子供の領分
放課後の公園のテーブルに、いつもの4人の雁首がそろった。
ダニエルは、ズボンの裾に付いたヌスビトハギの種を取り去るのに四苦八苦している。
「何やってんだよLL、ボーっと歩いてるからそうなるんだ!」
同盟の相方、デービッドのいつもの叱責が飛んだ。
同じ道を通って来たはずなのに、どうしてこういつも彼ばかり災難にあうのだろう。
ついこの前も、ダニエルの自転車のサドルにだけ鳥のフンが載っていた。
涙目で鳥のフンを葉っぱの縁でこそぐダニエルの姿が忘れられない。
ダニエルへの非難が、以前のブレンダンマートでの防犯タグ事件に及び始めた時、それ以上ヒートアップしないよう、M同盟の2人にはデービッドをなだめる頃合いだと知れた。
公園には同じ学年のグループが三々五々集っていたけれど、脇を通る時に「よぉ!」と挨拶をしただけで、一番隅の、みんなとは離れたテーブルに陣取った。
デービッドのお説教を一段落させた後、いつものように4人で今日の宿題を分担した。
この日は堅実にも、無駄話などに脱線することなく、スムーズに宿題を仕上げる事が出来た。
以前からも時々こうして、4人で宿題の分担を行っていたのだが、少し前までは遊びやおしゃべりに脱線し、結局、未完成のまま提出して先生からお目玉をくらう、というのが通例だった。
最近では11歳なりの知恵と克己心が、4人にも身に着きつつあるのだった。
ただし、お互いの答えが正しいかどうかまでのチェックはせず、ただ丸写しするだけなので、もし誰かが間違っていたら、4人全員がおなじ箇所をしくじる大博打だ。
もっとも本当の博打は、4人の共謀をコウザリー先生が勘づくかどうかだろう。
首尾よく宿題を片付けた後、予定通りスリングショット(パチンコ)の工作に取り掛かった。
学校の図書館から借りた『アウトドア入門』に載っていた作り方を手本に、まずはその素材となる手頃な形の枝を拾うことから始めた。
枝が細すぎたり、形が丁度いいY字になっていなかったりと、その選別には時間がかかった。
何とか用途に合った形のモノを見つけると、4人は素材をテーブルに拡げ、枝の形を整え、ゴムを引っかけるポイントに切れ込みを入れる作業を始めた。
記事の解説により、文房具のカッターでは役不足で、大振りなナイフが必要だと予め判っていたので、4人とも内緒で家からナイフを持ち出していた。
他の子たちから離れたテーブルに座ったのは、このナイフを見られないようにする為だ。
スリングショット作りのページのナイフの記述が司書や先生に知れたなら、この本は図書館から除外されてしまうだろう。
「ねえ、このスリングショットって、スタンリーの店にも売ってるんじゃないかな?」
「そんなコト言うなよ、こうして自分たちで作るのから意味があるんだろ」
端でそんなやり取りを聞きながら、〝もし買いに行く事になったら、お小遣いが少なくなるから困るな・・〟とマックスは思った。
スリングショットには、ある特別な用途があった。
最近、学校の付近に出没する野犬を退治するための武器として使うのだ。
マックスたちの小学校は正門を国道と接し、裏手は丘陵地へと続いている。
その丘陵地の林の中に、どうやらその野犬は寝ぐらを定めたらしかった。
『らしかった』というのは、〈ヤツ〉はある時は校庭に現われたかと思えば、ある時はブレンダンマートの裏手のゴミ置場を漁っていたりと、その行動半径が広く、誰もその棲み処を見届けられないでいたからだ。
ただ、小学校付近での目撃情報が多いので、おそらく寝ぐらは小学校の裏手の林のどこかだろうという推測だった。
そいつは広範囲を移動できるスタミナも持っていれば、素早さも一流で、今までに保健所職員の網を何度もすり抜けていた。
先々週、ついに生徒の一人が追いかけられる事態になり、それ以降、校内放送で「校庭に出る時や登下校時は野犬に注意するように」というアナウンスが連日流されていた。
追いかけられたトミーは「本当にヤバかったんだぜ! もう少しで噛み付かれる所だったんだ!」と、なぜか少し嬉し気げだった。
先生からの「野犬には近づかないように」というお達しに、4人とも最初の内は従うつもりでいたけれど、マルロが校庭フェンス下の動物によって掘り起こされた痕跡を発見してから、その風向きが変わった。
