第2話 厄介事の匂い
それからの日々は比較的穏やかだった。バイトに学校、稲葉からの誘いを断る事まで慣れ親しんだルーティーンだ。
そして昼休み、いつもの様に稲葉と昼飯を食べている。稲葉は毎日毎日チョコチップ入りの細長いパンが何本も入った奴を食べているが飽きたりしないんだろうか。
「最近さ、マイチューブでなんかねーかなってスマホでスクロールしてたんだよ。そしたら誤タップでよくわからん昆虫の動画を再生しちゃったんだよね。俺そういうの無理だから慌ててブラバしたんだけど、そしたらおすすめ欄がさ……」
「ねぇその話やめない? お昼時の話題じゃないって」
何処か遠い目をしながらパンを噛じる稲葉の話は到底食事中の話題ではなかった。なんだか少し重くなったような気がする箸で弁当を食べ進めていると、クラスの女子が稲葉に話しかけてきた。
「稲葉くーん、なんか派手目の可愛い後輩が稲葉くん呼んでるよ?」
「マジ? っかー、俺の時代来たかー! 悪いな和泉、俺は先に上で待ってるぜ」
得意げな顔でそう言い放った稲葉に頑張れよと一言応えて見送った。
稲葉は部活もやってなかった筈だし、後輩に知り合いがいるのは予想外だ。そこまで考えた所で、俺はさして興味はないし、弁当を食べ進めた。
「マジであんた誰だし。私稲葉先輩に用があんの! どっか行って」
「だから俺が稲葉だって! 稲葉裕二は俺なの!」
廊下の方からそんなやり取りが聞こえた。俺は嫌な予感がして、一瞬だけ廊下の方を見てみた。そこには稲葉とあの百合子の娘が言い争っている様子が見えた。
周りから浮いてしまわないように、慌てず焦らず視線を窓の外に向けて顔を見られない様にした。これならば廊下にいる百合子の娘からは見えないだろう。
「なぁ和泉ぃ……。この後輩ちゃんが俺の事信じてくんないから証言してくれよ」
廊下の方から声を掛けながら近付いてくる気配がする。廊下から見えないようにと窓の外を眺めているのに、声をかけられて振り向いてしまえばなんの意味もない。
「いやだから稲葉先輩はあんたより無愛想だけどもっとイケメンだったから」
更に状況は悪化し、稲葉だけではなく、百合子の娘まで教室に入ってきた様だ。俺は近くまでやってきた百合子の娘にバレない策が浮かばず、咄嗟に両手で顔を覆い隠して裏声で喋る。
「この人が稲葉裕二だよ。おめでとう」
「なぁ和泉なにやってんの? キャラ違くね?」
「自称稲葉先輩だけじゃなくて、変な人までいるとかこのクラスヤバすぎ。ひくわー」
二人が言いたい放題言っているが、やった俺自身もこれは無いと思った。今は別の意味で顔が出せなくなってしまっている。
「わたしもう帰るわー。稲葉先輩いないっぽいし変な先輩に近寄りたくないし」
そう吐き捨てた百合子の娘は付き合いきれないと思ったのか、俺の近くから去っていった。こうして俺の恥を代償に平穏は保たれたのだ。もう顔を隠している必要は無い。
「ふぅー」
「お前顔真っ赤だぞ?」
「知ってる。恥をかかされたわ」
全てあの百合子の娘が悪い。効果なんてないだろうに、顔が熱いからつい手で扇いでしまう。そんな一部始終を教室でお昼を食べていたクラスメイト達も目撃してることに気が付き、俺は余計に顔を赤くした。
「あーやっぱりいたー! なんか変だと思ったんですよね! 戻ってきて正解だったわー」
大声を出しながら、帰ったはずの百合子の娘が教室にズカズカと入ってきた。態々恥までかいたというのに何の成果も得られなかった事に思わず悪態をついてしまう。
「また舌打ちした? 百合子に怒られるよ。稲葉裕二先輩居ますかって呼んで貰ったのに別の人が来るなんて可笑しいと思ったんですよ。いないならこのクラスにはいませんって言うでしょ? それなのに呼んだって事はこのクラスで間違いないんですよ。でも、別の人が来た。その理由は面倒になった稲葉先輩が友達に頼んで人違いってことにしようとしたって所でしょ! 私マジ天才じゃね?」
「いや、だから俺が稲葉だって言ってるじゃん後輩ちゃん」
「うっせお前は消えろし」
