第6話 百合子の娘の変化

 幸せな土日が終わり、また月曜日がやってきた。土日でしっかり休んで、心身共にリフレッシュした筈なのに妙に足取りが重くなるから月曜日は不思議だ。

 教室へ着いて席に座るなり、前の席の稲葉が黒板の方を向いたまま話しかけてきた。


「和泉、俺昨日一人でホラー見たんだよ」


「それで?」


「なんか廃病院に幽霊が出るって噂を聞いた高校生達が面白半分にスマホで動画撮りながら探険するんだよ。それで中には俺みたいに怖いのが苦手で乗り気じゃない奴もいてさ、もう帰ろうよーなんて泣き言を言うんだ」


 一時間目の授業の準備をしながら話を聞いている。稲葉はホラーが苦手らしい。ならどうして一人で見始めたのか疑問だわ。怖いもの見たさってやつなのか?


「だけど皆は面白がって探険を続けるんだよ。そんでリーダーみたいな人がこう言った。『本番はこれからだ、幽霊が出るのは二階のレントゲン室だって噂だ。ジャンケンに負けたヤツが一人で見に行こうぜ』って」


 稲葉は臨場感たっぷりに、声色まで変えて話す。まぁホラーに良くある展開だな。どうせそれで一人一人消えていくんだろう。


「それ見てて思ったの。レントゲン室には幽霊出なくね? 病室や手術室とかならそこで亡くなった人が……ってわかるよ? でもレントゲン室には出ないよね? 俺それが気になって思わず周りの人に聞いちゃったもん」


 誰だよ周りの人。お前一人で見てたって言ってたじゃねーか。全く何の話してんだと溜息をつくと、ずっと前を向いていた稲葉がゆっくりと振り返った。稲葉は血の気の引いた様な青白い顔をしていた。

 ……お前ほんと誰に話しかけたんだよ。


「なぁ、俺部屋に帰りたくないから泊めてくれない?」


「断る」


 青白い顔の稲葉はただの寝不足だろうと言い聞かせて授業を受けた。授業は退屈だが、誰かと話すこともないと思えば穏やかな時間だと思える。

 

 昼休み、少し顔色が戻ってきた稲葉と一緒に昼飯を食べる。


「なぁ今日のお泊まり会どうする? 他に誰か呼ぶか?」


「お泊まり会しねえよ。それに呼ぶヤツもいないだろ」


 学校で一番話す稲葉ですら放課後遊んだ事もないのに、一体誰を呼ぶんだよ。


「まぁ確かに俺ら友達少ねえしな。じゃあ俺と和泉の二人でお泊まりだ」


「言い方だいぶキモイぞ。それとしない」


 去年から断り続けていても遊びに誘い、俺のデート話を聞き出し、二人でお泊まり会をしようとする。コイツとは一度距離とった方がいいんじゃないか?


「白石ー、なんか後輩が呼んでるぞー」


 クラスの男子が教室の出入口付近から声を掛けてきた。また百合子の娘でも来たのかと思えば、立っていたのはカラオケに来ていたギャルっぽい子だった。ギャル子は所在なさげに廊下に立ってコチラを見ている。


「和泉、お前別の後輩にまで手を出したのか……? 俺を置いて……?」


「ホントだよー。白石くんは最近アグレッシブに後輩たちと関わっていくねー!」


 稲葉の気持ち悪い発言に一部の女子が色めき立った。それだけで気持ちが重くなったのに、西澤までもがやって来て、ギャル子を手招きで呼んだ。

 その見た目に反して先輩のクラスに萎縮しているのか、おずおずとした様子でやってきたギャル子が口を開く。


「えっと白石先輩でしたよね? ウチの事覚えてます?」


「あぁ、カラオケに来た子だろ? 確か……舞奈って言ったか? 百合子の娘がそんな事言ってた気がする」


「そうですそうです! 舞奈です! 進藤舞奈しんどうまいなです!」


 俺が覚えていた事に安心したのか、強ばっていた表情が幾分和らいだ。


「カラオケって事は和泉のバイト先か?」


「あぁ、この前の後輩と偶然客として来たんだよ。それでわざわざどうした?」


 一応の面識はあるが、昼休みに教室へやって来る意味はわからない。一度話した事があるから、学校ですれ違う時にちょっと会釈する程度ならわかるが普通は教室まで会いに来ないだろう。