「ヤツはここを通って校庭に侵入しているに違いないよ」
そこで待ち伏せしていれば〈ヤツ〉に遭遇する事が出来るはずだ。
「でも、ずっと待ってんのかよ?」
「そーだよ、何時間も待って来なかったらバカみたいだ」
「エサを置いておびき寄せたらいいんじゃないかな? 犬は鼻がいいから遠くからでもやってくると思うよ」
「マックス、お前は天才だな!」
「よし、それでいこうぜ!」
捕獲は無理でも、ヤツに一撃を食らわせられたなら、追いかけられたトミーは、自分に代わって仕返しをしてくれた4人に厚くお礼を述べるだろう。
「でも噛まれたら、どうするの? 狂犬病とか持ってたら死んじゃう可能性もあるんじゃない・・?」
弱気なダニエルの発言をデービッドが弾き返した。
「だからやるのさ。トミーは助かったけど、今度は生徒の誰かが噛まれるかもしれないだろ」
「そうだよ、保健所は頼りにならない。オレたちで追い払わないと!」
「そうさ! たとえ自分たちが噛まれるコトになってもな。男なら命知らずじゃなきゃ!」
『命知らず』、ドラマやアニメの主人公キャラクターに冠され、小学生男子の喉元をくすぐる、勇ましくも甘美な言葉だ。
言い出しっぺのマルロと普段から強気なデービッドは、狂犬病を振りまく危険な犬を退治して、学校のヒーローになる気満々だった。
もちろん、〈ヤツ〉が狂犬病を保有しているかどうかは、まだ判らない。
でも、より質の悪い相手と戦うと思えば、それだけ張り合いも出てくるというものだ。
他の子たちからは離れたテーブルに陣取った理由のもうひとつは、ヒーローになるのは4人きりで十分だという事だ。
何にでも首を突っ込むアダムなんかに見つかったら「僕も混ぜてくれよ!」と、そう言い出すのは目に見えている。
この討伐劇は4人の小学校生活において、有終の美を飾ってくれるだろう。
「パチンコ玉を当てたら、どこかへ他の土地へ行ってくれるかな?」
「う~ん、まあそうなるんじゃないか。そこまで考えてなかったけど・・」
歯切れの悪い答えを返して、ややばつの悪そうなデービッドが「とりあえず作ろうぜ」と先をうながした。
ちなみにスタンリーの店で扱っているスリングショットは、害鳥を追い払う為のゴムの強力なタイプなので、子供には売ってくれないよ。
しばらく黙々と作業が続いていたが、デービッドがふと呟いた。
「もうすぐ、小学生も終わりだよな・・」
勢いの塊であるデービッドの感慨深げな声音は珍しかった。
「6年生になって、隣の中学に行くだけだ。何もかわらないぜ」
そんなデービッドの気持ちに気付いているのか、いないのか、マルロの返答はドライだった。
デービッドは3人の顔を見渡した後に、何かを言いかけて、でもその言葉が探せないでいるようだった。
一呼吸おいて「LL、冒険の日までには絶対に調印書は間に合わせろよ」と、ただダニエルだけに念押しの言葉を放った。
そのデービッドの口にした『冒険』という言葉に、3人は身構えた。
〝え?!冒険?〟
3人の怪訝な表情を見て、デービッドが言い直した。
「いや、間違えた儀式の日だ」
マックスたちを冒険に駆り出すのは、もっぱらデービッドであり、やや無理目のそれに3人は翻弄されがちだった。
「まさか、また発泡スチロールの船を作る気じゃないよな?」
「あれはもう嫌だよ! 僕たち溺れかけたんだよ!」
食料品店の裏手から集めた発泡スチロールを繋ぎ合わせ、池の上に浮かべた船は、進水から20秒後に分解し四散した。
「やらないさ。心配すんなって。オレだって懲りたさ」
肩をすくめるデービッドの姿を見ても、3人はまだ警戒を解かなかった。
デービッドなら「今度は木のイカダで挑戦だ」とか、言い出しかねない。
あるいは「もう夏だから、水に落ちても冷たくないぜ」とか・・
「溺れかけた」と言ったマックスだったが、実際に水に落ちたのは、先の順番で乗り込んだデービッドとマルロの2人だけだった。
濡れネズミの2人の為にタオルを求めて奔走した苦労と、その後の発泡スチロールの結合の甘さ、その責任の押し付け合いは苦い思い出として刻まれている。
冒険心は船と共に散り散りとなり、4人はトムソーヤになりそこねたのだった。
