第20話 呼び出し

 今朝の天気予報では六月の頭だというのに気温は夏日に届きそうだと言っていた。まだ早朝だというのに、歩いているだけでじんわりと汗ばむのだから、昼にもなれば気温が二十五度を超えても不思議ではない。通学風景にはチラホラと夏服を着ている学生の姿が見える。『夏服』といっても殆ど大きな違いはないものの、俺の大っ嫌いな夏が近い事を否応なしに見せつけられる。


 昇降口に着くも、登校してきた生徒達でごった返していた。多くの人が気怠げにおはようと暑くねをセットで口にしている。

 いつもと変わらぬ朝に、いつもと変わらぬ少し低めの自分の下駄箱。しかし下駄箱を開けると、中には見慣れぬ封筒が一枚入っていた。

 白い無地の洋封筒は表面に宛名はなく、ひっくり返して見ても差出人もない。俺の下駄箱に入っていたのだから、俺宛の手紙なんだろうが……正直身に覚えがないから間違っているのではないかと疑問が浮かんだ。

 

 どちらにしろ、中身を確認しない事にはどうにもならないと封筒を開け、中に入っていた一枚の便箋を取り出した。

 中には『昼休みに特別教室棟の屋上に来て下さい』とだけ書かれていた。至ってシンプルな内容で、簡潔過ぎて目的もわからない。書かれている文字はまるで習字の御手本の様な綺麗な字で、男子とも女子とも取れる物だった。何一つとして差出人が想像できない手紙は、イタズラなんじゃないかと思うほどだ。


 中身を見たところで宛名も差出人も見当たらず、何一つ解決しなかった事に若干の苛立ちを覚える。誰かも名乗らない人間の呼び出しなど無視しても構わないのだが、もしそれでずっと待ち続けていたらと考えると落ち着かなくなってしまう。


 便箋を戻し、洋封筒を内側の胸ポケットに入れてから靴を履き替えた。


 ●


 午前中の授業をテキトーにこなして、問題の昼休みになった。直ぐに行って待つ事になっても嫌だし、仮に待たせたとしてもちゃんと行くだけマシだろう。稲葉と他愛無い話をしながら弁当を食べ、そろそろ向かおうと席を立つ。


「ちょっと出てくるわ」


「どした? まさか呼び出しか?」


「まぁ、そんなところだ」


 冗談だろ? と驚く稲葉に別れを告げ屋上を目指す。下駄箱、手紙、呼び出し、なんてまるで告白でもされるんじゃないかと思ったが、今時そんな風に告白する人がいるとも思えない。そして何より、ほとんど人と関わっていない俺に告白する人がいるとも到底思えなかった。


 ウダウダ考えた所でわかるわけもなく、どうせ後少しで答えが出るんだからと足早に向かった。

 屋上へ続く重い扉を開けると、日の光が目に刺さった。屋上に人影はなかった。まだ来ていないのか、もう帰ってしまったのか、はたまた悪戯だったのか。

 念の為昼休みが終わるまでは待っていようと、手すりに寄りかかっていると、何処かからか細い声が聞こえてきた。


「あの」


 声の主を探そうと振り返れば、思いの外直ぐ近くに人が立っていた。


「ビックリした。美原か」


「すみません」


「いやかまわない。手紙の差出人は美原か?」


「はい」


 どうやら手紙の差出人は美原希みはらのぞみだったようだ。ブレザーの裾の部分をぎゅっと握りしめたまま、いつもの様に俯いている。まるでしかられている子供の様な様子に、何もしていないのに罪悪感を覚えた。


 かれこれ五分くらいは経っただろうか。呼び出した以上、何かしら用事があるんだろうと話し始めるのを待っているのだが、美原は所在なさげにしているばかりで一向に話さない。正確にはあの、えっとと耳を澄まさないと聞こえないような声量で呟いているが、コミュニケーションが取れているとは言い難い。


「なぁすまないが、言いたい事があるなら言ってくれ。もし言葉にし辛いならスマホに打つとかでも構わないぞ」


 美原はブレザーの胸ポケットからスマホを取り出すと、操作してから画面をコチラに見せてきた。そこにはレインの友達追加用のQRコードが表示されていた。わざわざレインでやり取りしないでも、メモ帳なりに打ち込んで見せればいいと思うのだが、美原なりに考えがあるのだろう。俺は四苦八苦しながらQRコードを読み取り、友達登録を済ませた。


