『夢十夜』

 とある日、貸本屋ばべるでは、二人の女がお茶会をしていた。片方はこの店の店主の一人で、もう片方は店の客である。つばの大きい黒いとんがり帽子、身体のラインを強調するベルベット生地のドレスも黒色。その上から羽織っている、薄手のストールも黒色。とにかく黒ずくめ。ただ、陶器のような白い肌と、シトリンの髪、ルビーの瞳。それらがあるために、相手に重い印象を与えない。黒や闇というよりは、夜のような女だった。

 見るからに「おとぎ話の魔女です」といった風貌をしているその女は、人形のような風貌をしてはいるが、一度話せば誰もがその印象を改める。魔女は――マリーは、底抜けに明るくておしゃべりで、良く言えば社交的な性格なのだ。

 マリーは少しばかり大袈裟な身振り手振りを交えながら、店主に向かって話している。

「でねでねっ、それでね、箒を使わずに両手を広げて空を飛んでいた最中に銃で撃たれちゃって、そしたらその撃たれたところから蔦がしゅるしゅる~って伸びてきたの! その蔦がどんどん私の身体をぐるぐる巻きにしていっちゃって、あ~このままじゃ落ちちゃうな~って思いながらなんとか飛ぼう……としていたところで、弟に起こされたの!」

「う~ん、今日も突飛な夢を見ていますねえ」

「敬語いらないってば!」

「あっ……見てるねえ」

「それでよしっ!」

 店主の女がはにかみながら敬語を外したことに満足し、マリーはケーキの苺を頬張った。


 マリーは夢を扱う魔女だ。元々夢をよく見る体質で、夢に関する魔法も自然と得意とするようになった。自然と、夢占いや夢の売買などといった、夢を扱う商売を手掛けるようになり、今は弟と二人で商いをしている。

 そしてマリーは、貸本屋ばべるの常連の一人でもある。店主が旦那と共に、先代から店を継いだあたりに、彼女の弟と初来店した。それ以来、足しげく通っている。本が目当てなのはどちらかというと弟の方で、マリーはお茶会が目当てで来店することが多い。本日もマリーは、手作りのホールケーキ片手に来店した。

 今日見た夢の話を終えてケーキも半分まで食べたところで、マリーは鞄から文庫本を数冊出して店主へと渡した。マリーが持ってきたものではあるが、マリーが借りた本ではない。これらはマリーの弟が借りた本たちで、彼は今日どうしても外せない用事があり、代わりに本の返却にを持ってきたのだった。

「ねっねっ。こんな分厚い本いっつも読んで、ねっ! 私の弟ったらすごーい!」

「そうね。この本とか、私たちの世界でもかなり古いものに分類される本なので、まさか弟さんが借りて行かれるとは思っていなかったな。借りられる時、驚いたもの」

 マリーから本を受け取り、店主は中身を確認しながら答えた。

「あっそれね! 私ちょっと見たけど、ちんぷんかんぷんのさっぱりちゃんだったわ。弟でもこの前特別に買わせてもらった辞書を使って読んでいたわ。難しいお話なの?」

「話の中身……というよりは、言葉遣いとか単語とか、そういうのね。今と意味が違うものや、今ではもう使われていない言葉とかわれていて。あとは当時の流行とかも知識としてナイトわからない話題もあったりとか……そういう意味での『難しい本』」

「……なんだか悲しいわ。その子は置いて行かれつつあるのね。古いとみんな、そうなっちゃうのかな?」

 眉を下げてマリーは俯いた。マリーたち魔女族は長生きをする。変わりゆく時代や亡くなっていく友たちを見守りながら、他の種族よりも良い思い出も悪い思い出も沢山作りながら、長い人生を歩んでいく。だからだろうか、古典と称された古い本に対して他人とは思えなかったのだ。

 そんなマリーの様子を見て、店主は優しく笑う。

「残念ながら忘れられちゃう本が多いのは確か……かな。さっき言ったような当時の流行とかを書いているようなものはやっぱり今見ると当時ほどの面白さはわからないだろうし……大衆小説とかが後世まで残りにくい理由だよね。でも、大好きなお話を今の人たちでも違和感なく読めるように言葉を変えて本にする人とかもいたり……それに私は、どんな本でも、いつかの時代の誰かさんにとって忘れられない本になると思うな。例えば、これとか」

 店主はそう言いながら、本棚に手を伸ばして、一冊の本を取り出した。じゃ~ん、という効果音を口で言いながら、マリーに良く見えるように掲げる。その本に書かれている題名をマリーは読み上げた。

「『夢十夜』?」

「そっ。今から百年以上も前に書かれたお話。マリーさんの感覚ではあっという間かもしれないけれど……私の感覚からしたら、私のおばあちゃんとかの時代だからね」

「いっ、言っておくけれど、私まだおばあちゃんじゃないからね!?」

「あはは、わかってるって。当時の人にとっても今の私にとっても、面白いと思う名作だって言いたいだけ」

 店主は手の中にある文庫本を、目を細めて眺めた。

「懐かしいなあ。このお話と初めて出会ったのは、学校の授業でだったんだよね。今も授業でやるのかな、これ」

「へえ、学校で……じゃあ、おかたい内容なの?」

「ううん、全然そんなことないよ。いろんな夢が書かれている短編集なの。第一夜から第十夜までの十篇、だから『夢十夜』って題名」

「夢のお話なんだ。私みたい!」

「そう、マリーさんもきっと好きになるんじゃないかな。全部、夢のような、どこか不思議な感じで、少しだけ怖いお話もあるのね。私はやっぱり第一夜が好きだな~。とっても綺麗で切ないお話で、『夢十夜』っていったらこれ! って感じ! 個人的にはね」

 店主はそう言い、第一夜が書かれているページを指差した。

「この冒頭の、『こんな夢を見た。』って一文がまた、良いんだよ……でも全部に使われているわけではなくて、実際にはこの一文で始まる夜は半分のないのね。なのに印象に残る、凄くない!? 名文と言って何ら差支えはない」

「うふふ。その本が好きなのね」

「うん、好き」

 店主はマリーに向かって微笑む。

「大好きよ。ずっと昔の、百年前のお話であっても。私の大好きなお話よ」

 そう言い、「はい」と、マリーに本を手渡した。どこか神妙な手つきで受け取ったマリーは、ぱらぱらとページを捲る。

「へえ。とっても短いお話たちなのね」

「そうね。さっき短編集だって言ったけれど、ショートショート集っていう方が良いかも」

「この長さなら私でも読めそうかも!」

 マリーも、全く本を読まないというわけではない。普段は主に絵本を借りて行く。本人曰く、絵がそこにないと頭の中で整理できなくて、わからなくて眠くなってしまうとのことだ。あまり長くないお話であれば、眠くなる前に読み終えることが出来る。マリーはそっと、本の表紙を撫でた。

「読んでみようかな。きっと、私にとっても忘れられない本の一冊になるだろうから」

 そう言って顔を上げたマリーの表情に、先ほどまであった憂いの表情は無くなっていた。


 店主は嬉しそうにマリーに問いかける。

「借りて行く?」

「うん、借りて行く。弟にも何冊か借りてきてって言われているし、私も読みたいし。うーん、後はどれを借りようかな……あっ、あと私用にケーキの本も何冊か借りて行かないと! ねねっ、今度はどんなケーキ食べたい?」

「そうだなあ……あっ、この前良い紅茶を手に入れてね。これがミルクティーにすると凄く美味しくてね……」

 女は三人集まらずとも姦しく。その日の貸本屋ばべるには、二人の楽し気な話し声がずっと響いていた。

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