第25話 協力依頼
マンションを出ると早朝は比較的日差しも穏やかで、暑いというよりは暖かく感じる程度だ。後一、二時間もすればブレザーなんて着ていられないくらいに暑くなるんだろう。ただ、もう時期やってくる梅雨を考えると憎く感じる太陽も少しだけ大目に見てやろうと思えた。
そんな爽やかな朝に、目をしょぼしょぼとさせながら後ろを歩く人間が一人。何しに来たかわからない存在、芦屋凛。凛は左手で俺の右手の袖を掴んだまま、目を開けてるのか閉じてるのか分からないような顔で歩いている。
「頼むから歩きながら寝るなよ? 子供じゃないんだからさ」
「寝たらおぶって下さいね」
「そしたら俺ゲロ吐くから無理」
「そんな人を汚物みたいに言うなし」
「昼飯はあるのか?」
「まだだからコンビニ寄ってい?」
いつもより早く出ることになったから時間なら十分ある。このまま真っ直ぐ学校へ向かってしまえば、八時には教室に着いてしまうだろう。コンビニで少し時間が潰せるのなら願ってもない事だな。
「コンビニで昼飯買うって珍しくないか? 何だかんだいつも弁当かブロッコリーだったじゃねーか」
「今日は早くお家出たからね。お弁当もないし、駅まで歩きだったし大変だったよー」
話しながら歩く事で目が覚めてきたのか、少しづつ足取りがしっかりとし始めた。通学路では他校の生徒は見掛けるが、同じ学校の生徒はまだほとんどいない。遅刻しそうなのか走っている人、ヒールの音を響かせて歩いている人、朝から疲れた顔の人など、駅へ向かうたくさんの人とすれ違う。
「つか目が覚めたなら手離せって」
「袖なんだからいいじゃん。それとも昨日みたいにおしり触る?」
「だからおしりは触ってねーだろ。お前おしりどこについてんだよ」
袖だから良いという理屈はわからないが、思い返すと凛のバイトを手伝った辺りから、腕を掴んだり俺の体に触れることをしなくなった。以前までは強引に腕を掴んだりして引っ張っていたが、普通ではない様子を見て配慮してくれたんだろう。それがわかっている手前、袖も掴むなとは言いにくかった。普通なら体に触れてきそうで嫌だが、凛はそうしないという妙な信頼感がある。歩きにくいというデメリットはあるが、ただそれだけだ。
凛をコンビニに放り込み、外でぼーっと待つ。
もし俺が普通の人間であれば、凛は俺の手を握っているんだろうか。そして俺はそれを普通に受け入れていたのだろうか。前提条件が産まれた瞬間から達成出来ないんだからいくら考えた所で無意味だが、それでもふとした瞬間に考えてしまう。
慣れた様子で手を繋ぐ恋人達や、ちょっとした事で握手をするクラスメイト。肩を叩き合う男子生徒や、女子からのボディタッチにニヤつく男子。そういう人達を見ると、少しだけ心が濁る感じがする。最近は特にそうだ。
高校に入ってから今まで、人と過ごすことがほとんど無かったからこそ、意識しなかった孤独感。それを凛と関わるようになって強く感じるようになった。誰かと過ごす事で、より一層自分が独りだという事を意識してしまった。
一緒にいるだけでいいとは思えない。きっと俺は心のどこかで人に触れたいと思っている。それが寂しさから来るのか憧れからきているのかはわからない。
ただそれが無理だということだけがはっきりとわかっている。
「おまたせー」
「おう」
凛がコンビニから出てきたことで思考が中断された。ネガティブになってしまった思考をかぶりを振って払い、学校へ向かって歩き出した。
右腕に重さを感じた。凛はまた、左手で俺の右手の袖を掴んだみたいだな。チラリと凛を見てみれば、何が楽しいのかわからないが、嬉しそうに顔を綻ばせ、足取りも軽やかな様子で歩いている。眠そうにしてたくせに、飯買ったらご機嫌か。
「先輩先輩! 今日の放課後も送ってくれる?」
「かまわないぞ。というより来週までそのつもりだ」
「マ? もしかして誕生日目前特別企画?」
「なんでもいいわ」
「ちなみに私の誕生日は毎月あるよ。先輩大変だー」
「お前年に12歳年取ってんの? 老化の速度エグくね?」
「女の子に老化とか言うなし」
自分の持ち出した設定なのに、俺に文句言うのはおかしいだろ。くだらない話をしていると学校へ到着し、教室まで付いてこようとする凛を追い払って、ようやく一息つける。
昨日のレインの遣り取りを忘れた訳ではないだろうに、普段と変わらずに接してきた。朝早くから突撃してきたんだから、むしろ積極性が増したまである。正直何を考えてるのか全く理解出来ないな。どうして俺に寄ってくるんだ。
短期間に二度も力を使った影響か、自分の心が弱っているのを感じる。さっきの情けないことこの上ない孤独感もその影響だろう。
授業開始まではまだ20分はある。少しだけでも寝て気持ちをリセットしよう。そう考えて、机に突っ伏した。
●
学校に来て実質三度寝をかましたおかげで、気持ちはリセットできた。その代償として午前中の授業は頭が働かず、朧気にしか記憶が残っていない。
昼休みに稲葉は横座りし、俺の机に肘を乗せた。お決まりのチョコチップのパンを持って、お決まりの最近ちょっと気になった話を語りだした。
