さよなら さよなら
まぶしさの中で目を覚ました。
それは天国の輝きではなく、捜索隊員が顔に向けたマグライトの光で、自分が今どこにいるのかを思い出すまでには、しばらく時間がかかった。
今が何時で、どの位お願い岩にいたのか、時間の感覚は失っていた。
その後、捜索隊員にどう声をかけられて、何を答えたのか、どうやってレスキューの船に乗り込んだのかは憶えていない。
船室で、隣に自分と同じように毛布にくるまれたサトルがいたのが、かろうじて記憶にあった。
真夜中の港には、大勢の大人と、多数の車が集まっていた。
船を降りる時、別れ際に捜索隊員のおじさんが「オレも昔、あの岩で願ったことがあるんだぜ」と語ってくれた。
「おじさんは何をお願いしたの?」と聞きたかったけれど、寒さと疲れと眠気とがそれを阻んだ。
〝隊員のおじさんの願い事は叶ったのかな・・〟
ただ朦朧とした頭で、そう考えた。
雪崩るように近づいてきた母親に、一瞬〝ぶたれる〟と身構えたけれど、そうされる事はなく、代わりにハグされた。
自分の体が冷きっていたせいなのか、抱きしめてくれた母親の体からは、温もりが感じられなかった。
自宅にではなく、病院に搬送される事となり、母親と救急隊員に両脇を抱えられながら救急車に乗った。
救急車に乗るのは初めてだった。もちろん、離れ小島から救出されるのも。
救急車に乗る前に、向こうを見やると、もう一台の救急車へと歩んで行くサトルと母親の姿が目に入った。
サトルの母親は、サトルの頭を押さえて周りの人たちへ、日本人のよくやるようなおじぎを無理矢理させていた。何度も何度も。
母親自身が頭を下げたり、謝罪の言葉を口にする事はなかった。少なくともマックスの見ていた限りでは。
彼女は、自分の子供に足の障害があるのを忘れているみたいだった。
すっぽりと毛布をかけられたサトルの顔は、最後まで見えなかった。
博士に教わっていたので、マックスにはもうインナージャッジの声が聞こえるようになっていた。
〝お前が恥をかく訳にはいかない、悪いのはこの子だ、お前が恥をかく訳にはいかない、悪いのはこの子だ〟
サトルの母親は、罪をなすりつけるのに必死で、我が子からの心の声は聞こえていないようだった。
それと似たような声が、一番近くからも伝わって来たけれど、それはあまりにつら過ぎるので、心の耳を塞いで聞こえないようにした。
ただ、自分の足で歩く事も出来ず、促されるままに、どこかに運ばれ行くのだった。
この後の自分がどうなるかは判らぬままに。
〝お母さんはボクのコト好きかな? 自分だけ好きかな? 自分とボクと、両方好きかな・・?〟
抱きしめられた腕から、何かが吸い取られていくように感じるのは、母親を疑ってしまうのは、きっと今は疲れて寒くて眠いからだと、そう思う事にした。
〝両方だといいな・・〟
目は半分も開らけずに、視線も下に落としたまま、ただ地面だけを視界に入れながら、救急車へと運び込まれた。
誰の顔も見ることができなかった。かといって、目を閉じると闇に飲まれてしまいそうだった。
〝そうだといいな・・〟
その後は、もう何も考えられなかった。
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病院から自宅に戻った後は、3日間の外出禁止で、学校も休まされた。
どの道、どこにも行く気になれなかったし、誰とも会いたくなかった。
一人でいたかった。
部屋にこもって、3日間、ずっと泣き続けた。
一度だけマルロから電話があって、「あの子、学校には全然、来てないぜ」と教えてくれた。
後になって、マルロは連日サトルの教室に行って、「サトルって子は来てないのか?」と、聞いてくれていたのだと、ダニエルが教えてくれた。
もうひとつ後から知ったのは、ネッドがボートを貸したことを大人に話してくれて、そこがお願い岩への捜索の端緒となった事だった。
後日、殴られるのを覚悟でネッドに謝りに行った時、「いいさ、どうせボロ船だ。もうボート遊びなんかするガキじゃないしな」と、意外にも寛大に許してくれた。
サトルと交換したフレンドストーンは、どこにも見当たらなくなっていた。
学校に行けるようになると、仲間への挨拶もそこそこに、学校の情報屋スニッキーの下を訪ねた。
