その④

 夏祭りまで四時間。僕たちは支度にとりかかった。

 生憎、僕たちは、浴衣などと言う贅沢な品は持っていなかった。一瞬、借りることも頭に過ったが、誰かに見せるわけでもないし、動くにくいだろうという理由から却下した。部屋のクローゼットを漁り、ジーパンとTシャツを引っ張り出して着た。牧野も、僕のジャージを着た。

「牧野はスカートの方がいいんじゃないか?」

「馬鹿ねえ、夏祭りにブレザーで行く子がいると思う?」

「まあ、そうだけど」

 お互いのダサい恰好を貶しあった後、僕たちは財布を持って部屋を出た。

 扉を閉め、鍵を掛け、「さあ行こう」と言って歩き出した時、アパートの向かいの道路の電柱に人影が見えた。それは僕の視線に気づくと、さっと電柱の裏に隠れてしまった。

 ああ、また坂本記者か。

 僕は牧野の肩を掴むと、引き寄せた。

「どうしたの? 恥ずかしいんだけど」

「アパートの前に、雑誌記者がいる。裏から出よう」

「あ、わかった」

 そう耳打ちすると、階段を降りて建物の裏に回り、そこから道路に出た。記者が追ってくる前に走り出す。二百メートル程走ってから振り返ると、そこには誰もいなかった。

「よし、撒けたな」

 頬に汗を浮かばせ、パチンッ! と指を鳴らす。牧野も真似して、指を鳴らした。

「人気者は大変だね」

「悪い意味でな」

 気を取り直し、僕たちは祭りの会場へと向かった。その間、後ろから誰かに見られるような気配がしたが、振り返っても誰もいなかった。多分、気にしすぎなのだと思う。

 一キロ程歩いて、祭りがおこなわれている神社に着いた。混雑を避けるために早めに出たつもりだったが、参道は多くの人で賑わっていた。有象無象を前にした僕が、早速人込み酔いしそうになる横で、牧野は子どものように目を輝かせていた。

「ねえ、すごいね。すごく楽しそう」

「ああ、そうだな。どうする? 何から回る?」

「お腹空いたから、何か食べようよ」

「わかった」 

 牧野に手を引かれ、僕は人が行き交う参道へと踏み入れた。

 大判焼き、たい焼き、焼きそば、フランクフルトにアメリカンドッグ、イカ焼きと、良い香りのする出店は山ほどあったが、まずは近くにあったタコ焼きを買った。一パック六個入りで、三個ずつ分けて食べた。それから、少し進んだところにあった焼き鳥を食べた。これだけで、小食の僕は腹がいっぱいになった。

 牧野はまだまだ食べたりないようで、目を輝かせながら、十メートル先にある、かき氷の店を指した。

「次はかき氷を食べようよ。練乳掛けられるみたいだよ」

「よしきた」

 ベンチから腰を剥すようにして立ち上がる。かき氷の屋台は、この会場にごまんとあったが、牧野が提案した屋台は、プラス百円で練乳掛け放題ということもあり、他のより多くの客が並んでいるように見えた。