新たな冒険に身を投じたいと思っているかというと、それは4人とも微妙だった。
冒険の誘い手であるデービッド当人でさえ、そうだった。わくわくする感じが次第に減ってきているのには4人とも気付いていた。
どういう訳だろう、同じ事をやっても、それまでと同じようには感じなくなってきていた。
未知の体験に飛び込み、没頭して時間を忘れる。そんな気持ちが冷めかけていて、代わりに胸に小さな閊(つか)えが芽生えていた。冒険に身を浸す少年時代が立ち去ろうとしているのだった。
おそらく、4人だけではなく、誰しもがこの年頃から「世の中に何か楽しいコトはないのかな?」と彷徨い始めるのだろう。
野犬退治は久々に盛り上がれそうなイベントだったけれど、それで全てが以前のように元通りにならない事も予感していた。
「儀式はやる! これは絶対だ!」
3人に異論はなかった。野犬退治と並んで、インディアンプラットフォームへの登攀は小学校時代の最後の思い出作りにふさわしいだろう。
結局ダニエルは、プリントアウトやタイプはおろか、調印書の草稿の紙自体をなくしてしまっていたので、先日のマックスとマルロの来訪も無意味なものとなっていた。
〝まったく。USBメモリなんか預けなくて正解だった・・〟
マックスとマルロは、目と目を合わせてうなずきあった。
それがデービッドに知る所となった時、ダニエルがどやされたのは言うまでもない。幸い、草稿の内容は短く、4人で思い出して再度書き出すのは容易だった。
儀式を執り行う山には『インディアンプラットフォーム(Indian viewing platform)』と呼ばれる岩肌がむき出しの、そして船の舳先のように宙にせり出した岩棚があって、その高みからは麓の自分たちの住まう町全体が臨めた。
白くなめらかな岩肌は、晴れた日に寝そべると岩の熱が体に染みこんで来るようで、そこだけ周囲の空間とは違う神秘的な佇まいを持っていた。心を落ち着け、日常とは別の心持ちにさせてくれるインディアンプラットフォームは人々の、特に子供たちのお気に入りスポットだった。
そこは名前の通り、インディアンの儀式の場として使われていたらしい。
伝承は途絶え、どのような儀式がどのような目的で行われていたのかは誰も知らない。
おそらく儀式の為に火を焚いたであろう焼け焦げの黒い痕跡が、わずかに一部の岩に残されてるだけだった。
そこで過去に何が執り行われていたかは想像によるしかないけれども、インディアンでなくとも、何かの儀式を行うならうってつけの雰囲気の場所で、現代のこの町の若者らも、そこである儀式を行っていた。
4人で調印書を推敲していて「誓いの儀式をインディアンプラットフォームでやろう」と誰かが言い出した時、全員の頭の中で閃めく何かがあった。
この町にはもうひとつ、子供たちにとっての聖地があった。それが岩礁が沖合に突き出た『お願い岩』だ。その岩の上でお祈りすれば、どんな願いも一度だけ叶うと子供たちに信じられていた。ただし、そこへのハードルは高く、1マイル強の距離を泳いで辿り着かねばならない。
そしてもうひとつ、数年前から大人たちや学校によって、お願い岩への遊泳が禁止されているという障害もあった。
過去に泳いで行こうとした子供が溺れたらしい。その子が助かったのかどうかは伝わっていないので、小中学生の間では「岩に近づかせない為の大人の作り話かもしれない」という噂もあった。
それでも年長者の何人かからは、現在でも実際に泳いで到達したという話を度々聞く事もあったので、小中学生の中には密かに機会を狙っている者もいるのだった。
簡単にはたどり着けないからこそ、子供たちの間ではインディアンプラットフォーム以上に、『お願い岩』はその価値を高めていた。
お願い岩に連なる岬は、その手前側が入江になっている。そこは海流によって沖へ流される心配もなく、その入江で子供が遊泳をするのを大人たちも容認していた。
去年、飛び込みからそのままお願い岩まで泳いで行くと息巻いた中学生が、入江を出てすぐに強い流れにぶち当たって、慌てて引き返してきた。
「だらしないぞ!」
「なんだ、口だけか!」
友人たちからは、そう囃し立てられたけれど、命には代えられない。賢明な判断だったろう。
マックスはダニエルが肩を落とす様に気が付いた。
