貸本屋ばべる

@Gentou_black

『星の王子さま(Le Prtit Prince)』

「私、プリンは固めのものが好きです」

「おや、それはすまない。僕のケーキと取り換えるかい?」

「いいえ、食べないとは言っていません。このままいただきます」

「そうか」

 そういってローズが食事を再開する姿を、レオンはぼんやりと眺めていた。


 レオン・エトワールは、王国の有力貴族の一つ、エトワール家の嫡男である。目の前の女性はレオンの婚約者であるローズで、今日は二週間に一回のデートの日だった。


 レオンはローズのことが、幼い頃から好きだった。ローズの笑顔は輝いて見えたし、ローズが泣くと世界が曇っているように思えた。桃色をした彼女の髪が何よりも愛おしいし、蜂蜜のような瞳に自分の姿が映るたびにレオンの胸は高鳴った。レオンが勉学や鍛錬に励んだのも、エトワール家の嫡男にふさわしい男になるためではなく、ローズにふさわしい男になるためだ。まあいろいろ言ってはみたものの、要はレオンがローズにベタ惚れというだけの話だ。

 レオンとローズの婚約は親が決めたもので、本人たちの意志とは関係なく、二人が幼い頃に成立した。だが親が決めた婚約であっても、レオンは嬉しかった。そして、ローズも似たような気持ちでいてくれているものだとレオンは思っていた。少なくとも、嫌われてはいないだろうと思っていたのだ。レオンと手を繋ぐときに、髪色と同じ色になるローズの頬は、その自信をレオンに与えてくれていた。


 その自信が揺らいだのは、半年ほど前からのことだった。

 半年ほど前に二人揃って、王都の学校へ入学した。レオンもローズも交流関係が広がり、二人の世界も広がった。時には学生らしく課題やら予習やらに追われることもあったし、休日になれば、友人たちと買い物へ出かけることもあった。

 そしてそんな日々が続く中、レオンに対するローズの態度が余所余所しくなった。どことなく他人行儀になり、距離を置かれることが増えた、とレオンは感じている。レオンもレオンで、ローズが新しい友達と話しているところを邪魔してはいけないと思い、すれ違った時の挨拶程度しか会話できない日も珍しくなくなっていた。

 このままではいけないと思ったレオンは、ローズに二週間に一回デートすることを提案した。デートが義務のようになってしまうのは好ましくはないが、二人の時間が全くなくなってしまうことよりかは良いアイデアだと思ったのだ。幸いにしてローズはその提案を受け入れた。だがデート中のローズはどことなく、上の空というか、硬い表情というか。レオンにはローズがデートを心から楽しんでいるようには、どうしても見えない。

 入学してローズの視野が広がり、レオンから心が離れてしまったのかもしれない。いや、もしかしたら元から、レオンという男のことが嫌だったのかもしれない。そう考えて、それとなくローズに自分と婚約破棄したいかどうか尋ねたこともあったが、しかしローズはそれに対しては断固として首を縦に振らなかった。

 レオンを男として見れないというのであれば、むしろ諦めがついた。レオンはローズのことが好きで、笑っていて欲しいのだ。例え隣に自分が居なくとも。望まぬ結婚を強要する気はない。けれどもそういうわけではないようだ。

 ローズに愛されている、とまでは行かなくとも、好かれているのかどうか。それすらも、今のレオンにはわからなくなっていた。


 そんなレオンの心境を知る由もなく、ローズはただ目の前のプリンを食べ進めていた。好ましくないと言っていた割には、味わって食べているように見える。

「……私、このプリンは嫌いではありません」

「やわらかいものだけれど、それでも?」

「はい、それでも」

「……じゃあ、また来ようか。僕も他のケーキが食べたいことだし」

「はい」

 レオンのその言葉はどうやら合格だったようで、ローズの口角は少し上がった。


 数日後。レオンは友人とお茶をしながら、先日のデートの話をしていた。

「女心ってやつはそういうもんじゃないかね」

「そういうものかい」

「勉学は負けるが女に関しちゃ俺は、お前よりはわかっているつもりだぜ」

「エディは少し……その、奔放過ぎる」

 エディ――エドワードは、入学してからできたレオンの友人だ。軽口を叩き女性関係にだらしないところはあるものの、友情に篤い人物で、真摯な気持ちには真摯に答える。レオンはエドワードの、そういうところを好ましく思っている。

