第18話 様子見
聞きなれない電子音で目が覚める。軋む体を無理やり起こすと、俺は玄関でうつ伏せになっていた事に気が付いた。
何故玄関で靴を履いたまま寝ているのかわからないが、今はそれより家に鳴り響くインターホンの音と、スマホの着信音を止めなければうるさくてかなわない。
スマホをポケットから取り出すと、画面には芦屋凛の名前と拒否、応答のボタンが表示されていた。応答を押してスマホを耳に当てる。
「なんだ」
「あ、先輩起きました? 開けて開けて!」
「は? 何の話だよ」
「インターホン鳴らしてるんだから開けてよー」
「これお前かよ……うるせえな」
スマホの通話を切ってからインターホンの通話ボタンと終了ボタンを順番に押した。これで平和が訪れ……る訳もなく、再度インターホンの嵐だ。
「……何の用だよ」
「良いから開けてよ。さっきからコンシェルジュって言うの? 受付にいる人からジトっとした目で見られてるから気まずいの! このままじゃ不審者扱いで通報されちゃうよ!」
凛はマイクに顔を近付けて小声でそう言った。なんのアポもなしに突撃してきて、開けろと騒ぐなんてまんま不審者だろうが。そうは思っていても追い返すのは躊躇われるので仕方なくオープンボタンを押した。
今頃凛はコンシェルジュの人に若干のドヤ顔を披露しながらドアをくぐっているんだろう。そんな想像をしていると、再度インターホンが鳴ったのでドアを開けてやる。
「おはよう先輩。まだ制服着てるじゃん」
俺は自分の服を見ると確かに制服だった。凛はドアを開けている俺の腕を屈むようにしてすり抜けて、勝手にリビングへと向かっていった。どうやら一人暮らしだから遠慮する相手がいないと思って、無遠慮に上がり込んできたようだ。やれやれとため息をついて、俺もリビングへと向かった。
「そんで朝っぱらから何の用だ」
「朝っていうかもうお昼ですけどね。どうせぶっ倒れてるんだろうなと思って様子見に来たんですよ。ひっどい顔してましたよ?」
以前俺が言った『酷い顔』をまだ根に持っていたみたいで、ここぞとばかりに言い返してきた。
凛は持ってきた袋からコンビニの食べ物を出しながら「ご飯用意してあげたんだから感謝して」と言っている。普通そういう時は手料理じゃないか? 俺だって異性の手料理という物に憧れがない訳でもない。けれどそれをブロッコリーを茹でるくらいしか出来ない凛に期待するのは些か酷だろう。
「もしかして可愛い女の子の手料理とか期待しました? 残念私に料理はできませーん! 取り敢えずご飯の前にお風呂に入ってきなよ。入ってないんでしょ?」
色々言いたいことはあるが、確かに風呂には入っていない。凛の言う通りにするのは何となく癪だが、首や肘の内側あたりがベタつくから気分も悪いしとりあえずシャワーを浴びる事にした。
●
シャワーを浴びてスッキリした後、部屋着に着替えてリビングへ入る。凛が来ているせいで、またもや部屋の中はバニラのような甘い香りが漂っていて思わず舌打ちが出た。
「なんで舌打ち? 百合子に怒られるよ」
「百合子には会わんから怒られない」
凛はスマホを置いてからコンビニのお弁当を持ってキッチンへ向かう。もう完全に遠慮というものが無さそうだ。やはり家を教えるべきではなかったか……。キッチンの方でガサガサガタガタと様々な音がした後、お弁当を熱そうに持ちながら凛が戻ってくる。
「はい、先輩はハンバーグ弁当ね。百合子が男は全員ハンバーグと唐揚げが好きだから作れるようになれって言ってた」
「なら作れよ……」
「うわーやっぱり期待しちゃう感じ? だから私がレンチンしたんだよ。実質私の手作りですね」
全国の料理人を敵に回すような発言をする凛を無視して、いただきますと言ってから弁当を食べ始める。
昨日胃の中身を全部吐き出してから何も食べていなかったから、食べたそばからお腹がキュルキュルと鳴っている。まるで体がお腹が減っていた事を思い出したかのようだった。
凛はサンドイッチ片手にテレビを付けて、お昼の情報番組を見ている。オシャレなカフェ特集だの人気の家電だの、興味があるのか食い入るように見ていた。
「ねぇ先輩。昨日は……すみませんでした。いえ、ありがとうございました。どっちが適切なんですかね。そんな感じです」
「ああ、別に気にすんな。こっちこそ迷惑掛けてたら悪いな」
「それは大丈夫ですけど、一つ良いですか?」
凛は見ていたテレビから目を離して、こちらをじっと見ている。
「普通女の子が家に来た時に部屋着着ますか? もっとオシャレとかするでしょ……」
「んだよ、そんな事か。部屋なんだから部屋着が楽でいいじゃねーか。それに自慢じゃないが俺は私服持ってないぞ」
