姉と朝食と鞄と
朝から突然の晶に驚いたのもそこそこに、ひとまずは自分の部屋からリビングへと降りていく。
「あー、起きてきた。おはよう」
「あいおはようさん」
気怠げにリビング端のソファに寝そべっていた姉が、俺の気配を察知するなり体を起こす。
そんな姉に適当に朝の挨拶を返すと、二ヤニヤとした笑みを顔に浮かべて俺を見てきた。
「どうだった?」
「なにが?」
「久しぶりに朝から晶の顔見れて、嬉しかった?」
久しぶりって、二週間しか経ってないだろ……
「まずびっくりした。知ってるか? あいつの今住んでる家、どうやらそんなに近くないらしいぞ」
「知ってるよ、晶から聞いた。てか、確かに私もびっくりしたんだよね。いきなりインターホン鳴って何事かと思ったら、晶がいるんだからさ」
ケラケラと笑いながら、俺と同じ色の肩程まである髪をくるくるといじる姉は、再びニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「で、それで? 嬉しかったの?」
……ごまかせたと思ったんだけど。
「……まあ、うん。そうかもな」
別に嬉しくなかったわけではない。
わざわざ好きな人が、電車に乗ってまで起こしに来てくれるっていうのは……まあ、流石に嬉しいだろ。
ただ、まぁ。この人に晶関連のことを聞かれると大体は―――
「相変わらずアツいね〜」
「ほっとけ」
こうやって適当にからかわれるのがオチだから、あんまり言いたくなかっただけだ。
この人、いつからだったかは覚えてないけど、俺が晶のことを好きなのを知ってからこういう風にからかうようになってきたんだよなぁ……
「で、晶は?」
「え?」
姉の言葉に思わずきょとんとなりながら後ろを振り向くと、確かに晶はそこにはいなかった。
てっきり後を追って降りてきてるものだと思ったけど。
「んー、まぁ。さっきまで俺の部屋にいたし、俺の部屋の漫画でも読んでるんじゃない? しばらくしたら降りてくるでしょ」
「んー、そっか。あーあとそれ、出来立てだからさっさと食べなよ」
言いながら姉が顎で指したテーブルの上には、彼女が作る朝食の十八番、トーストとスクランブルエッグが。
ああそうだった。母さん明日まで旅行だったんだっけな。
普段は母さんが用意してくれている朝食ではあるけれど、偶に用事などでいないときもあって。そんなときに文句も言わずに俺の分まで朝食を用意してくれるこの姉には、実際頭が上がらない。
とはいえ、俺をからかうのは程々にしてほしいもんではあるけど。
「あざーす、いただきまーす」
そんな姉に感謝しながら朝食をぺろりと平らげて、さっさと食器をシンクの中に置く。
さてと、とりあえずは適当に皿洗ってと。あー、そういえば制服を下に持ってくるの忘れてたな……
「……ナツくん。忘れ物、だよ?」
なんて考えていると、晶が俺の制服を抱えて持って降りてきていた。
階段からちょこちょことこちらに歩いてくる姿に、「かわいい」なんてありきたりな言葉が頭に浮かぶ。
そしてそれと同時に、ブラウスに包まれて羽織ったブレザーの下にあってなお、ゆさゆさと揺れる胸にも目が――
『……ボクは、いつでもいいよ?』
あー、あんな夢見ちゃったから、ちょっと意識しちまうなぁ……
昨日言われた晶の言葉が強烈過ぎて夢に出てきた、なんてとこなんだろうか。
もはやぼんやりとしか思い浮かべられないが、夢に出たあの晶……流石にエロすぎたんだよなぁ……
考えていると、ふと下腹に熱が集まりそうな気配を感じてしまう。
ムスコよ頼む、黙って寝ていろ。今日の夜には一度起こしてやるからさ。
むくりと起きそうになる雑念を雑念で払って、わざわざ俺の制服を持ってきてくれた晶からそれを受け取る。
「悪いな。さんきゅ」
「ううん、気にしないで。ボクが、ナツくんをお手伝いしたいだけだから」
晶の言葉に少しだけ嬉しいという感情が乗っている。そして、そんな彼女の雰囲気が甘く暖かいように感じて、思わず頬が緩んだ。
「んーふふ。新婚さんかな?」
そしてその頬は姉の言葉で急に引き締まる、と。
「ナツくんは着替えておいて。洗い物はボクがしておくから……ね?」
「あー、じゃあ、まあ。お願いします」
「ん……任せて」
