」


「んなわけあるか! 聞きたい事は他にもあって……。先輩怪我は平気?」


「大したことないぞ。一応安静にしとけとは言われてるがそんな大層な怪我じゃない。俺がここに居るのが証拠だな」


「血だらけだったじゃん……。何があったの?」


「ナイフで襲ってきた。正直死ぬかと思ったわ」


 死にたいわけじゃないが生きていたい訳でもない。ろくな人生でもないから死んだら死んだでしょうがない。それくらいの気持ちでいた。少なくともそう思っていたはずだ。

 それがいざ刃物を前にしたら死ぬかもしれない、死にたくないなってビビったんだから笑える。


「いや何笑ってんの先輩。全然笑い事じゃないでしょ……。血塗れの先輩見て死んじゃうんじゃないかって焦ったんだから」


「意外と死なんもんらしいぞ。俺も出血多量で死ぬかと思ったけどあれじゃ全然らしい。制服見るか? 血塗れの奴まだ残ってるぞ」


「そんな怖いの見たくないです。それで話戻しますけど、百合子に全部話したんですよ。ストーカーにあってたこととか先輩に助けて貰ってたこと、それで昨日ああなったのも私のせいって」


 凛のせいではなく、大村のせいだと思うがな。後は俺の甘さが招いた結果だ。


「そしたら百合子と賢治が先輩のご両親にもしっかりと挨拶して詫びと御礼をするって」


「いらんいらん。俺の為を思うならむしろやめてくれ」


「あと私のせいで人様の子を傷物にしたんだから責任取りなさいって言ってた。仕方ないから結婚しましょ先輩」


「しねーよ。俺は誰とも付き合わないし、誰とも結婚しない。それに傷も多分残らないって医者が言ってたぞ」


「そこは残しといてよ! どこ? 抉るから教えて!」


「なんだお前、怖いからもう帰れよ。もう少し欲望隠せって」


 興奮気味ににじり寄る凛から距離をとったが、どうやら冗談だったらしく大人しく座りなおした。もう好意を隠すことすらしなくなったが、俺はコイツになんて言えばいいんだ?


「ふざけていい事でもないですよね。私的にも先輩はたぶん嫌がると思うからって百合子達を説得したんですよ。でも大人としてじゃあいっかとはいかないって言ってました。せめて本人には会いたいって。治療費とか制服の弁償とか諸々もあるし」


 一応警察と病院から両親には連絡がいって、治療費は支払われている。制服については実費になるだろう。裁判を起こして大村に費用を請求することは出来ても、支払われるかどうかは別らしい。意味ないだろそれって話だ。

 だから制服代を払って貰えるなら助かるし、それで凛のご両親も溜飲が下がるなら悪いことじゃない。


「じゃあご両親に制服代だけお願いしてもいいか? 俺の両親には連絡取りたくないから、払って貰えるなら助かる。血塗れの制服は実際にダメになった証拠として持って帰るか?」


 俺の問い掛けに凛は腕を組んで悩んでいる。俺としてはもう捨てるだけだが、後になってわざわざ買い替えなくてもクリーニングで済んだんじゃないか、とか難癖を付けられる要因を残したくはない。実物を見て、これはどうしようも無いですねと納得してから費用を払って欲しい。

 これは凛のご両親を信じていないとかそういう問題ではなく、お互いの為だ。キッチリしたい。

 

「………………いいや」


「随分悩んだな」


「うん。よく考えてみたら先輩が命をかけて私を守ってくれたっていう思い出の品になるかなぁって思ったの……。でも生物なまものじゃん? そうすると保管とかどうなんだろうなってさ」


「言いたくないけど、お前平気か? ちょっと思考があれだぞ……?」


 凛に対して言葉にし辛いが、ストーカー的な思考な気がする。


「失礼ですね! その代わり写真は一応撮らせて貰えますか? 後出来れば着て欲しいかな」


「嫌だよ。何で血塗れの服に袖通さなきゃならねーんだよ」


 凛は不満そうに頬を膨らませた。

 今日はお互いに少し変なテンションな気がする。恐らくは色んな事が一気に起きて、それらが一気に解決して心が追いついていないんだと思う。俺だって昨日殺されかけたって事実を未だに上手く消化できていないような気がする。

 余りにも今までの日常とかけ離れ過ぎていて、現実感が薄いんだ。まるで人伝ひとづてに聞いたような、そんな他人事のような感覚に近い。


 それは恐らく凛も同じなんだろう。一時期は眠れなくなるほど疲弊して、いつになったら終わるかもわからない暗闇の中で必死にもがいていた。

 それが昨日突然襲われて、それで全部解決しましたと言われても感情を整理しきれないのは当然だ。しかもそれが知り合いによるものだった。余計に混乱するのは想像するに難くない。

 凛の気持ちを置き去りにして、何が起きたのか正しく認識できないままに全てが過ぎ去ってしまった。

 だからそれを発散するように変な言動を無意識にしているんだと思う。

 

 常に異性から監視され、何をされるかわからない日常はどれ程の心労を与えていたんだろうか。どれ程の不安で、どれ程の苦痛だったんだろうか。毎日送られてくる写真を見てカレンダーに記録する時はどんな思いだったんだろうか。

 

 家族に心配をかけたくないと頼ることもせず、友達を巻き込むまいと一人で抱え込んでいた凛は、どんな気持ちで朝を迎えていたんだろうか。

 

 そんな状況でも凛は家に閉じこもらずに、できるだけ今まで通りに過ごした。それはどれ程の勇気が必要だったんだろうか。


「……凛、今日まで良く頑張ったな」


「…………」


 自然とそう言葉になった。

 凛は感情を失った様に無表情で固まり、少ししてからそのまま涙を流し始めた。

 意志とは無関係に流れ出した涙を堪えようとしたのか、唇の端を血が出そうな程噛み、顔はクシャクシャに歪んでいた。

 それでも耐えきれず、嗚咽混じりに子供のようにわんわん泣き出してしまった。


「はぁ……俺が吐いたら背中さすれよ? 変顔してないで早くこっち来い」


「いいがだあああ」


 手を軽く広げてやると、凛は親に縋り付く子供のように胸に抱き着いた。言い方が気に入らなかったのか、イイガダイイガダと、アマゾンの奥地に居る謎の動物みたいな泣き声を上げ続けている。涙は女の武器、なんて話を聞いたことがあるが少なくとも凛には当てはまらないようだ。


「お前泣き方西澤に習えって。言っちゃなんだが可愛くねーぞ……?」


「ホガドオンダのダマエダスアアアア、アドイイガダアアアア」


「何言ってるかわかんね。誰だ恩田」


 泣く事で心の整理ができるなら容易いものだ。好きなだけ泣けばいい。何をしてやれる訳でもない、共感してやれる訳でもない。何も出来ない俺は必死にしがみついてギャン泣きしてる凛の背中をゆっくりと右手で撫でた。


 こんなにも人に触れているのに、不思議と不快感や吐き気は訪れなかった。




――――――――――――


あとがき


大変申し訳ないですが、次のエピローグで本作の投稿は終了したいと思います。

残念ではありますが、人気は出ず、需要が無さそうなので継続は難しいと判断しました。ここまで読んで頂いた方には申し訳ない気持ちです。


一応締める用のエピローグと、投稿時には書いてしまっていた2章へ続くエピローグも供養の為に上げて、計二話を投稿します。


中途半端な幕切れになってしまいますが、宜しければ最後までお付き合い頂けると幸いです。ここまでお付き合い頂いた方、大変ありがとうございました。


打ち切りエンドになってしまい、申し訳ありません。

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