「レオンがローズが良くわからないというよりは、レオンが女性を良くわからない、が正しい気がするね」

「うぅ…………」

 エドワードは、良く言えば、女性経験が豊富だ。そのエドワードが言うのであれば、そうなのであろう。

 レオン自身、薄々は思っていたことでもある。幼い頃からローズしか見ていなかったことや、姉妹や年の近い女性の親戚がいないということもあり、そもそも女性という生き物がどういう生き物なのかが、レオンには良くわからない。以前のデートで予約したカフェも、エドワードから「若い女性の間で流行っている」ということを聞いたので、ではローズを誘って行ってみようかな、となっただけなのだ。それまでは名前も聞いたことがなかった。

 今、二人が居るのは、夜はバーになるカフェだ。同じカフェではあるが、レオンがローズと行ったカフェよりも、少しばかり客層の治安が悪い。男二人で話すなら、こういう店の方が気兼ねなく話せる。ただ、運ばれてきたプリンが固めのプリンだったのを見て、「ローズはもしかしたらこっちのカフェの方が喜んだかな」とレオンは思った。


 恋愛相談とか、学校生活の愚痴だとか。そういったことを一通り話し終わってから、二人は店を後にする。まだ日中ということもあり、寄り道しながら帰ることにした。普段は寮生活の身だ。曲がり角を一つ変えるだけでも、新しい発見があって楽しい。

「今日は何処へ行こうか」

「その前にいつものところだろ」

「うん、すまない」

「良いよ別に」

 そんなことを話しながら二人は、小さな教会の裏路地へ入った。王都には、中央の方に大教会があるということもあり、こちらの教会は少し寂れている。けれどレオンはこの教会の裏から見る、ステンドグラスの輝きが好きだった。エドワードと出かけるときは絶対に見に来ている。

 ステンドグラスが良く見えるお気に入りの場所で、レオンはステンドグラスに視線をやった。エドワードも慣れたもので、レオンの気が済むまで待ってくれている。

 だが今日は少し違った。眺め始めて二三分経った頃だろうか。エドワードが困惑した声で、レオンに「おい」と声をかけた。何だろうと思いながらエドワードへ視線を移すと、彼はと教会の隅の壁を指差していた。新しいシスターでもいたのかな、なんて思いながらレオンがエドワードの指を辿ると、そこにはシスターではなく扉があった。その光景にレオンは首をひねる。

「……こんな扉、あったか?」

「いや……記憶にないな」

「だよな」

 そう言いながらエドワードは扉の方へ向かって歩いて行ったので、レオンは慌ててその後を追いかけた。

 二人は出かけるたびにここへ来ているので、この扉が以前来訪した時はなかったことは覚えていた。勿論、扉をつけるような作業をしていたような記憶もない。時には教会の中でお祈りすることもあり、シスターや神父と顔見知りであるが、彼らがそういった話をしていたような記憶もない。

 二人は扉の目の前までやってきた。木製の扉は落ち着いた赤色に塗られている。ドアノブは丸い真鍮製で、少し古いものではあるが、良く磨かれていた。

 エドワードがドアノブに手をかければ、鍵がかかっていないことが分かった。薄く開けてみれば、向こう側から光が漏れだす。確かに壁であるはずの向こう側から。レオンがおそるおそる片手を差し出せば、そこには確かに空間が広がっている。ドアノブを握ったままのエドワードを振り返った。

「……どうする、エディ?」

「行くっきゃないだろ、面白そうだし」

 エドワードは目を輝かせながらそう言い、ドアノブを握っている手に力を込め、ゆっくりと開けた。そんな親友の様子に苦笑いしつつも、レオンも自分の口角が上がっていることを自覚する。なんたって、冒険を求めている年頃なのだ。こんな近くに面白そうなものが転がっているだなんて、思ってもいなかった。


