その②
僕は、殺人鬼のクローンであることを理由に、沢山の人に憎悪を向けられながら生きてきた。
みんな、僕のことを好き放題言った。「死ね」って言葉は、耳にたこができるくらい聞いてきた。殴られたり、蹴られたり、刺されそうになることも、珍しくは無かった。
本当に、理不尽な日々だったよ。だけど、自分を貫いて生きてきた。
だってそうだろう? 僕を攻撃してくる人は、僕のことを知らない人だった。幸田宗也が、どんな気持ちで生きてきたのか、知る由もない人なんだ。
そんな人らに侮蔑されたところで、悲しい気持ちにはなっても、自分の存在が揺らぐことなんて、あるはずがなかった。
でも、この人は違う。
この人は、実際に、かつての幸田宗也と遭遇している。
その事実が、鈍器のような勢いを持って、僕の存在を根底から揺らしていた。
「本当に、ごめんなさい」
僕の頭の中で、何かが壊れる音がする。
「この細胞の持ち主が、あなたのお母さんを殺してしまって、本当に、悪かったと思う」
でも、必死に、しがみ付く。
「でも、僕は違う。僕は、殺していない。僕は、幸田宗也じゃない…」
「まだ言いますか」
「僕を、見逃しては、くれないか?」
無駄だとはわかっている。無様だとは承知。
だけど、消え入るような声で、命乞いをした。
「僕はまだ、生きていたい…。普通の生活を、していたい…。学校に通って、勉強をして…、道を歩けば、ご近所さんと挨拶をして…。仕事をして、大好きな人と結婚をして、子どもを産んで…、おじいちゃんになって…、死んでいく…」
口の中に広がる鉄の味に、塩の味が混じるのがわかった。
「…僕は、普通に、生きていたいんだ…」
坂本さんに訴え、前のめりになる。だが、右腕がロープで繋がれているために、肩の関節に鈍い痛みが走った。
「もう僕を、殺人鬼と、呼ばないでください…」
腕が引きちぎれんとする勢いで向かってきて、ぼろぼろと涙を流す僕。
そんな僕を、坂本さんは光の無い目で眺め、そして、眉間に皺を寄せた。
「ああ、そうですか」
一歩、僕に近づく。
次の瞬間、パンプスを履いた足を振り上げ、僕の鳩尾にめり込ませた。
内臓が爆発するような激痛。
たまらず悲鳴を上げ、その場に胃酸を吐き出す。
「本当に、無様ですね!」
息を吸う間もなく、坂本さんの足が、こめかみを捉える。
憎悪を纏った一撃に、皮膚が裂け、赤黒い血が弾けた。
「どうして私が! ここまで回りくどいやり方をしたと思っているんですか!」
後頭部を踏みつけ、額を床に押し付ける。
頭蓋骨が、ミシミシ…と嫌な音を立てて軋んだ。
「わかってますよ! あなたが幸田宗也ではないことくらい!」
「…だ、だったら」
「でも、あなたが幸田宗也ではなければ、私の気持ちは、どこに持って行けばいいんですか!」
僕の頭を踏んでいた足をあげる。
次の瞬間には、僕の肩の辺りを蹴りつけた。
「あなたが罪もないクローンであることはわかってる! でも、その姿が、私にあの時の恐怖を、嫌悪を蘇らせるんだ! だから私は確証を求めたんだ! あなたを幸田宗也として見ることができるように!」
ナイフを振り上げる。
「私の心は、幸田宗也を殺さないことには、救われない!」
そして、振り下ろす。
ギラッ! と、光った刃は、鋭い軌跡を描きながら、僕の額を捉えた。
次の瞬間、視界の半分が赤黒く染まった。
水風船が弾けたみたいに、血が飛び散り、坂本さんの胸の辺りに降りかかる。
「あ…」
反射的に、左目に触れた。手に、べったりと、血が付いた。
顔の半分を切り裂かれたのだと、気づいた。
残された右目で、坂本さんを見る。
彼女は肩で息をし、関節が軋むくらいの力で、ナイフの柄を握っていた。
「命乞いなんてするなよ。私の心が揺らぐじゃないですか。何もしないでください。あなたは史上最悪の殺人鬼のままで、私に殺されてください」
そう言ってナイフを振るい、付着した血を払った。
「私の心を、救うためですから」
顔の左半分からの出血が止まらない。みるみる、心臓が逸っていく。
喉の奥にこみ上げた鉄の味を飲み込んだ時、混乱した脳裏に、「救済」という言葉が過った。
ああ、彼女の本質は、尼崎翔太や赤波夏帆と変わらないのだな…って、思う。
尼崎翔太も、赤波夏帆も、坂本さんも、正しい形など求めていない。ただひたすらに、己の心が救われればよかったのだ。
例えクローンであっても、幸田宗也がこの世にいてくれたら、尼崎翔太らの心は救われた。
例えクローンであっても、幸田宗也を殺すことができるのなら、坂本さんの心は救われる。
もちろん、幸田宗也自身も。
殺された間宮穂乃果さんがそれを望んでいなくとも、彼は、復讐がしたかった。
みんな、歪な形の、「救済」を求めていた。
「あなたは、殺人鬼でなければならない…」
興奮を抑えるように、深く息を吸い込む坂本さん。
そして、決意をしたように、にやりと笑った。
「だったらこれから、間宮穂乃果のクローンを、殺しましょう…」
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