第26話 吸血鬼な俺と、決断の時その1
「んー美味しい!」
海の家で焼きそばを頬張りながら、先輩がそう言う。
「こういうところで食べる物って何でこんなに美味しいんだろうな?」
「場所の問題じゃないですか? 櫻先輩」
まだ若干不機嫌そうなリンがそう返す。
「いいや違うな。気を許せる友と一緒に食べているからだ」
「気を許せる友、ですか」
リンはそう呟いて何故か俺を見る。
そんな責めるような視線を向けられても、俺にはどうすることも出来ない。
「それにしても私、海って久しぶり~! 皆と同じときくらいかな? 海で遊ぶのってすっごい気持ち良いんだね~」
向かいに座った夜切先生が嬉しそうに軽く跳ねながらそう言う。
後ろ髪を二つに結んでニコニコ笑う先生のその姿は、現役女子高生と言われても信じてしまいそうだ。
「先生もこういう風に皆で遊んでたりしてたんですね」
天井まで届きそうなかき氷を頬張りながら、妖崎が何とはなしにそう言う。
妖崎よ、それは夜切先生の地雷を踏みかねないぞ。
そう忠告する間もなく、夜切先生は百から零にテンションがガタ落ちする。
「まあ、皆で遊ぶというか、私は屋根の下で涼んでただけなんだけどね。だって、お情けで連れてきてもらったのに皆と同じようにはしゃいじゃったら馬鹿みたいじゃない? 陰キャは陰キャなりに、じゃないけど、そういう気持ちでなるべく皆に迷惑かけないように私は……」
「わ、わかりましたわかりました! でも、今は皆でこうして遊べてるわけだし、ね?」
「うん、今私、凄く嬉しいよぉ」
高校一年生に慰められる教師って何なんだろう。
まあ、皆の輪に入れてるだけ俺よりマシか。
「正也君」
顔を上げると、妖崎に声をかけられたことに気が付く。
「え? 何?」
「もしかして、お口に合いませんでしたか?」
見ると、確かに俺の焼きそばは全然減っていない。
それは口に合わないとか、美味しくないとかではなく、単に俺が考え込んでしまっているだけなのだが。
「いいやそういうわけじゃないよ。別に気にしなくて大丈夫」
「そうは言っても正也君、今日は元気無いみたいですし、もしかして、その」
妖崎はそう言ってその長い白髪を軽く持ち上げ、綺麗なうなじを露わにする。
「私の、吸っても良いですけど」
頬を赤らめながら遠慮がちにそう呟いたその瞬間、彼女らの間に流れる空気がピンと張りつめる。
「正也君、私の汚い血で良かったら」
「えっ?」
次に夜切先生が、何故か左腕を上げてつるつるの腋を俺に見せつけてくる。
確かに腋の下に太い血管が通っているらしいというのは聞くが、もし教師の腋の血を吸ってしまったら何かしらの罪に問われそうな気がする。
「正也君」
右隣に座っている先輩が囁く。
俺と目が合った先輩はにししと笑い、艶めかしい右脚を抱えて小首を傾げる。先輩の長い黒髪がサラリと揺れて胸の谷間に垂れる。
「私となら昨日の続きを……ね?」
ドクンッ、と心臓が脈打つ。昨日の夜の思い出がフラッシュバックする。
俺は、やっぱり先輩と……。
「やめてください!」
そのとき、リンが唐突に立ち上がって大声を張り上げる。
「リン?」
それは、いつも俺たちがやっているじゃれ合いの雰囲気ではない。リンの心の底から湧き出た言葉のように聞こえた。
思い詰めた表情のリンは、俯いたまま拳を強く握り締める。
「ふ、不純異性交遊です」
おいおい今更それを言うのか。
しかし、リンの表情は真剣そのものだ。
「リン、落ち着けよ」
「……」
「皆見てるだろ」
「あんただって」
「ん?」
「あんただって、簡単に流されるからこうなるのよ!」
えええええ俺も悪いの⁉
まあ、心当たりが無いわけではないけど……。
「リン君、嫌の想いをさせたのなら悪かった。これからは気を付けるよ」
先輩は姿勢を正すと真っ直ぐリンに向き直る。
リンは、それこそ苦虫を嚙み潰したように顔を歪める。
「謝らないでください。ただ」
「ただ?」
「……私だって」
「えっ? あ、リン君!」
リンは小さく呟くと、早足で海の家を出ていってしまう。
リンを見ていた皆の視線が、徐々に俺に集まっていくのがわかる。
「正也君、申し訳ないが、リン君を」
「わかってますよ。言われなくても」
ああめんどくさい。
何でいつもこうなるんだ。
頼むから大人しくしていてくれよ。
俺は今考え事で忙しいんだ。
「正也君」
歩き出した俺を先輩が呼び止める。
「何ですか」
「もし、君が今少しでも面倒くさいと思っているのなら、私は君をぶたなくてはならない」
「は?」
混じりっ気一つ無い、俺の邪念がそのまま俺に返ってきてしまいそうな純粋な瞳に射抜かれる。
「リン君の気持ち、君もわかっているんだろう? 私もさっきは度が過ぎた」
「っ!」
「しかも彼女のその気持ちは、彼女なりにとてつもなく強いものだろう」
「何で、今」
「今だからだよ。わかるだろう」
そしてその懸念通り、俺の邪念は剣となって俺に返ってきたらしい。
「君に決断を促しているんだ」
「そんなこと、急に言われても」
「私たちの誰かと結ばれるんだ」
その言葉にハッとし、妖崎と夜切先生に視線を移す。
二人のその表情は、何と表現したら良いか。自らの意思を強固にするための決意の表情とも取れるし、全て諦めて悟ってしまった表情にも見える。
妖崎と目が合う。彼女は、俺に寄り添い抱き締めるかのように静かに微笑む。
「君は私たちのことが好きだろう?」
一転、先輩は寂しそうに笑う。
「今回の作品の執筆が終わっても、私たちの関係は続いていく」
そうだ。皆は、いや俺も、俺たちは今『狭間』だ。
俺たちがどちらに転ぶか、俺次第。
「ふふ、ははは」
そんなことを考えていると、自然と笑いが込み上げてくる。
「ど、どうした? ごめん、ちょっとキツかったか?」
「いえ、違うんです。ただ、自分が不甲斐なくて、しょうがなくて」
俺は、好きな人に忍び寄る黒い影を振り払い、二人で真の自由を手に入れる。
友達一人大事に出来ない男に、そんなこと出来るわけがない。
「俺、ほんとクズですね」
「いいやそんなことないよ」
「即答かよ」
「即答だ。悩む必要が無い」
俺は先輩としばし視線の交換をし、踵を返す。
「行ってきます」
「ああ、そういえば、ご飯はどうする?」
「後でゆっくりと」
それこそ、悩む必要が無い。
「……君は本当に魅力的な人だよ」
先輩のわざとらしい呟きは聞かなかったことにする。
俺はやっと、俺を照らす太陽と向き合う覚悟が出来たのだった。
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