第25話 吸血鬼な俺と、迫っている危機


「それ、俺のお金なんですけど」




 俺は、美味しそうに緑茶を飲む筧スズを見据えて、出来るだけ冷たく言い放つ。




「知ってるわよ」




 しかし、同じく冷たい言葉で返される。




「どうしてここにいるんですか」


「さっきから質問ばかり。怖いの?」




 スズはそう言っていやらしい視線を俺に向けたまま微笑む。


 そうだこの目だ。スズはこの目を実の妹にも向けるような人間だ。




「いいえ、返答によってはあなたを監視する必要があるというだけです」


「ふふっ、出来損ないの吸血鬼のあなたが? この私を?」


「出来損ないでも、傷跡を残す自信はあります」




 無論、傷跡というのは文字通りの意味だ。


 スズを睨み続けていると、スズは諦めたようにため息をつく。




「そんなに警戒しなくても。ただ海水浴に来ただけよ」




 そう言われると確かに、スズは一般客と同じような水着姿だ。


 それに気づいてしまうと、男とは実に悲しい生き物で、胸の大きさでリンとの血縁関係を確認してしまう。




「……あなたって実はスケベ?」


「は、はあ⁉ 何でそうなるんですか⁉」


「別に? そうじゃないかと思っただけ」


「俺は、胸なんか全然見てないですから!」


「自覚があるなら世話ないわね」




 これは男の悲しき性だ。決して俺が特別にスケベだからというわけではない。そう信じたい。




「そういえばあなたは何でここに?」




 一転、砕けた雰囲気のスズから質問をぶつけられる。




「えっと……」


「別に隠す必要無いじゃない。それを知ってどうするわけでもないし」




 確かにそれもそうか。せっかく遊びに来ているのに、これじゃ俺だけ馬鹿みたいだ。




「皆で、文芸部の合宿に来てるんです」


「文芸部が? 羨ましいわね。私手芸部だけどそんなこと一度もやったこと無いわよ」


「俺も疑問なんですけどね。先輩がどうしてもやると聞かなくて」


「先輩って、木刀振り回してたあの子?」


「そうですけど」


「ふーん」




 スズは興味深そうにうんうんと数回頷く。




「確かにあの子、我儘そうだもんね」


「我儘ってもんじゃないですよ。もう自分が神様みたいに振舞うんです」


「……神様」




 すると、何故かスズの周囲の空気が一気にピリつく。


 それは、吸血鬼化した俺と対峙したあのときのような、臨戦態勢と呼ぶに相応しいものだ。




「スズさん?」


「ああごめんなさい。あの子には散々やられたもんだから」


「まあ、あの人には常識とか通用しませんから。自分の我儘を押し通さないと気が済まないんです」


「ふーん、常識が通用しない、ね」




 そしてスズは意味ありげに微笑む。




「どうしました? さっきから」


「いいえ何でも。そういえば、あなた気付いてた?」


「え、何をですか?」


「あなたたちの名字には、自分の性質に関係する漢字が入ってること」




 唐突にそう言われ、頭の中で全員の名字を思い浮かべる。


 妖木、妖崎、夜切。筧には和のイメージがあり、日本に根付いて活動している彼女らのイメージに当てはまる。




「きっと、あなたたちみたいな奴らは昔からお偉いさんに目を付けられてて、簡単に区別出来るようにそうなったのね」


「だ、だから何ですか?」


「もしかしてその子の名字、神って漢字が入ってる?」




 先輩の本名は神野、櫻。


 入っている。神という漢字が。




「だとしたら何なんですか」


「別に? ただ、あなたの実家がやろうとしていることに関係してるかもと思って」


「実家って、あの腹黒じじいが?」




 吸血鬼が人を支配する世界を目指し、この世のあらゆるものを利用し、使い捨てる悪魔。父とまだ幼かった俺を、人間との間に子を作ったからという理由で勘当したことを忘れはしない。




「ふふ、酷い言われようね。まあ、そう言われても仕方ないかも」


「教えてください。あいつは何をやろうとしてるんですか」




 奴の毒牙が先輩に向くことは、絶対にあってはならない。


 スズは躊躇いがちに視線を泳がせると、俺の隣りまで歩み寄り、小さな声で呟く。




「完全なる吸血鬼の召喚」


「え?」


「人間と交わった現代の吸血鬼が、真の力を取り戻すための儀式、その儀式に、神の子が使われるという情報が入ってきたの」


「それって、まさか」


「ええ、そのまさかがあるかも」




 神の子。


 神野、櫻。




「いやいやそんなオカルトみたいなこと、あるわけない」


「そんなこと言ったら、私たちの存在自体オカルトよ」


「そうだけど、あの人が神の子だなんて」


「神の子は言い過ぎかもしれないけど、神に近い何かの末裔かもね。でないと説明出来ないもの」




 スズは踵を返し、俺に背を向ける。




「私が張ったあの結界、無理やり入ってきた人間を焼き殺すものだから」




 少しの沈黙。しかし、永遠に感じる程の沈黙。


 スズはにやついた表情のまま少し振り返ると、その小さいお尻を包んでいる水着の中に手を入れる。




「これ、ジュース代」




 そしてその指で弾かれたのは百円玉だ。俺はそれを何とかキャッチする。




「それじゃ、頑張って」




 俺に何か言われるのを嫌がるかのように、スズはひらひらと手を振って歩いていってしまう。


 俺は渡された百円玉を握り、自販機に目を移す。




「あ、百円じゃ炭酸買えないのか」




 しかし俺は、ジュースを飲む気などとっくに失せてしまっているのだった。


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