オシャレな私服を持っていない訳じゃない。私服そのものを持っていないのだ。外に出掛けたりしないし、出かけるなら基本制服を着れば事足りる。誰と会う訳でもないのにわざわざ服なんて買わん。
「持ってないってそんな訳ないでしょ……。さてはファッションセンスに自信がないんですね」
凛は見透かしたような含み笑いをした。コイツの推理はいつだった外れるのにどうしてこんなにも自信に満ちているのか不思議でたまらない。内心で阿呆なヤツめと笑いながら肩を竦めた。
「このファッションモンスター凛ちゃんが先輩のダッサイ服でも素敵にコーデしてあげるんで私服見せてくださいよー」
こちらを指さして立ち上がった凛は、確かに俺の目から見ても女の子らしくて可愛い服装をしていた。白いブラウスに黒いジャケットとミニスカートは、凛にはない清楚さを補っているように見える、と若干失礼な事を考えてしまった。
さて、そんなファッションモンスター凛ちゃんとやらが無地の黒のTシャツ数枚と制服の薄水色のワイシャツが数枚かかっているクローゼットを見てどんなコーデを披露してくれるのか見物だな。
ちょうど食べ終わったので箸を置いて、俺も立ち上がり、ついてこいと顎をしゃくる。鼻歌交じりのファッションモンスター凛ちゃんを引き連れて、玄関近くの寝室へ向かう。
スライド式のドアを開けて、約七畳の寝室へ入る。寝室はパソコンやテレビにベッドと、何も無いリビングより生活感がある。若干恥ずかしさのようなものを感じるが、構わずウォークインクローゼットを開ける。
ファッションモンスター凛ちゃんは部屋に入るのに戸惑いを見せつつも、覚悟を決めたのか勢い良く一歩踏み出して部屋へ入ってきた。
「ファッションモンスター凛ちゃんはどんな素敵なコーデをしてくれるんだ?」
クローゼットの引き戸を開けて、空いた片手でどうぞ、と促す。凛はスタスタと部屋の中を早歩きで通ると、がらんどうなクローゼットの中を見て唖然とした顔を見せた。物がないんだからコーデもクソもあるまいよ。
「いいなぁ! 広いウォークインクローゼットめっちゃ羨ましい! ここ使ってないなら私にちょうだいよ! 私部屋のクローゼットにお洋服入りきらないんですよ」
凛は興奮したように両手を広げて回り始めた。俺の私服については最早興味がないのか、クローゼット内を見て歩いている。ここにはあれをしまうだの、帽子はここだのと自分勝手にクローゼットの使い方を決めているが、他所の家に自分の服しまったって不便なだけだろう。
「というか本当に私服ないじゃん。ありえなく無い? 普段何着てんの?」
「そこにあるだろうが」
「マ? 制服じゃん。ありえないでしょ……。ちょっと写真撮るわ」
勝手に人のウォークインクローゼットの写真を何枚か撮って、自撮りまでしている。ファッションモンスター凛ちゃんがコーデしてくれないなら最早クローゼットにいる意味もない。
リビング戻るぞと声を掛けてから寝室を出る。凛はウォークインクローゼットから出る時はベッドを見てまた戸惑い、寝室から出る時は小走りだった。
そんな風に過剰にビビるなら家に上がり込んでくるなと言いたいが、言ったところでどうせ聞かないんだろう。
結局、凛はリビングに戻った後も忘れているのか逃げたのかわからないがコーデについて触れることはなく、ひたすらピロピロ鳴るスマホをいじっていた。俺は弁当のゴミをキッチンへ持っていき、容器を洗うことにした。
「思ったより元気そうでよかったですよ」
「……心配かけて悪いな」
「まったくです」
リビングの方からそんな声が聞こえた。食後のコーヒーでも飲もうかと思ったが、心配かけた詫びとして紅茶でも入れてやろう。何せ我が家にはマグカップが一つしかない。紅茶とコーヒーの両立はできないのだ。
コップがしまってある棚を開けると、いつも使っている黒いシンプルなマグカップの隣に、知らないマグカップが置かれていた。
手に取ってみると、黒猫か猫のシルエットなのかわからない柄があり、その猫から伸びたしっぽが持ち手になったデザインのマグカップだった。こんな物は家にはない。湧いて出てくる訳もなく、外から持ち込まれた物だろう。そして家に上がったことがあるのは現状一人だけだ。犯人は火を見るより明らかだ。
コーヒーと紅茶を入れてからリビングへ戻り、猫のマグカップを凛の所へ置いた。
「何か言うことは?」
「ありがとー!」
「違うだろ……」
凛はこれ以上無いほどの、絵に書いたような満面の笑みを浮かべて礼を言い、俺は疲れた様に息を吐いてコーヒーを飲むのだった。
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