第28話 対決
「落ち着きましょう。大村さん」
大村が何をポケットから取り出したのかは、暗くて正確にはわからない。だが十中八九刃物の類いだろう。
大村は小声で何かをブツブツと繰り返し、一歩一歩距近付いてくる。大村との距離はもう一メートルちょっとしかない。
足に自信がある訳でもないし、何より俺が大通りに向かって走るには振り返る動作が必要だ。だが大村はそのまま走って俺の背中に刃物を突き立てればいい。とてもではないが大通りまで逃げられないだろう。
「大村さん、先ずは落ち着いて下さい。急にどうしましたか?」
今更言葉を投げかけた所で意味なんて無いだろうが、それでも声をかけた。結局今できる悪あがきなんてそんな物しかない。
目が慣れてきたのか、それともそれだけ近付いたのか、大村の手元に目をやればようやくハッキリと持っている物が見えた。持っていたのはペティナイフ。刃渡りは十二、三センチくらいだろうか。人を死に至らしめるには十分過ぎる長さだ。
「お前が悪いんだ。僕の凛ちゃんに近付くお前が悪い」
「そうですね。先ずは落ち着いて話しませんか?」
ある程度、怪我をすることは覚悟していた。そうでなければ警察を呼んでも厳重注意をして終わりだろう。そんな事で解決するならストーカーなんてしない。
だが実際に刃物を取り出されれば尻込みしてしまう。ブレザーは多少防具の代わりになってくれるだろうか。刺されなければ大丈夫だろうか。
凛や西澤を狙うことなく、俺を狙ってくれたのは計画通りだ。ただ、銀色に光るそれを見て恐怖心が沸き立つのは計画にはなかった。
「――いんだからな。お前が悪いんだからな。お前悪いんだからなッ!!」
大村はまるで自分を奮い立たせる様に声を張り上げて走り出した。急所は守る、刺されない、手を掴んで心を読む、俺のやるべき事はこれくらいだ。違うな、俺に出来るのはこれくらいだ。
大村はまるでフィックションの様にナイフを腰の辺りに構えて突撃してくる。
俺の狙いは集中してギリギリで避けて、手を掴むこと。緊迫した状況の中で不思議と思考はクリアだった。
大村の突進を横に避けて、手を掴もう……としたが無理だった。届かない。俺は無意識にギリギリでもなんでもなく大袈裟なほど、手を伸ばしても届かないほど横に逃げていた。
無理に決まってんだろ……。刃物を前にしてギリギリ避ける? 手を掴む? できるかッ!
「クソがッッ! 危ねーだろ!」
大村は大袈裟に回避した俺に即座に追撃をする事もなく、数歩歩いてから止まった。刺突を避けてから別の攻撃に切り替える、或いはすぐに軌道修正して刺すこともしなかった。刺すのはマズいと微かに残る理性ががストッパーになったのかもしれない。心のどこかでは避けて欲しいと思ったのかもしれない。
「なあ大村、やめよう。今ならまだ間に合うって」
大村は意に介さず振り返ってナイフを振り上げたままこちらに走ってくる。大村の動きがやけにスローに見える中、『無防備な腹に蹴りを入れる』『こちらから一歩詰めて内側に入る』など次の行動が浮かんでは消えていく。だが結局俺に出来たのは唾を飲むことだけだった。
振り下ろされたナイフを反射的に腕でガードした瞬間感じたのは熱さ。高温の何かを一瞬だけ押し付けられたような痛みの後、ズキズキとした痛みに変わった。
痛みなんかに構っていられず、振り下ろした事で体勢を崩した大村の手をしっかり掴んだ。心を読めば次の行動がわかる。次の行動がわかれば止めることも回避することもできる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)
大村の手を通して流れてくる声は明確な殺意だけだった。必死になって刃物を持つ手を抑えているが、聞こえてくるのは殺すという言葉だけ。
……本当に使えない力だ。切られた痛みか、デメリットしかない力のせいか、大村に手を振り払われ、オマケに腹まで薄らと切られた。
「痛ってーな……」
漫画やアニメだったら普通はああするこうするって次の行動を示唆する声が聞こえるだろ……。
大村はまたナイフを持って近付いてくる。さっきから胸ポケットで振動してるスマホを取り出して、大村の顔に向かって投げつけると、大村は咄嗟に両腕で顔を隠した。
俺はその隙に奴にタックルして押し倒し、馬乗りになった。どこかで金属の落ちる音が聞こえ、大村も手にナイフは持っていないように見えた。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「テメーが死ねクソがッ!」
暴れ回る人間を抑えて拘束する術なんか知らない。馬乗りのまま、がむしゃらに顔面を殴り続けた。大村が顔を両腕で抱え込む様に守っていてもお構い無しに殴り続けた。
顔殴ってんのか腕殴ってんのか地面殴ってんのかもよくわからないままコブシを振り続け、少しして大村が大人しくなったことで殴るのをやめた。
「さすがに死んでないよな……?」
横向きに顔を庇うように倒れている大村の腕をどかすと、多少顔が腫れてはいるものの、思った程ダメージはなさそうだった。素人同士の泥臭い戦いは、終わってみると呆気なく拍子抜けするようなものだった。
切られたお腹はかなり浅かったのか、もう出血は止まっていたが切られた左腕の血は止まっていない。タックルした時にぶつけた膝も、殴った拳も、切られた腕も思い出したかのようにズキズキと痛み出す。
「とりあえず警察を……」
そう思った所でサイレンの音が聞こえてきた。スマホも投げたからないし、取りに行ってる間に大村が動き出しても怖い。このまま馬乗りで警察が来てくれるのを信じて待とう。
とりあえず疲れた。
●
「先輩!」
「白石くん!」
暗い路地を懐中電灯でこっちを照らしながら警官と二人が来たようだ。眩しくて姿は見えないが、とりあえず無事であること、犯人では無いことが分かるように両手を振った。
「君! 大丈夫かっ!」
「大丈夫じゃないっす。コイツ捕まえて貰えますか? ナイフ振り回して来たストーカー野郎です」
警官の一人が俺の代わりに大村に手錠をかけて拘束してくれた。よく見るとそれなりの人数警官は来ている。
警官の一人に支えられて、大通りの方へ向かって歩く。
「無事でよかった……!」
「急に無茶しないでよ……!」
少し離れた所で警官に守られていた二人が駆け寄ってくる。
「待て待て待て。普通に怪我してるから近づくな」
お腹の当たりは血で染まってるし、抑えていた事で腕の血は治まってきたが血塗れだ。幸いにも今は暗いし、紺のブレザーだからそこまで目立たないがべっとりと何かがついているのはわかる。
これ制服代は誰が出してくれるんだ? 治療費は?
俺の姿を見た凛はグズグズと泣き出し、西澤も両手で口を抑えて静かに泣いていた。
「なんだ花粉症か?」
「んなわけあるか!」
凛は泣きながら怒り、西澤は無事で良かったと繰り返し呟いていた。
「悪いが今日は送って行けそうにない。お巡りさんに送って貰え。とりあえずお前らが無事で良かったよ」
「それはこっちのセリフだ」と顔をくしゃくしゃにして鼻声で言う凛は、泣き方が可愛くなくて思わず笑ってしまった。逆に西澤はしゃくり上げる小さな子供のように静かにポロポロと泣いていた。さすがは西澤、泣いてる姿も絵になる。
そんな二人に手を振って別れ、警官の誘導に従った。
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