 扉をくぐったその先は、思っていたよりも広い空間だった。大きな本棚がいくつか並んでおり、少し進むとカウンターがあるのが見える。カウンターには小柄な女が座っていた、どうやら本を読んでいるようだ。長い髪の毛をおろしていることもあり、顔をよく見ることはできない。

 扉が閉まる、と同時にベルの音が鳴った。驚いて振り返れば、どうやら扉の内側にベルが付いていたようだ。開けるときは確かにベルの音なんて聞こえなかったのに、慎重に開いていたからだろうか、などと思いながら視線をカウンターの方へ戻せば、ベルの音で来訪者に気が付いたのだろう、女が顔を上げていた。レオンとエドワードに気が付いた女は、慌てて読んでいた本を閉じる。

「いらっしゃいませ! 異世界貸本屋『ばべる』です」

 女はそう言いながら椅子から立ち上がり、レオンとエドワードに向かって微笑んだ。

「とりあえず、お茶でも飲みますか?」


 二人は、案内されるがまま席に着いた。その場所は本棚に挟まれており、レオンは学校の図書室を思い出した。

 女は、レオンとエドワードが貴族だということを察したのか、「毒は入れないですよぉ」と、わざわざ茶器や湯沸かし器などを部屋の奥から持ってきて、二人の目の前でお茶の準備をした。入れた紅茶にも、目の前で最初に口をつける。その様子を見てからレオンとエドワードは紅茶を飲み始めた。何より二人とも喉が渇いていた。なんたって、なかなかしないであろう不思議な体験をしているのだ、喉もカラカラになる。紅茶の味は自分たちの良く知る味と変わらず、安感を与えてくれた。

 女は自分のことを店主だと――正確にいえば、店主の一人だと――言った。そして、今は他のお客はいないことだしと、何処から取り出してきたのか、クッキーやらマカロンやら、お菓子をどうぞどうぞと差し出してきた。お茶会をしたいらしい。ちなみに紅茶は商品ではなく、店主の趣味とのことだった。

 異世界とはどういうことだとか、カシホンヤとはなんだとか、聞きたいことはいろいろあったが、目の前の女が「店主である」ということ以外はわからない以上、下手なことは聞けなかった。会話選びも慎重になる。どうしたものかと思いながら、レオンはまた紅茶に口をつけた。


 そして数十分後。そこには、笑みを浮かべる女と、ふてくされたレオン。そして、大笑いするエドワードの姿があった。話題は、レオンの恋愛相談だった。

「あー。女心と秋の空、っていいますからねえ」

「なんだい、それは?」

「私の国の言葉で、女の人の心は秋の空模様みたいに変わりやすいねえ、って意味です」

「嫌な言葉だ……」

「わっはっはっは! 的を射ている!」

 大笑いするエドワードを睨みながら、レオンは目の前のマカロンに手を伸ばした。

 最初は当たり障りない会話をしていたものの、ひょんなことから恋愛の話に発展した。こちらの事情を全く知らないというのが、逆に良かった。レオンとローズは幼い頃から婚約しているので、レオンの知り合いは大抵ローズの知り合いだ。学友たちだって全員婚約のこと――もっと言うとレオンがローズに一途であることを知っている。何よりレオンは有力貴族の嫡男だ。周りの言葉には、色眼鏡や媚び、偶に冷やかしが含まれていることだってある。エドワードと短時間で打ち解けることが出来たのも、そろってそういう類いを嫌っているから、という理由もあった。

 新しい意見を、特に女性目線の意見を聞けるというのは、とてもありがたかった。店主はレオンの青い悩みに対して、微笑むことはあっても笑うことはなく、相槌を打ちながら正面から話を聞いてくれた。

 レオンの話を一通り聞いた店主は、ふむ、と少し思案してから口を開いた。

「『言葉じゃなくて花のふるまいで判断すればよかったのに。』かもしれませんね」

「え?」

「好きな小説の一文です。少しお待ちくださいね」

 店主はそう言い立ち上がると、本棚に向き合った。片手で本の背表紙をなぞりながら、何かを探している。

「どこだったっけなあ……私にも覚えがありますよ。入学して、新しい交友関係が出来て。私がお客様たちくらいの年頃の時、そういった人たちに冷やかされたことがあります。冷かした方は面白半分ですし、言っていることもすぐ忘れちゃうんですけれど、言われた方は気にしちゃうんですよねえ……あ、ありました。これです、これ」

