その③
「ああ…」
汗をびっしょりとかきながら、身体を起こす。
時計を見ると、まだ五時で、窓の外が白くなり始めた頃だった。
全然眠った気にならず、身体がとにかく重かった。
でも二度寝をすることができず、NHKのニュースを見て時間を潰してから、学校に行く準備をした。
学ランを身に纏い、外に出ると、買い換えたばかりのスニーカーの履き心地の悪さを感じながら、スズメが鳴く通りを歩き始める。
その時だった。
「あ! 幸田宗也さん!」
僕を…、正確には、僕の細胞の持ち主の名前を誰かが呼んだ。
いつもなら無視をするのだが、不意打ちだったために、思わず立ち止まる。振り返ると、電柱の陰に隠れるようにして立っていた女が駆け寄ってきた。
灰色のスーツを着ている。年齢は二十代くらい。
誰だ…?
「幸田宗也さん、突然呼び止めてしまってすみません…。私、こういう者でして」
スーツの女性はそう言って、胸のポケットに入っていた名刺を渡してきた。
「週刊バーニー記者の、坂本彩です。少々お話、よろしいでしょうか?」
「ああ…週刊誌の」
それだけで、僕はこの女性が嫌いになった。
「すみません、人違いなので」
名刺を坂本記者に突き返すと、踵を返して歩き始める。
人違いのことには触れず、坂本記者はしつこく僕の横に並んだ。
「歩きながらで構いません。二十年前の事件についてお話を聞かせてほしいのです」
無視をする。
「今年で、あの凄惨な事件から二十年が経つわけですが、被害者に対してどう思っていますか?」
無視をする。
「以前、別の記者が取材に向かった時は、S県の方に住んでいたと思うのですが、三年も経たずにこの地に引っ越してきたのは、どういった経緯で? やはり、世間の視線に後ろめたいものがあるのでしょうか?」
無視をする。
「当時の村人によると、幸田さんは狂暴な性格をして、喧嘩の絶えない日々だったと言いますが、今もそう言った破壊衝動はありますか?」
見え見えの挑発だ。反応したら負けだ。
「お答えいただけませんでしょうか? 幸田宗也さん」
僕の口元に、ボイスレコーダーが突き付けられる。
「自身が、凄惨な殺人を犯したという自覚はあるのでしょうか?」
「うるさいな!」
我慢できなかった。振り向きざまにそのレコーダーを払いのける。女性の手からすっぽ抜けたそれは、横の用水路に、ぽちゃん…と落ちた。
坂本記者の目がギラッと光る。獲物を捕らえた釣り人のようだった。
「お答えいただけませんでしょうか?」
「僕は幸田宗也じゃないって言っているだろ! 篠宮青葉だ! 二度と間違えんな!」
唾をまき散らしながら精一杯威圧すると、記者に背を向けた。
歩き始めようとした瞬間、坂本記者が言った。
「殺人鬼と同じ遺伝情報、同じ姿をしていて、被害者に申し訳ないと思いませんか?」
「あ?」
また、我慢できなかった。
振り返ったと同時に、女に回し蹴りをくらわせる…直前で足を止めた。
蹴られると思ったのだろう。坂本記者は肩を震わせて後退った。
「記事にでも書くか? 『クローンにはやはり、幸田宗也と同じ狂暴性があった』って。ここまで挑発されて、手を出さない奴がいるかよ」
「ええ、とても良い取材になりました。ぜひそう書かせていただきます」
「そりゃあ良かった」
足を引っ込める。
「どうせ記事にされるなら、派手にやってやろうかな? 幸田宗也がやったみたいに、足の腱を切断して…、それから」
「ああ、どうぞ、その方が売れる記事になるので」
坂本記者の声は震えていた。精一杯の強がりだ。そして僕の言葉も強がりだった。それはお互いにわかっていたようで、記者は震えたまま、もう一つの質問を僕に投げかけた。
「先日、尼崎翔太と、赤波夏帆が出所しましたが、その件についてはどう考えていますか?」
「は?」
喉の奥から変な声が洩れた。
「あの、二人が、出所…したのか?」
僕の無知を知り、記者は興味深そうに頷いた。
「ええ、ご存じありませんでしたか? 幸田宗也を長とする、『木漏れ日の烏』のメンバーで、彼を心酔していた二人です。尼崎翔太は、幸田宗也の体細胞を受精卵に移植し、赤波夏帆は、その受精卵を子宮に着床させ、あなたを産んだ…。いわば、二人はあなたの生みの親です。そのことに関して、どうお考えですか?」
「…知らんよ」うなだれるように首を横に振った。「あの二人とは、一歳の時に分かれて、それ以来関わりを持っていない」
「では、これから関わりを持ちたいと考えていますか?」
「思うわけがないだろ」
そんなこと、知りたくなかった。
「あの二人がどうなったかなんて、静江さんからは教えてもらわなかったから」
「ああ、篠宮静江さんですか。同じく『木漏れ日の烏』のメンバーだった。今はどちらに?」
一瞬は、「あの人には取材するなよ。お断りだ」と言おうと息を吸い込んだが、そう言うと、しつこくやってきそうなので、本当のことを言うことにした。
「死んだよ。半年前に。交通事故で」
「ほう…」
記者は興味深そうに頷いた。
「では、もう一つ質問です。幸田宗也をリーダーとする組織のメンバーだった女性が、あなたの里親になったわけですが、あなたはどのように育てられましたか?」
ああ、来たよ。耳にたこのありきたりな質問。
僕は肩を竦めた。
「静江さんは、僕を幸田宗也じゃなくて、『篠宮青葉』として育ててくれた。だから、当時のことを僕に聞いたって無駄さ。尼崎さんと、赤波さんの出所の話同様、僕は何も聞かされていないんだから」
もういいだろう? と僕は言った。
「僕は、篠宮青葉だ。幸田宗也とは関係が無い」
「…そうですか」
坂本記者は淡々とメモに書いていく。
どっと疲れが出た僕は、重い足を引きずって踵を返した。
「ここまで答えたんだ。もう少し、真実に基づいた記事を書いてくれよ」
「ご協力感謝します」
ああ、絶対に書く気ないな。まあ、マスコミなんてそんなものか。
少しでも坂本記者から距離を取りたく、僕は早歩きで離れた。でもすぐに立ち止まる。
後ろから走ってきた自転車が、僕の肩を掠めながら追い抜いていく。
「…そうか」
出所したのか。僕の生みの親である、尼崎翔太と赤波夏帆が。
波紋が池の淵に当たって跳ね返るみたいに、じわじわと実感していく。
怒りがひょいっと顔を出して、思わず足元の小石を蹴り飛ばした。それから、恐怖が胸に宿り、寒くないのに震えた。それを周りに悟られまいと、胸を張って歩き始める。
朝の悪夢といい、過去の事件をいつまでもほじくり返す記者といい、ほんと、朝から気分が悪い。もう、放っておいてくれよ。僕は僕だ。
ふと通りかかった電柱に、「殺人鬼のクローンをこの町から排除せよ!」と、拙い字で書かれた張り紙があった。
名誉棄損…、いや、器物損壊か? そう思いながら顔を上げると、曲がり角に設置されたカーブミラーに、殺人鬼にそっくりな顔をした僕の姿が映っていた。
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