第8話 百合子の娘からの相談

 両手に大きな荷物をぶら下げながら家路を歩く。百合子の娘は二つに分かれるチューブ型のアイスを食べながら、俺の少し後ろを歩いてついてきている。

 

 何故ついて来ているのか、何故もう片方のアイスを俺に渡さないのか甚だ疑問だが、少し俯いた表情からは何かを思い悩んでいる様子が窺えたから特に触れる事はしなかった。


 暫く無言で歩いていると、以前の別れ道についた。俺は家に帰るのに左へ行くが、百合子の娘は駅に向かう為に右へ曲がる、のだが。


「おい、お前はあっちだろう」


「え? ホントだ」


 百合子の娘は右へ曲がらず、俺の後について来ていた。

 周りの様子が全然見えていなかったらしく、俺に指摘されて辺りを見渡してから答えた。聞いていないから理由は憶測でしかないが、例の件で相当参っているようだ。

 俺は名状しがたい気持ちを全て吐き出す様に息を吐いて足を止めた。


「よく知らんが西澤に相談したらどうだ? 同じ女子で友達と言うほど仲が良いわけでもないだろう? それなら巻き込んでも平気だな」


 そんなヤツを巻き込んだ所で何の解決になるのかはわからないが、悩んでいる事を誰かに話すだけでも幾分気持ちが楽になるだろう。そうすれば隠しきれていない目のクマだって多少隠せるくらいにはなるんじゃないかと思った。


「実はもう相談したんですよね。そしたら、白石くんに相談たらいいよー……って体良くあしらわれちゃいました」


 たははと力無く笑って百合子の娘はそう言った。


「なるほどな。俺に相談したらいいってアドバイスは体良くあしらわれた事になるのか?」


「……だって先輩は力になってくれないでしょ?」


「力になって欲しいなんて言われてないしな」


 俺はもう、困っている人を探してまで人を助けようなんて思わない。無遠慮に土足で人の心に入り込んでは、困っている人を助けて悦に浸る様なマネはしない。


 だが、困っているから助けて欲しいと言われれば話は別だ。普通の人は困っている人を積極的に助けようとはしないが、名指しで助けてくれと言われれば消極的に助けはするものだ。

 俺はそんな普通の人間の皮を被って生活しているつもりでいる。


「……じゃあ先輩、助けてください」


「はぁ……。できる範囲でならな」


 だから言われれば多少手を貸すくらいはするさ。



 取り敢えず買った物をしまいたいから家に向かって歩く事にした。生鮮食品や冷凍食品なんかはやはり直ぐにしまいたい。


「それで、具体的にどうしてほしいんだ? 取り敢えず当面は駅まで送るってことでいいのか?」


「そう……ですね。ストーキングしてくる人を捕まえてくれるのが一番ですけど、先輩には無理でしょうからそれで我慢しましょう」


 多少なり助けてもらえると思ったら安心したのか、現金なもので少し調子を取り戻したようだ。生意気な物言いに言いたいことがないわけでもないが、現実問題犯人を捕まえるのは無理だろう。それは警察の仕事だ。

 歩いて五分程で、自宅マンション前に着いた。


「悪いが荷物片付けてくるからロビーで待っててくれ」


 マンションに入ってすぐのオートロックを、カードキーをタッチして開ける。百合子の娘を中にあるロビーへ案内した。


「私も手伝いますよ。こんな高そうなマンションのロビーに置いてかれても居心地悪くて困るし」


「……まぁ仕方がない、か」


 一時とは言え、男の部屋に上がり込むのはどうかと思うがまさか一人暮らしだとは思っていないだろう。一人暮らしだから来るなと言うのも面倒だし、なにかするつもりもない。荷物を冷蔵庫にしまってさっさと出れば良いかと二人でエレベーターに乗りこんだ。


「良いところに住んでますね。学校も近いし」


「まぁな。朝がゆっくりで良いのは正直助かる」


 もう一本残っていたアイスを食べながら百合子の娘はエレベーター内の鏡を見て前髪をいじっている。百合子、舌打ちもいただきますも大事だけど、アイスは仲良く分けるように教育するべきだと思うぞ。コイツは絶対ひとりっ子か末っ子だな。

 

 十二階で降りて部屋へ向かい、指紋で鍵を開けた。玄関のドアが閉まらないように、ドアに挟まるよう靴を脱いでから入る。後に続いて入ってきた百合子の娘は人の配慮も何のその、「靴くらいちゃんと脱げし」と文句を言ってから俺の靴を並べてドアを閉めた。


「はぁ……。もう少し考えてから行動したらどうだ?」


 俺は再度ドアを開けてから鍵をひねってドアが閉まらないようにした。そこでようやく俺の意図に気が付いたのか、百合子の娘は顔を赤くして悪態をついた。


「うっせ。百合子の躾が厳しいからキッチリしないと落ち着かないの!」


 百合子の娘は丁寧に靴を脱いで上がり、ズカズカと廊下を歩いてから振り返った。間取りがわからんが勝手に開けるのもはばかられた、そんな所だろう。もう少し考えてから行動しろと再度思った俺は、百合子の娘を追い抜いてリビングへ続くドアを開けた。

 

 ドアを開けて直ぐに目に入るのはリビングと、バルコニーへ続く窓から見える景色だ。周りにはそこまで高いビルが無いから結構遠くまで見渡せる。


「すごーい! いい眺めですね! 夜景とかも綺麗に見えるんですか?」


 百合子の娘は楽しそうに窓からの景色を眺め、スマホで写真を撮りながらそう言った。


「そう思うだろう? だけど現実は非情でな、夜は暗くてほとんど何も見えない」


 都会ではないから日中は遠くの自然が綺麗だが、逆に夜は見るものがないんだよ。下の方でポツポツと明かりが付いていたってそれが遠くまで続いている訳でもないからな。如何せん地味なのだ。

 天気の悪い日なんかは最悪で、遠くは全くと言っていいほど何も見えない。まるで本当は壁になっていて暗い箱の中に閉じ込められているような、そんな圧迫感を覚えるほどだ。

 

 現実を知って興味を失ったのか、キッチンへやって来て冷蔵庫へしまうのを手伝ってくれた。一人暮らしで使うには大きい冷蔵庫だし、普段は余らせたくないから買い込むこともしないから中はスカスカだ。


「先輩の家は冷蔵庫の中綺麗ですね。ウチの百合子は結構買い込んで詰め込むからいつもパンパンですよ。たまーに奥から化石みたいな何かが出てくる事があるくらいです」


「それ、話すと百合子に怒られる奴だと思うぞ」


 雑談をしながらもテキパキと冷蔵庫へしまった。念の為財布は持っていくが、カバンはもういらないからリビングのソファに放り投げた。


「それじゃあ行くか」


「あ、その前に話いいですか?」


 百合子の娘は控え目に手を挙げてそう聞いてきた。恐らく何があったのかを話したいのだろう。本来は家の中に長居させるのは余り良くないと思うが、話の内容的に外を歩きながらする事でもないか。

 テキトーに座っていろと返事をして、紅茶を出すためにキッチンへ戻る。

 

 ソファに座ってスマホをいじっていた百合子の娘の前にマグカップを置き、俺は一人がけ用のソファに座った。


 一言礼を言ってから紅茶を飲み始めた百合子の娘は、口を開いては閉じてを繰り返し、何から話そうか悩んでいる様に見えた。


「とりあえず上手く伝えられなくても構わんから言いたいことを言ってみたらどうだ?」


「そうですね、そうしてみます」


 まるで喉に詰まってしまった澱みを押し出す様に、勢い良くふぅと息を吐いてから話し始めた。

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