第5話 唐突に訪れる不安感
ノックしてから後輩達の使っている部屋に入る。
「失礼しまーす。これ店長からのサービスな。もし会ったらお礼言っとけよ?」
「マ? ありがとうございます! ミンスタにあげよ」
百合子の娘は何が面白いのかポテトの写真を撮っている。その友達も同じだ。お前らスマホの中にポテトの写真保存してなんか意味あんのか? ポテトの写真なんて絶対に見返さないだろう。そして誰もポテトの写真なんて見たくないわ。
「にしても、まさかここでバイトしてたとは知らなかった」
そりゃ知らんだろ。会ったのこれで三回目だぞ。
「えっと先輩は凛とどういう関係なんですか?」
なんかギャルっぽい後輩に話しかけられた。先輩というのは俺のことだろうが……。
「すまん、凛って誰だ? 痛っ、蹴るな蹴るな」
「私が凛だよ! 最初名乗ったじゃん」
「悪いが百合子の事で頭がいっぱいだった」
「えなに、人妻好きなの? だからって知り合いの母親いく? 普通に引くわー」
誰が人妻好きだ。一度しか聞いてない興味ない人の名前と、何度も聞いた興味ない人の名前、どっちが覚えてるかってだけの話だろ。
「へぇー。なんか仲良さそうじゃん。凛も先輩にご執心、と。なるほどなー、高校入っても浮いた話がないと思えばそういう事だったか〜」
「ほらね? こうなるんだよ。だから知り合いには頼めないの」
百合子の娘はため息をついてそう言った。確かにこれでクラスメイトの男子なんかが相手なら毎日面倒ではあるな。
「ま、百合子の娘も遅くならん内にさっさと帰れよ? んじゃバイト戻るわ」
コイツも誰かに付きまとわれてる気がすると言いながらカラオケなんか来て、危機感ないんかね。
結局この日、百合子の娘はフリータイムを20時まで満喫してから帰って行った。
●
次の日の昼休み、いつもの様に稲葉と一緒に昼ごはんを食べているが、いつもと違う点が一つあった。
「ちょっと先輩きいてます?
「知らんがな。というかそれならこっち来んなよ。余計に言われんだろうが」
何故か俺の机でタッパーに詰めたブロッコリーを食べ始めた女が一人いる。百合子の娘だ。何が目的なのかわからんが、昼休みにわざわざこの教室に来ないで欲しいものだ。
「なぁなぁ、後輩ちゃん。和泉とのデートはどうだった? コイツは上手くエスコートできたか?」
稲葉は何が知りたいのか、チョコチップパンを齧りながら質問を投げかける。俺のデートの様子が知りたいとか俺の事好きなのかよ。気持ちわりぃ。
「それはもう最悪でしたよ。隙あらば帰ろうとするし、私の買い物には興味を示さないし、テキトーに相槌打つだけで全然話なんて聞いてないし」
「お? おお! 何だよ和泉くん、全然ダメじゃないか! 俺と大差ないレベルだな。俺デートした事ないからあくまで予想だけど」
悪意なく事実のみの報道だから俺は特に言い返すこともない。にしても今日の卵焼きは結構いい感じに焼けたな。甘めの味付けも美味いが、弁当にいれるオカズならやはりしょっぱい味付けに限る。
「ほらね? 今だって興味無さそう。そんな人はこうですよ! うま! 先輩んちの卵焼き美味しいですね」
「そりゃどーも」
百合子の娘は人の弁当から卵焼きを奪い取って食べた。美味しいと言われて悪い気はしないが、勝手に食うな。
「というかお前のその弁当はなんなんだ? 大森林弁当か?」
タッパーに詰めた茹でただけのブロッコリーにはマヨネーズすらかかっていない。そんなの弁当ともサラダとも言えないだろう。
「いいじゃないですか、ブロッコリー。先輩とのデートでカロリー取りすぎたんで調整期間に入ったんですよ」
このエリアにはチョコチップパンだけ食う人間とブロッコリーだけ食う人間が集まってやがる。もう少し栄養バランスとか考えるべきだ。
「そういう先輩はお母さんお手製のお弁当ですか?」
「いんや? 聞いて驚け、和泉のお弁当は和泉のお手製だぞ」
何故稲葉が自慢げに答えるのか。チョコチップパンで百合子の娘を指しながら胸を張っている。
「それマ? じゃあさっきの美味しい卵焼きも?」
「当たり前じゃん! ウチの和泉を舐めるなよ?」
百合子の娘は人の弁当からまたオカズを奪っていった。百合子、舌打ちやいただきますも大切だが、人の飯を奪うなと教育するべきだと思うぞ。
「このきんぴらも? 女子力負けてる気がするわー。というか自分で弁当作るなんてもしかしてちょっと複雑な感じ……?」
「いや?」
複雑では無い。単純に捨てられた、あるいは追い出されたと言うだけの話だ。少し気まずげな表情を浮かべる位なら聞かなければいいと思うんだが。コミュ力が高いと考え方が違うんだろうか。
「あぁ和泉は……料理好きなんだよ」
稲葉が一人暮らしとか余計な事を言いそうだったので睨むと、空気を読んで誤魔化してくれた。女子が男子の一人暮らしの部屋へ来るとも思えないが、良いように使われてもかなわない。黙っているに越したことはないないだろう。
「そんなに美味しいなら私も食べてみたいなー!」
「西澤先輩、お邪魔してまーす!」
「はいはい、自分の家だと思って寛いでってねー!」
離れた所で女子三人集まって昼ごはんを食べていた西澤が、後ろ手を組みながらやってきた。今週はやたらと西澤に絡まれている気がする。
「別に大したもんじゃないよ。それに皆して人の飯を奪おうとするな。この後お腹減るだろうが」
五時間目は現代文だぞ。皆が眠そうにしてる中お腹がなったら最悪だ。
「むぅー、後輩ちゃんが食べてるのにクラスメイトが食べれないの不公平だよ!」
「それを分けてもらいなさい。その減ってるのかわからない森」
百合子の娘は人の弁当をちょくちょく盗むせいか、ブロッコリーを全然処理できていない。カロリーがどうこう言いながら持ってきたくせに、人から食事奪ってたら意味ないだろ。ただのブロッコリー持ち運ぶ女じゃねーか。
「西澤先輩あーん」
「ごめんブロッコリーはいらないかな、あはは」
「俺いる俺! あーん!」
「キモイから早く教室から出てってよ、稲葉」
「ここ俺の教室だから!」
三人が俺の机の周りで騒ぐ。こうやって人が集まり出すと、ふと自分の被っている皮が大きくズレていないか不安になる時がある。
小学生のころ、クラスメイトが突然糾弾してきたように、コイツらも突然俺を糾弾して石を投げるのではないか、そんな妄執に囚われてしまう。
「わりぃ、ちょっと電話」
俺はそう言って鳴ってもいないスマホを取り出し、席を立つ。手に持ったスマホは電話だ、だから何も嘘はついていない。
人気のない特別棟の屋上へとやってきた。息が詰まるような感覚を覚えてネクタイを緩め、手袋を外す。
幸いにも今日は金曜日だから後二時間の授業を乗り切れば土日だ。もうすぐ誰かに触れることもなく、皮を被る必要も無い檻へ帰れる。そう自分に言い聞かせて、少し早くなってしまった呼吸を整える。
短く息を吸って、長く細くゆっくりと息を吐く。昼休みが終わるまでの間、なるべく余計な事は考えないように呼吸のリズムを数え続けた。
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