ナイフの力の加減が強すぎたのか、ゴムを引っかける部分を割ってしまっていて、そこからの修復は無理そうだった。
「残念だったな、LL。またイチから作り直しだ」
そう、デービッドが揶揄し、その言葉にダニエルは無反応で動こうとしなかった。
今にも「もう作るのも犬退治も止めるよ」、そう言いだしそうな雰囲気だ。
「ボク、もう1コ枝をキープしてたから、それをあげるよ」
予備の枝を差し出すマックスに、暗いトーンでダニエルが答えた。
「判ってるだろう、マックス。僕は何をやってもこのザマなんだ・・」
「そんなコトないよ、ダニエルは去年の飛び込みのチャンピオンじゃないか」
中学生たちを横目に、マックスたち4人を含む小学生の一群も入江で飛び込み遊びをしていた。
当然のように「誰が一番高い所から飛べるか」という流れになり、飛び込み位置が、順次高いポイントへと移っていった。
意外にも、他の子たちが足がすくんで引き返す一番高いポイントから、ただ一人、飛び込みを成功させたのはダニエルだった。
それは飛び込みというより、手足をばたばたさせながら落ちる、という感じだったけれど、それでもその事でダニエルはみんなからの一夏の称賛を勝ち得たのだった。
「今年はオレが一番になるさ。去年は足をくじいてたからだ」と、デービッドが横槍を入れてきた。
「あんなの全然大したコトじゃないよ。子供の遊びだよ・・」
デービッドに当てこするように、そして自分をさげすむようにダニエルがそうつぶやいた。
「あ!」
唐突にマルロが叫んだ。
「急に大声出すなよ」
「オレそういえば、コウザリー先生から発表会の原稿を頼まれていたんだった!」
正しくはミアとペアで、司会進行とその原稿作成を依頼されていたのだけれど、聴衆の面前に立つのが嫌なマルロは「原稿は全部オレが作るから、司会は頼む」とミアと交渉していたのだった。
男女ペアでマイクを握らせたかったコウザリー先生は渋い顔をしたけれど、「私は構わないわ」というミアの言葉を盾に、何とか納得してもらった。
原稿の内容を先生がチェックする、その締め切りが明日だったのを思い出したのは、幸いでもあり、その反対でもあった。
マルロは、先ずマックスに視線を投げ、次いで他の2人の顔を見た。
3人とも無言で、かつマルロからの視線を外し、つまり「手伝わないぞ」の意思を示した。今夜、夜更かしして仕上げるか、明日、先生に謝って締め切りを先延ばししてもらうか、早目の決断が必要だ。
「そうだよ! その発表会だ。やるだろ? ステージ!」
「なに? バンド? 今からじゃ楽器をおぼえるのなんか無理だよ」
「あのザルツ&ブルクも出演するから、何をやっても比べられちゃうぜ・・」
「あれには勝てないよな」という一言は、悔しいので4人とも口にはしなかった。
「エアで演奏するふりならいけるんじゃないか? 家に何か楽器あるだろ?」
「でも『なんだ、エアかよ』って、逆にバカにされるんじゃないか?・・」
デービッドの張り合いたい気持ちは理解できるけれど、ここはやはり諦めてもらおう。
〝そういえば、家にヴァイオリンがあったっけ・・〟
マックスは居間のタンスの上の、埃をかぶった古ぼけた楽器の姿が頭に浮かんだ。
〝誰も弾かないのに何であんなものあるんだろう・・?〟
「どっちがザルツで、どっちがブルクだっけ?」
「確かマイキーがザルツで、エリンがブルク・・、いや逆だったかも」
「どっちでもいいさ。憶えてやる必要なんてない!」
デービッドが鼻息も荒く言い放った。
正解はマイキーのラストネームがソルトなので、ドイツ語で同じ塩を表わすザルツの方だ。
「オレの名前とブルクは何の関係もないぞ!」とエリンが抗議し、2人の間で少し揉めたが、テストのカンニング5回分の提供をマイキーが申し出たので、エリンも矛を納め、ここに学校イチ観客を沸かせるヒップホップデュオが誕生した。
席が3つ分離れている2人の間で、どうやって情報を伝えるかは、まだ先生にも誰にもバレていない。
「終業式の代表挨拶は、隣のクラスのケネスだってさ」
「おい、冗談だろ! 時々自分の名前だって忘れるようなヤツだぞ!」
「この学校もいよいよ終わりだね」
