第23話 遭遇

 ゲーセンを後にした俺たちはオシャレなカフェで休憩する事にした。六月だからまだ日は高いが、もう夕方と言える時間になっていた。あと一時間もすれば、街中は仕事帰りの人が多くなるんだろう。


「はぁー、それにしても先輩にも意外な弱点がありましたね。私てっきり弱点とかないタイプかと思いました」


「普通に苦手なものはいくらでもあるぞ。でも俺自身大きい音があんなにも苦手だとは知らなかったわ。もうゲーセンは二度と行かない所リストに登録した」


「そんな大袈裟な。でも考えてみると私たちってまだ知り合って一ヶ月半くらいですよね。そりゃあ知らない所も一杯ありますよねぇ」


 凛は何か長い名前のラテを飲みながらシミジミと言う。その表情は楽しかった思い出を振り返っている様な穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 言われてみれば確かにまだそれくらいしか経っていない。 

 去年の一年間と今年度入ってからの約二ヶ月で、稲葉と学外で会ったのは先日の勉強会だけだ。それが凛の場合だと厄介事に巻き込まれる形で結構な回数こうして学外で過ごしている。

 そう考えれば俺にとってこの一ヶ月半の濃さは一年以上に匹敵する。そりゃ一ヶ月半しか経っていないのを忘れるのも頷ける話だな。


「高校入学前の私に、あんたは出会って一ヶ月半くらいの男と何度もデートして、家にも何度も行ってるよって言ってもきっと信じないと思うなぁ」


「俺からすればかなり有り得ないシチュエーションだな。それ完全に遊んでるタイプじゃん」


「失礼ですね! 私はまだ処……セクハラですよ今の」


「今のはセクハラじゃなくて自爆だろ……。人のせいにすんなよ」


 勝手に暴露を始めた凛は真っ赤な顔で俺を睨んだ。別に恥ずかしがるようなものでも無いと思うが、こいつの価値基準は俺とかけ離れているからわからない。少なくとも、ストローを咥えながら涙目で赤くなっている顔を見るに凛にとっては恥ずかしい事のようだ。


 それから、明日になれば忘れていそうな取り留めのない話をしながら過ごした。好きな物、好きな色、好きな食べ物……などなど。一体これは何の尋問なんだと言いたくなるような質問ラッシュに付き合わされている。


「じゃあさ、じゃあさ。先輩は小さい頃どんな子供だったの?」


「……バカな子供だったよ。ま、その辺はマネージャーを通してくれ」


「いやマネージャー誰だし。じゃあ先輩の好きな女性の――」


「そろそろ行くぞ」


「もう、急ですね」


 外はもう夕暮れ時だ。凛が言うには、撮られている写真はどれも日中だって話だ。今日もどこかで付け回してはいたんだろうが、もうそろそろ撮影会は終わりだろう。ストーカー野郎がいるのをわかっててあんまり遅くなるのも良くない。


 店を出て、駅に向かって繁華街を歩く。まだ学生も多いが、仕事帰りの会社員もそこそこ多い。最初に比べて、更に半歩くらい凛は俺に寄って歩く。あと少しで肩が触れそうな距離感だ。いつもよりバニラのような匂いが近くに感じた。


「先輩、今日は楽しかったですね! 明日はどうします? お家デートにします?」


「なんで明日も送ることになってんだよ。それに家にも行かない」


「何でそんな家に行くの嫌がりますかね〜。普通男子って家に連れて行こうとしません?」


「それは下心があるからだろ」


「それなら先輩も少しは下心を持てし」と、凛は好意を隠さずにブツクサという。

 

 凛の勘違いを正してやりたい。お前のそれは恋心ではないぞと、もし仮に恋心だったとしても吊り橋効果による物だと。だが直接ハッキリと何かを言われた訳では無い。それなのに俺が「お前の気持ちには答えられない」なんて言うのは思い上がりも甚だしいのではないか?

 突然そう言ったところで「急に自惚れてどうしたんですか」と有耶無耶にしてしまうかもしれない。そこで仕切り直しにされてもどうせ断るだけなのだからキッパリと未練を断ち切りたい。が、それは直接言われた時にすれば良いか。これでは思考がループしてるだけだな。


 今は多少迂遠なやり方でも、誰かと付き合うつもりは無いんだと伝えるのが得策だと思う。少なくともこれ以上凛が近づかない様、そうするべきだ。


「なぁ凛、俺は――」


「あれ? 凛ちゃんじゃない?」


「え?」


 突然後ろから呼び掛けられた声に、凛が惚けた顔で振り返る。俺もそれに合わせて振り返ると、そこには二十代くらいのメガネをかけた若い男が立っていた。私服姿のその男は大学生か、社会人かはわからない。


「やっぱ凛ちゃんだ。偶然だね」


「大村さんじゃないですか! こんな所で会うなんて珍しいですね!」


 どうやら二人は知り合いらしく、凛も警戒心は抱いていないように見えた。俺はその男に視線を向けながら凛に顔を寄せ、小声で話しかける。


「知り合いか?」


「うん。大村さん、バイト先に良く来る常連さんだよ」


 凛はバイト先で常連さん達とはよく話していた。しかもお互いの名前を知っている程度の間柄であれば偶然外で見掛けて少し話し掛けてきてもおかしくはない。……おかしくはないような気がするが、この男は俺が凛に顔を寄せた時に微かに眉を顰めていた。それに凛のクラスメイトと同じような棘のある視線を向けられている。だがそれだって特段珍しくもないだろう。今日の買い物中だって凛は異性の視線を集めていた。事実モテるんだろう。そんな子が男と歩いていれば面白くないと思う奴もいる。


