デートの続きと、彼女と訪れる不相応な場所




 ******




 卯月の家を離れてからしばらく経った頃。時間としては日が沈んでしまった辺りの時間帯。外は雨雲で覆われている為、それを確認する事は出来ないけど。


 本当ならもう既に家に帰っていて、母さんにまたぐちぐちと文句を言われていた頃かもしれないけど、それを僕は―――


「ねーねー、立花くん。なんか食べたいものあるー?」


「食べたいもの……って言われても、何があるか分からなくて……」


「んじゃー、これ。フードメニュー見といて。その間にあーし、1曲歌っとくから」


「は、はぁ……」


 机を挟んで座る弥生さんから、僕はメニューブックを受け取ってから、適当にページをめくる。そして、フードメニューが載っているページを開いてから、僕はそれを見始めた。


「んーと、ど・れ・に・し・よ・う・か・なー」


 そして目の前の彼女はというと、この部屋に案内をされた際に渡された端末を操作して、何を歌うのか思案している様子。鼻歌混じりで何度も端末をタッチしているのが視界の隅で見えた。


 そう、僕らは今、どこにいるかというと……何故か繁華街にあるカラオケ店の1室にいた。僕にもその理由については良く分かっていない。弥生さんの後に付いて行ったら、いつの間にかカラオケ店まで連れて来られた。そんな感じである。


『よーし、ぱあーっと歌って、気分上げていこーぜ!』


 彼女のそう言った言葉を僕は断る事が出来ずに、そして今の状況に至るのである。狭い密室に弥生さんと2人きり……そう思うと、何とも気まずい状況でもある。だって、何をしたらいいか分からないんだもの。


 戸惑っている僕とは違って、弥生さんは楽しもうという感じにノリノリである。というか、場慣れしている感じがもの凄くしている。こういうところには、良く他のクラスメイトや友達と来るのかな。


 ……しかし、どうしてカラオケの端末って、あんなにデカくて分厚いんだろうね。結構な重さもあるから、あれで殴られたりでもしたら、ひとたまりもないと思う。絶対に凶器になるって、あれ。


「よしっ、じゃあ……この曲でも歌っちゃおうかなー」


 そして選曲を終えたのか、弥生さんはそう言ってから端末を机に置いて、その代わりにマイクを手に取って立ち上がった。それから彼女が歌う曲名が、部屋に備え付けられているモニターに表示される。その曲名を見て、僕は首を傾げた。


 弥生さんが選んだ曲というのは、誰もが知ってそうなアニメの主題歌の曲。テンポの良い曲なので、例え知らなくてもそれなりに盛り上がれる様な、そういった歌だった。


「よーし、じゃあ歌っちゃうからねー!」


 彼女はノリノリでマイクを口元まで持っていき、それから曲が始まる。息を大きく吸って、そしてマイクに声を吹き込むと、綺麗な歌声が部屋中に響き渡った。


 歌っている弥生さんはとても楽しそうで、見ているこっちも思わず笑顔になりそうな気分になってくる。上手いか下手かで言えば断然に上手いし、音程だってしっかりと取れている。


「……」


 僕はそんな彼女の歌を聞きながら、視線を手元のメニューブックに落とす。そこには様々な料理の写真が並んでいて、どれも当たり障りのないものばかりだからこそ、どれにするか迷ってしまう。


 そうして僕が迷っているうちに、彼女は1曲をしっかり歌い切っていた様で、そんな弥生さんに僕は一応だけど拍手をして、労いの姿勢を彼女に見せた。すると、彼女は僕を見て「ありがとー」と言ってからマイクを机に置くと、元の座っていた場所に腰掛けた。


「やー、やっぱり歌うのは良いねー。テンションアゲアゲで楽しいし」


「そ、そうですね……」


 僕はそう相槌を打ちながら、視線をメニューブックに落とす。そして、また適当にページをめくっては料理の写真を見てを繰り返していく。


「で、立花くんさー。何を頼むか、決まった?」


「あ、えっと、その……まだ、でして」


「ふーん。別にそんな真剣に考えなくても、適当に選んだら良いのにー」


「そうは言っても……」


「じゃあさ。とりあえず、無難な物を選んどきなよー。例えば、ポテトとか摘まめそうな物とかさ」


「は、はぁ……じゃあ、そうします」


 僕はそう言ってメニューブックを閉じると、弥生さんにそれを渡す。彼女はそれを受け取ると立ち上がり、室内にある内線の受話器に手を伸ばして、それを耳に当てた。


「あ、注文お願いしまーす」


 弥生さんはそう言ってから、受話器越しの店員に向かって注文内容を告げていく。僕が勧められたフライドポテトと、彼女が食べたいものなのか、たこ焼きを注文していた。


「じゃ、よろしくお願いしまーす」


 そして最後にそう付け加えると、弥生さんは受話器を元の位置に戻した。それから僕の方に向き直ってから、ニッと笑みを浮かべる。


「これで良しっとー」


「あ、ありがとうございます」


 注文をしてくれた彼女に向かってお礼の言葉を述べると、弥生さんは「良いの良いのー」と笑みを浮かべながら手を振った。


「……弥生さんって、こういう場所って慣れてるんですね」


「まぁーね。友達やクラスの男子とかと一緒に、良く来たりとかするしねー」


「な、なるほど」


「そう言う立花くんは、あんまり慣れてない感じだねー」


「え?」


「さっきから、居心地が悪そうにしてるから、何となくそうかなぁーってね」


「あー……まぁ、確かに」


 思わず苦笑いを浮かべながら、僕はそう返していた。実際、友達とこんな場所に来る機会なんて全く無い訳だし。……まぁ、たまに1人でなら来る事があるから、全然慣れてないって訳でも無いけど。


「あはは、だよねー」


 弥生さんはそう言って笑うと、机の上に置いているグラスを手に取って、中に入った氷をカランと鳴らす。そしてストローを口に咥えるとそれを吸い始めた。この部屋に来る前にドリンクバーで入れてきたオレンジジュースが、彼女の口の中に入っていく。


 そして一気にグラスの中身を飲み干すと、彼女は空になったグラスを僕に見せつつ、口を開いた。


「あーしさ、おかわり入れてくるけど、立花くんも何かいる?」


「え? あ、いえ。僕の分はまだ残ってるので……」


「おっけー。じゃあ、ちょい行ってくるねー」


「は、はい」


 そう言って弥生さんは空のグラスを持って、室内から出て行った。扉が閉まると、他の部屋から聞こえてくる小さな歌声が、よりはっきりと聞こえてくる。さっきまで彼女が歌っていたから気にならなかったけど、こうして静かになると気になってしまう。


 僕はそんな空気を払拭する為に、机の上に置かれた端末を手に取って、適当に操作をし始めた。弥生さんの前で何を歌えばいいのか分からないけど、とりあえずは何か無いかと手当たり次第で探していくのであった。


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