第21話 一歩前進

 学校からの帰り道、ジメジメとした熱気に今すぐにブレザーと手袋を脱いでしまいたくなる。寒い時期であれば、手袋をしていても防寒具として目立たないが、暑くなってくれば嫌でも目立つ。半袖になってしまえば尚更だ。だから俺は未だに冬服を着ている。


 一方で凛はもう夏服を着ていた。なんの意味があるのか、半袖の水色のワイシャツの袖を一、二回折り、冬用の赤いチェックのスカートから夏用の青いチェックのスカートになっている。


「お菓子でも買っていきますか?」


「いやいらんだろ。なんで寛ぐ気でいるんだよ」


 外じゃ話難いって事で、仕方なく家に向かっている。歩いて十五分程でマンションに着き、カードキーをタッチしてオートロックを開ける。


「先輩先輩、それ私もやってみたい」


「あん? 改札通るのと変わらないぞ」


「えぇー、じゃあ今度でいいや」


「今度はない」


 バスの降車ボタンを押したがる子供みたいな事言い始めた凛は迷いなくエレベーターのボタンを押し、部屋まで向かう。もう何回来てんのか覚えてないが、完全に通い慣れた様子だ。先にドア前に着いた凜は、ドアノブの上部に付いている指紋認証の鍵に親指をあててコッチを見ている。


「開くわけねーだろ」


「えぇー、そろそろ登録しといてくださいよ。気が利きませんね」


「意味わからん。勝手に登録されてたら怖いだろ」


 ふくれっ面で色んな指を試している凛を手で追払い、場所を代わる。ドアを開けると、凛は我先に「ただいまー」と家へ入っていった。流れるように靴を脱ぎ、一足しかないスリッパを履き、洗面所に手を洗いに行く姿を見て、もうどこから文句を言えばいいのかもわからなかった。


 まるで自宅にいるかのような当たり前さで定位置に座り寛ぎ始めた凛に、冷たいお茶を出してから俺も座る。


「それで、動きがあったって話だが具体的に何があった?」


「それなんですけど、これ見てください。骸骨のマークが付いてる日が、ストーカーされた日なんですけど、今のところ毎週水曜は尾行されてるみたいなんです」


 凛に渡されたスマホを見ると、カレンダーにはハートマークやら星やら色んな印が付いていた。骸骨の印は平均して週に二回程付いていて、凜の言う通り水曜日は毎週付いている。それはテスト期間中も同じだった。午前中に終わるテスト期間中にもしっかりストーキングされてるのはハッキリ言って気持ち悪い。学校の年間行事を調べているのか、それこそストーキングする日は朝から晩まで張り付いているのか、どちらにしてもかなりの執着心だろう。


 凛がその辺の事までは気が付いていない様子なのが幸いだ。言った所でどうなるものでも無いし、このまま黙っている方が得策だろう。


「ね? だから明後日は犯人が現れると思うんだけどどう? 警察動いてくれる?」


「どうだろうな。水曜日に現れるのが確定していても、そもそも犯人が誰なのかわからないだろう。それに物的証拠が何も無い。恐らくは相談実績に残して終わりが関の山じゃないか?」


「そっか……」


 凛は長々とため息を吐くと酷く肩を落とした。凛にとっては光明に見えたかも知れないが、実害がない以上警察は動けないだろう。

 俯いたままの凛は鼻をすんすんとすすり始めた。何も泣かなくても、とは思うがそれだけ期待していたんだと思えば仕方なく感じる。


「花粉症か?」


「んなわけあるか!」


「わかってるよ、冗談だ。取り敢えずは一歩前進したんだからそうしょげるなって」


「一歩前進って後何歩あるんだか」と震えるような声で漏らす凛は両膝を抱え、膝に顔を埋めて再度ため息を吐いた。

 警察が動くには証拠と実害が必要だろう。まだ俺達は証拠どころか犯人の顔さえわかっていないのだ。そんな状態であと何歩と言われても正直言って検討もつかない。このままエスカレートすることなくネチネチと付き纏って写真を送ってくるだけなら、ストーカーが飽きない限り一生解決しない可能性だって考えられる。だが今の凛にはその現実を受け止めきれないと思う。


「何にせよ、一人になるのは避けろよ? 特に水曜」


「わかってますよーだ」


「んな拗ねんなって」


「拗ねてないですよーだ。……それで、お昼休みの女子からの呼び出しは何だったの? ……あ、いいや! 今はやっぱ聞かない!」


「別に何でも」


 俺が話始めると、凛はバカみたいに自分の両耳を叩きながらあ〜と声を上げ始めた。息が続かなくなれば俺をキッと睨み、息を吸ってからまたあ〜と声を出す。自分で質問しといて話すなと言いたげな様子には俺もため息が漏れた。

 このアホみたいな行動をいつまで取り続けるのか若干気にはなるが、からかい出せば理不尽にも怒り出すのは目に見えている。コーヒーでも入れようと席を立ちキッチンへ向かった。


 もし、明後日の水曜日にまた犯人がストーキングをするのなら特定するチャンスでもある。警察を動かす一助にはならないとしても、俺が動く一助にはなった。


「そういえば一緒に買い物デートした雨の日あるじゃん?」


「デートじゃないがあるな」


「あの日も写真撮られてたんだけど、送られてくる写真は先輩の部分が編集で切られてるか、そもそも写らないように撮られてたよ」


「ほう。それは朗報だな」


 少なくともストーカーは俺の事を認識してて、少なからず排除したいと思っていそうだな。それなら俺が挑発的な行動を取れば、標的が一時的に俺へ変わるかもしれない。


「じゃあ水曜日あけとけ。俺が送ってく」


「え? なになに? 急にどうしたんですか? 私と一緒に帰りたくなった感じですか?」


「あぁ、そうだな。水曜日は是非とも一緒に帰りたいよ」


「へぇー。ふーん。そうですかー。仕方ないですねー。デートしてあげますよ! じゃあ教室まで迎えに来てくださいね! 絶対ですよ!」


「何でだよ。昇降口でいいだろ……」


 コーヒーを持ってリビングへ戻る。凛は先程までの鬱屈とした雰囲気が鳴りを潜め、踊り出さんばかりにご機嫌な鼻歌を歌い始めた。浮かれまくった様子の凛を横目に見ながら少し考える。


 いくら人間の気持ちに鈍感な俺であっても、凛がどういう感情を俺に向けているのか何となく想像はつく。想像はつくが理解は出来ないし、到底受け入れられるものではない。

 凛が向けている好意は本物ではなく、いわゆる吊り橋効果って奴だろう。

 

 ストーカーに対する恐怖心を感じる中、誰よりも近くにいた異性である俺に好意を持っていると誤解しているに過ぎない。極端な話、この場にいるのが稲葉であったなら稲葉に好意を寄せていたはずだ。俺が好きなのではなく、怪物が好きなのでもなく、そばに居た人が好きだと勘違いしてるだけだ。

 

 凛は俺を普通の人間だと思っているんだろう。だからさっさとこの人助けを終わらせて、目を覚ましてやらなくてはならない。そうしなければ、ある日突然凛もあの目で見てくる事になる。

 

 憎悪とも、嫌悪とも違う、あの見た事もない気持ち悪い何かを見てしまった様な目で。恐怖にも似たあの目で。今でも夢に見るあの嫌いな目で。

 

「じっと見て何ですか? 私の夏服姿可愛いっしょ」


「ふん」


「感じ悪、鼻で笑うな鼻で」


 変なポーズで制服姿を見せてくる凛を鼻で笑い、少し冷めたコーヒーを飲んだ。


 

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