その④

 目が覚めた時、僕は病院のベッドの上だった。

 起き上がろうにも、お腹に力が入らない。というか、身体が動かなかった。唯一動く指先を動かすと、その振動が全身に走り、激痛を呼び起こした。それによって感覚が冴え、顔に違和感があることに気づいた。多分、酸素マスクだ。ちょっと蒸し暑い。

 亀よりもゆっくりと首を動かし、横を見た。そこには、高校のブレザーを着た梨花が座っていた。

 彼女がふと顔を上げた時、僕と目が合う。

「え?」

 目をぱちくりとさせた彼女は、辺りを見渡し、またこちらを見た。

袖で目を擦り、僕が目を開けたことが見間違いでないことを確かめる。そして、ぶわっと涙を浮かべた。椅子を倒して立ち上がり、抱き着こうと身構えたが、すぐに、僕が包帯を巻いた病人であることを思い出し、おろおろと立ち尽くす。

 散々右往左往した後、苦笑を浮かべて言った。

「ええと、先生、呼んでくるね」

「ああ、うん」

 僕は掠れた声をあげるだけだった。

 後から聞いた話だ。

 あの病院は全焼。僕たちは、遅れてやってきた救急車により緊急搬送された。三人とも煙を吸い込み過ぎていて、梨花は二日、坂本さんは四日、僕は六日間意識を失っていたらしい。

 そして、「死亡した尼崎翔太の余罪」だったり、「もう一体存在したクローン」だったり、「幸田宗也のクローンが重体」という報道が立て続けにされ、世間が大きくざわついた六日間でもあった。

 病室の窓から外を見ると、報道陣が多くいるのがわかった。

 いつものことか…と吹っ切れつつ、僕は聞いた。

「そう言えば、坂本さんは、どうなったんだ?」

「まだ入院してるよ。もう目が覚めてるみたいだけど…」

「そうか…」

 会いに行こうか…と考えたが、やめた。

「恨まれているだろうな。復讐は失敗して、死のうとしたのに、憎む僕に助けられて」

「そんなことなかったね。私、あの人の意識が戻ってから真っ先に会いに行ったけど…」

 梨花は僕のやせ細った手を握りながら、自信満々にそう言った。

「なんだろうな、諦めた? 吹っ切れた?」

「…そんな顔を、していたのか?」

「うん、目が覚めた時、そんな怒ったような顔はしていなかったと思う。こんなことも言っていたし」

 梨花は唇に指をあてると、天井を仰いで、坂本さんが言ったことを真似た。

「あなたにそれをされたら、私はもう、あなたを殺すことができない…って」

「なんだそりゃ」

「青葉くんは、命の恩人だってことだよ。殺人鬼じゃないの」

「死にたい方がマシだって言う人間の命を救うほど、酷いことは無いと思うけどな」

「そんなこと無いでしょ」

 ぽんぽんと、ひねくれた僕のお腹を叩く。腹筋が弱っているせいで意外に痛かった。

「青葉くんだって、私に言っていたでしょ? 『生きるということは手段だ。何かをするための手段だ』って」

「言ったっけ?」

「うん、出会った時に言われた。命が無いと、何もできないもんね。うれしいことも、もちろん、辛いことも。不幸を幸福が上回ることができれば、上出来じゃない」

「そうかな…」

 あの人はこれから罪を償う。きっと、不幸しか待っていない未来だ。それでも、それを上回る幸福を見つけることはできるのだろうか? 僕にはわからない。

 わからないから、生きてみるしかないか…。僕も、坂本さんも、そして、梨花も。

「そう言えば、梨花、親との関係は?」

「ああ、もちろん、絶縁されたよ」

梨花は、へらっと笑った。

「あの人たち、すごく怒って、当時の病院に慰謝料の請求を行ったの。でも、尼崎さんの単独の犯行で、病院は責任を負いかねないから、いろいろ面倒なことになっているんだ…」

「住む場所は?」

「さあ? どうなるんだろう?」

 梨花は肩を竦めた。そして、目を細め、僕を見る。

「一緒に暮らすのも、悪くないなあって…」

「うん、歓迎するよ。何を当たり前のことを」

「ありがとね」

 ニコッと笑う。

 同棲することをあっさりと承諾した僕は、続けて聞いた。

「学校は、どうだ?」

「さあ? まだ行ってないからわからないけど、今まで通りにはいかないだろうね。実際、昨日見舞いに来た三宅君が、悪態ついていったし…」

「そうか。そりゃ、大変だ」

「ううん、全然。私、あの人らに嫌われようが関係ないもん」

 梨花は髪を揺らして笑った。

「だって、青葉くんなら、私を認めてくれるでしょ?」

「まあね」

「百人に一人…、いや、千人に一人でいいよ。千人に一人、私を認めてくれる人がいるだけで、私は幸せだし、笑いながら生きていけるんだ」

「…そうか」

 僕は、細り切った腕を動かし、梨花に伸ばした。

 梨花は顔を明るくすると、自分の頭を差し出す。僕はそれを撫でた。そのつやっとした感触が懐かしくて、気持ちよかった。

 目が覚めて三日後、僕は久しぶりに鏡を見た。

相も変わらない幸田宗也と同じ顔。その額から左目、そして頬に掛けて、包帯が巻き付けられている。

「左目は、失明だってさ」

「そりゃあ、ナイフでざっくりやられたらな」

 僕は少し悲しい気持ちを抱きながら、包帯越しに、傷跡をなぞった。

 腕を微かに動かしただけで、肩の傷が疼く。

「でもよかったよ…、右目が残っていて」

「私の顔を見てられるからね」

 梨花が悪戯っぽく笑い、僕に身を寄せ、その包帯にキスをした。凄く、くすぐったいと思った。

 それから、三日入院し、僕たちは退院した。

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