三歩で忘れる鶏は、忘れてしまったという事実は覚えているのか、というのが気になったらしい。話題としては面白かったが、鶏の専門家じゃない俺達がいくら想像をふくらませた所で答えはでない。
「なぁ稲葉。話は変わるんだが、水曜日はあいてるか?」
「和泉がそんなこと聞くなんて珍しいな! 空いてると言えば空いてるぞ。むしろ空いてない日がない」
「じゃあ悪いんだが来週の水曜は放課後少し時間をくれ。頼みたい事がある」
「いいぜー。この俺に任せんしゃい!」
何を頼むのかも聞かずに任せろという稲葉に、少し胡乱気な視線を送ってしまったが引き受けてくれるならいい。
来週の水曜日は俺が大村と接触する為に、俺の代わりに凛を送って欲しいのだ。今まで通りならまた凛を付け回すはずだから、その現場を抑えて辞めろと言いたい。
凛のバイト先の常連だと言っていたから、そこで接触する事も考えたが、凛が近くにいる場所で話し合うのは避けたかった。逆上して凛に襲いかかっても困るし、自分の知り合いがストーカー野郎だったという事実は知って嬉しいものでもないだろう。
凛の知らない場所で、凛の知らない内に解決するのがベストだ。解決したかどうかハッキリと知らせるかは悩む所ではあるが、選択肢があるだけ良いだろう。
その日は凛と舞奈と稲葉の三人で帰って、稲葉には現在地を常に教えて貰い、俺はバレない様に大村に近付きたい。三人なら稲葉が狙われる事もないだろう。
詳細は後で詰めるが、まず先に舞奈にも確認をとってからだな。
「悪いな。正直助かるよ。詳細についてはまた後で説明するから頼むわ」
「あいよー」
舞奈に確認する為に一年の教室へと向かう。舞奈が教室で食べてれば良いんだけど、居なかったら今日は諦めるか。水曜日まで時間はまだある。
一年のフロアにやってきたが、二年や三年のフロアよりは割かし大人しめに過ごしているようで、比較的静かだ。歳を重ねる事に騒がしくなるというのも不思議な話だ。
一年三組の教室を覗くと、窓際の席で机を寄せてる女子四人がいた。その中に舞奈と凛がいる。教室にズカズカ入るのは気が引けるが、一番遠い窓際に廊下から声を掛けるのも変に注目を集めそうだと思い、ドアの近くで机を寄せている女子グループに声を掛けることにした。
「なあ、悪いんだけど。舞奈を呼んでもらえるか?」
「……え? 進藤さんですか?」
「いやすまん、舞奈が進藤かわからないわ。あそこの凛達と一緒にいる舞奈だ」
舞奈を指さして言うと、メガネ女子は「進藤さんですね」と納得顔で席を立った。どうやら呼んでもらえるらしい。
メガネ女子が舞奈に話しかけると、凛と舞奈を含めた女子グループ全員がこっちを見た。軽く手を振ってアピールすると名も知らぬ女子二人がワーキャー騒いでいる。まぁ昨日凛を迎えに来た奴が、次の日の昼休みに今度は舞奈を呼び出すんだ。頭の中がお花畑になっていそうな女子グループとしては芸能人のゴシップ記事くらいにはホットな話題なんだろう。
舞奈は少し困った様な顔をしたあと、凛に何かを言ってからこちらへ歩いてきた。女子二人が騒いだせいで、男子もこちらに注目している。その視線は昨日同様にトゲがあった。
「おまたせー。呼ぶのは良いんですけど、凛がいない所で呼んでくださいよー」
「いや知らんよそんなん。もしかして舞奈もモテるのか? 結構男子からの視線が痛い」
あと凛もだな。めっちゃくちゃ睨んできてるわ。
「どうだろ。凛程ではないけどそれなりにはーって感じですかね。それでなんの話ですか?」
「ああ、次の水曜日って空いてるか?」
「あー……。まさかウチの事狙ってるとかじゃないですよね?」
「全然違うから安心しろ。だから凛が噛み付いてくることも無い」
「やっぱわかりますよね。凛から聞く限り迷惑かけてるレベルでアピってるみたいですし……。それで水曜日ですけど平気ですよ」
「じゃあちょっと協力してくれ。それと念の為レインのID教えてくれ」
「スマホ置いてきちゃった。ちょっと待っててください」
舞奈は席へと戻り、机の上のスマホを手に持った。舞奈は凛に余計な何かを言ったらしく、憤慨していた。俺の方を見て立ち上がろうとした所を女子二人に抑えられ、不満そうにムッとしていた。
「お待たせー。先輩が私とレインの交換したいんだってーって言ったら浮気かーって怒ってましたよ。ウケる」
「そもそも俺が誰と何しようが浮気にはならんだろ……」
舞奈とIDの交換を済ませ、詳細はまた近い内に知らせると伝えて別れた。教室へ帰る途中、スマホが振動したから見てみると舞奈からレインが届いていた。
『凛にそんなむくれてると可愛い顔が台無しだって先輩が言ってたって伝えたら秒で機嫌治った。マジチョロい』
『んな事俺は言ってねーだろ。嘘をつくな嘘を』
『これがその時の写真』
送られてきたのは一枚の写真。凛がサンドイッチ片手に眉をしかめながら、下唇を少し突き出してムッとした表情をしていた。だけどよく見ると口角を少し上げているという何とも絶妙な変な顔だ。
『急に変顔送ってくんなよ』
その後、凛から来た『殺す』というレインは通知でだけ見て既読は付かないようにした。見ていないのだから俺は知らない。
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