その④

 この頃、幸田宗也に、好きな女性ができた。

女性の名は、「間宮穂乃果」と言った。

当時二十三歳で、身長は彼よりも拳一つ分ほど高く、色白で、濡れ羽色の美しい髪の持ち主だった。

 幸田宗也と間宮穂乃果の出会いは、彼が三年生の春に起こった。

その日、陰湿ないじめを受けていた幸田宗也の堪忍袋の緒が、ついに切れた。

彼は、陰口を言ってきた女子の顔面に回し蹴りを食らわせた。手加減をしたため、女子の頬には軽い皮下血腫が残る程度だったが、これに激高したのが女子の彼氏だった。彼氏は仲間を十人ほど集めると、その日のうちに、いつもの公園に向かう途中だった幸田宗也を襲撃。幸田宗也は一人で集団に立ち向かったが、敵うはずもなく、後頭部を強く殴られ、脳震盪を起こし、気絶してしまったのだ。

 農道で倒れている幸田宗也を発見したのが、××村に赴任してきたばかりの研修医「間宮穂乃果」だった。

彼女は彼に駆け寄り、その血まみれの身体を抱え起こした。そして、病院へと担ぎ込んだ。

 命に別状は無かったが、彼は右足の腓骨を骨折していて、まともに歩ける状態ではなかった。

本来ならば、ギプス装着し、松葉杖を貸出してそれっきりなのだが、幸田に対する病院の医師の横柄な態度や、彼を治療している時に、周りの看護婦から言われた、「そんな男治療しなくてもいいのに」という言葉。そして、村人から言われた、「そいつは外れ者だから、関わらない方がいいよ」という声。そこから、幸田宗也が、この村でどのような扱いを受けているのか知った間宮穂乃果は、それ以来も彼のことを気に掛けるようになった。

 幸田宗也の母親は三年前に蒸発し、祖母祖父からも、犬に餌を与えるように適当な生活費が送られてくるだけ。しかも、その金を、赤波夏帆や篠宮静江の学費に当てるために貯金していたので、彼の生活はあまり良いものとは言えなかった。

 間宮穂乃果は、幸田宗也の住むアパートを毎日のように訪れ、食べ物や生活用品などを差し入れた。包帯も頻繁に交換した。そして、散らかった部屋を片付けた。そして、鬱陶しがられながらも、自分の身の回りの話をした。「お局の看護婦さんが怖い」「患者さんが高齢者ばっかりだから、私の言っていることを聞きとってもらえない」「でも、楽しい」と。

 最初は警戒していた幸田宗也だったが、やがて心を許すようになった。

 幸田宗也と間宮穂乃果で出会って二週間が経った頃、彼は彼女に、あるお願いをした。それは、「墓地裏にある公園に連れて行ってほしい」とのことだった。

 間宮穂乃果は、幸田宗也の軽い身体を背負い、その公園に向かった。そこには、赤波夏帆と、篠宮静江がいた。

 幸田宗也と同じ、この村では腫物扱いされている者たちと出会った彼女は、二人の身の上話に耳を傾け、そして、自分のことのように悲しんだ。そして、幸田宗也だけじゃなく、赤波や篠宮も気に掛けるようになった。

 聖女のような間宮穂乃果に、二人はすぐに懐いた。そして間宮も、二人を自身の妹のように扱い、勉強を教えたり、少ない給料で洋服やアクセサリーをプレゼントしたりした。

 そして、間宮穂乃果は、『木漏れ日の烏』の一員となった。

 やはり、新参者の間宮穂乃果が、村の腫物と仲良くすることを良くないと思う者が多くいた。

 次第に、間宮穂乃果は職場で孤立。同期は彼女を避け、先輩医師は露骨な嫌味を言ったり、私物を隠したりした。彼女が対応しようとすれば、患者たちはそれを拒否して、治療どころではないときもあった。道を歩けば、背中には村人たちの鋭い視線と、悪口が突き刺さる。だが、間宮穂乃果が、それで挫けることは無かった。

