彼女のお願い、そして僕の願い



「……」


「……」


 そして、そこで会話が途切れてしまった。如月さんも僕も何も言葉を発する事なく、静かに見つめ合うだけになる。その状態がしばらく続いた後、如月さんがゆっくりと口を開いた。


「……あのね。私、蓮くんにお願いがあるの」


「お願い?」


「うん」


 如月さんはそう言ってから、また少し間を置いた。そして彼女は僕へと視線を向けてくる。


「その……蓮くん」


「う、うん。どうしたの?」


「……私、これからも蓮くんと仲良くしたいと思う」


 仲良くしたい。その言葉を聞いて、僕は思わず目を瞬かせてしまった。如月さんの口からまさかそんな言葉が出てくるなんて、思ってもいなかったから。


 言葉にならない衝撃が、全身を駆け巡っていく。体全体で鳥肌が立つのが分かる。それぐらいの感情が、僕の中に生まれていた。


「私なんかが、言える立場じゃない事は、分かってる。蓮くんに酷い事をしてしまった私には、そんな資格は無いのかもしれない」


 彼女はそこで一度言葉を区切ると、呼吸を整えてから再び口を開いた。


「だけど、それでも私は蓮くんと仲良くなりたい」


 如月さんの想いの込められた言葉が、彼女の強い目と共に僕に向けられていた。僕みたいに惑う事も無く、真っ直ぐに。そんな彼女の瞳に見つめられて、僕は思わず喉を鳴らしてしまう。緊張しているのかもしれない。


「蓮くん」


 如月さんが僕の名前を呼んでくる。その声で我に返った僕は、彼女を見つめ直す。


「だから、お願い。私と仲良く……ううん、私と友達になって」


「如月さん……」


「蓮くんとの関係を、ゼロからやり直したいの。彼氏役とかじゃなくて、これからは友達として付き合って欲しい」


 普段、言葉の少ない如月さんが、ここまで自分の気持ちを素直に伝えてくるなんて。僕はそれが凄く嬉しかった。僕なんかに、もう必要としないはずの僕にそう言ってくれるなんて、本当に嬉しくて。


 ……思わず、目じりに熱いものが浮かんできてしまう。これほどの想いが込められた言葉を受け取るのは、僕の人生で初めての事だったから。人と深い繋がりをしてこなかった僕には、とても感慨深いものがあった。


「……その、ありがとう」


 僕は目元を袖で拭った後、彼女の目を見つめてそう言った。そして、彼女に自分の想いを伝える為に口を開く。


「僕なんかに、そんな事言ってくれるなんて……本当にありがとう」


「……」


「正直、如月さんにそう言って貰えるなんて、思ってもいなかったから……凄く、嬉しいよ」


 僕は素直に自分の想いを口にする。すると、彼女も安心したのだろうか。如月さんの表情が少しだけ緩んだ気がした。僕の言葉を真摯に受け止めてくれたのだろう。


 ここまでくれば、後はもう如月さんに伝えるだけだ。『僕も如月さんと仲良くなりたい。友達になりたい』と。そうすれば、僕と如月さんの関係は心機一転、新たなスタートを切る事が出来る。


 ……だけど。果たして、それでいいのだろうか。確かに、僕からすれば如月さんと仲良くなれるし、彼女もそれを望んでいる。如月さんのお願いを聞くだけで、全て丸く収まるのだ。


 でも、何故か僕の中にはまだモヤモヤとした気持ちが残っていた。そして彼女のお願いを聞いたとしても、このモヤモヤは晴れないという確信めいたものも持っていた。


「……蓮くん?」


 いつまで経っても、返事をしない僕を不審に思ったのだろう。如月さんは不思議そうな様子で僕の名前を呼んできた。


「あ、うん……ごめん」


 僕はそんな彼女に一言謝ってから、軽く深呼吸した。そしてまた考え始める。何が良いのか。何を僕は望んでいるのかを。


 多分だけど、僕がモヤモヤとした気持ちを抱えているのは……きっと、僕自身がその結果に納得がいっていないからだと思う。


 だって、考えてみたら……僕はここまで、何もしていない。こうして如月さんとまた仲良くなれる切っ掛けが出来たのも、全て彼女が歩み寄ってくれたからに過ぎない。


 如月さんが行動をしてくれなかったら、僕は何も出来ていない。全部、流されるままで……何も進展はしていない。彼女は変わったというのに、僕は何も進めていないじゃないか。


 それで僕は如月さんと一緒に新たな1歩を踏み出せるのか。おそらく、踏み出せてもまた如月さんに置いていかれてしまう。彼女の後に付いていくだけで、隣で歩く事は出来ない。……卯月みたいに。


 だから、僕も変わらないといけない。彼女が頑張って歩み寄ってくれた事を無下にしない為に。そして、僕が僕の意思で歩み出せる様になる為、勇気を振り絞らないと。


「えっと、如月さん」


 僕は彼女の名前を呼ぶ。すると、彼女はゆっくりとこちらに顔を向けてくる。


「僕も、その……出来る事なら、如月さんと友達になりたい。これからも、仲良くしていきたいと思うんだ」


「……うん」


「……だけど、その前に1つだけ……如月さんにお願いがあるんだ」


「え?」


「如月さんが僕にお願いしてくれた様に、僕からも頼みたい事があって……」


「……」


「だから、えっと……聞いて、貰えるかな?」


 僕がそう尋ねると、如月さんは少し間を置いてから静かに頷いてくれた。そんな彼女の姿を見て安堵しながら、僕は彼女に言葉を続ける。


「……ありがとう」


「それで、蓮くんのお願いって?」


「うん。その事なんだけど……」


 彼女の問い掛けに答えるべく、僕は一度呼吸を整える為に大きく深呼吸した。そして僕は彼女の目を見つめながら、静かに口を開く。


「これから言う事は、その……如月さんからしたら、もの凄く頓珍漢な事を言っているかもしれないんだけど……それでも、聞いて欲しいと思う」


「……ん、大丈夫」


「僕の身勝手なお願いになるかもだけど、けじめをつけておきたいんだ」


「けじめ……?」


「うん。如月さんが頑張ってくれた様に、僕も頑張って向き合いたい事があって……」


 僕はそう言った後に、言葉を一旦止める。それからまた深呼吸をして心を落ち着かせて、自分の気持ちを整理していく。


 今から如月さんに投げ掛ける言葉というのは、もしかすると赤っ恥をかくだけかもしれない。でも、それでも……僕は彼女に伝えたいと思った。


「如月さん」


「うん」


「その、僕と……」


「……」


「僕と……」


 そう口にした後、僕は覚悟を決めて姿勢を正した。それから床の上で正座になって、両手を床につける。そして、そのまま僕は―――


























「僕と、別れてくださぁぁぁぁいっ!!」


 と、大声で叫んでから思いっきり頭を下げて、僕は如月さんに向かって土下座をしてみせたのだった。






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