得意げに間違った推理を披露した百合子の娘は、腕を組み自信満々に頷いている。稲葉はその間違った推理に少し疲れた様に訂正するが、受け入れられることはなかった。
「どったのー?」
ぎゃあぎゃあ騒いでいたのが気になったのか、クラスの人気者である西澤までやってきた。いつもは稲葉と二人で食べている席に二人も追加されているのはなんの冗談だと、俺はなるべく関係無さそうに弁当を食べ続けた。
「西澤ー。ちょっとこの後輩ちゃんに説明してよ〜。俺が稲葉裕二だって」
「え、ヤバ。女神いるじゃん! レベル高すぎでしょー! 一緒に写真撮りましょ! ミンスタあげていいですか?」
稲葉は救いが現れたと思ったのか西澤にすがり付くように情けない声を出した。一方百合子の娘は突然現れた容姿端麗な西澤にテンションが一気に上がっている。
「二人とも落ち着いてー! えっと後輩ちゃん、でいいのかな? この人は稲葉くんで間違いないよ? 稲葉裕二くん」
「うっそでしょ。じゃあコイツは? コイツ。この無愛想なイケメン」
「ん? コイツは白石和泉だぞ?」
周りの迷惑も考えずに騒ぐ稲葉と百合子の娘を、西澤は宥めてから話を整理した。その結果自分の名前がバレてしまった事に俺は思わず舌打ちがでた。
「百合子に怒られるよ? 嘘つきの白石先輩?」
西澤までやって来たことでクラスメイトも更に注目して、無駄に問題が大きくなった。
「嘘はついてないぞ。百合子の娘は1年、稲葉は2年、稲葉は間違いなく先輩の名前だ」
「そういうの屁理屈っていうんですよ? 白石先輩?」
「それで後輩ちゃんは白石くんに何か用事があるの? それとも稲葉くんに用事?」
「私は白石先輩と西澤先輩に用があります! 稲葉はどっか行けし」
「酷くね? 俺だけ扱い酷くね?」
俺は人の席に集まって話さないで欲しい、と率直に思ったがその願いが叶うことはないだろう。百合子の娘は才色兼備で高嶺の花の西澤と写真撮ってミンスタに上げようと盛り上がっている。これから写真撮影が始まるのであれば、自分はもう関係がない。それならばそっと移動すればこの場を離れる事が出来るのではないかと、俺は慎重に席を立った。
「勝手にどっか行かないでよ、白石先輩」
「チッ」
「百合子に怒られるよ?」
「それで後輩ちゃんは和泉に何の用があんの? 接点なさそうだけど」
「そうそう、私も気になるー!」
「今日白石先輩と一緒に帰ろうと思って誘いに来たんですよー!」
「は?」「え?」
「……」
稲葉も西澤も、なんならクラスの全員が固まった。目的はわからないが百合子の娘のせいで面倒なことになるのは明らかだった。クラスで特に目立つタイプでもない俺の元へ、突然愛らしい容姿の後輩がやってきて一緒に帰りましょうと誘うのだ。高校生としては誰もが気になるだろう。
「和泉? どういうことか説明できるか?」
「俺にもわからんからできない」
「白石くん、そんな訳ないでしょう? 後輩がわざわざ先輩の教室まで来て帰ろうって誘ってるんだよ? 二人はどういう関係かなー?」
「白石先輩にはこの前助けて貰ったんですよ! それで名前を聞いたら稲葉裕二って」
そう言った百合子の娘は大きな目を細めながら、鋭く俺を睨んだ。対して睨まれた俺は特に悪びれもせず、肩をすくめるだけだ。
「へー、何か知らんが和泉やるじゃん。でもなんで俺の名を使った。後輩に呼び出されるってシチュで舞い上がった俺のときめきを返してくれ」
「……へぇ、助けたんだ」
「だからお礼も兼ねて一緒に帰ろうって思ったんです。先輩は私とデート気分を味わえて、私は護衛を手に入れる、我ながら完璧なアイディアですね!」
「百合子の娘、そこにはひとつも俺のメリットがないぞ? 代わりに稲葉を連れてってやれ」
「そいつは下心見え見えで無理です」
「ちょっとわかるかも……あははー……」
「ねぇ泣いていい? 巻き込まれただけなのに何で罵倒されてるの?」
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