第10話 バスケットボールは独特なかほり
「お前も難儀な体質してるよなぁ」
「ま、こればっかりは生まれつきだから仕方がないさ」
体育の時間、一人だけジャージを羽織る俺を見て稲葉はそう言った。
去年からの付き合いだから、俺が手袋をしている理由を稲葉は知っている。知っていると言っても変な物を触ると痒くなるという表向きの理由の方だ。
心を読んでしまうのは手が相手に触れた時だから、別にジャージを着ている必要はない。しかし半袖の体操服を着て手袋を付けていると、皆の意識が手に行きやすくなるのだ。それならジャージを着ている方が個人としては目立ったとしても、手は返って目立たなくなる。
「男女分けておきながら、体育館半分ずつ使うならもう一緒に広々使ってやりゃいいのにな」
稲葉は早々に俺のジャージ姿には興味を失ったのか、体育館のちょうど真ん中に張られた防球ネット越しに女子のバスケを見ながらそう呟いた。
今日は生憎の空模様で男女共にバスケに変更になった。同じ場所を使うこと自体イレギュラーなんだろう。
「あらまぁ、流石は我らが学年一の美少女西澤麗華はスポーツも出来て非の打ち所がないねぇ」
ネットの向こう側では西澤がドリブルで二人のディフェンスを抜き去ってからレイアップシュートを決めていた。女子達は敵味方関係なく和気藹々と西澤を囲んできゃーきゃー騒いでいる。そんな様子を稲葉のみならず、試合に参加していない男子はこぞって防球ネット際に集まって女子のバスケを見学し始めていた。
下心を溢れさせながら見ている姿を、女子がどんな目で見ているのかは彼らの曇った眼差しでは理解できないんだろう。俺は女子からの評価は大して気にならないが、かと言ってネットに張り付いて鼻の下を伸ばしている連中と同族には見慣れたくない。そう思って体育館を出てすぐの階段に座った。
●
「ふぅー良い汗かいたよー! 隣座ってもい?」
しばらくすると、先程まで大活躍していたらしい、件の西澤がタオルで汗を拭きながらやってきた。普段は下ろしている髪をポニーテールにしている姿からも、一生懸命体育に励んでいた様子が伺える。
女子が使っている方の出入口にも階段はあるのにわざわざこっちまでやってくるなんて何か用事があるんだろう。
了承もしていないのに、よっこいしょと似合わない声を出しながらすぐ隣に西澤が座ったので少し腰を浮かせて二、三人分距離を取った。
「も、もしかして私汗臭かった?」
西澤は自分の腕の匂いを嗅いだ後、手のひらの匂いを嗅いで眉間に皺を寄せた。バスケットボールを触っていたから手は臭いようだ。もう一人分くらい離れよう。
「別にそういう訳じゃないが。それで、何か話でもあるのか?」
「そうそう! 凛ちゃんから聞いたよー。助けてあげるんだってね」
お嬢様然とした顔からは想像できない様な、ニマニマと表現するのが正しい笑顔をこちらに向けている。
「その話か。誰かさんが押し付けてきたせいでそうなったな。体良くあしらわれたって泣きそうな顔してたぞ」
「マジ? そういうつもりじゃ無かったんだけどなぁ。後で協力するってフォローしておくよ」
「協力者が増えるならその分俺の役目は減るな。是非とも頑張ってくれ」
「それで? 白石くんは具体的にどう動いて凛ちゃんを助けてあげる予定なの?」
「そんなもの特にないが? 取り敢えず帰りが一人になりそうな日は駅まで送っていくくらいだよ」
「……それだけ?」
「他にどうしろと?」
西澤は俺の答えが予想外だったらしく、ポカンとした表情を浮かべた後、出来の悪い子供を見るような表情に変わった。それに対して肩をすくめるに留めた俺をみて、西澤は何がおかしいのか、少し顔を下げてクスクスと笑い始めた。
「そかそか! まぁ警察じゃないからどうこうできる問題でもないよねぇ。駅まで同行はできるけどね! なんちゃって! でもまぁなんていうか……正直ガッカリしたよ」
西澤は表情をストンと無くしてそう呟いた後この場を離れていった。あの顔を見るのは二度目だ。無表情の西澤は、出来の良い人形を見ている様でとても人間には思えなかった。
