第280話 短期里親制度の大成功例より
短期里親制度というものがあります。
養護施設で育つ子らに限ったわけでもないが、特にそういう状況に置かれた子どもたちに、短期間であっても家庭の味を知ってもらえるようにという制度。
大体は一度かそこらで終わりますが、なかには、同じ家庭に同じ子が10年にわたって夏と冬、ときには春もお世話になった例もあります。
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今や作家となって久しい、自由の森元入所児童某氏。
彼は小学3年の夏から、夏、冬、そして時には春と、年に数回にわたってこの制度の恩恵に預かった。
最初のうちは、確かに、よかった。
彼がまだ幼いうちは。
だが、彼の成長は、その家庭の里親、特に母親との関係性を微妙にしかし大きく変えていくこととなった。
相手の母親は、そのことに気付いていたのだろうか?
その家庭の父親は、裁判所書記官。物静かでまじめな人物。
煙草は吸うが、酒は一切飲まない。甘いもの好きだったそうな。
戦時中に旧制商業学校卒。優秀な人だった。
その父親だけは、間違いなく、気付いていた。
彼の成長は、やがてこれまでの関係を打ち破っていくことを。
だが、母親のほうは、どうだっただろう。
かなりやかましく、恩着せがましい言動が多かった印象も、彼は持っている。
幼少期には甘味だったその愛情も、彼が社会性を得て力強く社会に飛び出していくにあたっては、むしろ足を引っ張る旧時代の遺物のようになっていた。
彼は、後にこんなことを言った。相手は、別の人物であったが。
「ためを思えば何を言ってもいいというものではない。内容が悪ければ、そんなものは効く必要もないどころか有害でさえある。だが、相手が単に金儲けを考えているだけの人間であっても、内容があれば頭を下げてでもその話は聞く」
その言葉を聞いた人物の表情は、見る見るうちに生気を失っていったという。
かの作家氏は、その家の母親にそのようなことを言ったことはない。
ただし、ある年齢を超えた先、その家に近づくことはなくなった。
かの家は、かつて自由の森のあった地域から、郊外の地へと転居した。
隣に住んでいたその母親の兄弟の家と絶縁状態になったそうな。
その兆候は、彼女の父親が死去した1984年頃より少しずつ芽を出し、かの作家氏が大学を出る頃に彼女の母親が亡くなったことを機に、顕在化した。
その結果が、郊外への転居だった。
その後何度か電話でやり取りはあったが、彼はある時を境に行き来だけでなく連絡を取ることもしなくなった。
そう、かの父親が亡くなったことを知らされたときから。
家族や親族というものに、永遠はない。
憲法は改正されなくとも変遷するという。
だが、国家が基盤の憲法以上に、個人が基盤となっている家族というものは大きく変化するものである。
その引き金やきっかけが、何であるかは問うまい。
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1988年1月のこの日。
彼は、その短期里親宅での最後の夜を迎えた。
彼が泊まるときに必ず使っていた黄土色の豚さんの枕とも、この日でお別れ。
その日彼は、受験勉強の合間の昼のひと時、川向こうのある地で、既に何十回も観ていたイギリス映画を観ていた。
その映画の舞台は、今からちょうど100年前のパリ五輪だった。
前回のパリ五輪から今年でちょうど100年。
豚さんの枕とお別れして、もう36年。
だが、あの地でかの母親から受けた愛情というものは、形を変えて、彼の心に今も何かの火を灯しているはずである。
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