小学校入学に向けて(3)仕事について



息子ではなく私の話になるが、私には子供を産む前からある願望があった。


ーーー子供が小学生になったら、学校から帰ってくる時間に家で待っていて『おかえり』って言ってあげたい。





10年勤務していた職場は人手不足で

最初から育休を諦めていたから、息子が生まれてからは保育園で過ごす時間が長く、幼児期に一緒に過ごせる時間が短かった。


だから”小学生になったら一緒にいたい”という思いが次第に強くなっていた。



息子が生後56日になると保育園に入れて、私は即フルタイム復帰。


まるで事務的な生活、機械動作のような日常を過ごしていた。


夜中は授乳でろくな睡眠はとれず朝がやってくる

→朝は家事や身支度

→保育園に預ける

→仕事に行く

→仕事が終わって18時過ぎに保育園へ迎えに行く

→帰って風呂・ご飯が終わると既に息子を寝かしつける時間になる


一緒に遊んだり絵本を読んだりする時間が多少はあったものの、必要最低限の生活をするだけであっという間に一日が終わる。


休日も最低限の家事以外は息子と接していたからホッと一息つくことはなかった。

というより、一度自分を休めてしまうとエンジンがかかりにくくなりそうで怖かった。


本当に怒涛の毎日だった。


時間が足りないからこの生活が精いっぱい。


”疲れた”と思う暇すらなかったし、”忙”という漢字の通り心が亡くなっていたのか当時のことはあまり記憶にも残っていない。





当時を振り返ると背筋が凍るほど怖くなることがある。

『子供を保育園に預け忘れて車内放置。熱中症で死亡』というニュースを目にして、もしかしたら私達親子にも起こりうる出来事だったかもしれないから。


疲れは感じていなかったが、疲れが無いわけではない。

ただ毎日を必死に過ごしていただけで、精神的にも肉体的にもギリギリの所にいたと思う。


今まで息子を車内に置き去りにしたことは無かったが

通勤途中、ハッと後ろの座席を確認することは多かった気がする。

心の中で「預けたよな?うん、預けた。」と唱えながら確認していた。


母子家庭に間違われることはあったが、旦那はいる。

しかし夜中の授乳を手伝ってくれたことは一度もない。


睡眠不足のなか仕事をフルタイムでこなし続ける・・・

この頃は日本の法律に腹が立っていた。


法律では産後56日は休業しないといけない(医師からの許可があれば42日)。

と、いうことは・・・57日目から働けてしまうということだ。


もちろん育休を取得する権利はあるのだが、職場が困っているのを放っておけない私は57日目から働きに出る。

出産前から職場とそう話をつけていたから・・・。


そんな私を見た古い友人が「あなたが辞めても職場は回るものだから育休取りなよ」と言ってくれた。

しかしかなり我儘な社長の秘書のような仕事は誰も続かず、私1人しかいなかったので困る社長を見て知らん顔できなかった。


はたから見れば、職場より子供を優先するべきだと思われるだろうが

56日から受け入れてくれる保育園がある以上選択の余地がなかった・・・。


だから私は息子だけでなく次男の時でさえ

育休を取得したことも、育休手当をもらったことも無かった。


私の給料から保育料を払うと手元に残る金額は育休手当でもらえる金額を下回っていた(1年間は保育料が高かったので)。


働かずに育休手当を受け取っていた方が、我が家の収入はプラスだったということだ。

(旦那が知ったら怒りそうだから最後まで言えなかった。)