「えっと単刀直入に聞きますけど、土日に凛と何かありましたか?」


「凛……? あぁ、百合子の娘か。特に何も無いぞ? 金曜の昼休みにブロッコリー持ってやってきたがそれっきりだ。なんかあったか?」


「はい……。今日は朝から凛の様子がおかしいんですよ。上の空というか、元気がないというか……。大丈夫かって聞いても大丈夫、なんでもないとしか言わなくて。だから先輩と何かあったんじゃないかって聞きに来たんです」


 舞奈は整った眉の端を下げてそう言った。舞奈は俺と百合子の娘が仲がいいなんて勘違いしていたから、原因が俺にあるか、何か知ってると思ったって事か。


「悪いが俺は何も知らんぞ? そもそもだ、舞奈は勘違いしているが俺とあいつは特に仲がいい訳でもなんでもないからな」


「そうですか……。突然来てすみません。それじゃあ失礼しますね」


 舞奈は肩を落として息を吐くと、頭を軽く下げて教室を出ていった。見た目はギャルっぽいが意外と礼儀正しい。百合子の娘の様子がおかしいから何か知らないかと聞き込みをするとは、あの二人は相当仲が良いんだろう。


「ねぇ、白石くん。ちょっと……」


 弁当の続きを食べようと思ったら西澤に袖を引かれた。それを少し腕を引くことで払って、体を向けてどうしたと問いかける。


「ここだとちょっと」


「わかった、じゃあ移動するか」


「なんだなんだ。俺だけ除け者か? ここで大人しく待ってればいいんだろ、待ってれば」


 不貞腐れながら俺の弁当をつまみ出した稲葉を残し、俺と西澤は特別棟に向かった。ココ最近になって急に特別棟にお世話になる事が増えた。

 人気のない特別棟には校舎裏のテニスコートから聞こえる子気味良いボールの音が響いていた。前を歩いていた西澤が、廊下の端まで移動すると振り返る。


「私思ったんだけど、もしかしたらあの後輩ちゃん、何かあったんじゃない? ほらあの、例の」


「……そういう事か。それで巻き込みたくないから舞奈にはなんでもないと言っていると」


 友達を巻き込みたくないと言っていたから、可能性としては十分ありそうだ。まぁ単純に親と喧嘩したとかそういう可能性もあるとは思うが。


「もし仮にそうだとしたら警察の領分だな」


「……困ってるのに助けないの?」


「そうは言っても頼まれた訳でもないし、出来ることなんてないだろ」


「……そう。ちょっとガッカリかな」


 西澤はまるで人形のような無機質な顔でそう言うと、この場を後にした。

 同じ女子として、他人事とは思えないのだろう。そして男なんだから守ってやれと思っているのかもしれない。

 だがそれは正義感の押し付けだ。百合子の娘が助けを求めている訳でもないのに、他人がそこへ首を突っ込んで助けようとするのは間違っている。自分の価値観だけで物事を判断して、それを好き勝手相手に押し付けるのは忌むべき行為なんだと俺は学んだ。

 

 死んだ人のいないレントゲン室に幽霊が現れないように、助けを求める声のない所に正義のヒーローは現れない。もしそこに秩序もなく現れるのなら、それは自分の価値観を押し付け暴れ回っては迷惑をかける怪物だけだ。

 俺はもうただの怪物には戻らない。あの頃のような間違いは犯さない。


 そんな事を考えながら昼休み終了のチャイムが鳴るまで、テニスボールの音を聞きながら窓から空を眺め続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る