『先日はありがとうございました』


『なんの話だ?』


『図書委員の仕事の事です。私は人と直接話すのが凄く苦手で……。あの日も困っていたのですが白石さんが代わりにクラスメイトに言ってくれたので凄く助かりました』


『勝手にやった事だ。美原が気にすることじゃない』


 屋上で向かい合ったまま無言でスマホを操作する世にも奇妙なコミュニケーションを取る事になったが、レイン上の美原は普段からは考えられないほど饒舌だった。

 前回一緒に図書室の係になった時の話や、中間テストの掲示板前でのやり取り、去年の図書委員の話等など、凄い速さで入力をして送ってくる。こちらが返事を送る前に、次の話題を送ってくる物だから、俺はひたすら入力と削除を繰り返しているばかりだ。


『ストップストップ。何か別の用事があったんじゃないのか?』


『そうでした。家族以外の人とこうやってお話するのが久し振り過ぎて、楽しくなってしまいました。この間の御礼です』


 美原は俯いたまま、ポケットから小包を取り出して差し出してきた。見たところ焼き菓子の様だ。ラッピングされたそれは市販の物ではなく、恐らく手作りなんだろう。

 別にお礼なんていらなかったが、ここで受け取らなければ本当にここに何しに来たんだと言いたくなってしまうので受け取り、レインで『ありがとう』と伝えた。


 美原は頭をチョロっと下げてから屋上を後にした。勝手にやった事でお礼なんてしなくても良かったんだが……。不思議な事に御礼一つに随分と手間が掛かったもんだな。手紙を書いて下駄箱に入れ、昼休みに屋上へ呼び出し、レインのIDを登録してようやくだ。

 あまり人の事は言えないが、難儀な性格をしてるなと若干失礼な事を考えながら校舎に戻ると、ドタドタと慌てて走り去っていく様な音が聞こえた。聞こえた足音的には二人、或いは全力で走る時は四足歩行の人物。そんな奇妙な奴は稲葉以外には考えられない。


 俺は一度スマホを階段に置いてから拾って教室に戻った。


「おかえりー。何だったん?」


「いや、大した事じゃないよ。それより特別教室棟の階段でスマホを拾ったんだが……」


 俺がそう言うと稲葉は慌てた様子で、ポケットを叩き、安堵の息を吐いた。やはり犯人はコイツだった。そして教室を見渡すと……もう一人も見つかった。稲葉ほどあからさまではないが、西澤がポケットを探っていた。


「それで、盗み聞きの謝罪は?」


「盗み聞きしてないですぅ! 盗み聞きって言うけどお前ら何にも喋ってなかったじゃん。逆に何してたの? 結構恐かったぞ」


「そうそう! スマホでやり取りしてたんでしょ? 人に聞かれたら不味い話でもしてたのかなー?」


 さっきまでスマホ落としたかも知れないと若干慌てていた西澤が、ニヤニヤとした嫌らしい顔で近付いてきた。稲葉は高嶺の花だとか言っていたけどやっぱり同レベルじゃないか?


「開き直ってんじゃねーよ。覗き魔一号二号」


 俺の言葉に怯んだ二人は目をそらして知らんぷりするのだった。


 ●


 放課後、屋上での遣り取りを思い出す。美原は人と話すのが苦手だからレインでのコミュニケーションに切り替えた。そこまでは良い、だがあの場で俺までレインで返事するのはおかしくないか? 俺は普通に話せば良かったじゃないかと、何だか今更過ぎる事をぐちぐちと考えながら昇降口へ向かうと、凛が待ち構えていた。


「先輩、聞きましたよ! 昼休み女子に呼び出されたそうですね!」


「何で知ってんだよ」


「西澤先輩が教えてくれましたよ? 女子の情報収集能力を侮らないことですね」


 情報収集能力も何も、覗き魔がチクリ魔になっただけだろう。偉そうに言うことではない。


「それで? 今日は送る日じゃなかったと思うがどうした?」


「緊急事態だったんで駆けつけたんですよ。そんな訳で送ってください」


「動きがあったのか?」


「二重の意味でありましたね。予想外の動きです。てな訳で行きますよ」

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