何にせよ、俺は失望されたらしい。
●
昼休みになると、凛が我が物顔で教室へ入ってきた。最早先輩の教室という抵抗感さえない様で、威風堂々とした歩き方でこちらへ向かってくる。絡まれても困るから西澤がお弁当を食べている女子グループの方を指で指し示す。お前が行くのは向こうだ、そうであってくれ。
「先輩こんちわー。あとついでに稲葉」
「俺はついでかよ……」
「西澤はあそこだぞ」
「何で西澤先輩?」
凛は隣の空いてるイスを持ってきて、俺の机の上に可愛らしい柄のバンダナに包まれた小さな弁当を広げた。弁当箱の中身はブロッコリーではなく、至って普通の綺麗な弁当だった。
「どうした? 普通に美味しそうな弁当なんて広げて、らしくないな」
「たった一度のブロッコリーどんだけ引っ張るんですか。それより先輩、今日一緒に帰りましょうよ」
「はぁ? だから前もって言えって言ったじゃねーか」
「だからお昼休みにわざわざここまで来たんですよ?」
「え、なになになになに、君たち何でそんな当たり前な感じで放課後デート決めてるの?」
凛は弁当を食べながら当たり前の様に送ってくれと言ってきたが、前もって伝えるというのがどういう物か、お互いの間で認識にズレが生じていたようだ。
幸いにも今日はバイトもないし、特にこれと言った用事もないから送って行くことは可能だ。だが当日言われて必ずしも対応出来るとは限らない。
「まぁ今日は平気だが、こっちにも予定があるんだからせめて前日くらいには言ってくれ。じゃないと最悪一人になるぞ」
「もうそれならいっそ、先輩が毎日送ってくれればいいじゃん。これで事前に伝える必要性もなくなるね!」
「だとよ、稲葉頼んだ」
「任せろ! よく分からんが後輩ちゃんは毎日俺が送っていくよ!」
「稲葉は一人で帰れし」
調べた限りだと、ストーカー対策として一番やってはいけないことが相手を刺激することだと書いてあった。刺激する事で、逆上した相手に襲われる危険性が上がるという話だ。
恐らく凛に付きまとっているストーカーは男だろう。そうなれば、男が護衛代わりにつくというのもある種の刺激を与えることになっているのではないだろうか。なにせストーカーからはどういう関係かはわからないのだ。
もしそうだとしたら、既に見られていると思って、以前にも増して一人で歩くのは避けなくてはならない。
「なぁ、真面目な話俺にもバイトの日がある。そうなったら送って行くことは出来ないし、一人になりそうな日が多いなら稲葉でも良いから他にも協力者は必要だと思うぞ」
「その理屈はわかるんですけど……」
「え? 本当に何の話? 俺席外した方がいい?」
凛はそう言って食事の手を止めて俯いてしまった。ノイローゼ気味になっている凛にとって、もう誰が信頼出来て誰が信頼出来ないのかわからなくなっているのかもしれない。
以前言っていた、俺は凛に興味を持っていなくて、尚且つ付け回されていると感じた時に一緒にいたというアリバイがある。だから一定の信頼はできるが、他の男となるとそうもいかないのか。
「最悪俺がバイト終わってからになるぞ?」
「……え?」
「だからどうしても一緒に帰れる人が誰も居なくて、俺にもバイトがある日の話だ。それかもう百合子に学校まで来てもらえ」
「待つ待つ! 全然待ちますよ! いやー何だかんだで先輩は私に甘いですよねー」
バイトが終わるまで待ち続けるくらいなら他の人を頼る方が楽だろうに、そうしないのは本当に疑心暗鬼になってしまったんだろう。その深刻さは不安げに揺れる瞳からも見て取れた。
置いてけぼりになっている稲葉に、お詫びとしてお弁当のおかずを俺と凛で一品ずつ渡すと嬉しそうに頬張っていた。いつも食べてるチョコチップの長いパンは本当は飽き飽きしているのかもしれない。
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