 そう言いながら机へ戻ってきた店主の手には、一冊の本があった。本と表現してみたものの、レオンたちの知っている本よりも小さい、片手で持てるほどの大きさだ。店主から手渡されたその本をレオンは受け取る。表紙の紙もずいぶんと薄いが、しかしそれでいて丈夫であることがわかった。

「文庫本といいます。表紙がもっとしっかりしたものもありますけれど、どこでもお手軽に読める文庫本も良いものですよ」

 本の表紙には題名であろう文字と、少年の絵があった。

「……読めないな。と、いうよりも、見たことがない文字だ」

「レオンがわからないんじゃあ俺は見るまでもなくお手上げだな」

 題名であろう、というあいまいな表現をしたのはこれが理由だ。レオンは眉を下げながら、店主に向かって問いかけた。

「店主さん。確認だけどここに書かれているのは、言語として成立しているのかい?」

「はい、少しお待ちくださいね。ええと……お客様の世界ですと、どの栞だったっけ…………ああ、これですこれ」

 そう言って手渡されたのは、長方形の形をした深紅色の厚紙だ。一ヶ所穴が開いており、そこの部分に緑色の紐が結ばれている。厚紙の部分には金箔でバラの花が印刷されていて、そこだけ少しへこんでいる。そんな厚紙を店主はレオンとエドワードに一枚ずつ手渡した。

「裏面にお名前をご記入ください。そうすればその栞はお客様のものになり、当店のお客様であるという証になります」

「これは頂けるのかな?」

「ええ、どうぞどうぞ。当店の会員証みたいなものです」

 差し出された万年筆を手に取り、二人はそれぞれ、受け取った紙の裏面に署名をした。

「はい、はい。確かに。では、もう一度本をご覧になってください」

 言われるがままに改めて本に目をやると、先ほどとは違った。確かに見たことのない文字なのだ。単語の意味がわからないどころか、使用されている文字にも見覚えがない。そのことに変わりはないのだ。なのに文章に目をやった途端、するすると読める。文字はそのままで、意味が分かるようになっている。まるで頭が勝手に翻訳しているかのようだった。

 二人が困惑していることがわかったのだろう。店主は笑いながら説明した。

「栞に名前を書いていただくと読めるようになるんです。当店の『お客様』と認識されて……旦那が作っているものなので、私には仕組みはいまいちわからなくて、これ以上の説明は出来ないのですけれど……」

 店主はそう言いながら苦笑いを浮かべた。仕組みはまあ気になるところではあるが本人からこれ以上の説明は無理だと言われたし、それに今は、手元にある本のことの方が気になる。レオンは自分が今、文字を見て思い浮かべている言葉を口にした。

「星の王子さま……で、良いのかな?」

「ええ! 私の好きな本の一つです」

 レオンは本を横から覗き込んでいるエドワードに視線を向けた。その視線に気が付いたエドワードはレオンに向かって頷いて見せる。どうやらエドワードにも、同じ文章が頭に浮かんでいるようだ。

「彼が星の王子さまです」

 そう言って、店主は表紙に描かれている少年を指差した。なんとなく、ぱらぱらと中のページを捲れば――このブンコボンというのは捲りやすいのが良いと思った――白黒ではあるが、表紙の少年がところどころに描かれている。

「挿絵が随分とあるんだね。それも、文章の途中に小さな絵がたくさん」

「それに文字も大きいな。ところどころの文を見るに、子ども向けってわけでもなさそうだけれど」

「そうですね。絵本というものもありますけれど、この本は絵本ではありません。ただ、それもこの本の魅力の一つです」

 店主は説明を続けた。

「主人公が、小さな惑星からやってきた王子さまと出会うんです。王子さまは小惑星の王子さまなんですけれど、愛するバラと仲違いしてしまって、家出しちゃうんですね」

「家というか……」

「星出だね」

「バラはね、不器用なんです。お客様の世界に、バラはありますか? あ、お花の方のバラです」

「あるよ。エディの家はバラが家紋になんだ」

「バラ家、なんて面白半分に言われることもあるな」

「あら。それは素敵ですね! バラの不器用さは、想いを素直に伝えるのが苦手な少女の姿でもあるんです。強そうに見えて本当は強くない彼女のことを、誰よりも何よりもバラらしい彼女のことを、王子さまは『星出』の中でわかっていくんです」