そう言って晶は俺の後ろにある流しに向かう。すれ違うときに、彼女の甘い香りが漂ってきて、再び夢を思い出しそうになって首を振る。
俺がそんなことをしている間に、ブレザーを一度脱いでブラウスの裾をまくり、やや色素の薄い腕を露わにした晶は、そのままシンクにある皿を洗い始めていた。
晶の好意に甘えてそちらは任せ、俺もさっさと制服に着替えていく。
……あぁ、インナーも持ってきてくれてるのか、助かるな。春とはいえ今日は少しだけ肌寒いと思ってたから、ちょうど着ようと思ってたんだ。
シャツ、ズボンにブレザーを羽織って、高校指定の服装の準備は完了。
「……じゃ、いこ?」
いつの間にか洗い物を終わらせていた晶が、後ろからそう言った。
「あぁ……て、鞄がないわ」
「あ……ごめん、持ってくるの忘れちゃってた……」
「気にすんな。そもそも制服持ってきてくれてるだけでありがたい話なんだから」
「ん……」
「取ってくるから、玄関で待っててくれ」
俺の励ましに再び嬉しそうなオーラを漂わせた晶が頷いたのを確認して、さっさと階段を駆け上る。
上りきって一番奥の右手の扉を開けて、奥の隅に適当に放り投げてあったはずの鞄を目で探る……が。
予想に反して、鞄はベッドの上にあった。
大方、晶が制服と一緒に持ってこようとして、うっかり忘れてたってとこか。
幼馴染のミスを微笑ましく思いながら、ベッドに接する壁にもたれかかるようにしている鞄を手にとろうとして、ふとなんでもないことに気づく。
なんか、ベッドのシーツ変えられてね?
手で触って確認するとサラサラとしていて、先程まで俺が寝ていたときとは違う、洗濯済みのものに変えられている気がした。
……晶がやってくれたのかな。
というか、よく見たら毛布もないじゃん。もしかしてシーツ諸共洗濯籠に放り込まれてたりするか?
まあ多分姉が適当に洗濯するだろうし、あんまり気にする必要もないか。
とりあえず晶も待っているからと、さっさと玄関に向かう。
「悪い、待たせた」
「んーん……大丈夫」
そこには俺を待っていた晶と、
「晶、嬉しそうだね〜?」
なんでか知らないが姉がいた。
「うん。すごく嬉しい」
無表情ではあるものの、明らかに感情を出している彼女の姿に身悶える我が姉。
「うはぁ〜、可愛いなぁ晶は。おっぱい揉ませて?」
「……それは、
「そんなご無体な〜」
そう言いながら手をわきわきと動かす姉から隠れるように俺の後ろに来た晶は、俺の顔を見上げて言う。
「……ナツくんになら、いいよ?」
「…………」
正直なところ、反応に困る。
いや、正直に行ってしまえば興味はある。それはもう、とびきりある。昔に同級生が晶についてそんな話をしていて、ややイラつきながらも心のなかで同意せざるをえなかったくらいには。
とはいえ、いきなり言われてよっしゃ揉むぜ! みたいになるようなことはない。
もし晶の胸を触るとしたら、もっとしっかりとしたシチュエーションで。ゆっくりと丁寧に、味わうように、晶の胸を感じてみたいと思っている。
……いや、これ冷静に考えてキモいな。何だこの願望は。
「知懐ばっかりいいなぁ〜。私もおっぱい揉みたい! 揉みしだきたい!」
「はいはい、揉んでないし揉みしだいてもないから」
「触ったことはあるでしょ?」
「……中学生の時、一回……あったよね?」
「……知懐? 初耳なんだけど?」
冗談のように言った我が姉、美佳は晶の言葉によってジト目となる。
「あれは、事故。転けそうになった晶を助けようとしたらそうなっただけだ」
「ふ〜ん、覚えてるんだ?」
あ、やべ。墓穴ほったかも。
美佳の面倒な追求が始まりそうな気配に、思わず嘆息が漏れた。
ただ、俺が考えていたような面倒な事態にはならなかった。
何故なら――
「あのときのナツくん、かっこよかったよ? ボク……ホントにドキドキしちゃって……」
「…………へ?」
美佳は、今まで見ていた晶からは想像のできないような柔らかな微笑みを浮かべながら話す彼女を見て、変な鳴き声を上げていて。
どうやら俺を追求するどころではなくなってしまっていたようだったから。
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