第19話 図書委員のお仕事

 週明けの月曜日、廊下に貼りだされた大きな掲示物を見る。ズラズラと個人情報を垂れ流しているそれは、中間テストの順位表だ。


 上から順に見ていくと、十三位の所に白石和泉、と俺の名前があった。ぼちぼちって所だな。テストの結果は毎回十五位前後を行き来していて、調子が良ければ十位以内、悪ければ二十位を下回る程度だ。


「和泉! 大変だ! 俺の名前がないぞ!」


「マジかよ。稲葉もしかして来る学校間違えてて、実は在籍してないんじゃないか?」


「それならもっと早く言って欲しかったわ。だから勉強についていけてないんだな俺」


 貼りだされているのは五十位以内なので、稲葉は単純にランク外ってだけだ。流石に良くない成績の奴までは掲示しないんだろう。そんなことをすればただの吊し上げだ。


 中間テスト一位の欄には美原希みはらのぞみ、二位の欄には西澤麗華にしざわれいかの名前があった。これは毎テストの定番だ。


「あららー、今回も美原さんには勝てなかったなぁ」


「でも二位でも十分過ぎるくらい凄いよ! 私なんて名前載ったことないよ?」


「それはもっと頑張りなさい!」


 ガヤガヤとうるさい喧騒の中、そんな声が聞こえた。西澤達も見に来ているらしい。


「よっす、十三位の白石くん!」


「おう、二位の西澤」


「えっと……どちらさん?」


「酷くね? ランク外には人権すらないのか!」


 西澤は「冗談冗談」と、人好きのする笑みを浮かべながら降参とばかりに両手を上げた。西澤も来ていたのはわかっていたが、態々話しかけてくるとは思わなかった。


「西澤も和泉もランキング上位に入っててすげーよなぁ〜。このいつも一位の美原って人は誰なん?」


「私も気になる!」


 目立つ様なタイプではないし、知らなくても無理はないだろう。もしかしたらこの場に来てるんじゃないかと思って見渡す。いるとしたら美原の性格上、前の方には来られないだろうから後ろでオドオドしてるだろう。人混みの後ろの方を見やると、美原と思しき人物がちょこちょこ歩き回って、必死に背伸びでもしてるのか頭が上下している姿が隙間から見えた。


「あそこにいるのが美原だな」


「白石くんが他のクラスの子のこと知ってるなんて珍しくない?」


「図書委員で一緒なんだよ」


 美原は、がっくし肩を落として歩き始めた。一位を取って落ち込む事はないだろうし、どうやら頑張っても順位が見えなかったようだ。丁度俺達の方へ歩いてきたので一言だけ告げる。


「一位おめでとう、美原」


 すれ違いざまに突然自分の名前を呼ばれて驚いたのか、ぎょっとした様子で横に二、三歩ずれてからこちらに頭を下げて教室へと歩いていった。相変わらず俯いてはいるが、その足取りは先程より軽く見えた。




 テスト期間が終わり、時間割も通常通りに戻ってしまった。今まで何食わぬ顔で受けてきた授業も、何倍にも引き伸ばされた様に長く感じてしまう。それは俺だけではないようで、クラスの半分くらいは気怠げに見えた。午前中最後の授業というのが、辛さに拍車をかけるんだろう。


 チャイムがなると同時に、堪えきれなかった学生達が教師の挨拶も聞かずに騒ぎ始め、釣られた様に教室全体が騒がしくなる。教師も特に言うことがないのか、教卓の上を片付けてからそそくさと教室を出ていった。


「さぁて飯だ飯! この時間だけが唯一の楽しみだぜ」


 稲葉はチョコチップの入ったパンを袋ごと取り出して、体を半分こちらに向けた。

 

「唯一の楽しみならもう少しまともなの食えって。いつもそのパンじゃねえか」


「和泉は知らないかもしれないがな、昼飯を買うのも大変なんだよ。これは気分じゃないとか、値段が高いとか、この前も食べたとか、選ぶっていうのはそういう不満と向き合うって事でもあるんだよ。だから俺は選ぶ事を辞めた! 軍人にドンと押し付けられる様に渡された配給だと思うと、意外と毎日これでも受け入れられるもんなんだよ」


 稲葉はどこか遠くを見ながらそう語った。俺はそんなディストピアみたいな食事のシステムはゴメンだから弁当を広げるが、稲葉はそんな俺を見て羨ましそうな顔をした。


「お前配給に不満ありじゃねーか。軍人さんに撃たれるぞ」


 仕方なく卵焼きと夕食の残りの生姜焼きを一切れ弁当のフタに乗せて渡してやった。

 

