閑話:相沢美佳、驚愕

「……行っちゃった」


 相沢美佳は、愚弟とその幼馴染の背中を見送ってから、気の抜けたように呟いた。

 彼女が呆けている原因は明らかに、知懐の幼馴染である雛瀬晶の突然見せた笑顔だった。


(……え〜。晶、あんな笑顔できるようになっちゃったの? それでもってなんであの笑顔見てバカは平然としてるの?)


 していない。全くしていない。

 知懐は先程も晶の笑顔を見て頬を緩ませていた。ただ、美佳にはそれを確認することすらできないほどの衝撃が走っていただけである。


「………ま、いいか。珍しいもの見れたってことで」


 細かいことは気にしない。それが美佳の座右の銘だった。

 その身に帯びた銘に従って、踵を返して洗濯機でも回そうと意気揚々と廊下を突き進む。


 そして洗濯かごの中身を見て、ため息を一つ。

 籠の中には、弟のものであろうベッドのシーツと毛布が乱雑に突っ込まれていた。


「面倒くさい置き土産だなぁ。シーツなんて一週間に一回でいいって言ってるのに」


 こんなものを残したであろう弟にぶつくさと文句を言いながらも、大きめの洗濯ネットにベッドのシーツを入れようとして……ふと、違和感に気づく。


「…………なんか、知懐の匂いと違う?」


 感想が犬、あるいは狼である。

 母の匂いはこう、弟の匂いはこうといった動物的感覚を持っている美佳は、その原因を探るべく、シーツをバサリと広げた。


 そして、驚愕。

 シーツの中心に、シミのようなものが見えた。

 それだけならまだいい。問題はそこから漂ってくる匂いだ。


(……あー、えっと? これはなに?)


 困惑しながらも、ふと気になって毛布も広げてみる。

 するとこちらは、わかりやすく何かがあるというわけでもなかったが、明らかに弟のものとは違う芳醇な香りが美佳の鼻孔をくすぐった。


「……えーっと?」


 彼女の困惑は、得体のしれない何かに対して、ということではなく。

 寧ろ、自分もこんな匂いを漂わせてる時があるんだよなぁ、なんて自覚とともにある。



 一言で表すのならば……メス

 発情したメスの匂い、とでも言うべきものだった。

 


 どういうことだ、と美佳は頭を巡らせる。

 そして、比較的すぐに理解できてしまった。


「えー…………そういうこと?」


 美佳は思わず天を仰いだ。呆れというよりは、ひたすらに驚愕していた。



『んー、まぁ。さっきまで俺の部屋にいたし、俺の部屋の漫画でも読んでるんじゃない? しばらくしたら降りてくるでしょ』



 弟の言葉が胸中によぎった。

 今から過去に戻れるなら、「今すぐ晶を呼んでこい」と知懐を無理やり部屋に行かせるだろう。


 だって、そのほうが面白いことになっていたはずだ。



 つまり、晶は……知懐の部屋で我慢できずに、いわゆる『粗相オ◯ニー』をしてしまっていたんじゃないだろうか。


「晶……攻め攻めすぎでしょ……」


 そうなると、もしかすると知懐の鞄を自室においていたのも、わざとなのかもしれない。

 彼女的には、部屋に入った知懐がその匂いなり、雰囲気なりに何かしらの反応を示してくれることを期待していたのでは……などというのは、考えすぎだろうか。

 

 まあ、そんな思惑があったとしても。

 そういうものに知懐は気づかなそうだと思いながら、美佳は苦笑いを浮かべていた。

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