第16話 勉強会
「なあ和泉、アメリカの三歳の子供はある程度英語を喋れるだろ? それなのに中学三年間と高校の一年間英語を勉強した俺が全然喋れないのはなんでだと思う?」
「それはお前、アメリカの三歳児より……そういうことなんじゃないのか?」
中間テスト初日が終わった。俺としては完璧とは言えないまでも悪くない出来だったが、稲葉はそうではなかったようだ。力なくイスに座って、天井を仰ぎ見ている。
多くの学生はテストが近くなると口々にテストが嫌だと言っているが、俺はその逆だ。確かにテスト自体は好きではないけど、日頃からある程度勉強しておけばそこまで焦る必要もない。それに何より、早く帰れるのがこの上ない程の喜びだ。
「これから和泉の家でテスト勉強しようぜ。明日の教科教えてくれ……」
「明日の教科教えてくれって、勉強を教えてくれって意味であって、まさかテストのスケジュールすら知らないなんて事はないよな? ……おい、なんで目を逸らす?」
「家が嫌ならファミレス! お昼奢るからファミレスで教えて! 後生だから助けてくれー」
「はぁ……。二時間だけだぞ」
「……え? マジで?」
稲葉は先程まで情けない顔で助けてくれと懇願していたくせに、いざ了承すると呆けた顔になった。確かに放課後学外で稲葉と何かした事なんかなかったが助けてくれ、とまで言われたら放置はせんよ。
「じゃあ早速駅前のファミレス行こうぜ! 奢るから何風ドリアでも頼んでくれ!」
「何風ドリアってミラノ一択じゃねーか……」
「お? 色んなメニューがある中でミラノ一択だなんて和泉はそんなにあのミラノなドリアが好きだったか! 美味いもんな!」
「……俺絶対ステーキ食うって決めたわ。心に誓った」
学校を出て駅前のファミレスに向かう道中、稲葉は散々たる結果だったテストの事など忘れて飯食ったら遊びに行こうだのなんだの言っている。俺が「勉強しろ」と言ったところで「そうだな」と、何が楽しいのか上機嫌で歩いていた。
●
俺たちは駅前のファミレスにつき、四人がけのソファー席に座った。
注文した料理が届き、俺がお店の中では高い方のステーキを食べている前で、稲葉はシンプルなフォカッチャを食べていた。その表情は悲しげで、男子高校生がお昼ご飯に食べるには些か物足りないのだろう。
「はぁ……。自分の分は自分で出すからちゃんと飯食えよ」
「いーや、奢ると言ったんだから奢るね! 男たる者、一度吐いた唾は飲めない!」
そうかい。それは良い心がけだが、俺が食い難いわ。血の涙でも流すんじゃないかと思うくらい、稲葉は歯を食いしばって眉間に皺を寄せている。
「じゃあ俺が稲葉に奢ってやるから、稲葉は俺に奢れ。それならいいな?」
俺はテーブルの呼び出しボタンを押した。これでごちゃごちゃ言わずに頼むしかなくなっただろう。
「え……やだ、今日の和泉くんカッコいいよぉ……抱いて! あ、これお願いします」
稲葉は店員に変なところを見られても気にならないようで平然と注文をした。ミラノな感じのドリアは自分で食べるらしい。単純に好きなのかもしれないし、もしかしたら遠慮があるのかもしれない。
「にしても学校でいつも一緒に昼飯食ってるのに、外でこうして一緒に昼飯食うのが初めてってのも何だか不思議なもんだよなぁ」
「まぁ言いたい事はわかる。最近は不思議な事ばっかだよ」
この約一ヶ月の間、西澤に頻繁に絡まれたり、凛と舞奈に絡まれたりと去年では考えられない様な密度で人とコミュニケーションを取っている。中学の頃も、たまに付き合いで出かける程度の事はあったがここまで短期間に学外で人と会う事はなかった。
「人生初かもな」
「マジかよ。じゃあもっと遊ぼうぜ。俺がめくるめく素敵な世界へ
稲葉がキメ顔で気持ち悪い事を言うもんだから、やっぱりコイツとは距離を取ろうと思った。すると、突然誰かが席に近づいて来て会話に混ざり始めた。
「うわぁー、流石稲葉。誘い方キモいわ」
「こ、こんにちは」
声の主を見ると、そこに立っていたのは制服姿の凛と舞奈だった。凛は冷めた表情で稲葉を見て、逆に小心者の舞奈は緊張しているのか頬を紅潮させていた。
コイツらも学校帰りに寄った口か。
「先輩詰めて詰めて」
「わかったから触るな」
凛は俺の肩を押して壁際に押し込んでから横に座った。舞奈も凛の横に詰めて座る。細身で小柄な女子二人だから座れたが若干窮屈そうではある。