「離れてからわかるなんて」

「王子さまの世界が広がらないと、見えないものがあったんです」

「わかるわかる。俺も、一夜限りの女性に対して想いを馳せることがある」

「エディ?」

 レオンは店主の話を聞きながら、バラはまるでローズのようで、けれどもどこにでもいる女性のようでもあると思った。王子さまがバラに水やりをしている絵が目に留まる。もしかしたら、自分も愛する彼女のことが、まだわかっていないだけなのかもしれない。気が付いたら店主に問いかけていた。

「……王子さまとバラは、仲直りできるのかい?」

「ふふ、そこは私の口からではなく、ご自身の目で確かめていただきましょう。借りていかれますか?」

「おや。借りて行って良いのかい? 次いつ来れるかわからない身だけれど」

「ええ、当店は貸本屋ですので。一日銅貨一枚、後払いでお願いしています」

「後払いで良いのかい?」

「最初は前払いにして、延滞した分は本を返してもらう時に一緒に請求していたのですが……どうやら、異世界によって、時間の流れが違うようでして……一日銅貨一枚も、お客様の世界の一日で計算しています」

 栞さえ持っていれば大丈夫です、と店主はレオンたちの手の中にある栞を指差した。無くさないようにと、『星の王子さま』の最初のページに栞を挟む。エドワードもレオンのその様子を見て、店主へ声をかけた。

「俺もなんか借りようかな~。適当に何冊か、借りていっても良い?」

「ええ。あっ、先ほどの一日銅貨一枚は、一冊当たりですので。それだけご注意ください。まあ、お客様たちは気にする必要ないでしょうが……」

 店主の言葉に、当たり、と笑いながら、エドワードは近くの本棚を見に行った。手に取って題名を見ては、そのまま手に持っていたり本棚に戻したりしている。どうやら題名で借りて行く本を決めているようだ。レオンも『星の王子さま』以外にも借りて行こうかと思ったがやめた。それよりもここで話を聞いていて、なんだか無性に、ローズと話したくなった。

「……二週間に一回の……決まっているデート以外でも、デートに誘って良いと思うかい?」

「大丈夫ですよ。花というのはとても矛盾した性格ですから……そうだ、返却の際はぜひ、ローズ様もご一緒に」

「ローズがこの本を読めるようになるには、ローズの分の栞がいるのかな?」

「ええ。ですから、ローズ様にも『星の王子さま』をおすすめしたいと思いましたら、ぜひお連れしてくださいな」

 そんなことを話していればエドワードが帰ってきた。手には四五冊の本が握られている。どれもこれもがブンコボンだった。良いチョイスですね、と嬉しそうに口にしながら、店主は二人を入ってきた扉の前まで案内する。

 レオンが扉を開けば、その先には入ってきた時と変わりない、裏路地の風景が広がっていた。

「またのお越しをお待ちしております」

 店を後にする二人に対して、店主がそう言いながら頭を下げる。鈴の音は、今度は聞こえた。


 二人は良く知る裏路地へ戻ってきた。振り返ると、今出てきたはずの扉がそこにはない。目の前に広がるのは二人が良く知る、教会の壁があるだけだ。

 時間はあの店で過ごした分だけ経過していたようで、日はすっかり落ちていた。ぼつぼつと街灯がともり始めているのが見える。

「……ないね、扉」

「ないなあ」

 しかし、二人が手にしているブンコボンと栞が、先ほどの出来事が夢ではないことを証明していた。二人は顔を見合わせて笑った。

「でも俺、また行ける気がするよ」

「奇遇だね、僕もだよ」

 とりあえず、次に来店するまで――いや、ローズとの次のデートまでに本を読み終えよう。もしできれば、いつものデートとは別にデートに誘う形で。そう思いながらレオンはエドワードと帰路につく。

 空には一番星が輝いていた。

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