 稲葉と何の実にもならない話をしながら昼飯を手早く済ませて席を立つ。


「どうした? トイレか?」


「いや、昼休みに図書委員の集まりがあんだよ。悪いけどちょっと行ってくるわ」


「頑張れ〜」


 稲葉は箸替わりに使っていたチョコチップパンを食べながら手を振った。食えるタイプの箸とかエコなやつめ。


 図書室のカウンター裏にある準備室へと入ると先生が待っていた。集まりとは言っても、ちゃんとしたものではないようで、やってきた図書委員に軽い説明とプリントを渡すくらいな物だった。

 先生の話によると、テストが近付くと普段本を借りない学生がテスト勉強の為に借りるそうだ。そして普段利用しないから、返却期日も守らない。

 そこで図書委員には自分のクラスの延滞者に返せとお願いするか、回収してこいとの事だった。毎回テストの度にやっている事だな。一言返せってさと言うだけの簡単なお仕事だ。


 説明が丁度終わった頃、カラカラっとスライド式のドアがゆっくりと開く音がして美原が入ってきた。いつも背筋を丸めて俯いているが、今はいつも以上に俯いている。トボトボと歩き俺の足を見て、人が居ることを知ったのか、焦ったように顔を上げてからその勢いのままお辞儀をし、勢い余ってたたらを踏んだ。


「なんか色々大丈夫か……?」


「いえ」


 美原は今にも消え入りそうなか細い声で答えた。大丈夫だと言っているのか、はたまた大丈夫ではないと言っているのかわからなかったが、まるで怯えた様に震えながら答える姿を見て、再度問うことは躊躇われた。「そうか」と会話になっているのかいないのか微妙な言葉を返してから俺は準備室を後にした。


 教室へ戻る途中、ふと、この仕事は美原にこなせるのだろうかと疑問が頭をよぎった。今のやり取りすら怪しかった人間が、クラスメイトに借金取りのように本を返せと話しかけるなんて随分とハードルが高いように思えた。だが彼女の性格上、やった事にするのも出来ないだろうし、私には無理ですと断ることすらできないだろう。

 

 美原は去年からやっている図書委員の仕事内容を覚えていたのかもしれない。美原にとって無理難題がくるのがわかっていたから準備室へとやってきた際に、いつも以上に俯いていたと考えればあの様子も頷ける。


 しかし、自ら進んで図書委員をやっているんだろう。それならこの仕事だって覚悟の上だったはずだ。こんな仕事があるなんて知らなかったなら同情の余地もあるが、去年もやっていたんだから知りませんでしたは通らない。可哀想だとは思うが頑張ってくれ。



 教室へ戻り、早速リストに名前の乗っている人に「図書室に本を返せってさ」とプリントをピラピラさせながら告げる。取り敢えず今日の放課後にでも返せば怒られないと思うぞとアドバイスをして業務終了だ。忘れていたと焦っていたし、きっとすぐに返すだろう。今日の図書委員は返却のラッシュで大変そうだと思いながら席に座った。



 放課後、ホームルームが少し早く終わったのでさっさと教室を出た。廊下を歩いていると、三組の教室内でプリントを片手に右往左往している美原の姿が偶然目に入った。何となく気になって眺めていると、図書委員としての仕事をこなしたいんだろうが、話に夢中になっているクラスメイトへ声を掛けられずに居るようだった。美原は体に余計な力が入っている様子で、手に持ったプリントがくしゃくしゃになるほど強く握りしめていた。

 手を上げ下げしたり、近くを歩いたり忙しなく動いてはいたが、次第に手からも力が抜けて、諦めたように踵を返した。

 結局声をかけられず、トボトボと歩く姿は触れればバラバラになってしまいそうな程の弱々しさを感じさせた。表情なんて全く見えないが、どこか泣いているようにさえ見える。


 俺は何となく……そう、何となく三組の教室へ足を踏み入れ、教壇の前にたった。

 手袋を外してパンッと柏手を打つとざわめきが一気におさまり、クラス内は水を打ったように静かになった。


「図書委員です。期日を過ぎても返却をしていない生徒が居るようなので今日中に返すようにお願いします。早くしないと内申点に響く可能性がありますので気を付けてください」


 俺はそう言って手袋を嵌めた後、教室を出た。誰かを助けた訳じゃない、ただ思っていた事を口に出しただけだ。言うなればただの独り言だ。もし仮に誰かの仕事を奪ってしまったとしても、それは俺の知ったことではない。


 そんなことを独りごちて学校から帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る