「かき氷のシロップって、どれも味が一緒らしいよ」

「え、ほんと?」

「まあ、香料と着色料を弄っているから、脳が錯覚して違う味に感じるらしいけど」

「じゃあ、目をつぶって、あと鼻をつまんで食べたら、同じ味に感じるのかな?」

「あ、そうだな」

「試してみる?」

「じゃあ、僕はイチゴを買う」

「え、私、イチゴがいい」

「じゃあ、僕はメロンにする」

「そうしようか」

「待てよ、練乳掛けたら味が変わっちゃうんじゃないか?」

「あ、そうか」

 そんなくだらない会話を交わしていた時だった。

「あれ、幸田宗也じゃない?」「あ、ほんとうだ」「退学になってから見ていなかったね」

親の声よりも聞きなれた陰口が聞こえた。

ちらっと声の方を振り返ると、離れたところに、同じクラスだった女子がいるのが分かった。彼女たちは、僕だけじゃなく、その隣にいる牧野の存在にも気づいていた。

「あれって…、牧野さんじゃない?」「どうして牧野さんと幸田宗也が一緒にいるんだろう」

 そんな声が、ブスブスと背中に突き刺さる。

 僕は半歩下がり、牧野を彼らから見えないようにして立った。

「篠宮くん? どうしたの?」

「いや、何でもない」

 まあ、そうなるか…って思った。

 逸る心音を感じながら、無事、かき氷を買った。僕はメロンシロップ。梨花はイチゴシロップだった。近くのベンチに腰を掛け、目を閉じ、鼻を摘まんだ状態で食べ比べる。

「どう?」

「だめだ、練乳が強すぎてわからない」

「まあ、そうなるか」

 また二人で笑った。そうしている間にも、何処からともなく、「あれ、幸田宗也じゃね?」という声や、化け物を見るような視線が飛んできた。

 他人なんて気にするな…。僕は自分にそう言い聞かせると、かき氷を掻き込んだ。案の定、頭が痛くなり、牧野には声をあげて笑われるのだった。

「次はどうする?」

「うーん、お腹は結構膨れたな」

「じゃあさ、射的とかしようよ。私、やったことないの」

「そうか、じゃあ、そうしようか」

 近くにあったゴミ箱にゴミを捨てて、立ち上がると、射的の屋台を目指して歩き始める。

 ひそひそ…、ひそひそ…。誰かの声が聞こえた。

 じろじろ…、じろじろ…。誰かの視線が肩に刺さる。

 気にせず、ひきつった顔をする屋台のおじさんにお金を渡し、コルク銃を受け取った。

 牧野は「見ててよね」と言うと、銃を構え、引き金を引いた。

 銃口から放たれたコルクは、一直線に景品の方へと飛んでいき、命中。しかし、鈍い音を立てて跳ね返った。足もとにコルクが転がる。

「え、なにこれ」

牧野はあからさまに不機嫌な顔をした。

「ねえ、さっき当たったでしょ。下に貼りついているんじゃないの?」

「コルク銃の威力なんてそんなものだよ」

 僕は牧野の背後に周り、腕を回して、彼女の手に自分の手を重ねた。

「バランスを崩して落とすのが一番さ」

 次の弾を装填し、銃口を少し上に向ける。振れが無いよう、しっかりと押さえつけた。

 牧野は「なんか恥ずかしいんだけど」と言いながら、引き金を引く。放たれたコルク弾は、景品の上部を捉えた。すると、グラッ…とバランスを崩し、砂の上に落ちた。

「やった」

 屋台のおじさんから景品を受け取る。

 景品は、ネックレスだった。雫の形をした意匠は安っぽいプラスチックで、チェーンの部分も妙に歪んでいる。屋台の景品だから期待はしていなかったが、あまりにもお粗末な作りでがっかりした。

僕はつまらなくなって、指に引っかけたネックレスを振り回した。

「まあ、こんなものか」

「あ、ちょっと、飛ばさないでよね」

 牧野が横から手を伸ばし、ネックレスを取り上げる。

「私がもらうね」

「うん、いいよ」

 その原価百円にも満たないようなネックレスを、牧野は細い首に掛けた。するとどうだろう。ただのガラクタにしか見えなかったそれは、彼女の鎖骨の上で妙に輝いていた。

「似合う?」

「似合うよ」

 僕は牧野の頭をぽんぽんと撫でた。

「浴衣、着てくれば良かったな」

 彼女に、こんなダサいジャージを着させたことを、僕は心底後悔した。

「じゃあ、次はどうしようか?」

「…そうだな」

 そう言いかけたとき、僕の肩を誰かが叩いた。

振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。

「あ…」

「よお、久しぶり。幸田」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る