第28話 出来損ないの吸血鬼


 リンに腕を掴まれたまま、俺は硬直している。何を考えるでもなく、俺はリンの体温を感じている。




「何だよ」




 そう、自嘲気味に笑いながら聞いてみる。




「行かないで」




 しかしリンは、相も変わらず切羽詰まった声で同じ言葉を繰り返すだけだ。




「何でだよ」


「櫻先輩、私のお姉ちゃんに勝てるような人だよ。そこら辺の男の人なんか蹴散らせるよ」


「そんなの、わかんねえじゃん」


「わかるよ。何だか、わかるの」




 リンは俺の腕を握る手に力を込める。




「あんたが今、呼ばれてるんだって、わかるの」




 俺は弾かれたようにリンの方を振り返る。


 その瞬間、リンは俺の胸に飛び込み、両腕を腰に回して抱きついてくる。


 たじろぎ、数歩後ずさるがリンは離れない。




「リン?」


「……」


「おい」


「……すぅ」


「おいお前どさくさに紛れて匂い嗅ぐな」




 すると、リンの肩がビクッと跳ねる。




「別に、嗅いでないし」


「俺の周りには変態しかおらんのか」


「あ、あんたには言われたくないんですけど!」


「まあそれはそれとして、どうしたんだよ」




 そう聞くと、リンは両腕にさらに力を込めてしまう。




「私だって、わかんない」


「じゃあ俺にもわからん」


「ごめんね」




 それは何のごめんねなのか、いまいち正体がわからないそれを一旦飲み込むと、俺は言わないと決めていた『余計なこと』を言うと決める。




「お前は、怒るかもしれないけど」


「え?」


「本当は言わない方が良いっていうのはわかってるけど」


「な、何よ」




 俺は大きく息を吸い込み、リンの肩に手を置く。




「もし先輩と出会ってなかったら、お前のことを好きになってたと思う」


「っ!」




 リンは俯き、縋るように俺の両腕を掴む。




「正也は優しいね」




 しかし、リンの言葉はまるで喉から無理やり絞り出したように聞こえる。




「けどちょっと残酷だね」




 リンは俯いたまま、俺の腕から手を離す。




「そういうところが、櫻先輩と合うんだね」




 そして決して俺に顔を見せずに、素早く振り返る。




「ごめんね。引き止めて」


「いや、俺こそ。その」


「良いから、早く行ってあげて」


「……ごめん、行ってくる」




 俺は振り返って走り出す。


 頭がクラクラする。きっと激しく頭を使ったせいだ。リンに告白された。凄く嬉しい。でも同時に凄く複雑だ。




「どいて」




 沢山の足。灼熱の砂。




「どいてください」




 肩が何かにぶつかる。声が聞こえる。きっとあの人の声だ。




「先輩!」




 人混みを搔き分け、顔を上げる。


 どうか間に合ってくれ。




「だから何回も言ってんじゃん。退屈させねえって」


「だから何回も言っているだろう。君たちが面白いかどうかは関係無い。私は君たちに付いていきたくないんだ」




 海の家の前で、金髪で体格が良い男三人が先輩に言い寄っているのが見える。


 先輩は腕を組み、男たちを鋭く睨みながら、彼らの話を興味無さげに聞いている。


 そこそこイケメンで高身長な男たちと、超美人で清楚で塩対応の先輩とのやり取りはちょっとした名物扱いを受けているらしく、先輩たちを囲むように観衆が集まってきている。


 スマホを構えている人もいる。


 今行ったら確実に目立つな。




「あっ」




 先輩が俺に気が付き、一瞬全身の緊張が緩む。




「さっきからぐだぐだうるせえな。良いから来いよ!」




 男はその隙を見逃さず、先輩の腕を掴む。しかし先輩は男の腕を振りほどかない。ずっと俺と目が合っている。




「正也君」




 心臓がドクンと一つ脈打つ。


 全身の血管が膨れ上がり、大量の血が巡っていく感覚。内側から圧迫されて、充満したエネルギーが外へ逃げ道を求めている。


 こういう風に吸血鬼の力を解放するのは久しぶりだ。


 ただ欲望のためじゃない。ただ好きな人を守るために。




「ああ、しんどい」




 出来損ないの吸血鬼と、皆が俺をそう呼ぶ。


 嬉しい。今はそれが。




「しんどいな。はは」




 俺は恥ずかしげも無く、好きな人を守れるんだから。




「おい、俺の女に何か用か」


「っ! あぁ?」




 男の腕を軽く掴み、同じ目線から真正面に睨み返す。




「何だよお前?」


「聞こえなかったか? 俺の女に何か用か? あ?」




 男の腕を強く握る。ミシッ、と筋肉が悲鳴を上げる音が聞こえる。先輩は咄嗟に男の手を振りほどき、俺の背後に隠れる。




「ひっ、は、離せ、お前!」


「聞いてるんだよ。耳が悪いのか? 何か用でもあるのか?」


「お、俺らはただ、その女をナンパしただけで、あんたの女だって知らなかったんだよ!」


「へえ? ただナンパしただけ、かぁ」




 俺は掴んだ腕を外側に捻って男の肩に圧力を加える。男は徐々に膝を曲げて危険な圧力から逃げようとする。




「ナンパされた女の殆どは不快感と恐怖を覚えるらしい」


「は、離してっ、離してくれっ!」


「それはどういう記憶になって女の脳に刻まれるんだろうな。少なくとも良い思い出じゃないだろうな」


「ごめんなさい! ごめんなさい!」




 男は完全に膝をつく。涙目で俺を見上げる。




「経験しないとわからないか」




 俺は限界まで力を込める。




「さあ早く立って、俺と遊ぼうぜ」




 今にも泣き出しそうな男の顔を覗き込み、にっこり笑う。




「正也君! それ以上はやめてあげてくれ!」




 先輩の一言で俺は手を離す。




「ひっ! ひいいっ!」




 男たちは一目散に走り去っていく。


 その逃げっぷりは見事なもので、観衆から呆れたような笑い声が聞こえてくる。




「……君! 正也君!」




 そして同時に小さな悲鳴。色々な人が叫ぶ声が遠くから聞こえてきて、俺の顔を覗き込む先輩の泣き顔が目に飛び込んでくる。


 あれ、俺、いつの間に倒れて……。


 それ以上何も考えられない俺は、ゆっくりと目を閉じた。






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