代表といっても発表会の出し物の前に、集まった父兄の前で「卒業して、来年度からは中学生になります」と一言宣言するだけの些末な役割だった。それでも代表は代表だ。
「ぼく、代表はローズがいいな」
「あ、それ僕も賛成」
ローズは学業優秀、運動神経抜群で、その上、群のスピーチ大会で優勝しているというパーフェクトな女の子だ。それでいて偉ぶった所が少しもなく、どんな相手にでも優しい言葉をかけてくれる学園の聖母だ。
先生たちは言うに及ばず、いかなる生徒であれ、ローズの可憐な微笑みに魅了されない人間はこの学校にはいないはずだ。正に彼女こそが、卒業生代表にふさわしい。それなのに、なぜケネスが・・
「手を挙げたのがケネスだけだったらしい」
代表に選ばれるのが最優秀成績者でなくなったのは「直近のテストではウチの子が一番だったはずだ」という数年前のモンスターペアレンツからのクレームが発端だった。
それ以降は立候補制となり、それが複数名の場合はクジ引き、更には立候補を募るのは、年度毎に順次クラスで持ち回りになっていた。
学年全クラスからの立候補だと、調整が大変であるという教師サイドの手間の簡略化でもあり、「今年は○○先生のクラスからの立候補となっていますので、当クラス生徒は対象となっていません」と、クレーム親の機先を制する知恵でもあった。
「遠慮を知らないバカって居るよな」
「ローズなら初の女性大統領にだってなれそうなのに」
「ああ、キーキー女のヒラリーなんかよりよっぽどいい」
ちなみに、この4人の内、2人はローズを女の子として好きなのだが、告白したりするような考えはまだなかった。告白するにしても、その勇気もまだ足りない感じだし、何にしても高嶺の花である事は確かだったし。
卒業の話題から、マックスはある事を思い出して、それをデービッドに尋ねた。
「そういえば、去年のプロムでプロポーズしたお兄さんは結婚したの?」
マックスの隣でなぜかマルロが苦い顔をした。
「ああ、その話か・・」
〝そこには触れちゃダメだ!〟そう訴えるマルロの視線に気付く頃には手遅れで、デービッドは自分が破局した本人さながらに遠い目で語り出していた。
「とっくに終わってるさ、1年前にな」
高校を卒業後に、デービッドの兄は海兵隊に入隊する予定でいた。
身柄が不自由になる前にニューヨークへ遊山しようと、単身車を走らせ、その途上で彼女から「やはり結婚できない」という一方的なメールを受け取ったのだった。
彼女は町を去り、携帯での連絡もつかなくなり、卒業旅行はそのまま大陸放浪の傷心旅行に替わり、デービッドの兄が戻って来たのは1年後、つまりつい最近だった。当然、入隊の話はお流れだ。
「今は町はずれの鉄工所で働いてるよ・・」
「僕、そこ知ってる。ネコ屋敷の近くだよね」
空気を読み切れないダニエルが、呑気に口を挟んだ。
「兄貴、毎晩飲んで、『彼女は涙を流しながらイエスって言ってくれたんだ』って愚痴ってるよ・・」
宙を見上げながら、デービッドがつぶやいた。
「彼女が涙を流したのは、お前の兄貴がダンスで足を踏んでたからかもな」
「おい! 兄貴を侮辱すると承知しないぞ!」
「悪りぃ悪りぃ、ほんの冗談さ。そんな怒んなよ」
一度だけデービッドの家で遊んだ時、そのお兄さんがサッカーのドリブルを教えてくれた事をマックスは思い出していた。そんな事があっただなんて、一年も知らないでいたのが申し訳ないようにも感じたが、デービッドが進んで話せるような顛末ではなかったので無理はなかった。
でもそんなにメンタルが弱かったら、どの道、海兵隊でも持たなかっただろう。
「良かったんじゃないかな。戦争とかになったら危険だし」
「海兵隊の給料ってどうなんだ?」
「さあ・・」
マックスたちが、女心と女の涙に翻弄されるのは、まだ少し先の話だ。
「痛てっ、指を切っちった」
その言葉に3人が一斉に身を乗り出して、デービッドの手元を覗き込んだ。
「ホントだ、血が出てる・・」
「大丈夫、ちょっとだけさ。舐めてりゃ治るって」
「ぼく絆創膏もってるよ」
マックスはリュックのサイドポケットのファスナーを開いて絆創膏を取り出し、デービッドに手渡した。
「子供は出先でケガをするものだから」誰かがそう言ってこのサイドポケットに絆創膏を多目に入れてくれたんだった。
それは誰だっけ?
