思い掛けない事故に対して、動揺が隠し切れない僕と彼女
図書館の入り口付近から移動をした後、僕が適当に空いている席を確保すると、如月さんは机の上に帽子とショルダーバッグを置いて、それから本を探しに行ってしまった。
僕の勉強を見てはくれるけれども、あくまで彼女の目的としては読書をすることである。なので、まずは本を探すところから始まるのだろう。僕は探しに行く如月さんの背中をジッと見つめながら見送った。そして姿が見えなくなったところで、僕も勉強の準備をする。
今から勉強をするのは、昨日にも如月さんから教わった数学だ。忘れないうちに復習も兼ねて実践をして、完全に覚えてしまおうという算段からである。
僕は持ってきた問題集を手に取り、テスト範囲になっている箇所に該当するページを開く。そしてノートを広げてそこに解き方を書き込んでいく。そうやってある程度まで進めたところで、ふと顔を上げるといつの間にか如月さんが戻ってきていたようだった。
「あっ、如月さん。おかえり……」
「……うん」
僕が声を掛けると、彼女は小さな声でそう返してくれた。たったそれだけのことなのに、なんだか嬉しくなってしまう自分がいるような気がした。
そんな風に考えている間に、如月さんは手に持っていた本を机に置いて向かいの椅子に座った。何の本を持ってきたのか気になり、僕がその本の表紙を見てみると『人間失格』というタイトルが見えた。
僕でも知っている有名な作品ではあるが、読んだことは無いので内容は知らない。そんな本を彼女は手に取ってから静かに読書を始めた。表紙をめくり、少ししたところで彼女は顔を上げて僕を見てきた。
「……分からないところがあれば、聞いて」
「あ、うん……ありがとう」
僕がお礼を言うと、彼女は無言のまま頷き返した後にまた視線を本へ落とした。それを見て僕も勉強を再開することにした。
学校の図書室も静かではあるが、より公共の場に近い図書館だと話し声も全く無く、より静かな空間が広がっているように思える。そんな中で、僕は黙々とペンを走らせていく。
しばらく集中して問題を解こうとしたのだが、途中でどうしても行き詰まってしまい、僕は一度手を止めて顔を上げた。そして目の前で本を読んでいる如月さんを見る。
黙々と本を読み進めている彼女の姿は、どこか絵になるような美しさがある。まるでそこだけが切り取られた絵画のように見えてきてしまう程に、その姿は美しかった。
如月さんが着ている服装も相まって、余計にそう感じてしまうのかもしれない。儚げで繊細で、触れれば壊れてしまいそうな雰囲気すらある。それが彼女の美しさを引き立てているように思えてくる。
「……どうかしたの?」
そんなことを考えていたら、不意に如月さんが顔を上げてきた。視線が合ってしまって、思わずドキッとしてしまう。
「え、えっと……」
「分からないところでも、あった?」
「う、うん……そんな感じ、かな。ちょっと、行き詰まっちゃって……」
僕が正直に答えると、如月さんは「そう」と言ってから少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「どこ?」
「あ、えっと……ここなんだけど……」
僕が問題の箇所を指差すと、如月さんは椅子から立ち上がり、向かいから身を乗り出して覗き込んできた。
「ちょっ……!?」
彼女が身を乗り出したことで、正面に座る僕からはとんでもない光景が目に飛び込んできた。なんと、如月さんが前屈みになったことで、弛んだ服の隙間から見える彼女の白い肌や鎖骨などが露わになってしまったのだ。
「っ……!」
その光景を目にした瞬間、僕は咄嗟に顔を逸らして視線を逸らした。しかし、脳裏に焼き付いてしまった映像はなかなか消えてくれない。それどころか、むしろ鮮明に思い出してしまい、心臓の鼓動が激しくなる一方だった。
「……? どうしたの?」
如月さんは不思議そうに首を傾げながら尋ねてきたが、僕は動揺してしまって上手く言葉を発することが出来なかった。
「あ、いや……なんでも、ないよ」
なんとか平静を装って返事をするが、内心では全く穏やかではなかった。というか、意識がそっちへ向いてしまい、視線が彼女の胸元へと自然に吸い寄せられてしまっていた。
落ち着け……! 落ち着くんだ、僕……! 僕は心の中で自分に言い聞かせるように呟く。如月さんは親切で僕に勉強を教えてくれているのに、僕がそんな邪な気持ちでいたら失礼じゃないか。
しかし、そう思いつつも、視線だけはどうしてもそちらを向いてしまうのだった。そして問題集とノートを交互に見ていた如月さんが顔を上げ、僕に視線を向けてきた。
「こんな感じで解いていけば、大丈夫だから。……分かった?」
「……」
「……? 蓮くん、顔が真っ赤だけど。何かあった?」
「……」
「……蓮くん?」
僕の反応が無いことを見て心配になったのか、如月さんは僕の顔を覗き込んできた。それによってさらに距離が近くなり、その奥にある深奥まで見えてしまいそうになる。そうしたところで、僕はもう限界だった。
「ごめんなさい……」
僕は俯き、如月さんへ向かってそう謝罪をした。如月さんは僕が何に対して謝罪をしているのか、分からないという反応をしていた。
「……? 何で謝るの?」
「えっと、その……如月さんのその体勢だと、僕の位置から色々と見えてしまって……」
最後の方は小声になりつつも、僕は如月さんにそう説明をした。すると、最初は何を言っているのか理解出来ていなかった彼女の表情が、少しずつ赤くなっていくのが見て取れた。そして自分の状況を理解したらしく、無言で彼女は席に座った。そして視線を下げて俯いてしまった。
しばらく僕らはお互いに無言となった後、如月さんがちょっとだけ視線を上げて、僕のことをジト目で見てきた。
「……えっち」
「えっ!?」
「蓮くんの、えっち……」
「ち、ちがっ、これは、不可抗力で……」
如月さんも顔を赤くしながら恥ずかしそうにそう言ってきて、僕は慌てて弁明しようとした。だが、何を言っても言い訳にしか聞こえなさそうで、結局は黙り込んでしまった。
そうして気まずい沈黙が流れる中、先に動いたのは如月さんの方だった。彼女は徐ろに立ち上がると、そのまま本と荷物を持って僕の隣に移動をしてきた。
そして隣の席に座り直すと、何も言わずにじっとこちらを見てくるだけだった。何か話した方がいいのだろうか。でも何を話せばいいのか分からなくて困ってしまう。
こういう時ってどうすればいいんだろう。誰か教えて欲しいくらいだ。そう思いながらチラッと横目で彼女を見ると、彼女もこちらを見つめていて目が合った。その瞬間、お互い同時に顔を背けてしまった。
それからまたしばらくの間、僕と如月さんは黙ったまま時間だけが過ぎていった。ただ黙って座っているだけなのに、何故か凄く緊張してしまうし、落ち着かない気分になってしまう。しかも隣に座る彼女のことが気になって仕方がないので、余計に意識してしまって余計にドキドキする羽目になっていた。
そんな状態のままどれくらい時間が経っただろうか。黙ったままでいた如月さんが口を開いた。
「……隣からなら、見えない、でしょ」
「そ、そうだけどさ……」
確かに正面から見るよりはマシかもしれないが、それでも完全に見えなくなった訳では無く、横目からも見える可能性はあるのだから安心出来ないというのが本音だ。
それに、今の状態で真横にいるというのは心臓に悪いので止めて欲しいところだが、それを言う勇気は無かった。
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