スニッキーはいつもながらの早技で、3時間もしない内に求める情報を手に入れていた。
「本当ならたっぷり5ドルはもらわなきゃいけないネタなんだぜ」
スニッキーはそうもったいをつけたけれど、それでもお願い岩への挑戦者に敬意を表して、そして依頼の内容を察してくれて、情報は只で提供してくれた。
もしサトルの引っ越しの日が平日であったなら、学校を抜け出すつもりでいたけれど、スニッキーの教えてくれたその日付は、幸いにも学年度の最後の土曜日だった。
自宅からサトルの家までの40分間ほどを、汗だくになりながら自転車をこいだ。
サトルの家の住所までキチンと調べてくれたスニッキーには感謝しなくてはならない。今度会ったら、「きっと優秀なエージェントになれるよ」と、そう告げよう。
サトルと母親が身を寄せていた借家は、山の手の高級住宅街の一画にあり、その家屋が見下ろせる位置の、ブルーオークの木陰に身を潜めた。
そこはもしかしたら、誰かの敷地かもしれなかったけれど、構わなかった。
到着した時にはもう、サトルの母親の指示を受けながら、配送業者の作業員がトラックに荷物を積み込んでいた。
サトルはトラックの前に停められた乗用車の後ろの座席で、じっとしていた。
近づいて行きたい気持ちもあったけれど、きっとサトルの母親がそれを許さないだろう。それに、サトルに合わせる顔もなかったし。
一度だけ、俯いていたサトルが顔を起こし、マックスに気が付いて、目と目を合わせ、お互いに胸元で小さく手を振りあった。
その後は、もうどうしていいかわからずに、二人とも黙ったまま下を向き続けた。
サトルの母親が、家主らしき人とお別れのハグをしてから運転席に乗り込み、発車するその段になって、もう一度だけ目と目を合わせ、もう一度、今度はさっきより少しだけ大きく手を振りあった。
車もトラックも、道の果てにみるみる小さくなり、すぐに見えなくなった。
そして、それきりもう二度と、マックスの残りの人生でサトルと会う事はなかった。
仲良くなった誰かと、永遠に分かれてしまうのは初めての経験だった。
〝ごめんね、ぼくがもっとうまくやれていたら良かったのに。寄り道せずにすぐ帰れば、係留ロープをもっとしっかり結んでおけば、ずっと友達でいられたかもしれないのに・・〟
がっくりと芝生の上に膝をつき、そのまま突っ伏して、涙を流した。
顔にも、服にも芝の欠片がまとわりついたけれど、気にしなかった。
泣いても泣いても、涙があふれ続けた。
胸の中には後悔しかなかった。
ブルーオークの葉陰が、強い日差しからも、人の目からも、少年の姿をやさしくやさしく隠してくれた。
涙が枯れるまで泣いた後で、ゆっくり身を起こし、博士の研究所へ向かって自転車を走らせた。
こんな時、博士ならきっと気の紛れるような、面白い科学や社会の話を聞かせてくれるはずだ。
全然、甘くない野草茶を振舞ってくれて、この先、どうしたらいいのかという知恵を授けてくれるはずだ。
きっと楽しい気持ちにさせてくれる。
そう思いながら、時々、手の甲でまぶたをこすりながらペダルをこいだ。
でもそうはならなかった。
博士の『研究所』には誰もいなかった。
次の日、もう一度訪ねた時も、『研究所』はもぬけの殻で、人の住んでいる気配はなくなっていた。
それから2週間ほど経った夏休みの最中に、電子メールではない、手紙の郵便がマックスの元に届いた。
親愛なるマックス
急に、本当に急に、この土地を離れなくてはならなくなった。
いつか、どこかに落ち着いたら、君にも連絡するつもりだが、それがいつになるか、どこになるかは未だわからない。
君と過ごした何週間かは本当に楽しかった。君が来ると、君が『研究所』と呼ぶ私の家の中が、もうひとつの小さな太陽で照らされたようだったよ。
君は幼い頃に、お父さんから沢山の愛情を受け取っている。
それを心の中に持っている限り、この先、どんな困難があっても乗り越えて行けるだろう。
残念だけれど、お別れだ。
また、いつかどこかで会えるといいね。
君の友達、ジョージ・リリス
人とイルカの星 水撫川 哲耶 @MinagawaT
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