春の出会い
春、それは出会いの季節。
小中高大の一年生に新社会人にと、新たな生活の第一歩を踏み出すシーズン――――
俺はそんな季節を、家の目の前にある側溝の桜の花びらから感じ取っていた。
一昨日頃まで降っていた雨の影響だろう。このあたりには桜なんて一本も見当たらないのに、雨水に流されくたびれた桜の花びらが固まっている。
「……お前らも大変だな」
せっかく春の風物詩なのに。昨今の温暖化の影響を受けたにも関わらずこの時期に咲けたっていうのに。
出来ることといえば俺みたいに下を見て歩く人間に春を伝えることくらいだなんて…………
「……側溝の桜で花見とか、ありかな」
くだらないことを考えつつ、とりあえず高校一年生になる俺も
つつがなく初登校は完了し、校門からすぐの昇降口の窓ガラスに張り出されているクラス分けを確認すると、どうやら俺は1年F組になるそうだ。
「えっと……うわ、4階の一番奥か」
4階は教室棟の最上階。そして一番奥とは、今いる昇降口から入って、一番右の突き当り。
「毎朝これは……ちょっとしんどそうだな」
どうやら俺の高校生活一年目は、同時に足腰を鍛える日々になりそうだった。
文句を言っても仕方がない。ひぃひぃと息を切らしながらも4階に到着し、後は各教室を右手に見ながら、突き当りを目指していく。
それにしても……なんか、この階やけに騒がしいな……?
いや、騒がしいっていうほどではないけれど、なんというか、さわざわしてる?
まあ、でも当たり前といえば当たり前なのか。
だって、この階にいるやつらにとって、今日は初めての登校日なわけで。
早速同じクラスメイト同士で友達の輪を広げようと八面六臂になっているやつらだっているだろう。
そう思い当たると、別に何も不思議なことではないなと感じて、特に気にすることなくなった。
「到着……と」
別に誰かに聞かせるつもりもない小声で呟いて、息を一つ。
音を立てて教室の前の戸を開けると、先に到着していたクラスメイトの視線がこちらに向く。
毎度思うが、なんでこういうときに人は同じ方向に視線を向けるのだろうか。
お陰で別に悪いことをしたわけでもないのになんだか無性に恥ずかしくなる瞬間を、俺の短い人生の中でも幾度となく味わうはめになっている。
なんだかいたたまれなくなりながら、ひとまずは軽く頭を下げると、教室内の数人が会釈を返してくれて、先程までのようにまばらに話し声が聞こえ始めてきた。
クラスメイトの意識が俺から逸れたところで、とりあえずは自分の席でも探すとしよう。
さてと……こういう時は大抵、黒板あたりに伝達事項が書いてあったりするものだ。
そう考えながら黒板に目線をやると……ああ、やっぱり。
半ば予想していた通り、黒板にでかでかと座席表が貼られてるのが目に入った。
とりあえず、過去の経験から教卓から見て右前と左前にあたりをつけて表を見ると……窓際の一番前の席のところに、数字の1と『相沢知懐』と書かれていた。
それにしても、また1番か……
実のところ、俺は小学生の頃から出席番号1番以外を割り当てられたことがない。名字が『あい』で始まるので、これはもう宿命みたいなもんだ。
だからまあ、どうせ今回も一番前の席になるであろうとは予想はしてたんだ。
……いや、だから何だという感じではあるな。不便でも便利だというわけでもない。強いて言えば、出席番号で並ばされるときとかは楽だ。一番前に行くだけでいいんだからな。
頭の中で突如として浮かび始めた雑然とした思考はともかく、俺はそそくさと指定された席に向かう。
そして、その最中に視界に入った光景に俺は思わず足を止め、目を見開く羽目になった。
出席番号2番。座席表によると、名前は
俺の席の後ろに座席が割り振られている、彼女の存在に目を奪われた。
窓から差す春の陽光を浴びて煌めいている茶髪。それはポニーテールに結われていて、彼女が微かに身じろぎをすると、それに合わせてサラサラとした髪が揺れ動く。周りの声を気にすることなく髪と同じ色の瞳を机に広げた本に目を向けている、儚げな雰囲気を纏った文学少女。
まさに美少女と呼ぶに相応しい彼女の姿に、思わず息を忘れそうになった。
……って。
いや、初対面でこんなマジマジと見るのはダメだろ、うん。
誤魔化すように首を左右にひねると、教室内の男女数人が池野にチラチラと視線を送っているのが見えた。
いや、うん、わかる。
誰だってこんな美少女が同じ空間にいれば気になるというものだろう。
そしてその美少女の前の席に俺は座ることに……
なんか、気後れするわぁ……。
そうはいっても、これは決定事項であって、不可抗力であって。俺がいくら嘆こうとも、いきなり俺の出席番号が変わって席順が変わるわけでもなし。あんまり気にしても、まあ仕方がないだろう。
気持ちを切り替えて、俺は指定の席にそっと座る。なんだか、あんまり大きな音を立てたりすると、彼女の邪魔をしてしまいそうだと思ったから。
そのまま静かに鞄から本を取り出して、鞄を机の横に掛けて、と。
よし、そのまま時間になるまで暇を潰そう。そう意気込んで、本を開こうとした。
その時に。
パンッと、教室内に軽快な音が響いた。
その音とともに時が止まったかのように辺りは静まり返り、教室内の視線は俺の後ろへと注がれる。
……あぁ、大方池野が本でも閉じたんだろう。
そしてその音に驚いてみんなが池野を注視した、と。
確かに俺もびっくりはした。だけど、わざわざ後ろを見て何が起きたかを確認する必要もないだろう。
とりあえず、さっき取り出した本の続きを読むかねっと。えっと、確かこの間の続きは三章の……
「……あの」
教室内に凛とした声が響く。発声元は俺の後ろだと、確認するまでもなくわかった。
そして、それが俺に向けられて発せられたものだということも。
――まあ、話しかけられてるのに邪険にするのは流石に違うよなぁ。
たとえ気後れするとしても、美少女相手でも。人間相手だということは変わらない。別に不仲になりたいわけでもなし、顔を上げて応対をする事にする。
「……はい、何でしょうか?」
初対面だから、角の立たないように敬語で返す。
椅子の背もたれで完全には向けられないけれど、極力体の正面を後ろに向けて、彼女に顔を向ける。
目が合った。
吸い込まれそうなほどに深い茶色の大きな瞳が、俺の目を捉えていた。
そして俺の顔を見た彼女は一度ゆっくりと息を吐くと。
にっこりと、誰をも魅了する春の暖かな日差しのような笑顔を浮かべて。
「姫初めまして!」
『クソ』のつくほどつまらない
これが、俺に訪れた春の出会い。
池野遥。
このどうしようもない下品なクラスメイトとの邂逅だった。
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