絆創膏は最後の一個だったけれど、気前よくあげた。
〝その誰かが「友達にもあげなさい」って言ってたからだ。でもそれは誰だっけ・・?〟
「くそっ! 発表会はまたあいつらが主役か・・」
絆創膏を指に巻きながら、デービッドが唸った。
「マルロのお兄さんも、中学のステージでバンドやるって言ってなかったっけ?」
「ああ、その話か・・」
数分前のデービッドと全く同じセリフが、今度はマルロの口から発せられた。
マルロの兄はドラム担当で、教室にもスティックを持ち込んでいて、休み時間毎にデスクを叩きまくっていた。
「ずっと叩いてないと、勘が鈍るからな」
その言葉は半分は真実だが、もう半分はクラスメイトに「バンドでドラムをやっているんだ」というアピールの為でもある。特に女子に対して。
「審査ではねられた・・、バンドの名前がセックスバズーカズじゃあな・・」
当然、学校側はバンド名と過激な歌詞の変更を求めてきたが、「ここで屈したらシドに顔向けできねぇ」と、彼らはその要求を突っ張ね、結果、出場は成らなかった。
「オレたちはアナーキストだ。学校のステージなんかに上がれるかって。これで良かったのさ」メンバー達は、こぞってそう粋がった。
もちろんアナーキストなんかではなく、背伸びした、少しイカれてるだけの、つまり普通の(?)中学生たちだ。
もっとも演奏と歌唱レベルは最底辺なので、もしバンド名と歌詞を変更しても、どの道出場は難しかったろう。
しくじり話を立て続けに聞く羽目になったけれど、それでも一人っ子のマックスには2人にお兄さんがいるのが羨ましかった。
「兄貴を侮辱すると承知しない」なんて、一度使ってみたいフレーズだ。
「中学に上がったら、オレたちも何か楽器始めないか」
「バンド組むの?」
「今更って感じするケド」
4人とも音楽にハマるタイプではなかったし、デービッドの提案は、『単に目立つ事の出来る何か』が、やりたいだけだと3人には判っていたので適当に流した。
「マックスは進学クラスじゃないんだな?」
「うん」
「どうしてだ? 進学クラステストの時、調子悪かったのか?」
「うん、ちょっと気分が良くなくて・・」
「そうか、残念だな」
「調子が良かったら、きっとパスしてたさ。マックスなら」
有難い言葉だったけれど、それには返答しなかった。
「どうして、進学クラスに入れなかったの!」
その代わり、そう詰責する母親の険しい表情を思い起こしていた。
樹の節を的に見立てて、完成したスリングショットを試し打ちをしてみたけれど、ゴムの強さが足りないのか、飛距離が伸びなかったり、まっすぐには飛ばなかったりして、4人の作品のどれもが使い物にならなかった。
何とか完成にこぎつけたダニエルのモノがまだマシで、それがデービッドを不機嫌面にしていた。
無理に引っ張りすぎたデービッドとマルロのスリングショットは、枝がたわみに耐え切れず、最後には折れてしまった。
「オレさ、この前、父さんと射撃場で本物の銃を撃って来たんだぜ!」
その話をデービッドの口から聞かされるのは、もう何度目かの事だった。
「あれがあれば野犬なんか一発なのになぁ」
デービッドがハンドガンを構えるポーズで的を狙った。
「そんなコトしたら大問題だよ」
「撃ったとして当てられるのかよ?」
「撃った弾、全部的に当たったさ」
それは大盛りに盛った言葉で、実際には2割がせいぜいだった。11歳の体格には銃の反動はまだ大き過ぎた。
「どうする? また今度、作り直すか?」
「なんか、うまく作れる気がしないんだけど・・」
スリングショット工作はおろか、野犬退治もうまくいかないんじゃないかと、気持ちが折れかけていた。
「くたばれ!バカ犬!」
ガラクタとなったスリングショットは放っぽって、石ころを手で投げて、どれだけ的に当てられるかを競いあった。その脳裏に野犬と戦う勇姿をイメージしながら。それで何とかモチベーションを保てたろうか。
その後は、クラスのどの女の子がもうブラをしているか、という話になり、みんな照れながらも盛り上がった。
西日の影が長くなり始めた頃の、誰かの「もう帰らなきゃ」という一言を合図に、この日は解散となった。
置き去りにされたスリングショットは、しばらくはそこに残っていたけれど、数日後に気が付いた時には4つ共、失くなっていた。
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