 ただの淡い恋心の様なものを抱いているだけかもしれないし、何となく気に入らないだけかもしれない。……判断に困るな。

 暫く静観して話してる様子を見る。その様子は二人とも至って自然体で、凛からも嫌悪感のようなものは感じられなかった。


「凛ちゃんはデートだったのかな?」


「デートって程ではないですけど大体そんな――」


「ひでーな、凛。デートしてあげますって言ったのは嘘だったのか? 話し中割り込んですいませんね。俺は白石って言います」


 俺はどちらにせよ確証が欲しい。コイツがストーカー野郎でも、そうじゃなくてもハッキリとさせたい。そうじゃなければわざわざ今日、外をほっつき歩いた意味がない。ここで躊躇ってはいつまで経っても解決なんてしない、と覚悟を決めた。


 背中に嫌な汗をかきながら手袋を外し、素手で握手を求めた。緊張か不安か、それとも力を使う恐怖か、心臓の音が外に聞こえるんじゃないかってくらい大きく響く。


「どうも、僕は大村って言います。以前一度だけ凛ちゃんとカフェで働いてませんでしたか?」

 (白石覚えたぞ。お前は邪魔なんだよ)


 手が触れた瞬間相手の心の声が頭に響く。脳ミソを揺さぶられるような不快感と、知らない感情のようなものが流れ込んできて吐き気が込み上げてきた。だがまだ確証には至らない。不自然でも良いからとにかく俺は手を離さずギュッと力を入れると、相手も強く握り返してきた。何を張り合ってるのか知らないが好都合だ。

 

「ええ、良く知っていましたね。凛がどうしても一緒にって言うもんですから一度だけですけど」 

 

「その日は僕もカフェに居たんですよ?」

 (凛ちゃんがお前なんかと一緒にいたい訳ねーだろ。いつもいつも凛ちゃんに付きまといやがって)


「ちょっとちょっと! 恥ずかしいから変な事言わないでよ!」


「俺の家で寝てここに住みたいーなんて言うくらいなんだ、今更恥ずかしがることないだろ」


「へぇ〜」

 (あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す)


「ちょっとホント恥ずいって……」 


「それじゃあ大村さん、俺たちはこの辺で失礼しますね」


「ちょちょっと先輩!」


 手を振り払う様に強引に離した。手袋をはめて奥歯を噛み締め、体の奥底から込み上げる怒りや吐き気を必死に堪える。

 コイツだ、間違いなくコイツだ。俺をいつも邪魔だと言っていた。いつもなんて居ないが、そう思う程には俺と凛を見ている。

 

 久し振りに自らの意思で触れた他人の心は強烈なものだった。ドロドロとしたどす黒くて生臭い様な感情は、俺の脳にこびり付いて離れない。日常的に心を読んでいた頃には感じた事のないおぞましい何かが澱みとなって胃に溜まっている、そんな気がして今にも吐き出しそうだった。


 それでもここで仕上げに入る。これで少しでも俺が嫌な男に見えればいい。凛は良いように使われる被害者で、俺は女を食い物にする悪い男、そう見えてくれればいい。

 俺はもう少しだけ耐えろと、自分に言い聞かせて凛の腰の辺りに手を当てて抱き寄せて歩く。


「悪い、少し我慢しろ」


「ちょホント何? わけわかんないって!」


「良いから少し嫌そうにしろ」


「説明! 説明してよ! 何で私先輩におしり触られてんの?!」


「お尻はさわってねーだろ! だから嫌そうにしろって、何ニヤついてんだお前。気持ちわりーな」


「は? してませんけどは? つか顔色も汗もヤバいけど大丈夫……?」


「……まだ行ける」


 十分煽ったし、俺にヘイトが向いたと信じよう。今頃あのストーカー野郎ははらわた煮えくり返って発狂してるんだろうな。ざまあみやがれ。


 凛を抱き寄せたまま、人混みを早足で通り抜ける。もう距離は稼げただろうか、奴を撒くことはできただろうか。

 あのストーカー野郎の心を読んだ反動か、はたまた未だに凛に触れている影響か、吐き気が治まることはなく、ベコっと胃が吊り上げられる様な感覚が止まらない。


「せ、先輩ちょっと休んだ方が……」


「悪い、限界」

 

 俺は飛び込むように狭い路地に入り込んで、生理反応に任せて全て吐いた。

 喉がひりつく様な痛みと、鼻をつく酸っぱい匂いで咳き込む様に繰り返し繰り返し何度も吐いた。流れ込んできた他人の心、あの男の生臭い不快な感情、こんな力を持っている嫌悪感……色んな物が体から出ていく様に願いながら吐いた。


「私どうすればいい? 大丈夫? 救急車呼ぶ?」


「うっ……呼ばなくていい」


 俺は胃が空になってからも、お腹をベコベコへこませながら、赤黒い血のような物まで吐き続けた。

 

 心を読む力は昔より強くなっているように感じる。昔は声が聞こえても、ここまで感情をダイレクトに感じる事なんてなかった。言ってみれば頭に直接囁かれている様なものだった。それが今では俺の中に誰かが居るような感覚になる。そう思ってしまうほどダイレクトに感情が伝わった。

 完全に同調している訳では無い。だからこそ余計に気持ちが悪くなるんだろう。あのストーカー野郎の歪んだ愛憎を直接感じながら、それと同時に客観的に見ている俺がいた。

 

 もしかしたら能力が強くなったのではなく、ストーカー野郎の感情がそれだけ強い物だったのかもしれない。

 どちらにしろ、今はこの気持ち悪い感情を一滴残らず吐き出したかった。


 何も吐けなくなってからもえずき続ける俺を、凛は泣きそうになりながら「大丈夫だよ」と何の根拠もなく言い、背中をさすり続けた。背中に触れるその手は不思議と不快には思わなかった。


 

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