 自分がやっていることは間違っていない。そう信じて、未だに歩けずにいる幸田宗也の面倒を見た。赤波や篠宮と一緒に遊んだ。

 一か月が過ぎ、二か月が過ぎ、三か月が過ぎる度に、村人たちの迫害は酷くなっていった。

 ある日、坂を歩いていた赤波夏帆が、村人に背中を突き飛ばされ、下まで転がり落ち、腕を骨折するという事件が起こった。警察に相談したが、門前払いを食らった。

 次に、篠宮静江が住んでいた家が、何者かによって放火された。母親が焼死した。これも、「証拠が見つからない」という理由で捜査は打ち切りになった。

 篠宮を引き取った間宮穂乃果だったが、村人らは、彼女の家にも嫌がらせをするようになった。生卵を投げつけたり、塀に「あばずれ」「出ていけ」などと書き込まれたりした。

それでも出て行かなかったのは、「医者になって多くの人を救う」という自分の夢のためだった。そのためには、この村での研修を最後まで終わらせる必要があったのだ。

 そして、半年が経った。

 幸田宗也の折れた骨は完全に繋がり、覚束ないながら、歩けるまで回復した。

 完治した記念にと、彼女は幸田宗也をドライブに誘った。

 赤波と篠宮も連れて、四人は隣県までドライブをした。海沿いを走り、海岸に降りると、写真を撮ったり、砂城を作ったり、貝殻を拾ったりした。近くにあったショッピングセンターに立ち寄り、美味しいものをたくさん食べた。

 そうして、夕暮れ時に、幸田のアパートに戻った。

 アパートの前に着いたとき、彼の部屋の前に、高校の不良たちがたむろしているのが見えた。幸田が留守にしていることを好機と見なした彼らは、スプレーを使って扉に落書きしたり、爆竹を投げつけたりしていた。

 暴力を好まない幸田は、静かに「終わるまで待とう」と言った。

 だが、間宮穂乃果の堪忍袋の緒は切れていた。

 彼女は車から降りると、不良たちに詰め寄った。精一杯威圧した声で、「ここから去りなさい!」と言った。だが、それが彼らに通用するはずもなく、彼女は突き飛ばされた。そしてあろうことか、男たちに服を脱がされそうになった。

 その瞬間、幸田が走り込んできて、不良たちの頭を蹴り飛ばした。

スプレー缶を拾うと、彼らの眼球に目掛けて噴射した。手早く爆竹を奪い、点火すると、二人の服の中に入れた。一人がバッドを持って殴りかかってきても、勇敢にそれを腕で受け止め、カウンターを顔面に叩きつけた。そして、今までに見たことが無い、必死の形相で叫んだ。

「僕の女に何するんだ!」と。

 その時初めて、間宮穂乃果は、幸田の好意に気づいた。

 不良を撃退したのはいいものの、腕の骨を折った幸田は、再び間宮の治療に厄介になることになってしまった。

 腕に包帯を巻いている時、彼女は「私のこと、好きなの?」と聞いてみた。

 今まで仏頂面を貫いていた幸田が、その時初めて、赤面した。言葉がたどたどしくなり、動悸も逸り、体温がみるみる上がっていくのがわかった。

 間宮穂乃果は、確かに彼のことを大切に思っていたが、それは、恋愛感情とは少し違うものだった。だが、勇猛果敢に自分のことを守り、でも赤面している彼の姿を見たとき、「ああ、この人となら一緒になってもいいかな」と思った。

 だから、彼の返事も聞かずに言った。

「私も、宗也くんのこと、好きだよ」

 それ以来、秘密組織『木漏れ日の烏』における、幸田と間宮の関係は、姉弟から「恋人」に変わった。一層強い絆で結ばれた。相変わらず村人たちからは迫害される日々だったが、四人で助け合えば何てことなかった。

 そうやって時間は過ぎていった。

 間宮穂乃果は、二年の研修医期間を終了。幸田宗助は高校を卒業し、一年の浪人の末、隣県の市立大学に合格した。赤波夏帆や篠宮静江も無事高校に入学し、虐められながらも力強く生きた。東京では、尼崎翔太も上手くやっていた。

 向かい風は強かったが、幸せだった。

 そうして、少し気は早いと思いながらも、桜の咲く季節に、二人は籍を入れた。

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