「え、普通一人はこっち座らない? なんで一人と三人に別れてるの?」
「だって稲葉横に座ったらめっちゃ匂いとか嗅いできそうだもん」
「ウチもそんな露骨に鼻息荒くされるとちょっと隣はないかなーって」
「最近の後輩ってこんなに酷いこと平気で言うの? でもそう言いつついつも絡んでくれるから嫌いじゃないぜ」
稲葉は落ち込んだフリをした後、ウインクをする様に両眼を閉じた。言動から気持ち悪さが滲み出ているが、そのへこたれない精神力は素直に尊敬に値するわ。
凛は俺の方に身を乗り出してメニューを取ると、舞奈と一緒に見始めた。
「つーか俺が稲葉の横に行くからお前らどけって」
「やっぱ和泉しか勝たん! 俺の相棒は和泉だぜ」
「え。お、お二人って結構そういう感じあったりしちゃったりします?」
「舞奈素が出ちゃってるよ。戻して」
「つい興奮してでちゃった」
舞奈は少し鼻息を荒くして俺と稲葉を交互に見ていたが、凛の言葉で平常心を取り戻したようで引き続きメニューを見ている。舞奈はクラスにもいる男子が肩を組んだりすると何故か喜ぶ奴らと同族の様だ。
俺と稲葉は食事を終えたので予定通り勉強を始めた。稲葉がわからない所があれば俺が解説をする程度で基本は各々で勉強を進めている。
仲良く二人でパスタを半分ずつ交換して食べていた凛と舞奈も、同じようにテスト勉強を始めたが、いかんせん二人用のスペースに三人並んでいるからテーブルが狭い。やはり俺が移動しよう。
「悪いけど狭いから稲葉の方へ移るわ。ちと退いてくれ」
「狭いくらいちょっと我慢してよ。稲葉、そっちにバッグ置いてくれる?」
「あいよ。和泉を俺にくれてもいいんだけど?」
「え、あげるとどうなる感じですか?」
「舞奈」
舞奈は凛に再度注意された事でがっくし顔を下げた。俺と凛の間に置いてあったバッグを稲葉に渡す際に、凛のバッグに買ったスカーフと、よくわからないマスコットの人形が付いているのが目に入った。
約束通りにデータを集めているんだろう。予定通りに進んでいるのか聞きたいが、この場には稲葉も舞奈もいるから、スマホを取り出してレインでメッセージを送る事にした。
『ちゃんとスカーフを付けてるみたいだが、どんな感じだ?』
『一応カレンダーのアプリにデータ取ってますよ。写真は基本毎日送られてきてますけど、毎日撮られている訳じゃなさそうです。結構同じ日の写真を何日か送ってきてます』
幸いと言って良いのかはわからないが、毎日付け回されている訳ではなさそうだ。付け回されているのが決まった曜日であれば、犯人を特定する大きな手掛かりになるだろう。どういう人間かはわからないが、怪物の俺が生きている様に、ストーカー行為を繰り返す変態だって生きている。仕事や学業であったり生活リズムであったり何かしらの理由で偏りが出てもおかしくはない。
隣でノートにペンを走らせている凛の横顔をじっと見る。よく見れば目の下にクマがあるのがわかるが、以前の全くと言って良いほど隠れていなかった状態よりかなりマシだ。
「ずっとこっち見てなんですか? 惚れましたか?」
凛が俺の視線に気が付き、舐め腐った様な半笑いの顔をしてふざけた事をぬかす。俺が鼻で笑うと、凛は軽く足を踏んできた。
今までは終わりの見えないストーカー行為をただただ我慢するしかなかった。データを取るだけでも解決に向けて何かをしているという気持ちになり、それが心の安寧に寄与しているのかもしれない。
テスト期間中は基本的に午前中に学校が終わる。もし、このタイミングでも付け回されるのだとしたら学校のスケジュールまで調べているか、はたまたずっと張り込んでいる事になるだろう。そのどちらにしても、犯人の本気度が伺える。
凛は最初は視線を感じるだけだったと言っていた。それが今では写真を送り付けてくるようになっている。見るだけでは飽き足らず、写真を撮り、リスクを犯してまで送り付けてくるのだから、悠長にしていればさらにストーカー行為はエスカレートして行くだろう。
次の段階がどんな物かはわからないが、できるだけ早く何か結果を出さなければマズイ事にもなりかねない。
そんな最悪の想像が頭を過ぎって、思わず舌打ちをした。
凛は強く踏みすぎたかと謝ってきたが、それなら最初から踏むなと言いたい。
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