認可外【A園】から認可【B園】へ転園した際は両方の保育料を合わせて私の給料を超えていた。


すごく悔しく思いながらも私はこの生活を変えられずにいた。


法律のせいにするのはただの八つ当たりだと自分でも分かっていたし、自分が決めて働いているのだから弱音を吐かずに頑張ろうと思っていた。


若いうちは買ってでも苦労しろっていうし、いつかはこの日常から抜け出せると信じていた。


でも本当の被害者は息子。


だからこそ、小学生になるまでの辛抱だと自分に言い聞かせながら

息子の寝顔に向かって謝っていた。





しかし小学生になる前に転機が訪れた。


息子が2歳になる頃、戸建て購入に踏み切ったのだ。


この引っ越しを期に、私の実家が近くなったため

母(息子からみて祖母)の支援を受けれるようになり心にも余裕が出来たのだ。





それから働き続けて息子が年中の冬、私は社長に言った。

「1年以上先になりますが、息子が小学1年生になる前に退職させてください。」


新しい子が入社しては2週間以内に辞めるの繰り返しで、私は辞めれないのではないかと焦りを感じていた。


なので1年以上早く辞める意向を伝えたのだ。


社長は求人募集に力を入れて漸く新しい子が入社してきた。


その子には私が辞めることを事前に伝えて、1年以上かけて引き継ぎを進めるつもりだった。


これで安心して私は辞めれる・・・そう思った。





月日は経ち、私の退職が近付いた年長の冬。


有給消化のため月に数日のみ出勤する程度になっていた頃のこと。


長い休日を取っていたとき、突然社長から電話が来た。


引き継いだ新人が「辞めます」と朝電話をしてきて本当に来ないと言う。


そして社長をパワハラで訴えたのだ。


社長は困っていて、きっと「私が退職することを辞めてくれるのではないか」と期待していたと思う。


でも今度ばかりは1年以上前から伝えていたし本当に無理だった。


それに聞く話によると新人が辞めたのも社長の責任なのだから。


私は働けない理由を無理やり作って必死に断った。

息子には申し訳ないが、息子の症状を口実に。


でも困っているのは分かるから、顔出しにくらいは来ますと伝えた。

これは新人が辞めていなくても最初からしようと思っていたことだったから。


3月末で挨拶をして無事に退職できたと思っていたが、

毎月のように「いつ来れる?」と社長からの連絡は絶えなかった。

しまいには「あなたは退職していないから」とまで言い出される次第。





しかし”1年生の壁”とやらは本当だった。


働こうにも働きにくい環境になっていた。


入学式が4月中頃だったので、学童に入っていない息子は半月家にいたのだ。


仕事を辞める理由の一つにもなるが、

精神科の先生から「学童は息子にとって想像以上に負荷がかかるからおすすめしません」と言われたので、最初から学童の申し込みはせず放課後等デイサービスのみ利用することに決めていた。





入学後も朝は班まで一緒に行き、帰りは学校まで迎えに行っていた。


慣れてきたと思って朝家の前で見送り始めると、「班の集合場所に来るのが遅い」と学校から電話が来るのだ。

もちろん早めに家を出ている。

息子は班に真っすぐ行ってくれず他の子に迷惑がかかるから班まで行くようにした。


帰りも学童の子が多く、息子と同じ方向に帰って来る1年生は息子を入れて3人ほど。

迎えに行く距離を学校から日に日に離していくと、安心したころ息子は行方不明になる。

入学して4ヶ月間は探し回ることに特に苦労した。

が、2学期になると迎えに行く距離を離しても通学路通りに帰って来るようになった。



その他にもPTAの役員の集まりが平日にあったし、

学校行事も平日に行われていたし、

参観日は月1回行われていたし、

個人懇談も定期的に(2~3ヶ月に1回)あり、

息子の場合はクラス担任の懇談と通級の先生との懇談、計2回が平日に行われた。


私が働いていないので保育園(こども園)に通っていた次男は、3号認定から1号認定(保育時間8時30分~13時)に変わったこともあり、全く職場に顔出しができなくなっていた。


隙間時間は内職を始めたが、以前と比べてかなり心に余裕が持てている。


息子の宿題も落ち着いて見てあげられるし、習い事も始められた。


自分が働いていた過去があるから、働くお母さんの気持ちはよく分かる。


私の場合は、息子が自閉スペクトラム症だからこそ余計に

小学生に上がると同時に仕事から離れることができて本当に良かったと心から思えた。


収入は減ったが、時間に追われる日常から解放されたのだ。


なにより息子が喜んでくれた。

「ママと一緒にいれる~♪♪」


私も子供たちと過ごせることがすごく幸せだった。


今まで寂しい思いをさせてしまったことを忘れさせるくらい子供たちとの時間を大切にしたい。

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